第一話:墓前の報告。師匠の好きな酒を添えて
このシリーズは既に完結まで執筆しております。
3日ごとに予約投稿をしておりますので、気長に読んで頂けると嬉しいです。
風が、静かに吹いていた。
王都の喧騒から遠く離れた、小高い丘の上。見晴らしの良いその場所には、いくつもの石碑が並んでいる。その隅に、一つだけやけに無骨で、手入れも行き届いていない雑な墓があった。
いや、雑というよりは――。
「……ふふ、貴方らしいと言えば、そうですね」
エディは苦笑混じりに呟き、その墓石の前にゆっくりと腰を下ろした。
手に携えているのは、琥珀色の液体が揺れる一本の酒瓶。かつて師匠が「これがなきゃ夜は越せねえ」とうそぶいていた安酒だ。銘柄すら覚えていないし、覚える気もなかった。
だって、どうせ味なんて分からないのだから。
「持ってきましたよ。貴方が死ぬほど執着していた、例のやつです」
慣れない手つきでコルクを抜く。
その瞬間、鼻腔を突くような強烈なアルコールの匂いが立ち込めた。
「……うわ、きついな。本当によくこんな劇薬を飲んでいましたね」
軽く呆れながらも、エディは持参した小さなグラスに注ぎ、意を決して一口だけ口に含んだ。
「――っ、げほっ、ごほっ……!!」
直後、肺が裏返るような勢いでむせ返った。喉から胃にかけて熱い火の玉が通り抜けたような感覚。これは本当に人間が嗜む飲み物なのだろうか。
「……やっぱり、僕には一生理解できそうにありません」
涙目になりながら、エディは思わず声を上げて笑ってしまった。
喉の焼けるような痛み。鼻に抜ける安っぽい香り。そのすべてが、かつて隣にいた男の、自分勝手で傲慢な存在感を思い出させる。
「師匠、これ……一体どこが良かったんですか。答えてくださいよ」
当然、返事はない。
分かっている。分かっているけれど――沈黙の中で草を揺らす風の音に、一瞬だけ、かつての師の笑い声が混じったような気がして、エディは目を細めた。
「……報告、しに来ました」
エディは姿勢を正し、無骨な墓石をまっすぐに見つめた。
「貴方が最期に言っていた、『違う未来』のことです」
一度、言葉を区切る。
頭の中で渦巻く思考を、なんとか言葉として形にしようと試みる。
「少しだけ……本当に少しだけですが、形になってきました」
禁術の安全化。
忌まわしき核撃魔術の再構築。
そして――血と涙が滲んだ、あの報告書の焼却。
あの日、自分が下した決断が、歴史的に正しかったのかは今も分からない。
「……あるいは僕は、ただ逃げただけなのかもしれません」
ぽつりと、乾いた本音がこぼれる。
「あの技術を提出していれば、救えた命があったかもしれない。……でも、提出すれば、確実に誰かを殺すための道具になった」
その天秤から、自分は目を逸らしたのではないか。
「……いえ、違いますね」
エディは首を振り、自分自身に言い聞かせるように言葉を継いだ。
「選びました。僕は、僕の意志で、使わない未来を選びました」
それが、エディ・ノイマンという一人の技術者が導き出した、現時点での最適解だ。
沈黙。風が吹き抜け、丘の上の草花がざわざわと波打つ。
「……貴方なら、どうしましたか?」
不毛な問いだと分かっていても、口に出さずにはいられなかった。
あの男なら、きっと鼻で笑ってこう言うだろう。「好きにしろ」と。重たい責任も、割り切れない覚悟も、すべてこちらの両肩に放り投げて。
「……本当に、最後までずるい人だ」
思わず、柔らかな苦笑が漏れる。
「でも。だからこそ、僕はここまで来れたのかもしれません」
ずっと、逃げていた。
破壊の代名詞となった魔術からも、他人という不確定な存在からも。
けれど今は、背中を預けられる仲間や、共に歩むべき教え子たちがいる。
クロエさん。リテラさん。レオン君。メディウス。そして、厳しくも見守ってくれるミラ理事長。
「……今は、ちゃんと向き合えています。魔術とも、自分自身とも」
不思議なものだ。
あれほど死に物狂いで遠ざけていたはずの魔術が、今はまったく違って見える。
その恐ろしさは変わらない。けれど――。
理解できる。制御できる。そして、誰かを守るために向き合える。
それだけで、この呪われた世界が、ほんの少しだけ優しくなったような気がした。
「魔術は、決して得体の知れない神秘じゃない。……正しく理解し、積み上げれば、誰もが扱える救いの技術になるはずです」
かつての自分なら、口が裂けても言えなかった言葉。
「……まだ、道の途中ですけどね」
苦笑し、エディは墓石に視線を落とした。ようやくスタートラインに立ったばかりだ。
「だから、もう少しだけ見ていてください」
誰に向けた言葉なのか。自分でも、もう分かっていた。
「貴方が諦めた未来を。僕が、僕たちのやり方で、繋いでみせます」
ゆっくりと、エディは立ち上がった。
「貴方が成し遂げられなかったこと、僕がその先を続けます」
ふっと、風が止んだ。
一瞬だけ。本当に、瞬きほどの短い時間。
背後で、聞き覚えのある男が豪快に笑ったような気がした。
「……ふ。空耳、ですよね」
小さく呟き、エディは飲みかけの酒瓶を墓前に供えた。
「それ、置いていきますね。僕には毒すぎるので」
「……また来ます、師匠」
踵を返し、歩き出す。
帰り道、空は燃えるような夕焼けに染まり、地平線の向こうへと沈もうとしていた。
(……エディ・ノイマン)
心の中で、自分の名前をゆっくりとなぞる。
「二代目エンビィー・ノワール」という呪縛は、もうそこにはない。
「僕は、エディ・ノイマンとして。一歩ずつ、行きます」
強く、地を踏みしめる。
背中を押すように吹き始めた風は、決して気のせいなどではなかった。
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