第三話:トラウマの核撃魔術。届かない演算値
このシリーズは既に完結まで執筆しております。
3日ごとに予約投稿をしておりますので、気長に読んで頂けると嬉しいです。
講義を早々に負え、部室ではなく自分の工房に戻ると、机の上に並べた三つの資料が、窓から差し込む月光を反射してやけに重く見えた。
「……始めようか」
椅子を引き、静かに腰を下ろす。
逃げ場はない。ミラ理事長が提示した期限は一か月。解雇という宣告よりも、僕自身の過去と向き合うという事実が、胃の奥を冷たく圧迫していた。
最初の資料を開く。
表題は『広域魔素暴走術式』。大規模な魔素の乱れを引き起こし、周囲の魔術行使を物理的に阻害する禁術だ。
「……これは、単純だな」
構築そのものは荒削りで、制御機構が圧倒的に不足している。ただ出力を高めることだけに特化した、いかにも旧時代の遺物だ。
(なら、術式そのものを弄る必要もない。外側から縛り上げればいい)
僕は机の引き出しから、触媒用の小さな真鍮片を取り出した。
極細の銀針で、表面に精密な刻印を施していく。魔素の流れを常時監視し、臨界値を超えた瞬間に余剰分を次元の狭間へと逃がす、簡易的な「安全弁」の機構だ。
「……これで」
起動。
「魔素圧縮率……正常。魔素放出量……正常。魔術回路……正常」
術式が工房内に展開される。一瞬、空気がピリリと震えるような揺らぎが生じたが、刻印が即座に反応し、魔素の奔流を穏やかな流れへと収束させた。
「……問題なし。暴走の懸念は潰せた」
一つ目、クリア。
二つ目の資料を開く。
『超圧縮指向性雷撃』。一点突破の威力を追求するあまり、術者への負荷を無視した危険術式だ。
「……こちらは少し面倒だな……無理に詰め込みすぎている」
既存の構築式を「解析」で分解していく。魔素の流動が局所的に滞り、回路が焼き切れんばかりに歪んでいる。
(なら、構築そのものを見直すまで。一度壊して、組み直す)
威力を維持したまま安全性を確保する。それは、一本の太い綱を渡るのではなく、数千本の細い糸を束ねて強固なロープを作る作業に似ている。
「……分散させて、最後に束ねる」
一つの巨大な魔素の塊を作るから無理が出るのだ。なら、安定した小規模構築に分解し、それぞれを安全域で運用する。そして着弾の直前で、それらを一つに統合させる。
「……これで」
起動。
「魔術回路……正常。魔素吸収率……上昇……いずれも安定値。各、魔術構築も問題なし」
バチリ、と青白い火花が散り、空気が鋭く震えた。だが、どれほど出力を上げても構築が崩れる気配はない。
「成功。威力と安定、両立できたようだ」
二つ目、クリア。
そして。
最後の資料に視線を落とす。
「……最後は、これか……」
手が、わずかに止まった。
開く前から分かっている。表紙に刻まれた「最上位禁忌」の印章。かつての僕が、そして「エンビィー・ノワール」が関わり、そしてすべてを失った魔術。
「……やるか」
覚悟を決め、資料を開く。
そこに記されていたのは――『核撃魔術:プロトタイプ構築式』。
一瞬、思考が白く塗り潰される。
網膜の裏に、あの日の光、熱、崩壊の残像が焼き付く。
『エディ、すまん――』
師匠の最期の声が耳の奥でリフレインする。
呼吸が浅くなるのを自覚し、僕は強く唇を噛んだ。血の味がして、ようやく意識が現実へと繋ぎ止められる。
「……同じだな。欠陥も、傲慢さも」
エンビィーの失敗。その原因は明確だった。「魔素圧縮率の演算ミス」。
臨界点をわずかに超え、連鎖反応が制御を離れた。それだけで、一つの街を地図から消すには十分だったのだ。
理屈は単純だ。なら、修正すればいい。
そう自分に言い聞かせ、数式を組み直していく。
圧縮率を再調整。流動経路の安定化。干渉波の徹底的な排除。
だが。
「……足りない」
ペンを走らせる僕の手が止まる。
数値が、どうしても安全域に届かない。
もう一度、最初から計算し直す。構築の再配置、変数の中和。
「……これでも、だめ……か」
ほんの、わずかだ。
だが、そのわずかな「数値」の差がどうしても埋まらない。
圧縮率をさらに下げれば、安全性は確保できる。
「……圧縮率を下げれば問題ないが……それでは威力が落ちすぎてる。これではただの劣化魔術だ」
それなら禁術である意味がない。劣化させずに安全性を担保するのがミラ理事長の条件だ。
ならばと威力を維持しようとすれば。
「……今度は、環境汚染の数値が跳ね上がる」
核撃魔術の本質的な毒性。放出される魔素の残滓が、周囲の生態系を数十年単位で侵食する。
どこを削っても、どこかが歪む。
「抑えきれない……どうやっても」
カタカタと、ペンを握る手が震えだす。
今の僕の技術では――いや、現代魔術の理論の延長線上では、この「正解」には届かない。
はっきりと、理解してしまった。
理論は分かる。構造も見える。だが、それを安全という器に収めるためのピースが、根本的に欠落している。
「……足りないなぁ。技術も、経験も……あるいは、発想が」
椅子にもたれかかり、僕は工房の天井を見上げた。
静かな夜。響くのは、自分の乱れた呼吸の音だけ。
「……参ったな」
苦笑が漏れる。
最初の二つを鮮やかに処理できただけに、この壁の高さが余計に堪えた。
一つ目は魔術具で補った。二つ目は構築の工夫で乗り切った。
だが、これはそのどちらでも太刀打ちできない。
「根本から、完成していない。危険であることを前提に、毒をもって毒を制するように成立している術。それを白く塗り替えろ、と……」
無茶だ。
だが、拒否権はない。
何より、これを成し遂げなければ、僕はあの日から一歩も前に進めない。
「……もう少し、試してみるか」
僕は再びペンを握った。
カリ、カリと、静寂の中に硬い音が響く。
答えはまだ、暗闇の向こう側で見えない。
それでも、思考だけは止めない。
夜は、まだ始まったばかりだった。
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