ケース9 息子のキモチ
登場人物紹介
主人公:小泉ハル
ケアマネ歴17年。仕事・家事・子育て・ツッコミを同時進行する、令和のワンオペ戦士。
利用者:藤田真理
パーキンソン病と向き合う元キャリアウーマン。気丈でユーモアもあるけど、生活はなかなかハードモード。
家族 :藤田類
思春期ど真ん中。家のことも気にしつつ自分の将来も抱え込む“優しすぎる少年”。
:徳永セツ
家事を支えてきた頼れるおばあちゃん。最近ちょっと物忘れが増えてきたけど、根はめちゃくちゃ頑張り屋。
――そうだお母さん、おばあちゃんてどんな人だった?私が物心つく前だったからおばあちゃんのこと、記憶にないんだよね。きっとお母さんみたいに芯の強い人だったんだろうな。
暗い公園でひとり、少年がベンチに座っています。目は伏し目がちで、口をきりっと真一文字につぐんでいます。彼女を待っているようには、とうてい見えない表情です。
*
「あぁ、めんどくせぇ、いちいち毎度の飯じゃなくて飲みものだけでカロリー摂れる、世の中になればいいのになっ」
そんな願望を吐きながら、第三のビール片手に大急ぎで夕飯を作っている私です。
私は十八時に仕事が終わると、残業いっさいなしで自宅に帰ります。お腹をすかした長男はすぐに食べて習い事へ、二男が部活から帰宅するまでには夕食を作り終えなければいけません。
ビールは疲れた身体に鞭を打つための、ドーピングのようなものです。
二男が帰ってきました。
「ボス男!腹減った~」
幼い頃は「ママ!」とかわいい声で呼ばれていましたが、いつしかボスからボス男に変化しました。
もちろん、明〇家さ〇まの影響から元々は私が提案した呼び名です。
*
今度の担当は、近隣のケアマネジャー事業所が閉所することになり引き継いだケースでした。
藤田 真理さん 四十五歳 要介護3
パーキンソン病 元IT企業キャリアウーマン
これほど年齢の近い方を担当することははじめてでした。引き継いだので、介護保険サービスと障害福祉サービスはすでに固まっていました。今日は三回目の訪問です。
真理さんは座っていても、身体が自然に右に傾いてしまいます。ひじ掛けのついた椅子にクッションを押し込み、体勢を整えます。
「小泉さん、いつも元気で良いわね。羨ましいわ」
「今のところ、それしか取り柄がないですよ」
真理さんのお宅は、真理さんの実の母親セツさんと、中学三年生の息子類くんの三人暮らしでした。
類くんにはお姉さんがおり、少し離れたT市でひとり暮らしをしています。
「セツさん、買い物に行って来られたのですか?」
「洗剤がないと思って買ってきたのだけど、これ、今見たら買い置きが三つもあったわ」
【う~ん、これは……。】
引き継いだ内容では、セツさんが家事全般を完璧にこなしており、まだまだ現役に近い活躍だと聞いていました。
真理さんはパーキンソン病の進行によって、歩行状態も徐々に悪化しており、日中は車いすでトイレへ、夜間はベッド横に設置したポータブルトイレで用を足していました。
移乗は何とかまだ自力でできます。五年前に夫を亡くし、キャリアウーマンとしてバリバリ働いていた真理さんに、私はかける言葉が見つかりません。
早く夕飯を作って、奴らの口に飯を放り込まなければいけない指名がある私は、足りない材料を大急ぎで購入しに、会社帰りにスーパーへ仕方なく寄ったときのことです。
あれ、類くん? こんなところまで買い物に来ているの?なんで?見かけたのは間違いなく類くんでした。
私は次の訪問の時に、類くんを少し離れたスーパーで夕方見かけたことを真理さんに伝えました。
「あの子、美術部と吹奏楽部に入っていたのだけど、もう少しで引退って時に吹奏楽部を辞めてしまったの、入試もあるのに勉強もしているのだかどうか。思春期って難しいわね」
私の長男も同じ歳でしたが、反抗期もなくベラベラとよくしゃべる男なので、その時はうまく共感できませんでした。
「あの子たちが小さい時は良かったわぁ。家族みんなで花見なんか行って、昼間っからビール飲んだりしてね」
*
二か月後のある夕方、急に大雨が降った日がありました。真理さん宅で類くんが大急ぎで洗濯物を取り込みます。
「ばあちゃん、外は大雨だよ。洗濯物どうして入れていないの?」
「そうだね、雨だと洗濯物取り込まなきゃね。そうだっけね」
一方、私のウチでは、帰宅するなり、
「えぇ~、なんで洗濯物取り込んでないの?信じられなーい!バカなの?」
「知らんて、勉強してたし。言ってくれればやったのに、ブーブー」
私に似てブーブーと一言も二言も多い長男です。ウチの長男も中学三年生で、来年は入試という大事な時期です。
勉強はしなくちゃ困るけど、洗濯物も取り込んでほしい、欲しかない私です。
「あたしがいなくなったら、どうするの!!」
「知らん、ボケたら施設にぶち込んでやるわ!」
……自分のクローンと話しているようです。
*
そんな中、大変なことが起きてしまいました。セツさんがゴミ出しの途中に転んで、右手首を骨折したのです。これは一大事ですよ。真理さん一家の危機です。
私はすぐに真理さんと相談し、ショートステイ先を探しました。若い真理さんにとって、高齢者ばかりの施設へ一時的であっても入所することは、嬉しい事ではありませんが、やむを得ない緊急事態です。
セツさんは通院治療で済みましたが、利き手が使えない上に、物忘れも増えている状況であるため、これ以上負担を増やすわけには行きませんでした。
類くんが学校から帰る時間帯に私たちは早速自宅で、ショートステイの契約をしていました。居間に入るなり類くんは驚いた様子です。
「お母さん、どこに行くの?」
「ばあちゃんが怪我したから母さん、少しの間施設へ行くの。そうするしかないものね」
「どうして?俺がいるから行く必要ないよ。なんで勝手に決めるの?」
介護保険と障害福祉サービスを併用している真理さんは、ある程度のことは補えても、セツさんが担う役割は大きなものです。
夜間排泄したポータブルトイレの掃除も朝、セツさんが担う役割でした。母と息子の気持ちが交錯する場面です。
私は真理さんのキモチが痛いほどわかりました。
――我が息子にそんなことさせたくないよね。
私は母のことを想い出していました。高校三年生の冬、母が亡くなる数日前に『排泄の世話をするのは当たり前』と考えた私は、ためらいなく世話をしました。
でもあれがきっかけで、この介護の世界に入ったんだっけ……。
あの時の母のキモチが知りたくて、介護を受ける側のキモチをもっと知りたくて、この世界に入ったんだ。
「類くん、今回は急なことだったし、あいにく施設に空きがあったからお母さんの意見を尊重しようよ、おばあちゃんもきちんと休息をとって早く治してもらわないとね」
類くんは納得いかないようですが、それ以上は何も言わずに自分の部屋に行ってしまいました。
彼はどれだけのものを背負っているのでしょう。父もいない、姉もいないこの家で、頼りの祖母は高齢で負担をかけられないことも、重々に理解しているはずです。
入試だけでも頭がいっぱいなのに、神様はどうしてこんなにもこの若者を苦しめるのでしょうか。
こうして真理さんは一ヶ月以上を施設で過ごすことになるのでした。その間、真理さん宅へ訪問することはありません。セツさんには連絡をとりますが、類くんについてはどうしているのか。
滅多に残業をしない私でも、仕事が溜まって定時に帰れないこともあります。今日はけっこうな時間になりました。
訪問先から事業所へ帰る道すがら、ある公園を横切りました。辺りはすでに暗くなっています。ベンチに知っている顔が見えました。
「類くん、ご飯食べた?」
他人の息子には気の利いた言葉も出てきません。
「こんばんは」と、類くんは力なく答えます。
「お母さん、施設で元気にやっているみたいだよ。おばあちゃんが良くなれば家に帰れるよ」
「もう帰ってきてもいいと思います」
「類くんは高校はどこへ行くの?絵、描くんだって?廊下に飾ってある絵もめちゃくちゃ上手だもんね」
「あんなんじゃ、ダメです。もっと上手い人たくさんいるし」
「将来については、今から考えた方がいいよ。うちの子には洗脳しているところ」
私は声のトーンを少し下げて続けます。
「類くん、自分の人生は自分のものだよ。お母さんは類くんのしたいことをやってほしいと思っているよ。この先、どんなことが起きても、お母さんとおばあちゃんのことはどうにか絶対にするから、どうにかできるから。どうにもできなかった人は一人もいないから、大丈夫、力になるから。だから類くんはもっと自分のことを考えなよ」
私はそれしか言えませんでした。類くんがどう受け止めたのかはわかりません。
真理さんはまた自宅に戻ってきました。類くんとウチの長男の入試もじわじわと迫ってきています。
セツさんの物忘れもこれからもっと増えていくでしょう。真理さんの病気は進行性ですから、いつかこの家族はバラバラにならなければいけない時が、来るかもしれない。
でも、息子は息子。看病するために生まれてきたわけではありません。自分の足で立って、自分の道を進んでいくために親は育てているのです。
現在日本では全国の中高生のおよそ二十五万~三十万人規模でヤングケアラーが存在すると言われています。
頼る人がいない、相談する人がいない、家族への責任から当たり前のようにケアを担っているのです。私たちには何ができるのでしょう。
私はいつでも『味方だよ』と知らせることしかできません。どうしようもない、無力さしか感じません。
私は真理さんのように頼る親がいません。姉兄たちも当然子育て中です。私が真理さんのように病気になった時、息子二人はどうなってしまうのでしょうか。
考えたくもないけど、考えてしまいます。私の肩には彼らの未来がかかっている、絶対に死ねないし、絶対に一人前にする!真理さんも同じ気持ちだと思いました。
母は強し!母は強し!母は強し! 落ち込む暇などありません!
*
市民センンターで絵の展覧会のようです。ひときわ目立つ場所に、素敵な絵がかかっていますよ。
そこには、大きな桜の木を眺める、後ろ姿の五人家族が描かれていました。
――お母さん、私あの子たちが全てだよ。絶対に悲しませたくない、絶対に一人前にしなくちゃ。どうか力を貸して下さい。
【ハルの人生日記 -スピンオフ-】
ところがどっこい
19✖✖年 12月✖✖日
会社の爺さんみたいな専務が
若い社員を怒鳴ってた
あそこまで言わなくてもいいのに
あたしは爺さん婆さんが好きじゃない
小言を言うし、線香くさい
じいちゃんばあちゃんと住んだこともないし
今後住むこともないだろう
結婚しても姑など看たくない
絶対に一緒には住みたくない
あいつらは老害だ
威張っているし、うざいだけ
あんな風にはなりたくない
若いままでいられないかな
不老のクスリがあればなぁ
老いて病気で、歩けないとかマジ嫌だ
老人にはなりたくない
触りたくない、話したくない
今後もあたしの人生は
老人と関わることは ないだろう




