ケース4 ひっくりがえるの唄
登場人物紹介
主人公:小泉ハル
ケアマネ歴17年。冷静な顔で心の中は常にツッコミ全開。“クセ強めの新規利用者”に今日も挑む。
利用者:狩野道隆
独居のぽっちゃり紳士。吃音あり、統合失調症の既往ありでも性格はめちゃ穏やか。デイサービスではなぜか“ある童謡”で人気者に。
家族 :狩野兄
必要な時だけ現れる、ちょっと距離感のある兄。弟のことは気にしているが、どこかクール。
――あのねお母さん、私離婚した時ひとつも後悔しなかったんだよ。だって私の人生は私のものでしょ。幸せは自分次第だもんね。
男がうす暗い部屋でひとり、カップラーメンを啜っています……。
*
今日も新しい利用者さんに逢うため、準備を進めています。
狩野道隆さん 六十五歳 要介護1 独居
既往 統合失調症 糖尿病 変形性膝関節症
訪問介護管理者、稲葉さんから新規の依頼がありました。これまで障害福祉サービスでへルパーさんが訪問していた方です、六十五歳の誕生日を迎え、介護保険サービスに切り替えることになりました。 初回訪問の日は契約もあります。キーパーソンの兄が同席してくれました。
「こんにちは、はじめまして。これから担当させていただきます小泉です」
目の前にはでっぷりと肥えた豚のような、狩野さんがいました。
私はイケメンの中で生活していました。というのも私の息子2人はイケメンなのです。
周りからも(旧)『ジャ〇―ズみたい』とよく言われていました。ですからブサイクには厳しく基準を設けています。
「こ、こ、こんにちは。お待ちしていました」
狩野さんは会話をする時に吃音がありました。 私は稲葉さんから聞いていた内容と照らし合わせながら聞き取りを行います。
狩野さんは十代の頃に統合失調症を発症し、一時は会社勤めをしたものの、入退院を繰り返し、現在は実家である一軒家に一人で住んでいました。結婚歴はありません。 現在症状は落ち着いており、定期受診も兄が付き添って通院をしていました。そんな狩野さんに対する七歳年上の兄は、接する態度が少し冷たく感じました。
ドラマや音楽を聴くことが好きな狩野さんは、現在の生活に満足しているようでした。
運動不足は見てわかりますが、糖尿病と変形性膝関節症という両極端な疾患から、運動するには何とも悩ましい状況です。
私は狩野さんに、少し生活を変えてみないか、外出の機会を持たないかと、デイケアやデイサービスを紹介しました。意外にも狩野さんは食いつきがよく、すぐに体験利用を組むことになりました。
狩野さんのお宅には以前から週に三回、訪問ヘルパーが買い物や掃除、調理で訪問していました。ヘルパーさんの作った食事を摂る一方で、狩野さんは塩辛い食べ物や、甘い物を好んで食べていました。病院から栄養指導を受けても全く動じません。糖尿病の方にとって、食事管理は最も大切な治療なのですが、守れない人の多いこと、多いこと。
他人の身体ですからこっちには関係ないのですが、関わっている以上、注意喚起はします。時には医師にチクることもあります。時折、お灸をすえながらも日常は過ぎていきます。
*
すっかりデイサービスに馴染んだ狩野さんは、今では週に二回休まず通う優等生です。
デイサービスというと、七十代から八十代が多いのですが、六十五歳の狩野さんは皆さんから『若いねぇ』と羨ましがられながら、なぜだか重宝がられ、思いのほか居心地が良い場所になりました。
この施設は特徴として、大人数が通う大規模デイサービスで、大きなステージの上でカラオケを行うのが皆さんの楽しみのひとつでした。利用が開始されてからいつまで経っても一曲も歌うことのない狩野さんに、周りの婆さん連中はしびれを切らしたのか、今日もしつこくにじり寄ります。
婆①「ねぇ、狩野ちゃん。今日こそ歌いなさいよ、いつまでも、もったいつけてんじゃないよ」
婆②「声がでないわけじゃないんだろ?そんなに大きな体して」
昔は美しかった?であろうおばあさま達に追い詰められた狩野さんは、満を持して持ち歌を披露せざるを得なくなりました。狩野さんが選んだ曲は。
『かえるのうた』――。
後から聞いた話ですが、狩野さんが幼い頃に母親がいつも歌ってくれた曲だそうです。
狩野さんはステージには上がらずに、謙虚にささやくように優しく、躓きながらも渾身の一曲を歌い上げました。
婆①②はともかく、誰もが知っている懐かしい曲をみなさん一緒に口ずさみます。この日から狩野さんは自分の意思とは関係なく、『かえるのうた』をよく歌わされるようになりました。勝手にお決まりの十八番にされたその曲は、いつしかデイサービスみんなの〆の曲になりました。
まるで、トリを務める大御所歌手のようです。
毎月のモニタリングで私は狩野さん宅を訪問しました。すると狩野さんは嬉しそうにデイサービスでの出来事を話してくださいます。無表情な狩野さんですが、嬉しいのは声のトーンで十分に伝わります。私が髪を白いシュシュで結んでいると、
「こ、こ、小泉さん。か、かわいいですね」
などと、リップサービスが飛び出すこともありました。
オレのココロの声
【うっわぁ~、きっもちわるぅ~い】
(※私は女性ですが、離婚を機に自宅内では子供たちに対して『オレ』と言うようにごく自然になっており、家と外で完璧に使い分けています。)
私は誉め言葉を言われると必ず、
「あら~、褒めても何もでませんよ」
と言って、話をぶった切ります。狩野さんにとっては、デイサービスの婆たちよりも私は若い方ですから、期待や誤解をさせないように、こちらは慎重に対応します。
担当した方たちを下のお名前で呼ぶことが多い私も、比較的若い年代の方たちは名字で呼ぶようにしています。
ある日の午前、デイサービスから私に連絡が入りました。
「狩野さんを迎えに行ったのですが、応答がありません。トイレの電気は点いているのですが」
【う~ん、これは……。】
今日は病院受診の日でもないし、デイサービスの日に理由もなく休む人ではない。私は自宅へ行く事にしました。このような時の私は不思議と、フリーで動ける余裕時間があることが多いのです。これからもしかすると結構長い時間、拘束されるかもしれないという時は、特に。
私は狩野さんのファイルをカバンに入れ、すぐに出かけることにしました。普段は大切な個人情報は持ち出し厳禁ですが、今日は必要になる予感がしていました。
狩野さんの自宅に到着すると、インターフォンに反応はなく、玄関の引き戸は全く開きません。トイレの電気は点いているようでした。少し高い位置にあるトイレの窓を開けようにも鍵がかかっています。今度は居間の方に回って窓をのぞき込みますが、狩野さんは見当たりません。
「これは、トイレで間違いないかも……。」
ドアを開けてもらうため、兄を呼ぶことにしました。兄が来なければ消防を呼ぶしかありません。この日に限って兄は一発で電話にでました。これまですぐに出ることはなかった兄が、です。兄が来るまでの間、私は自宅前をウロウロしていました。入ろうにもどこの窓も施錠されています。
これは下手に開いてしまって、一人で入ることになっても困りますが……。
ほどなくして兄が到着しました。かなり面倒くさそうな様子です。私は引き戸を開けようとする兄の後ろ、とにかく『後方』にいることにしました。引き戸に施錠はされておらず、下に棒をかませているだけの簡易的なものでした。兄は手際よく棒を取っ払い、玄関は見事に開きました。
「ガラッ」と引き戸が開く。
私は兄を押し出して、決して前にでないようにしました。最初に居間を確認しました。雑誌やカップラーメンの空箱が置きっ放しになっています。
「お兄さん、トイレの電気が点いているのでトイレにいると思います」
私は兄にトイレへ行く事を薦め、決して前にはでませんでした。私は恐ろしいほど冷静でした。決して第一発見者にならないように、細心の注意を払っています。
「お兄さん、ど~ぞ、ど~ぞ」
と前に押し出し、兄がトイレのドアを開けました。
バーン!!
【あ……カエルだ】
狩野さんは案の定、倒れていました。狭いトイレの中で、うつ伏せになって。両肘と両膝の関節が折れ曲がって、まるでかえるの後ろ姿のような恰好です。トイレから立ち上がろうとして、そのままうつ伏せに倒れたのでしょうか。私はすぐにファイルを取り出し、救急に連絡をしました。やけに冷静で、自分でも驚くほどでした。
私はケアマネジャーになる大分前に、訪問ヘルパーをしていた時期がありました。訪問したお宅で、利用者さんが倒れているところをヘルパーが見つける、といったシチュエーションは、仲間うちには幾度もありました。ですがなぜか私だけは、当たったことがありませんでした。それはロシアンルーレットのようなもので、誰が『その日』に当たってもおかしくありません。
ある高齢男性は、ストーブに顔を半分焼かれたまま発見され、ある高齢女性は食卓に突っ伏したまま発見されたことがありました。幸か不幸か私はそのような現場にブチ当たったことがなかったのです。同僚からは『小泉はそういう星のもとに生まれた』と、なんとも根拠のない話をされ、なぜか私はそれを信じてやまなかったのです。
ですが本日、伝説はついに覆されました。
救急に連絡をし、状況を説明します。オペレーターから、バイタルサインがあるかを聞かれます。
「呼吸はしていないように見えます」
背中を見ても呼吸をしているようには思えません。白いタンクトップから見える肌に、うっすら汗のようなものが浮いているように見えます。私は異常なほどの喉の渇きを感じながら、オペレーターにうつ伏せであることを伝えるとなんと、仰向けにできるかと聞かれました。私はすぐさま、
「できません!!」
と答えました。この時私は、絶対に仰向けにしてはいけない、できたとしても『してはいけない』と強く思いました。
だって顔を見てしまうと終わりだからです。私は毎晩、一生思い出して眠れなくなると思ったのです。
「お兄さん、仰向けにできますか?」
「あ~、できないできない、無理だわ」
兄も同じ意見でした。というよりも全くやる気が見られません。私たちは知っていました。すでに亡くなっているだろうことを。
膝関節の後ろ側は、すでにどす黒くなっているようでした。……死後硬直?兄も私も『触りたくない』と言わんばかりに仰向けにすることを断りました。
「心肺蘇生はできますか?」
【NO、NO、 できない、できない、できない】
私は強く、はっきりと、
「できません」
と答えました。兄も同じです。
赤◯字の救急訓練に参加し、もしもの時に備えて蘇生法を訓練していましたが、さすがにこの状況では、素人でも判断がつきました。
――もう、遅すぎる。
その後は、救急隊員をはじめ、警察やら鑑識やら刑事ドラマでみる光景が目の前にありました。何度も何度も同じ質問に答えながら、数時間拘束されました。
今でも思います。あの時顔を見なくて『本当に良かった』と。変に正義感をだして、やみくもに心肺蘇生をしようなどと思わなくて。
あれが正解だった。あれで良かった。助ける事はできなかった。そう自分に言い聞かせます。
人の命は本当にわからないものです。年齢の高いひと順で亡くなるわけではありません。狩野さんもまだまだやりたい事も、食べたい物もあったことでしょう。デイサービスに通う前も、狩野さんは自分の生活に満足していたようでした。
デイサービスに通うようになり、自分よりも年上の方ばかりの中でも、楽しく輪に入れたことは、狩野さんの人柄だと思います。まだ六十五歳ですから、もっともっと長生きできたかもしれませんが、これが寿命だったのでしょう。そう思うしかありません。
さようなら、狩野さん。私はすごく貴重な経験をしましたよ。
――助けてあげられなくて、ごめんね。
……検死の結果、狩野さんは夜中から早朝の時間に脳出血を発症し、亡くなっていたことがわかりました……。
*
今日も婆①②を含む五十名もの高齢者たちは、帰り間際の〆の唄に、『あのうた』を歌っています。
――お母さん、私正直怖かった。保身に回ったこと、今でも後悔していないよ。
私って幼い頃からズルかったよね。
でも、もし次があるなら…。
【ハルの人間日記 -スピンオフ-】
白雪姫じゃない方
20✖✖年 10月✖✖日
平の学芸会の衣装を縫っている
家事の中でも一番苦手な裁縫だ。
お腹と背中がくっついて、やり直す。
そういえば昔、お母さんが学芸会の衣装を
作ってくれたっけ。
年長だった私は、白雪姫に自ら立候補した。
恵ちゃんも立候補したから、公平に
じゃんけんで決める事になった。
あっさり負けたあたしは、悔しくて
次に目立つ役を考えた。
それで魔女に就任したんだっけ
漆黒の衣装に毒リンゴ 似合いすぎだ
そうそう、あの日からお姫様ごっこはしなくなったんだ
戦闘が得意になったきっかけだ




