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サバイバル•プラン  作者: Haru
--アナタハドノヨウニ、オイルオツモリデスカ?
3/11

ケース3 毒吐きヤンキー婆さん 最期の依頼

登場人物紹介

主人公:小泉ハル

ケアマネ歴17年。冷静な顔で心の中はツッコミ祭り。“困難ケースの匂い”を嗅ぎつけると逆に燃えるタイプ。

利用者:二階堂虎子

初対面は三つ指ついて礼儀正しいが、中身は毒舌クセ強・予測不能の三拍子そろったレジェンド婆さん。人に頼るのが苦手で、強がりが服を着て歩いている老婆

家族 :長男・次男

多忙で母の支援には消極的。大事な場面では現れるが、基本“距離感バグ”のある息子。母の扱いに毎回困惑している


――そうそうお母さん、お母さんが亡くなった日、私ものすごく孤独を感じたよ。心配したでしょ、ごめんね。でも本当の孤独ってなんなんだろうね。

                                                 



 新しい担当依頼が、地域包括支援センターからきました。半年ほど前に地域包括支援センターのケアマネジャーが訪問し、介護保険サービスの調整をしたそうですが、開始寸前になって中止になったケースとのことでした。


 それまで良好な関係だと思っていたのが、急に手のひら返しで「あんたは嫌だ」と悪態をついてきたというのです。その態度がすごく怖かったと。


 その後、ご本人の身体状態が悪化したようで今回の認定で『要介護認定』になったとのことで、地域包括支援センターへ息子さんから連絡が入り、私たち居宅介護支援事業所へ依頼が来た、という流れです。(地域包括支援センターは要支援1・2の方しか担当ができない決まり)


【これは匂う、プンプン匂いますよ。久しぶりの困難ケースでは……。】




 ドアを開けると三つ指ついて挨拶する老婆。

「はじめまして、ようこそお越し下さいました」

やせ細った老婆が私を迎えてくれました。これは珍しい、ご丁寧すぎるわざとらしいあいさつで。聞いていた年齢よりもかなり上に見えます。


 二階堂 虎子 要介護4 七十三歳  独居

 胃がん末期 生活保護 古い団地一階 


「お話しを聞かせて頂きますね、まずお名前は二階堂虎子さんですね」

「まぁ子と呼んでください。昔からそう呼ばれています。虎子は嫌なんです」

「ま、ま~子さん?」


オレのココロの声

【ぜんっぜん、かすってねぇーし】

(※私は女性ですが、離婚を機に自宅内では子供たちに対して『オレ』と言うようにごく自然になっており、家と外で完璧に使い分けています。)


 これが虎子さん改め、ま~子さんとの出逢いでした。ま~子さんには二人の息子が市内におり、今日はキーパーソンの長男が同席していました。ですが訪問して五分で長男は退室することになりました。四十代の長男は多忙で、その五分の間にもひっきりなしに携帯が鳴っていました。長男から何も話を聞けないまま、そそくさと帰ってしまいました。


 ま~子さんは抗がん剤治療をしており、介護保険サービスを利用して通院をしたい、住み慣れた団地で一人暮らしを続けていきたい、と言います。息子さん二人には迷惑をかけられない、と。


 ま~子さんの歩行状態は、悪い時では『生まれたての小鹿』のように足がガクガクよろよろして、転倒を何度も繰り返しているとのことでした。そのような足運びのため、トイレに間に合わず紙パンツ内に便失禁してしまうことや、横から下痢便が漏れて床を汚してしまう事もあり、この日も床には新聞紙が敷いてありました。


 ひとりで何とかしたいという、ま~子さんの気持ちを汲んで様々な提案をしますが、ほとんどは却下でした。私の考えとしては……。


①自宅内の移動の転倒予防。危険個所にレンタル手すりを設置する。

(工事ではないので、簡単に取り付けられる。

②買い物や調理、掃除に訪問ヘルパーの支援を受ける。

③入浴にデイケアやデイサービスへ通所する。

④通院に訪問介護の通院等乗降介助を利用する。

⑤夕食に配食サービスを利用する(保険外)

⑥ごみの収集に、玄関で収集可能な市の無償サービスを利用する(保険外)

⑦訪問看護で身体状態を定期的に看てもらう(自宅での入浴支援も可)


 どれか二・三個でも良いので、ま~子さんの心引くものがあればと思いましたが、ま~子さんは通院の介助のみを選択しました。理由は『他人が自宅に入るのは煩わしい』『人の輪に入る事は面倒で嫌い』とのことです。無理強いはできません。本当に本人が困ることがあれば、徐々に気持ちが傾くはずと思いました。


 ですが、胃がん末期で抗がん剤治療中、体調も思わしくなく転倒リスクが高いま~子さんの状態を鑑みて、私は訪問看護だけは強く推しました。訪問看護の二十四時間の緊急対応など、メリットを上手く伝え何とかま~子さんの承諾を得ました。


 ここで油断をしてはいけません、ヒューマンとは、明日には意見がコロっと変わる生き物なのです。これまで山ほど経験してきましたからわかります。訪問看護だけはスピーディーに開始する必要があります、ま~子さんの気持ちが変わらないうちに。



 週一回の訪問看護が開始されて三回目のことでした。私が平日お休みだった時のことです。同僚の佐藤ケアマネジャーが私に変わって対応をしてくれました。

訪問看護師からの連絡です。訪問した際にま~子さんが発熱しており、すぐにかかりつけ病院へ連絡をしたところ、病院へ来るように言われたと。


 すぐに看護師から、通院介助のヘルパー事業所へ連絡をしましたが、混み合っていて配車ができないと断られたというのです。電話を受けた佐藤ケアマネジャーからお休みの私に連絡が入り、私はどのように対応するか指示をしました。

 結果、運良く時間に空きがあった次男が病院まで連れて行ってくれることになりました。この時、KPの長男とは電話が繋がらなかったと後に聞きました。


 次の朝、パソコンを開くと長男から私宛にメールが来ていました。

「昨日の一連の流れから、事務所のケアマネジャーの対応が悪かったのではないか」

苦情ともとれる内容でした。いざという時電話にも出ないくせに、クレームじみたことはすぐに行動に移す人なのだ、と印象づきました。


 ま~子さんはこの一件で、ひとりで暮らすことに少し弱気になったようで、施設入居について前向きに捉えるようになりました。


 この頃には私たちの間にも馴染みがでてきたのか、ま~子さんは時おり、毒づくことが増えてきました。それは下品な言葉の羅列で、なんともまあ育ちの悪さが際立っています。初回の三つ指ついての挨拶は、自分を良く見せようとした演技だったとバレバレです。


 化けの皮が剥がれてきたま~子さん。私は仕事ですから演技を続けます。ま~子さんの毒づきはどこかで聞いたことがあるフレーズで、私は親近感さえ覚えていました。

 

 思えば、ま~子さんとは共通点が多くありました。三十五歳で離婚してシングルマザーになり、二人の息子を育てたこと。 ま~子さんはヘルパーの経験があり、私も介護の世界に入ったはじめの頃は、訪問ヘルパーをしていた経験があります。そして、キレのある毒づき。何だか私を見ているみたい?いい気分ではないけれど。



 そんなま~子さんでしたが、一度だけ施設を一緒に見学したことがありました。人に頼りたくない、団地で暮らすことに拘っていたま~子さんが、です。施設見学は仲介業者が車で連れて行ってくれました。私も一緒にです。


 施設を見学した帰りの車中で、ま~子さんは、

「あんなところ入らないよ、食事もまずそうだし、何よりあの寮母(施設管理者のこと)なにさっ、威張ってるよな!」

と、早速文句を言っていました。


 道中「昼食を買いたい」と立ち寄ったコンビニで、ま~子さんはご機嫌ななめだったからか、店員の女性に、

「あんたその顔なにさっ!ぶすっとして、笑いなさい!それでも接客してんの?」

と毒づきました。


 全くの被害者である十代後半だと思われる店員さんは真っ赤な顔で、大きな瞳からは今にも涙が溢れそうです。私は店員さんに、

「ぶすっとなんかしていないよ、あの人ちょっとアレなんだ」

と、微妙なフォローをしました。


 元々人柄が良いとは決して言えないま~子さんとの共通点よりも、ひとつでも多く相違点を見つけたい私でした。


 年末に息子二人の都合がつき、ま~子さん宅で家族会議を開きました。大切な話し合いです。忙しいことを理由に、この親子は真っ向からの話し合いを避けてきました。ま~子さんは、

「施設へ入居するのは嫌だ、自宅で死んでもいい」

と、聞く耳を持ちません。


 私は自宅で亡くなるということはどういうことか、どのようなリスクがあるのか、また一人で死んでもいいと言うま~子さんに、死に際に会えない後悔を、家族が背負うことになる『家族の気持ち』も十分に考えてほしいと伝えました。


 ま~子さんは強引な人です。息子たちの説得など全く聞く耳を持ちません。 何を言っても、自分の考えを変えませんでした。


【その気持ち、わかるんだよね~私】


 同じ性質を持ち合わせる私には、理解できる部分も大いにありました。これを単に『わがまま』と言えますか? 人にはそれまでの長い大切な生活があって、自分で決定する権利もあります。誰にも立ち入ることのできない『聖域』みたいなものがあるような気がするのです。




 数週間後、訪問看護からまた私あてに連絡が入りました。

「ま~子さんがまた発熱している、病院へ連絡したら午前中に連れてくるように言われた」

長男・次男へ電話連絡をしましたが、いつものようにでません。


 私は別件があり外出寸前でしたがキャンセルし、すぐにま~子さん宅へ向かいました。到着するとま~子さんは会話はできますが、非常に辛そうです。通院ヘルパーに乗車介助をしてもらっても、診察までひとりで待てる状態ではありませんでした。自宅から二人の息子に連絡を入れますが、繋がりません。着信は残っているはずです、母の自宅の番号です。


 看護師さんは入院になるかもしれないとすでに準備をしてくれており、通院介助のヘルパーが到着してすぐにま~子さんを車に乗せ、私は追走しました。


 院内で車いすに乗ったま~子さんは、しきりに私の心配をします。

「ごめんね、忙しいのに。時間大丈夫なの?」


 何度か同じ会話を繰り返していると、診察室に呼ばれました。ま~子さんは尿の排出がうまくできない為、尿道にカテーテルが入っています。今回の発熱は尿道感染によるものでした。入院治療が必要になり、訪問看護師さんが準備をしてくれた荷物は大正解でした。


 処置室で入院を待つ間、点滴を受けるま~子さんは私に、

「悪いね、時間かかってごめんね」

と、しおらしく何度も声をかけてくれました。


 少しだけ元気を取り戻したま~子さんに、これまで聞いていなかった数々の昔話を聞かせて頂きました。つい先日、コンビニの若い女性に無意味な毒づきをした人です。同一人物とは思えない態度です。


 先日のま~子さんも本音ですし、本日のま~子さんも本音なのです。良く言えば正直な人なのです、あまり好かれないとは思いますけど。



 ま~子さんの入院中に医療機関のソーシャルワーカーと今後について何度か電話でやりとりをしました。これまでの経緯をみても、ま~子さんは簡単に施設へ入居する人ではないため、一旦は必ず自宅退院になると思っていました。


 ソーシャルワーカーもそれを踏まえて息子たちと相談し、通院がかなり大変になっていることもあり、退院が決まったら訪問診療の医師が入るように調整をしてくれました。


 まだ退院の連絡が来ていないその日、私は事業所で書類作成に追われていました。そこに一本の電話が入りました。ま~子さんの長男からです。


「母が家に帰りたいと病棟でダダをこねて今、家に帰ってきました」

「へっ?」


 私はすぐにソーシャルワーカーと連絡をとりました。ま~子さんは家に帰りたいと、半ば強引に退院したそうです。突然のことでしたが、訪問診療の医師が十六時には初回訪問をしてくれる手筈になったと。強引に家に帰りはしたものの、ま~子さんの身体状態は自宅で一人で過ごせるようなものではありません。


 私はすぐに自宅に向かいました。ま~子さんは床にへたり込むように大きなクッションを背に座っていました。入院する前よりも、更に痩せたように見えます。床から立ち上がろうにも立ち上がれません。


 ま~子さんはそれでも自宅で過ごしたいと言います。もちろん息子たちは一緒に住むことなどありません。それぞれの生活があるので責めることも、お願いすることもできません。


「すぐに電動ベッドを入れましょう、居間に置きます。ま~子さんが嫌だと言ってもここにベッドがないと、立ち上がることもできませんよ、動作が楽になりますから、このまま家に居たいのなら了承してください」


 この時点で金曜の十五時です。明日になれば福祉用具事業所も休業していることが多いのです。設置は急を要しました。本来であれば事業所選びには、ま~子さんの自由選択が当然ですが、今回は『今日中に設置してくれる事業所』が必須です。


 ま~子さんの承諾のもと、私は今日中に電動ベッドや、必要箇所の手すりを設置してくれる事業所をその場で探す事にしました。選定基準は、①早急に持ってこられること。 ②ま~子さん宅に近いこと。そしてできれば、③担当者が『イケメン』であること。ま~子さんはイケメンが好きなので、せめてそこを基準に(イケメン枠から)連絡をしました。


【ナイスっ!オレってやっさすぃ~】


 電動ベッドが到着した頃に、訪問診療の医師も到着しました。私もはじめて関わる先生です、お名前は片岡先生。ま~子さんは時に奇跡を起こす女でした。この日この狭い団地の一角で奇跡が起きたのです。そうです、なんとイケメンが揃いました。医師でイケメンはあまりお目にかかれませんよ(偏見)。


 持っていますねま~子さんは。人生の運、これで使い切ったかもよ?


 私はここに集まった皆さんに重要事項を説明することにしました。

「みなさん、二階堂さんのことは『ま~子さん』と呼ぶようにしてください。二階堂さんでも、虎子さんでもありません、『ま~子さん』ですよ。くれぐれもお願いしますね。」





 こうしてま~子さんの、以前よりも厳しいひとり暮らしの日々がやってきました。訪問診療に、訪問看護、福祉用具と揃いましたが、ここからが本番です。立って歩く事も日によって難しいま~子さんは、洗面所に立つことも毎日はできません。大便がしたくてトイレへ行こうと思っても行ける日と、行けない日があります。


 では行けない日はどうするのか、ポータブルトイレを嫌ったま~子さんは、おむつ内で用を足すしかなかったのです。おむつを交換するにも体力が必要です。日によって異なる身体状態から、『定期・巡回型訪問介護』が必要だと判断しました。柔軟な対応が求められる状況から、このサービスは必須でした。


 私たちの地域ではこのサービスは希少です、事業所の受け入れ態勢ができなければ、ま~子さんの生活は成り立ちません。こちらもま~子さんの引きの強さでしょうか、幸い、一件目に電話した事業所に受諾して頂く事ができ、すぐにサービス開始ができることになりました。これも奇跡的なめぐり合わせでした。


 何とか日々の生活が回り始めました。それこそ密に訪問看護師さんや訪問ヘルパーさんと情報を共有しながら、その日のま~子さんの状態を把握していきます。体調が急転することも十分に考えられます。




 三週間ほど経った頃です、事業所で事務作業をしていた私に訪問診療の片岡先生から電話連絡がありました。珍しいことです、私は嫌な予感がしました。片岡先生は、ま~子さんの余命について『数週間単位』と私に告げました。病状の詳細を含めて。


 私はすぐに長男にメールをしました。私は医療従事者ではありませんから病状の説明に誤解があってはいけません。先生が仰った内容を一言一句そのまま伝え、詳細は先生に直接聞くようにと薦めました。その数時間後、長男からメールの返信がありました。


「母が動けるうちに、好きだったレストランで家族みんなで、食事をしたいと思います。お力を貸していただけますか」


 いつも大事な時に連絡が取れない息子たち、母を説得することも、諫めることもできない無力な息子たち、薄情だと思われても仕方がない面もありました。ですが、子が母を想う気持ちは、どれほどのものなのでしょうか。最期の時を迎えようとしている母に、少しでも楽しい記憶を残したい、自分たちも悔いを残したくないと必死なのでしょう。


 私は高校生の時に両親とも亡くしています。老いゆく親をどう見送るのかは、一生味わうことができません。だからこそ、この仕事ごしのフィルターを通して気持ちを学んでいるのかもしれません。


 ま~子さんのような状況の方には、特に訪問診療も、看護師も、ヘルパーも福祉用具もみんなでチームケア、一致団結が必要です。私ひとりでは到底力が及ばないことでも、みなさんの力があれば、できる限りのことは叶う可能性が広がります。


 ま~子さんが大好きだったレストランへ食事をしに行く日が、ある日曜日に決定しました。そこからのま~子さんは、キラキラした目で当日を指折り数えて楽しみにしていました。当日は看護師さんが同行してくれます。タクシーは介護付きのタクシーを準備しました。(※全て自費です)


 私はま~子さんの気持ち(気力)を更に盛り上げようと、ま~子さんと一緒に当日着て行く洋服を選ぶことにしました。ま~子さんが選んだ洋服は可愛らしいワンピースです。これをよく着てレストランで食事をした思い出の洋服です。


 ですがその洋服は薄手の夏物でした。季節は真冬です。私はもう二通り、洋服のバリエーションを準備し、ま~子さんの視界に入る位置に掛けました。ま~子さんの気分が更に当日まで、爆上がりするための演出です。




 ま~子さんは強い人です、強運の持ち主でもあります。待ちに待った日曜日にトラブルなく、思い出のレストランでの食事へ行くことができました。(残念ながら暖かい服装の方で)



ほどなくま~子さんはベッドから降りることが全くできなくなりました。食事もほんの少量を口に運ぶだけ。口だけは達者だったのでまだ安心です。


 この頃のま~子さんは思い違いや、勘違い、時には妄想のような発言をすることがありました。これも病状の悪化とともに仕方がありません。周りは上手く対応するしかないのです。


 ある日訪問ヘルパーからの連絡で、ま~子さんが免許証を探してほしいと強く訴えているというのです。私は訪問の合間をぬって、ま~子さん宅へ急ぎました。とっくの昔に更新をしなかった免許証を、なぜか探してほしいというのです。


 私は言われた通りに、ま~子さんの、今はもう使っていない部屋をくまなく探しました。タンスの奥の大きな缶の中から古い免許証がいくつか見つかりました。何のための探し物だったのか、当の本人は満足気です。私はま~子さんに声をかけました。


「少し食べられるようだったら、何か食べますか?何か食べないとダメですよ」

するとま~子さんは瞬間湯沸かし器のように、

「あんたって本当にきつい女だね。どうしようもないわ、まったく!」

まぁ、憎たらしい顔でいきなり怒鳴ってきました。探し物もしてあげた私にです。


【めんどくせ~!!むかつくわぁ~このクソババーがぁ!!】

心ではこうでも、表情は微笑みです。(多少引きつり)なんてったって私、女優ですから!!



 腹が立つのは私がま~子さんと向き合っている証拠です。病気がなんだ、余命がなんだ、ま~子さんは決して『可哀そうな人』なんかじゃあない。


 これまで毒づきながらも一生懸命に二人の息子を育てながら、時に荒々しく、たくましく、生き抜いてきた人生の大先輩だ。


 イケイケの時も、モテ期も、やんちゃな時もあったはず。たまたま病気になったけど、今の弱っちい姿が全てじゃない。生まれたての小鹿のような姿の、ま~子さんが全部ではない。


 私とま~子さんが対等に、一対一で向き合っているからこそ、私はま~子さんに同情なんかしない。そんな失礼な感情は無駄なだけなのだ。





 ま~子さんは日に日に静かになっていきました。毒づくことも忘れたかのように……。

片岡先生が告知した通り、ま~子さんは数週間であの世に召されました。ですが最期はひとりぼっちじゃありません。早朝、息子さんやお孫さんに見送られ、眠るように静かに息を引き取ったのです。



 ま~子さんに私、ひとつだけ言いたいことがあります。あなたを私の反面教師にします。今、決定しました。

高齢になってからの下品な言葉の数々、これは『ないな』と非常に勉強になりました。そのことに気づかせて下さり感謝です。ありがとう!ま~子さん。





 ま~子さんが亡くなる三日前のことです。ケーキが食べたいと言い出したま~子さん。小泉に買ってきてほしいと看護師に申し出たのです。私はすぐにま~子さんに好みを聞き、モンブランケーキを近くのコンビニで購入しました。


 ま~子さんは「冷蔵庫に入れておいて」とすぐには食べませんでした。ちらっと見たま~子さんの顔はなぜか、満足気に見えました。


 あの時ま~子さん、もしかして私に逢いたかったんじゃない?そうでしょ?いやそうに違いない。




――それが私たちの最期になりました。





 ま~子さんは人生の最期に、強烈なインパクトを我々に残しました。存分に毒を吐き、満足気にあの世へ逝った、と思いたい。傍目にはわがまま放題の老婆と、それに加担した悪徳ケアマネジャーに見えたでしょうか。





――でもねお母さん、誰にも共感されないけれど、自分の信念を最期まで貫いた、最高にいかした女性だったよ。

【ハルの人間日記 -スピンオフ-】


不屈の精神

19✖✖年 5月 ✖✖日


昨日、ディスコでいつものように

パラパラを踊っていたら

お立ち台から 落ちた

アドレナリンが噴出してるからか

すぐに痛みは感じない


時間が経つと 実感する

死ぬほど痛いって こういうことか

あたしには出産は耐えられないだろう

これ以上の痛みはあり得ないから


さぁ、また練習だ

華ちゃんと合わせ練習もしなきゃだし


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