5-1 メイドの冒険 ーいーじーー
疲れた。疲れました。
収穫した稲穂を脱穀して倉に納める作業で感じる疲労とも異なる疲れ。
体の奥底に重石が詰まったような、或いは息が詰まり続けたかのような感覚に、私はみっとも無くもグッタリと背凭れに寄りかかります。
長い労働をした訳でもないのに、筆記試験というものは何故こうまで疲れるのか。
初体験でしたが、もう二度と体験したくありません。
こんなものを日頃からするような人は、それこそ極まって変人か、或いは苦にならないくらいに頭のよい人なのでしょう。
「あの……お聞きしたいことがあるのですが宜しいでしょうか?」
「何さね?」
佇まいを正して隣のメルギス様に話しかけますと、採点とやらをする手を止めないままに顔をこちらに向けてくださいました。
手の動きが全く淀まないところからして、手元も見えているのでしょう。
本当に、この人の視界はどなっているのか……。
「ああ、その……大したことでは……いえ、大したことなのですが。
ご主人が襲われる危険があると仰られていましたが、大丈夫なのでしょうか?」
大したことです。
付き合いは長いとは言えませんが、主人であることに違いはありません。
それに奴隷である私に対する扱いからして、結構な恩義は感じてはいるのです、私も。
捕まってた頃のことは良く覚えてはいないのですが、天と地ほどの違いがあることは解ります。
冬の寒さを凌ぐのに、肩を寄せ合っていた記憶は薄っすらと残っているのです。
「驚いた……」
メルギス様が呆然と言いました。
包帯が目元を覆っているため表情が解りづらい方なのですが、たぶん雰囲気的にも驚いているのだと思います。
動いていた手も止まっていますし。
「衣食住が足りて礼節を知れねば畜生とは旦那の言葉だが………。
そうか、他人を慮るだけの余裕を持てるようになったのか」
しみじみと呟くその声は優しく、気のせいか向けられる視線は慈しみに満ちているようでした。
私としては、なぜそのような反応をされるのかわからず、首を傾げるばかりです。
「ああ、この話は後にしよう。
ええと、旦那が襲われる可能性だったかね?」
「はい」
私が頷くと、メルギス様の手が何事もなかったように動き始めます。
先ほどはどれだけ驚かれていたのでしょうか。
いえ、そもそも、私は何か驚かれるようなことを口にしたのでしょうか?
至極当たり前のことを口にしただけだと思うのですが。
「まあ、あれで中々に恨みを買っているからね。
旦那が襲われる可能性なんてのは掃いて捨てるほどあるさ」
「――――何をしたのですか、ご主人は…………」
さらりと語られた内容がトンでもなさすぎて、何度か目を瞬かせてから漸くそのように口にします。
襲われる危険が掃いて捨てるほどって、どうなんですかそれ……。
「そこら辺はリリィが当事者だからそっちに聞くといいさね。
私や夫が側に居られれば多少は減らせたんだろうけども、私達は私達で王侯貴族から利権を奪うのに必死でねー」
はっはっは、とお笑いになられていますが、何か凄い言葉が出てきちゃってますよ。
これってもしかしなくても、恨みを買っているのはご主人のみならずメルギス様たち全員なんじゃ……。
詳細を知りたいところですが、訊ねる勇気はありません。
知らなくても良い事もあるのです。
「えっと、それでご主人は大丈夫なのですか?」
「旦那の身の安全に関しては安心していいさね。
概念定義と生態階梯が違うから大半の魔法は通らんし、免疫系の関係で主だった毒も効かないからね」
ぉぅ……言葉の一部が理解できません。
免疫って何でしょう?
いえ、魔法が通じないというのは、何となく解るのです
私たちの魔法は意味意義を司るものである為、意味意義のカタチが異なるものには効果が薄いのです。
例えば、ニャーニャ(ぬこ)は私たちにとってはニャーニャ(ねこ)以外の何物でもありませんが、ご主人の場合は、ご主人の故郷にあるニャーニャ(ねこ)のような生き物が下地にあり、その上でニャーニャ(ねこ)というものへの理解と意味づけが生まれます。
では私たちがご主人の故郷にあるニャーニャのような生き物を知ったとしたら、魔法の効果が高くなるのかといえばそういうこともありません。
なぜなら、ニャーニャを下地にしてご主人の世界のニャーニャのような生き物を意味づけするから、やっぱりカタチが異なってしまうのです。
まあニャーニャとニャーニャのような生き物を知れば、形が似ることで魔法効果も発揮はするようにはなるのですが。
そもそも私たちとご主人は同じ人間ではありますが――――って、あれ? 何でこんなことを私は知っているのでしょう?
共有の魔法効果でメルギス様の知識の一部があるにしても、それ以外の何かが混じっているような?
まあいいです。要するに、ニャーニャがニャーニャでニャーニャなのです。
「まあ、そうじゃないものがそうと作用することがあるから危険ではあるんだが………」
ぼそり、とメルギス様が付け加えますが、内心で小首を傾げていた私は綺麗にそれを聞き流してしまいました。
ひ、独り言のようでしたし大丈夫です!
疑問を端に追いやってメルギス様との会話に集中します。
人との会話中に別のことを考えるとか失礼ですからね。
そんなことを考えていると、メルギス様が羽ペンをペン拭きに置いて答案用紙を私へと差し出しました。
「トメとハネに間違いが見受けられるが、及第点だね。
今後は初頭教練書を使うよう旦那に言っておこう」
受け取った答案用紙には数字らしき記号が書かれているのですが、それの意味するところが私には解りません。
私が書いた文字の大半には丸が付いていて、間違えたのであろう文字にはバツが付いて、その下に正しい文字が記されています。
うん、最後の内ハネと外ハネと直線以外は同じ形をした文字が三つとか、嫌がらせを感じてしまいますね、これ。
もっと解りやすくなるように、文字にビビ-ンとした個性を持たせて欲しいところです。
全く、文字を考えた人は気が利かない。
「さて――――――」
メルギス様の声に答案用紙に落としていた視線を上げると、深みのある澄んだ黄色い瞳と目が合いました。
リリィさんとは違う、力強い印象を受ける顔立ちをした、何も映さないぼんやりとした目の美人さん。
記憶にある姿と異なっていたために、どなたか一瞬、わかりませんでした。
「―――健診と行こうか。
椅子に座っていてくれれば好きにしててくれていいさね」
力強い笑みに、こくこく、と辛うじて頷きます。たぶん恐らくきっと、何も見えていない瞳から感じる視線が重い。
ただ包帯を取っただけの、見知った姿。ただ一人から視線を向けられているだけ。
だというのに、数え切れないほどの――――それこそ夜空の星すべてと等しい数の人に見据えられたかのような重圧を感じます。
「ん? 随分と整っているね、前回は自壊三歩前程度に見えたんだが」
詰まった息に苦心していると、何か理解できないことをメルギス様が仰られました。
いえ、そもそも《見る》魔法を用いるメルギス様と私では見えているものが違いすぎるので、理解できないのも当然なのですが。
果たして、メルギス様には何が見えているのか。
「ああ、痕跡があるな。なるほど、リリィの《平静》か……随分とまあ強く作用させて。
全くタメにならない、宜しくない―――これは後で説教の一つもしてやらないといかんかね。
本当に、あの子は酷なことをする」
そう呟くと、メルギス様は盲いた瞳を閉じて手馴れた動作で包帯を自らのお顔に巻き始めます。
同時に消えていく重圧に、ほぅ、と一息。
気づかない内に強張っていた体から力が抜けて、椅子からずり落ちそうになったのを慌てて肘掛に手をやって支えます。
「健診の結果だがね、健康そのものだ。
本当は自分で治して欲しかったが……こうなっては仕方が無い」
はぁ、と嘆息してメルギス様は仰られます。
? 自分で治すとは何でしょう。怪我や病気をした覚えはありません。
階段から落ちた時も、怪我らしい怪我もしませんでしたし。
「転んだ子供は見守るもの、という話さね」
はあ、と小首を傾げます。
確かに私はメルギス様から見れば子供でしょうけれど……。
メルギス様は深く溜息を一つ吐くと、広げていた羽ペンとインクを手早く仕舞って、椅子から立ち上がられます。
「クラーラ、人の耳目はね……」
そして紡がれた、諭すような、それでいて何処かすまなさげなメルギス様の言葉に、自然と背筋を正してしまいます。
「必ずしも現実を捉える訳ではない」
「はい? それは、えっと……どういう事でしょう?」
「人の目は存外に節穴で、人の耳は中々に風穴ということさね。
教訓だよ……よく見て、よく考え、自分に都合よく現実を受け取って失敗しないようにっていうね」
? ? ? よく見て、よく考える……そして都合よく現実を受け取るな。
よく、解りません。現実は現実で、どう見ようと変わることはないのです。
目に見えたもの、耳に聞こえたものが全てでしょう。
「そうさねえ、要するに。
■■■■■■■■■■■■■■■、■■■■■■■■■。■■■■■■■■■■■■■■■■■■■」
はい? いま、なんと言ったのでしょう? ちょっとりかいできませんでした。
きっとむずかしいおことばなのでしょう。
わたしが理かいできずにいると、メルギス様は忌々しげに舌打ちを一つ。
申し訳ありません、頭が悪くて。
「悪化…………いや、変な風に安定したか。
これだから魔法は役に立たんと………やはりリリィは説教だな」
呟きの内容はよく解りませんが、舌打ちの相手はリリィさんだったらしく安堵です。
いや、奴隷からすると上位階級の人の顰蹙を買うって洒落にならないんですよ……ほんと。
そんなことを考えながら、反射的に竦めていた首を元に戻すのでした。
*
窓を拭きましょう。メイドたるものメイドらしく働かねばなりません。
いやあ、労働は素晴らしい。働いていれば、食えますからね!
それに働いている間は仕事のことだけを考えていればいいので非常に楽です。
まあ、普段から何かを考えている………うん、考えている訳ではありませんし。
用具室から持ち運びようのブリキ桶を引っ張り出して庭にある井戸に向かいます。
「ああ、丁度いいところに」
階段を下りたところでイザリス様と鉢合わせました。
丁度良い、ということは私に何か用事でしょうか。
「どうかなさいましたか?」
「これから買い物に出るので付き合ってくださいませんか。
一人で出るのも詰まらないですから」
……あの。あの。
ついさっきまで、街での人殺しがどうのって話をしていたのですが。
「街は危険なのでは……?」
「え?」
「え?」
きょとんとお互いに顔を見合わせました。
不思議そうなメルギス様に、何を不思議がっているのか解らない私。
そして、何かに気づいたように、ああ、とイザリス様が言って。
「大丈夫ですよ、犯人が出てきたら殴れば良いだけですから」
「殴る……ですか?」
自然とイザリス様の腕に視線が向かいました。
長袖に覆われた腕は男性に比べれば――メルギス様の旦那様と比べるまでもなく、細身なご主人やリリィさんと比べても―――細く、私と差して変わらないようにも思えます。
あ、でも、私のことを軽々と持ち上げてくださったこともあったのですよね。
「細くても力持ち?」
「ええ、こと筋力に限って言えば、私に勝るものは多くはないでしょう。
ベルファルス(くま)であっても、四つに組み付いて投げ飛ばして見せますよ」
ぽつり、と私が漏らした言葉に、イザリス様は微笑んで仰られました。
それに私は微かに笑い声を漏らしてしまいました。
だって、ベルファルス(くま)と四つに組み合うなんて、人間業ではありません。
切り倒した木を片に担いで運ぶ樵にだって無理でしょう。
「む、信じていませんね。
言っておきますが、私はジンライを担いで持ち上げる事だって出来るのですよ」
片目を瞑って、むっと拗ねたように語るイザリス様はなんと言うか、前に出会った時のような大人びた雰囲気を感じず同年代の娘のようで、ついつい表情も緩んでしまいます。
ジンライさんのような巨馬を持ち上げるなんて、それこそムキになって、出来もしないことを口走る娘のよう。
……いえ、同年代でしたね。これは私の中身が子供のようだったということでしょうか?
出会ってからの僅かな時間で人間が変わるわけもありませんし、単に付き合いが短くて、イザリス様のことを詳しく知らないというだけでしょう。
「―――そうですね、それだけ力持ちが一緒なら安心です。
でしたら、まずはご主人に外出のお許しを頂いてきますね」
にっこりと笑って言うと、イザリス様は肩を落として深く溜息を吐くように、はい、と応じました。
二人で並んでいれば、襲われることもないでしょうし―――何よりもイザリス様と街を出歩くのは楽しそうです。
ブリキの桶を一旦、用具室に仕舞おうと背を向けた時でした。
「クラーラ」
静かな声が投げかけられたのは。
足を止めて振り返れば、バツの悪げな面持ちのメルギス様。
「いえ、何でもありません。
兄さんからの許可は私が頂いてきますので、その間に用意を済ませておいてください」
一礼して立ち去られますが……はて、何だったのでしょう?
メルギス様といい、イザリス様といい、何だか不思議な感じです。
――――まるで、今まで見て来たものは虫食いであったかのようなチグハグさ。
んー、と少し考えて、それで結論が出なかったので、そのまま用具室へ向かって、そのまま部屋に寄ってお金を取ってくる事にしました。
時間があれば櫛を買いたいので。
*
ご主人からの許しを頂いてイザリス様と前庭に出ると。
「やーやーやー!」
「やーやーやー!!」
「やーやーやー!!!」
グルグルと円陣を組んで回りながら、手にした斧槍の切っ先を空に向けて踊る黒服の人たちの姿がありました。
ひゃぁあぁぁぁっ!!!! と楽しげに甲高い声を上げると同時に斧槍を空に突き出し、またやーやーと言い出して回りだします。
ああ、はい、食堂で壁際に立っていた人たちです。今もフードを目深に被っていて面持ちは窺えませんが、とても楽しげでした。
何これ?
「ちょっ、君たち!
曲りなりにも長たる僕に対する行いとしてコレはどうか―――!?!?」
そして円陣の中心で、長い丸太に縄でグルグル巻きに縛り付けられたリリィさんが悲鳴を上げていました。
何ですか、これ?
「さ、行きましょうか」
「え、いえ、え? いえ、あの、アレは……」
ニッコリと笑うイザリス様と、何かよく解らない集団を見比べます。
「ふざけているだけですから放って置いて大丈夫ですよ。
あれ、固定してはいますが抜けようと思えば簡単に抜けられますから」
「そ、そうなのですか? これを何時も?」
「いえ、今日のは初めて見ます。恐らくは、ボン・オードリーなるご主人の故郷の踊りを再現したものでしょう。
誰かが言い出して実行に移したのでしょうね」
……深く考えるのは止めましょう。しかしご主人の故郷には奇人が多いんですかねー?
そうしてボン・オードリーの奇声が聞こえなくなった頃。
「――――今更ですが、着替えてくれば良かったです」
街とお屋敷の間くらいの位置で、私はそんな思い付きを口にしました。
いや、折角、私服を買ったのに今日まで着る機会がないんですよね。
下服は兎も角、それ以外なんて特に。暮らす分には、このメイド服が一つあれば事足りてしまうので。
「言われてみれば、私も私服に替えてくれば良かったかも知れません。
どうにも服を選ぶというのが面倒で……リリィが色々と服を贈ってくれるのですが、どれも一度しか袖を通せていませんし」
困ったような、それでいて柔らかな面持ちのイザリス様。
面倒と言いつつも貰った服は一度、全部袖を通すのですね。
あれ、おかしいですね。口の中が甘いですよ?
「それに装飾品も溜まる一方で……」
いや、困った困ったとイザリス様は幸せそうに語るのです。
辛いです。何が辛いって、服や装飾品を贈られていることを持っている事を自慢している訳でもなく、それを贈られていることを自慢している訳でもなく、ただ単にリリィさんに贈り物をしてもらったことを喜んでいるのが解るのが。
服とか装飾品なので誤解しそうですが、イザリス様はそれこそリリィさんから贈られたものであれば、道端の花でも嬉しいというのが目に見えて解るのです。
辛い。すっごい辛い。自然体で語るところが特に辛いです。やめてください、その振る舞いは独り身の私には良く効きます。
急募、奴隷娘が解放奴隷の自由人になるまで待った上で娶ってくれる生活力のある素敵な男性。
「素敵な出会いって無いものですかね」
自分で言うのもなんですが、乾いた声でした。
もう、漏れ出た息が偶々言葉になったかのような。
私だって人並みにそういった感情はあるのです。
周りに相手が居なかったから意識しなかっただけで。
たぶん、恐らく。
「えっと……こうと思う男性は居ませんか?」
イザリス様の言葉に生活を振り返ります。
あ、一人、今、思い出せば素敵な方が居られました。
なぜ、当時は異性として意識しなかったのか不思議なほど。
「お役所の扉を開けてくださって、それで案内をしてくださった金髪の方が……」
「グニュールですか? あれは既婚者ですよ」
恋すら始まりませんでした。
「――――ご結婚なされてたのですか、あの方……。
というか、お知り合いなのですか?」
「眷属の一人ですね。役所で働く人間の一割はこちらからの出向ですから」
「ああ、御係累の方でしたか……」
「ええ、まあ……しかし、何故、アレを?」
アレという言い回しから、随分と親しいのが伺えます。
肉親とまでは行かずとも、近い親族―――或いは兄弟に近い付き合いがあったのでしょうか?
「こちらに連れて来られてから出会った、未婚らしき男性というのが彼以外には居ませんので」
最大の理由がそれでした。他には古着屋の店主か靴屋の職人さんくらいしか男性と関わりあっていないのです。
いや、覚えていないだけかも知れませんが、記憶に残っているのはその人たちくらいのものなのです。
人の半分は男性であり、星の数ほど居るというのに……あ、星には手が届きませんでしたね、ははは。
「大丈夫ですよ、いざとなれば兄さんが見合いを用意してくださいます」
「ほ、本当ですか!」
落ち込んでいた心が持ち直しました。
結婚して子供を持つというのはやっぱり憧れます。
「はい。兄さんの所で働くメイドは、行儀見習いとしては最上位として扱われていますから。
今までに十人は居ましたが、何れも豪商や貴族の子息に嫁いでいますよ」
「えっと、私の前任の方々ですよね。
その方々は貴族だったのですか?」
豪商は兎も角として貴族の子息に嫁げるとなると、やはり貴族の子女だったのではないでしょうか。
平民が貴族と婚姻するとなると、やはり難しいところがありますし。
男性の方だと騎士になって身を立てるなどして、貴族の子女とご結婚なさる場合があるそうなのですが。
御伽噺では色々と身を立てる方法はありますが、実際は平民を虐めて、それで取り立てられたりしてるんでしょうかね。
「いいえ、何れも平民です。
貴族の子息でも三男次男は家格だなんだと拘らないことが多いですし、家の柵の関係で貴族同士で婚姻を避ける場合もありますからね」
「そうなのですか? 貴族は貴族とだけご結婚なされるものとばかり思っていました」
「政治的な理由が大きいのですが、繋がりを作りすぎると逆に身動きが取れなくなったりしますからね」
私は堪らず首を傾げました。ちょっと難しくて解らないです。
馴染みがないのもあって政治的な話は理解できません。普通は政治的な話とかはしませんし。
だって難しくて解らないですからね。理解できない話はしないし避けるのです。
「でも、貴族に嫁いだら大変そうです」
「おや、貴族に嫁げば贅沢で楽な暮らしができますよ?」
微塵もそんなことを思っていないかのように、悪戯っ子のような表情でくつくつとイザリス様は笑います。
いやあ、だって。
「どんな所にだって、苦労はあるじゃないですか」
村で一番多く毛皮を持っていたのは村長ではなく猟師さんで、彼は凍えとは無縁でした。
毎日、猟に出るわけでもなく日々の農作業もなく、病人や怪我人が出たときに手伝う程度でした。
でも、それを羨ましいかといえば、そうではありません。
日々の農作業が無くとも何日も森に山に籠もることがあるからです。
私達が農作業をせずに家に籠もる冬であろうとも、吹雪く日であろうともです。
多くの毛皮を持つのは吹雪く山林に赴くからです。毎日のように働かないのは、私達のように長く働かない時がないからです。
そして何よりも、森の獣に襲われる危険があるからです。その苦労は私には推し量るしかなく、しかし大変なのは解るのです。
きっと私は猟師には嫁げません。暖かな毛皮に包まれ、お肉を一杯食べられて、手伝い程度の農作業しかしなくても済むとしても。
だって、そんな危険な場所に向かう人を待つのは辛すぎます。
「良い生活をしたければ、よりよくなるように勤めるべきです。
誰かにぶら下るのではなく、自分に出来ることを出来る限りにして。
それに何より――――日々の苦労は馴れたものですが、違う場所の苦労は馴れないものです。
普段のものであれば気になりませんが、そうでないものは負担しか感じないでしょう。
身の丈にあったものが一番なんですよ、生活も結婚相手も」
そこまで言って、今日までの生活で慣れはしなくとも負担に感じたことが殆どないのに思い当たりました。
ああ――――随分と私は気を使われているのですね。
なるほど、とイザリス様は感心したかのように呟いて言いました。
「賢明な考えです。ですが、一つ足りませんね」
ふっ、とイザリス様が優しく優しく微笑みました。
「何がでしょう?」
小首を傾げて問いかけます。やはり私の考えは不足しているところがあるのでしょう。
「あらゆる苦労が苦労にならず、ただそれだけで、あらゆる苦労を佳しとしてしまうもの。
それが足りていませんね」
「は、はあ?」
曖昧な内容に、なんと答えるべきか解りませんでした。
そもそも訳が解りません。あらゆる苦労が苦労にならならないって……。
「それは人によって異なるもので、誰もが持てて、あらゆる魔法を上回る至高の一つ。
いつか、貴女にも解る……と言いですが、コレばっかりは星の巡り次第なのですよね……」
最後に、困ったように済まなそうにイザリス様は笑いました。
ただ……
「それが何なのかは解りませんが、何時かは解りたいです」
そう深く思ったのです。
*
ぐえぇぇぇぇぇぇぇ。
もう止めて、お願いです。私の胸が焼け落ちてしまう。
「それでですね、リリィは――――」
教訓、既婚者、恋人持ちに恋話に繋がる話題は避けよ。
この教訓の問題点は、あらゆる話題から惚気に繋がるところです。
は、話を話を逸らさねばなりません…………このままでは私の心が溶けてしまう。
「あ、あの今の話で不思議なところがあるのですが宜しいでしょうか?」
なんでしょう、とイザリス様が小首を傾げました。
ちなみに今の会話内容は、リリィさんとイザリス様が二人で森で夜狩りをしていた時のことだそうです。
木の高い場所に咲く、薄く光る花をリリィさんが贈られたそうで……。
「獣というのは、火を恐れるものでは?」
曰くにして、森の中で松明を振り回して獣を呼び寄せて狩るのだそうです。
それは聞いたことがないやり方でした。少なくとも、ウル(狼)が村の側に来たときは、火を焚いて近寄らせないようにするものです。
「獣が火を恐れるのは、そこに人が居るからです。
人を恐れない獣は、むしろ喜び勇んでやってきますよ。
亜竜がそうであるように、あの樹海の獣はそうなのです」
初耳でしたが、納得できるところはありました。
火の側には人がいて、獣にとっては危険な相手であるのは確かなのです。
恐ろしいウル(おおかみ)でも、人が自分立ちよりも多く居れば手を出しないらしいですから。
「基本的に、あそこは人が生きる場所では――――」
何かに気づいたように、イザリス様がそっぽを向きました。
私もそれに引かれるように、そちらを見ると、そこには、遠くに見える森を背景に、草原を歩く十になるか無いかと言った年頃の少女の姿がありました。
「泣いていますね」
「はい、何事かあったのでしょうか?」
二人で顔を見合わせて、そしてどちらともなく少女に小走りで近寄りました。
「どうかなさいましたか?」
膝を折って、しゃがむ様にして視線を合わせます。
泣いている子供には、こうするのが大切です。
高い場所から見下ろすのでも、下から見上げるのでもなく、同じ高さで視線を合わせると安心するようなのです。
何ででしょうね? 昔は、私も子供だったのに解りません。
「あ、うっ、あの、あのね、ども達が」
ひっくひっく、と嗚咽しながら必死に言葉を口にする少女に、聞いているよと知らせるために、はいはい、と相槌を打ちます。
「友達が、おやじきに閉じ込められちゃったの。だがら、御領じゅざまにたずけてって」
「お屋敷ですか? どこのお屋敷ですか?」
「あぞこの森」
振り返って、少女が遠くの森を指差しました。
「あの森に家屋の類いは無かった筈ですが……」
立ったまま周囲に視線を向けていたイザリス様が言うと、少女はびくりと身を竦ませて、それでも懸命に言いました。
イザリス様、ちょっと視線を落としましょう……。あと声をもう少し優しく……
「なかったの。でも、今日、森で遊んでだら見つけて、ジェフとビリーが冒険だっで。
それで、それで」
そこから先には言葉にならず、少女はわんわんと泣き始めてしまいます。
どうしましょう、とイザリス様を見上げると厳しい表情で森を見据えていました。
「まだ、歩けますか?」
森を睨み据えるような鋭い視線のままに告げるイザリス様に、少女は脅えるように身を震わせて、しかしそれでも頷きます。
「何が起きたか、確りと御領主様に説明できますか?」
鋭さをそのままに見下ろされ、叱責するかのような厳しさで問われた少女は、泣きながら頷きます。
それを見て、イザリス様は僅かに目を瞑ってから私へと向き直って言いました。
「すみません、買い物は取り止めです。彼女を屋敷まで連れて行って頂けますか?」
「イザリス様はどうなさるのです?」
私の言葉に、イザリス様は一瞬だけ困ったような表情をして、すぐに表情を引き締めます。
「行かねばなりません」
何処にとは言いませんでした。
真っ直ぐに森を見据える瞳からは、問いかけるのを憚られる程に強い意志が見て取れて、それだけで解ってしまいます。
私は少女の手を両手で包むように掴んで、表情を緩ませます。
ちゃんと表情は緩んでいるでしょうか……自分では、分かりません。
でも―――安心させられれば、と思いました。
「一人でも大丈夫ですか?」
少女は強く頷きました。
うん、この子は強い子です。大丈夫。涙に濡れた瞳には、確かな自信がありました。
たぶん、恐らくきっと、間違いなく私よりもずっと立派な子。
「私もお供します」
「いえ、それには及びません。それよりも、この子の引率をお願いします」
少女から目を逸らさないままにイザリス様へ告げた私への返事は、厳しく淡々としたもので、それに少女が脅えてしまいます。
ああ、やっぱり付いていかないといけないです。
イザリス様を見上げて、言います。
「駄目ですよ。だってイザリス様、子供の扱い苦手でしょう?」
「――――うっ」
言葉に詰まらせながら驚きに私へと視線を向けるイザリス様に、少しばかり苦笑してしまいます。
子供は嫌いではないけど脅えられる系といいますか……うん、村にも居ましたそんな人。
泣いてる子供に対する振る舞いとしては、イザリス様のは頂けません。
「さ、行ってください。先にお姉さん達が様子を見てきますから」
立ち上がって手を引いて、歩き出すように促します。
手を離そうとすると不安そうにこちらを見上げてきますが、優しく頷いてあげると前を向いて歩き出しました。
うん、やっぱり強い子です。
「クラーラ………」
「一人なら兎も角、子供が二人もいるならお目付け役は居たほうがいいですよ」
窘めるような声のイザリス様に、私は言いました。
子供の行動は、大人となった私達には理解できないことが多いです。
振り返って子供の自分がした事を思い出しても、何故そうしたのかが解らないことが多い位ですし。
ちゃんと首根っこを掴んでおく人間がいないと、何を仕出かすか解ったものではないのです。
危ない場所では、特にそうでしょう。
そして諦めたかのように、溜息をイザリス様は吐いて。
「……解りました。行きましょう。
ですが、私の指示には従うようにしてください」
いいですね、と念を押すイザリス様に、私は、はい、と強く頷いたのでした。




