4-3 作っているんじゃない、あっちが来るんだ……などと供述しており。
ざわざわ。がやがや。
向かい合うようにして立ち並ぶ露店が作った細道を、器用に避けあいながら行きかう人の雑踏は街中のものとはまた違ったものがあります。
人の数で言えば街中のほうが多いのでしょうが、こちらは狭い場所に押し込められるように人が歩いていることと、怒鳴っているのか金切り声を上げているのか判別が付かない呼び込みに、鳥などの鳴き声が交じり合って街中の整然としたものとは異なる、雑然とした雰囲気がありました。
ここは街の西側広場にある露店市場。
リリィさん曰く、近隣の村落から持ち込まれた食料品や行商人さんが持ち込んだ香辛料などの売買を行う場所なのだとか。
…………お屋敷に帰りたい。
ここの空気は私には合いません。
狭い道を多くの人が行きかうところを見ていると、胸焼けにも似た気分の悪さを感じます。
街中は多くの人が行きかっていても、道が広かった事もあり、さして気にはならなかったのですが。
「さあ、お肉を買いに行こう!」
私の隣に立つ、私を連れ出した張本人であるところのリリィさんが言いました。
肩に改めてマントを装備した姿は凛々しく、この雑多な市場においては………なんと言うのでしょう?
ああ、そうです。深雪の上に投げ出された黒炭のように際立っていました。
食後の一服が終わった直後に、リリィさんは私を連れ出すための許可をご主人から取って、そのままリリィさんの愛馬に相乗りしてこの場所までやってきたのです。
拒否権? ご主人の許可を取っている時点で当然ながらありません。
いえ、あの勢いからするに拒否権があっても断りきれはしなかったでしょう。
もしかしたら私は押しの強い人に弱いのかもしれません。
「買いに行こう!」
「あっはい」
繰り返された言葉に咄嗟に応じると、リリィさんが人混みに向かって歩き出します。
この人混みの中ではぐれないか不安でしたが、それは無用のものでした。
いえ、少し考えればわかったことかもしれませんが。
貴人然としたリリィさんに気づいた人々は、慌てて道を開けるのです。
貴族とぶつかって機嫌を損ねたら、平民としてはもうどうしようもないのですから。
出来上がった道を当然の如く進む姿は、まさにニャーニャ(ねこ)そのものです。
こう、井戸端で集まって話しているところに態々やってきて、退くのが当然と言った表情で合間を通り抜けていく感じ、といえば解るでしょうか。
そんな風に歩いていくリリィさんの後に続きながら、横目で露店をちら見していきます。
香辛料に漬けた野菜を並べている露店、岩塩の塊を売っている露店、干した果実を骨組みだけの屋根から吊るしている露天、干しただけの香辛料を並べている露店……先ほどリリィさんが説明されていた通り、食べ物類を扱う露天ばかりが並んでいるようでした。
しかし磨り潰していない香辛料ばかりとはいえ、流石に漂う匂いは強く、気が滅入り――――――――?
これは、昔、どこかで嗅いだような。
微風に運ばれてきた何かの臭いに意識をふっと捕らわれました。
頭の奥に痛みを感じるのは、きっと気のせい。
微風の方へと、ふらり、と足が向きました。
行きかう人の波を避けながら、辻を抜けて、ああ、確かに―――霧がかった頭でも、この臭いのことは忘れない。
気がつけば市場のはずれ。臭いは微かなまま、それでも明らかに強さを増して。
これは、そう、これは、懐かしい故郷の村――――
臭いは市場とを区切る、外縁の建物の間。
昼だというのに薄暗い路地から浸みるように漏れ出ています。
誘われるように、私はそこへと足を踏み入れて。
―――――それを焼いた炎の影で、確かに自らを主張していた赤色の臭い。
「あ」
地面に倒れ伏した見知らぬ誰か。
石畳を伝う夥しい赤色は、蜘蛛の糸ように地面を流れ。
「あぁ」
どさり、という音を聞いて、ようやく自分が尻餅を付いたと自覚します。
明滅するように現れては消える、いつかの風景。
まるで赤子に戻ったかのように、据わらなくなった首が、ぐらん、と頭上を仰いで。
「あえぁ?」
壁に書かれていた真っ赤なものに、底冷えする怖気が背筋を走り抜けました。
何と書かれているのかは解りません。ですが、ただどうしようもないおぞましさだけは感じ取れて。
あの文字列を書いた人は、間違いなく真っ当ではないと霞む頭でも理解できました。
「これは………」
首が据わらないままに背後へと向けば、そこには厳しげな面持ちをしたリリィさんの姿がありました。
私の側に歩み寄ったリリィさんは、私へと手を伸ばします。
それは手を差し伸べた訳ではなく、伸ばした親指と中指をくっ付けた不思議な手形を突きつけるように。
「まずは平静になろうか」
パチンッ、とリリィさんは指を弾いて。
淀み、霞がかっていた意識が、ぐいっと伸ばされるような、或いは表面を払ってゴミを払うような。
そんな不思議な感覚がしたと思うと、据わらなかった首が据わっていました。
力が入らなかったのが嘘のように、あっさりと立ち上がれます。
そして目の前にある見知らぬ誰かのご遺体を見ても、何故でしょう。心乱れることはありません。
石畳を伝っていく血は、二本の棒の間に作られた蜘蛛の巣のようなんて、暢気な感想すら浮かぶほど。
あと私の目線よりも少し高い位置には、血文字で何やら書かれていて、それだけは今でも不気味でした。
「落ち着いた?」
「え、ええ、はい。落ち着きましたけど……え?」
自分で言うのも何ですが、随分とおかしな風になっていた筈なのに、これはどういう事でしょう?
酔っ払いに桶一杯の雪解け水を頭からぶちまけたように、普段の私に戻っていて訳がわかりません。
「ボクの魔法は《平静》といってね、こうやって錯乱してたりするのを落ち着かせるのが得意なのさ」
ああ、なるほど。
要するに混乱していた状態から、いきなり平静な状態に戻らされたのですね。
そしてご遺体を目の前にしながらも落ち着いていられるのは、魔法によるものでしょう。
…………私の魔法とは違って、とても便利そうです……………。
「今回は死体だけだったけど、犯人が残っていたかも知れないし、一人でこういう場所に足を踏み入れちゃ駄目だよ」
「ご心配をおかけして申し訳ありません」
諫めるようなリリィさんの声に、私は深々と頭を下げる以外にはありません。
リリィさんの言うとおりです。
ここで倒れているお人を害した犯人が残っていた場合、次の被害者は私になったでしょう。
幾ら公爵家のメイド服を着ていても、見られて焦って勢いで……というのを想像するのも難しくありません。
それを考えれば、底冷えする思い……はしません。魔法って凄いですね。
恐ろしいと考えているのに、感情が抑えられているのか、それが伴いません。
「解ったならいいけどね。
さて、とりあえず人を呼びに行こうか。このままにしておくのは、流石に拙い」
「は、はい」
身を翻して路地を後にしようとするリリィさんに慌てて続きます。
幾ら平静の魔法の効果で心が落ち着いていると言っても、一人でこんな場所に残りたくはありません。
路地から足を踏み出して、ふと、思ったことがありリリィさんに問いかけます。
「あの壁には、なんと書かれていたのでしょう?」
「んー、お前なんて怖くねえ、ぶっ殺してやる、かな」
足を止めないままに振り返ったリリィさんの表情は渋いものでした。
ああ、なるほど。リリィさんが渋い表情をするのも解ります。
要するにあれは自信の現れのようなものなのでしょう。
あの人を殺した誰かは、恐らく自分を追いかける人間なんて怖くない、幾らでも返り討ちにしてやる、という。
そして少し前に明らかになった新事実である所の、ご主人とリリィさんの立場からすると追いかける側になります。
大暴れする気満々の相手をどうにかしなければならないとなれば、それはそれは大変でしょう。
暫くはご主人もリリィさんもお忙しくなりそうで、明日からの食事が心配です。
………そういえば
「騒動屋………」
なんてリリィさんが呼ばれていたのを思い出します。
昨日まで主に勉強と食事とメイド仕事ばかりで事件らしい事件もなかったのに、リリィさんが現れた途端のこの出来事。
「ち、違うぞ!? ボクが騒動を起こすんじゃない!
行く先々で立て続けに騒動が起こるか、ボクのところに騒動が突っ込んでくるだけだからね!?」
手を振って慌てて取り繕うリリィさんですが、うん…………ご主人の評価は適正なようでした。
普通は行く先々で立て続けに騒動は起こらないと思うんですよ………。
短い? ええまあ、前話分と分けたので。




