4-2 あかされししょうげきのしんじつ/Ⅱ
「……はい、おしまい」
乾いたモップを使っての床拭きも済んで、広間の掃除は完了です。
これで午前の仕事は終わりな訳ですが、お昼までの時間をどうやって潰しましょう。
午後に予定していた、廊下のチリ掃除を前倒しするのもいいかもしれません。
「やあ、暇かい?」
背後からの突然の声に、驚きに身が跳ねました。
驚きに暴れる心臓を押さえるようにして振り返れば、マントを外したうつくしいひと……リリアさんことリリィさんが、柔らかな笑みを浮かべて佇んでいます。
大ニャーニャ(ねこ)とはよく言ったもので、声をかけられるまで全く気がつきませんでした。
しかし何といいますか………ご主人が居ないと第一印象そのままな感じで、顔を合わせているだけで心が落ち込んでいきます。
格の違い、容姿の格差というものを思い知られていく………。
所詮、私は農村の娘ですし、良い服と美味しいご飯を食べて自惚れていただけで、都会の人には敵わないのです。
「ええ、はい。ちょうど広間の掃除も終わりましたので」
「そっか、それは良かった。じゃあさ、何か聞きたいことある?」
――――話の始まりと繋がりが良くわからないのですが。
何がどうなったら、暇かという問い掛けの後に、何を聞きたいか問われるのか。
「あ、大丈夫だよ。ボクは口数が多いほうだけど、言うべきでないことは絶対に言わないからね」
腰に手を当てて胸を張り、自信満々にリリィさんは言いました。
…………まあ気になることが、ちょうど今、思い浮かんだので聞いてみましょう。
せっかくですし。
「その言うべきでないことを私が聞いてしまったらどうなるのでしょう?」
「んー、庭の花が綺麗に咲くようになるかな」
何気ない仕草でリリィさんは庭側へと顔を向けました。
庭の花が綺麗に咲く?
どういう意味でしょう。花が綺麗に咲くには………あっ。
「ほらほら、質問質問。何でもいいよー」
さあ、質問をするのだ、と向き直ったリリィさんが身振り手振りで要求してきます。
いや、あの、聞くべきでないことを聞いたら殺すって、遠まわしに言っていますよね?
勘違いでも、思い違いでもなんでもなく。
あれ、でも、これ、立場的には質問をしなければならないのでは?
だって奴隷が質問をするように求められているわけですから…………。
……………だ、大丈夫です。聞いてはならないことに繋がる質問をしなければいいのです。
問題は、何が繋がっているのか、全くもって検討がつかないという事でしょう。
「ええ、と、なぜ、いきなり質問をしろなどと仰られるのでしょう?」
「兄さんが、これから一緒に暮らすんだから適当に会話して親睦を深めておけって」
一緒に暮らす、ですか。
このお屋敷は広いので、暮らす人が一人増えたところでなんら問題はないでしょう。
それに年頃の男性とはいえ既婚者であるのなら、心配はありません。
まあ奴隷が何を心配しているんだ、という話ではありますが。
無理やり押し倒されようが文句の一つも言えない立場ですし。
「イザリス様とご結婚なされているのですよね。
ご一緒にお暮らしにはならないのですか?」
「様ぁ? …………まあいいや。
街に家はあるけどね、仕事柄こっちで暮らしたほうが便利なのさ」
私がイザリス様に様を付けて呼んでいることに違和感を感じたようでしたが、特に触れはしませんでした。
これ、もしかしなくてもイザリス様に様付けで呼ばないように強制される流れですかね………。
いえ、前回はイザリス様の名前を呼ばなかったから、何も言われなかっただけなのかもしれませんが。
「お仕事ですか……」
「そうそう。色々と兼業してはいるけど、基本的にボクは兄さんの秘書だからね」
「秘書?」
秘書って何でしょう。ちょっと聞いたことのないお仕事です。
首を傾げていると、リリィさんが説明してくださいました。
「簡単に言うと、仕事の補佐だね。
書類作業を手伝ったり、祭典に兄さんを引っ張り出したりとか色々とね」
はあ、と曖昧に応じます。
いや、うん、今ひとつ想像がつかないのです。
それに、そもそも。
「……ご主人のお仕事って何なんでしょう」
私って、ご主人の仕事に関しては何もしらないので、仕事の補佐とか言われても……。
「兄さんの仕事って、そりゃ婚姻の承認とか、裁判とか、税の入出の確認とか、祭典への出席とか、色々」
「それはご領主様のお仕事では」
税の管理は言うに及ばず、婚姻の承認、裁判は領主様のお仕事だったはずです。
街ではどうかは知りませんが、私達のような平民は領主様に許可されないと夫婦にもなれません。
裁判は、村長が預かることもありますが、ものによってはご領主様に裁定をお願いすることになる、そうです。
曖昧ですが、村で生活している間は、特に裁判とかが必要になることはありませんでしたし。
精々が悪戯小僧を逆さにして木に吊るし上げるくらいです。
「うん、だから領主の仕事だよ」
「はい?」
「いや、首を傾げられても……。
兄さんは辺境領地一体を収める外様公爵だし、その仕事になると当然、領主の仕事になるからね」
待って。待ってください。
外様公爵? 外様が意味するところは解りませんが、公爵くらいはわかります。
そう、確か……………王様の次に偉い立場の人だったはず。
ご主人が、その公爵……?
いやいやいやいやいや、流石に冗談でしょう。
だって。
「全然、それらしくないのですが…………」
お偉い貴族様ともなれば、豪奢な服を着て何人もの従者を引き連れているという印象がありました。
いえ、貴族の中でも最下級であるところの騎士爵の貴族様ですら従者を連れている事があるのです。
公爵様が従者の一人もつけないと言うのはありえないでしょう。
「まあ、外様だしね」
「外様、ですか?」
その言葉に首を傾げます。
そういえば、先ほども外様公爵と仰られて居ましたが、それはどういう意味なのでしょう。
気になったら聞く、というわけで聞いてみました。
「他所の国から鞍替えした貴族、或いは新興の貴族のことを外様貴族って呼ぶのさ。
兄さんは後者で、らしくないのも元々の貴族じゃなくて、鍛冶師だか製鉄工だかの家の出身だからだね」
なるほど、と頷きます。そしてちょっと親近感。
元々が平民だったのなら、私に対しての態度にも何となく納得がいきます。
もしかしたら、本人も貴族という意識があまりないのかもしれません。
そして一つの心当たりが知らず知らずの内に口から転がり落ちました。
「………………もしかして、このメイド服を着ていると安全というのは」
「うん、公爵家で働いているっていう証明だからだね。
その意匠のものは、この家に仕える人間しか使わないから」
このメイド服を着ていると安全が確保されるというところに疑問を感じていましたが、まさかの理由でした。
公爵家に働いている人間に手を出す人が、公爵領の、それも直轄地に居るとは思えません。
居るとすれば、それはただの馬鹿か、その土地のことを知らない流れ者でしょう。
「さあ、次の質問は、っと」
リリィさんが言い終わるのに合わせるように、がらんがらん、と鐘の音が響きました。
「この音は、どこから……」
何となく周囲を見渡しますが、今ひとつ音源は特定できません。
この広間の何処かで鳴っているというのは解るのですが。
「厨房に鐘を鳴らす紐があってね、それを引くと二階の見えないところに置かれた鐘が鳴るのさ。
鐘自体に魔法が掛かってて、音が広がるようになってるから場所の把握は難しいかもね」
ああ、隠されているのですね。
納得しながら、モップを肩に担ぎます。
「片付けは後でもいいんじゃない?」
いいえ、と首を横に振ります。
「片付けるまでがお仕事ですので」
請け負った仕事は最後まで確りと。責任を持って果たすもの。
中途半端は宜しくありません。
「そっか、じゃあお先に」
ひらりと軽やかに食堂の方へ去っていくリリィ様を見送って、私も掃除用具室へと向かいます。
実は庭に濡れ拭きようのモップと桶が出しっぱなしなのですが、そっちは食後に回収です。
日当たりの良い場所においておいたのですが、桶は兎も角、モップはまだ乾いてはいないでしょう。
* * *
「 お 肉 が 無 い ! ! 」
私の向かいに座ったリリィさんが、躊躇い無く堂々と自らの不満を口にします。
本日の昼食は、白いパンに魚の……なんでしょうこれ? ちょっとわかりません。
川魚をなんかした料理です。
しかし珍しいですね。ナニカサレタ川魚が丸々一匹、お皿の上に置かれています。
白い身が×字の切れ込みから覗く魚には、半透明のソースがかけられています。
身の色から確りと火が通してあるのは解るのですが、焼いた訳ではないのは明らかです。
付け合せは蒸した野菜………ああ、なるほど。これは野菜と一緒に川魚を蒸したのでしょう。
「在庫がない。明後日まで我慢しろ」
私の左手側の席……三角形の頂点に当たる位置に座ったご主人が言いました。
そして汁物は…………白く濁った、半透明のものが注がれています。
具は何かの植物の茎を指先の幅ほどに切ったものが少々浮かび、その下には何か見たことのないものが沈んでいました。
なんですか、これ? 石……にしては形がおかしいです。
合わせた両手を側面だけくっ付けたまま開いたような形をしたものです。
外は白と薄茶の模様があり、内は白色で、中には薄黄色をした実のようなものが収まっていました。
真面目になんですかこれ。なんなんですかこれ。
「え、まさか明後日まで野菜と魚だけ?
長旅から帰ってきたボクに対する仕打ちとしてはあんまりだ!」
「予定より早かったからな、用意も無いのは当然だろうが」
ご主人ご主人、この汁物の底に沈んでいるこれは何なのですか?
私の知る生き物や植物と同じところを見出せないのですが。
これは本当に食べられるのですか? 食べても大丈夫なものなのですか?
なんでしょう、これを見て、これがなんなのかを考えるだけで正気が削られていく感覚がします。
うぅ………この世には………………知るべきではない知識が…………存在してい…………………。
「解った。後でボクが買ってくるから、夕食にはお肉を……………」
「それは構わないが、日暮までに持ってこないと仕込が間に合わないからな」
…………ぃ……ァい…………ァ……ぃア………。
「そうと決まれば食べちゃおう。
大地の巡り、命の恵みを我は尊びて」
「―――――――」
ご主人が……手を合わせたのを確認し………て、私も食前の…………祈りを……偉大なる…………捧げ………て…………………あ、美味しい。
ぼんやりとしていた思考が一瞬で元に戻るくらいに、この汁物は美味しいです。
適度な塩味の中に、深みのある香りと甘みがありました。
ご主人やリリィさんをちらりと見ると、器用にも薄黄色の何かをフォークで取り出して口へと運んでいます。
どうやら石のような何かは、食べないもののようでした。まあ硬そうですしね。
私もお二人を見習って、薄黄色い何かを取って食べてみます。
ぐにぐにした歯ごたえは何とも例えづらいものですが、噛むと甘みが出てきて美味しいです。
ただ、なんと言いますかパンには合わない気もしますね。
なんと言いますか……うぅん、そうですね、濃さ……濃厚さといいますか、油っぽさいいますか、お肉的な感じが足りないといいますか、そんな感じです。
いえ、美味しいのですけどね。塩くて。
でも、前に食べたオーオン(たまねぎ)のスープはさっぱりとしていましたが、パンに合っていました。
どこが違うのでしょう。
「そういえばさ、兄さんのほうの旅はどうだった?」
「拾い者が一つあっただけだな」
パンを千切ってぱくり。む、これは……いつも食べているパンより味と薫りが濃く感じます。
しっとりとしていて、噛めば噛むほどに味が出てくるようです。
普段のパンと何が違うのでしょう? パン一つに使う小麦の量を増やしているのでしょうか?
いえ、それだと大きいパンが出来るだけですし、例によって何か混ざっているのかもしれません。
「そっか。ボクの方も特に何もなかったよ。
小規模商隊に同行したんだけどね、魔物はおろか山賊にも襲われなかったし」
「そうか」
千切ったパンの切り口を見てみると、普段食べているパンよりも白色が濃い感じがします。
普段のパンと一体、何が違うのでしょう?
一口に千切って、ぱくり。より味わうように、噛むというより噛み締めるように食べてみます。
「魔物自体は出てこないだけで汚染領域にまだまだ居るんだろうけど、傭兵崩れはそろそろ絶滅なんじゃない」
「まあ、もう五年以上は経つからな。
兵も人も死にに死んで、何処も人手が足りない中で職を得られなかった連中だ。
随分ともったほうじゃないか?」
むぅ……このパンの秘密がわからぬ。
この濃さと甘みに歯応えは、どうやって生み出されているのか。
「まー、そうだね。
今だって人手が足らなくて回らないところがあるのにさ」
「仕事は余っていても、全体的に人手がないせいで不況だからな。
そんな理由で発生する不況があるなんて、この世界に来て初めて知ったぞ」
「まあゼッツ姐が迫真の表情で後世に記録を残そうっていうくらいだしねー」
「―――で、さっきから小難しい顔をしている訳だが、解説はいるか?」
ごむふっ。突然にご主人に話を振られた事の驚きから、喉に引っ掛かったパンを気合で飲み込みます。
小さく千切りながら食べててよかった……って、それどころではありません。
えっと、あっと、聞き流していた会話の内容を思い出します。
………………………凄い、何を言ってるのか半分くらい解りません。
とりあえず解るのは、山賊と魔物の数が減ったという事くらいです。
「えっと、汚染領域ってなんでしょう? あと仕事があるのなら不況にはならないのでは?」
言ってから不況という言葉の意味を考えます。
…………………………景気が悪いことです、確か!
そう、そうです、村長が昔に愚痴っていたのを耳にして、どんな意味の言葉なのか問い質した記憶があります。
今更ながらですが、村長には酷いことをした気がしますね……。
「ヴァルレルフ王国って知ってる?」
リリィさんの言葉に、はい、と頷きました。
流石の私も隣国のことは知っています。
八大魔獣が出現する前は、一年に一回くらいで戦争を挑んだり、挑まれたりしていた国であり―――。
――――世界で一番最初に八大魔獣が出現し、滅ぼされた国でもあります。
「ヴァルレルフの国土の半分より少し大きいくらいかな。
それだけの広さの場所が完全に瘴気に包まれてるんだ」
ナイフとフォークで器用に魚を解体しながらリリィさんは言いました。
滅んだとは聞きましたが、そんな事になっているとは初耳です。
「だから魔獣の数も半端じゃなくてね。
瘴気の無い国境付近まで魔獣が徘徊してるくらい。
最後の決戦で相当数を減らした筈なんだけどね、こっちも全体で八割くらい死んだけどさ」
ボク達は独立遊撃隊みたいなものだったから関係ないけどねー、とリリィさんは続けます。
はち、わり? ………あ、はい、大丈夫です。何となく解ります。魔法万歳。
しかし、それって死に過ぎでは……過去のことで、尚且つ正確な数―――それこそ印象でしか数を認識していないので受け入れられていますが、正しい数を知ったら冷や汗が止まらなかったかもしれません。
「その決戦もそうだが、それまでに人が死にすぎてな。
仕事が合ってもこなせるだけの人数が確保できない、そもそも旅商人が半壊してて流通が滞って経済が回らない。
最近は未成年が成人してきて人手不足も解消傾向だが、やはり旅商人が不足気味なのは変わらないな」
仕事を任せられる人が軒並みお亡くなりになって、それが解決されても運ぶ人が居ない訳ですね。
ご主人の説明に、なるほど、と頷きかけて、あれ、と首を傾げます。
私の記憶が確かなら、八大魔獣が現れた後も、頻度は減りましたが旅商人さんは村に来ていたはずです。
「旅商人さんって、そんな大変なことになっているんですか?」
「個人単位の旅商人はそれなりに居るんだが、魔獣の性質が知られる前に大規模な商隊を組めるようなのが軒並み死んだらしくてな。
商隊に関する手法が失われたせいで、未だに商隊は少ないままだ」
ああ、なるほど。
作物を育てる方法を知ってる人が軒並みお亡くなりになったせいで、残された人間は作物の作り方がわからなくなった、と。
村長なんかを思い出すとわかりますが、多くの人で一つの作業をさせるというのは大変です。
それこそ全員が顔見知りであっても。
よく知らない人間同士が集まって、旅商人さんのように長い距離を危険と隣りあわせで移動するとなれば、それはそれは大変でしょう。
どれくらい大変か私にはわからないくらいに。
「それと、パンには水の変わりに少し多めの牛乳が入っている」
み、見破られていた!?
最後にとって付けられたご主人の言葉に、ぼわっ、と顔が熱くなるのを感じました。
うぅ……私、そんなわかりやすく食い意地が張っているでしょうか。
お二人が食事の内容についての話を始めたのを尻目に、私は恥ずかしさを誤魔化すのに顔を俯かせて、魚へと取り掛かるのでした。
……………この先の食事内容は、私のなけなしの体面のために語りません。
ええ、語りませんとも。
ただ少しだけ言わせて頂くのなら、ご主人といい、リリィさんといいなんでああもナイフとフォークで綺麗に魚を食べられるのか……。
魚なんて木の枝に刺して焼いたものを、マルカジリしかしたことありません………
クラーラ「そんちょーそんちょー、ふきょーってなんですかー?」
村長「景気がね、悪いことだよ……」
クラーラ「けいきー?」
村長「景気っていうのはね……」
以下、クラーラが納得するか、村長の心が折れるまでループ。




