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4-1 うつくしいひと






 主食の柔らかなパンと副菜のソースがかけられた葉の物。

 そして溶き卵の汁物と蒸留水。


 この献立を前にして、一瞬でも質素と感じてしまった私は、もう贅沢に毒されていると見て間違いないでしょう。

 朝食といえば、パンに萎びた野菜、夜の残り物の汁物と暖めた麦酒を一杯というのが村での朝食だったのに………。

 このお屋敷に来てまだ二月と経っていないというのに、もう贅沢な生活に染まってしまった自分を見下げ果てる思いです。



 今日の贅沢は明日の貧困、贅沢駄目絶対。



 などと、食後のお茶を頂きながら自らを戒めます。

 ああ、そういえばあの鐘の音は食事の用意が終わった事を知らせる為のものだそうです。

 昔はこのお屋敷にも、ご主人以外の人も住んでいて、その時に使っていたものだとか。

 ………随分と広いお屋敷とは思っていましたが、なるほど元々は多くの人が暮らしていたのですね。

 しかし住んでいたのは何人くらいなんでしょう?

 鍵が掛かっていて入った事のない部屋などは多数ありますが、大体………。


「十人くらいでしょうか?」


「何がだ?」


 メイドの私が椅子に座ってお茶を頂いている前で、立って食器の片づけを始める主人が言いました。

 なんですかね、この絵面。見てると、胸になんとも言えない気持ちが沸きあがってきますが、私はこの気持ちの名前がわかりません。

 解らないほうがいい気がしますが。


「あ、いえ、昔はこのお屋敷に何人ほど暮らしていたのかな、と」


「俺を除いて百二十四人だな」


 多すぎぃ! 反射的に口に出しそうになった言葉を、ギリギリの所で押し留めます。

 落ち着いて考えましょう。この大きさのお屋敷なら、使用人さんもそれなりに居たはずです。

 そのことを考えれば決して多くは………いえ、多いですね。

 暮らしていたという以上、お屋敷で寝泊りしていたでしょうし、そんなに住めるのでしょうか。


「ああ、言っておくが使用人は雇っていなかったからな」


 …………………………なん、です、と。

 呆然とする私を気にも留めず、ご主人は厨房へと音も無く姿を消しました。

 あの、まさかその百二十四人分の食事とお茶の用意をご主人が一人でしていたり?

 な、謎が深まっていく。私のご主人は一体何者なのでしょう。

 いえ、そもそもこの屋敷は確かに広いですが百二十四人も暮らせるだけの部屋数ってあるんですかね?





* * *





 ありました。

 廊下の窓が曇っていないかを確認するついでに部屋を数えた結果、一部屋に何人か纏めて入れるのなら、百二十四人だろうと暮らせそうではありました。

 私は入ったことはありませんが、屋根裏部屋もあるようなので、百二十四人だろうと住めそうではあります。

 後の疑問は、それだけの人数の食事をご主人が用意していたのか、ということですが、これは機会があったら聞いてみることに致しましょう。

 などと考えながら、モップでギュッギュッと床を拭っています。

 廊下の窓が曇っていなかったので、今日は玄関広間の清掃です。

 いや、便利ですね。床に跪いて雑巾で拭わないでよいので非常に楽です。

 かなり腰に来るんですよね、雑巾での床掃除って。

 その点、このモップはいいですね。

 柄の部分に上半身の体重をかけるようにして前に押し出すだけで床を強く拭えるのです。

 素晴らしい。




 ―――――ガチャリ ガタッガタガタッ!!




 ふぁ!? 突然の背後からの騒音に飛び上がります。

 慌てて振り返ると、なにやら玄関扉がガタガタを音を立てて震えていました。

 !?!?!?!? 何事!? まさか押し込み強盗ですか!?

 ど、どうしましょう、ご主人を呼んできましょうか。

 不安からモップの柄を胸に抱き寄せた時、ふと気が付きました。

 なんで鍵が閉まっているのでしょう?

 玄関扉の鍵は、朝と夜にご主人が開け閉めしているらしく、今の時刻には鍵は開いているはずです。


 ―――――ガチャ


 あ、鍵が開きました。


 ―――――ギィィ


 そして扉が開き。

 天窓から差し込む光に照らされる透き通るような金色の髪。

 物語の中に語られる宝石のような碧の瞳。

 沁みはおろか瑕一つ無い真っ白な肌。


「やあ、こんにちわ」


 それは、少年とも少女とも取れる柔らかな声。

 右肩から掛けられた白糸黒糸で飾られた緑の長丈片肩掛け外套。

 一目で上等な布と解る、確りとした作りの黒い上衣(チェニック)

 足首まで覆う金糸銀糸で飾られた濃緑の巻きスカート。

 鉄が打たれた真っ黒な手袋に、つま先等が鉄に覆われた、上黒革のブーツ。




 なんて、うつくしいひとでしょう。




 息はおろか、言葉すらも忘れ去ったかのようでした。

 はじめて。初めて、このお屋敷に足を踏み入れた日のこと。

 私は、広間の美しさを前に、自らのみすぼらしさを恥じました。

 汚れを落として、上等なメイド服を着たことで、そういった感情も抱かなくはなりました。

 けれど、けれども。否応なしに、この場所に自分は不釣合いだと思い知らされます。

 私なんかよりも、この少女はよっぽどお屋敷に似合っている。

 いいえ、比べることすらもおこがましい。

 私は場違いな人間なのだと、あらゆるものから謗られているよう。


(あに)さんは在宅かい?」


 その足取りは軽やかに。

 足音を立てることすら野暮なのだというように、音も無く歩み寄ってきます。

 身長は私よりも高く、歳は恐らくは同じくらい。


「ああ、兄さんっていうのは、この屋敷の主人のことなんだけど」


 二度三度と頷いて、それから漸く声を取り戻しました。


「ご、ご主人でしたら書斎にいらっしゃいます」


「そっか。……そうだね、案内をお願いするよ」


 はい、と頷いて、こちらへと先導します。

 ああ、歩くだけでも恥かしい。彼女の歩みには音もありません。

 床の軋みすら立てず、静かに私の後に続くのです。

 だから、廊下に響く足音とと軋みの音は、全て私のもの。

 私の無作法さを浮き彫りにしているよう。

 ただ私が存在しているというだけで、この場の美しさを損なっている。

 息が苦しい。御伽噺のお城の中に、醜い浮浪者となって混じった気分。

 書斎の扉を叩きます。


 ――――どうぞ


 静かなご主人の応答に、扉を開けて中へと入ります。


「えっと、お客様です」


 そういば名前も聞いていませんでした。

 けれど、私が名前を聞いてもいいものか……。


「兄さん! ただいまあ――――」


 タンッ、と私の背後に居た少女が、ご主人に頭から飛びつきました。

 !? 靡く金の三つ編みはニャーニャ(猫)の尻尾のよう。

 私を三人縦に並べた程度の距離に、置かれた背の低い机もご主人の執務机も一歩で飛び越えて。


「おかえり」


 何時もの静かな言葉と共に、ご主人は椅子ごと身を翻し、手を伸ばして背後の窓を開けました。

 ………え?


「――――ぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ………!!」


 声を後に引きながら、美しい人は、そのまま窓から落ちていきました。頭から。

 ちょ、ちょぉぉぉぉぉ! ここ二階!? 二階ですよ!?

 じ、事件? 事故? どうあれメイドは見た! 美しい人落下の瞬間!! 嘆け人の損失!?

 ど、どうしましょう。どうすればよいのでしょう? 庭に出て介抱を?

 でも頭から落ちてますから……考えたくもない情景に。


「あわわわわわわ」


「思うんだけどさ、ここは確りと受けとめるところじゃないかな。

 お嬢さんもさ、そう思わない?」


 ひょっこりと窓から顔を出し、そのまま窓枠に腰掛けて美しい人が言いました。

 い、生きてる――――!? なんで? なんで!?  どうやって!?

 あまりのことに喘ぐように口を開けて閉じてを繰り返します。


「自分の体重を考えろ。投げるか、避けるか、打ち落とすかの三択だろうよ」


「む、ボクそんなに重くないよ。大体……七十キグ(kg)くらい?」


 むー、と口を尖らせて美しい人が反論します。ご主人、女性に体重の話は駄目ですよ。


「装備含めたら八十後半だろう、お前」


「それくらいなら大したこと無くない?」


 首を傾げていう美しい人に、ご主人の眉間に皺がよりました。始めてみました、ここまで露骨に表情が変わるの。

 そして、ため息を吐くと、その眉間に寄った皺も和らいで、穏やかな表情を浮かべます。


「……変らないようで何よりだ」


「兄さんもね」


 からから、と美しい人は朗らかに笑います。

 美人は、表情も綺麗なものなのですね……。


「――――――にして――――――。自己紹介でもしておけ」


 例によってご主人の言葉は上手く聞き取れませんでした。

 コメデリイーウにしてトラドゥルミィーカー、でしょうか?


「否定はしないけど、滑稽人に騒動屋は酷いなあ」


 言いながらも気にした風もなく、美しい人が私に向き直ります。

 

「ボクはリリア・ザ・アサシレイド。

 宜しくね、お嬢さん。リリィって呼んでくれると嬉しいな」


 まさかの称号者っ!?

 人生で一度会えるかあえないかの人に、これで二度目の遭遇です。

 まあアサシレイドというのが、何を意味するのかは解らないのですが。

 ……というか、実は、ご主人も称号者だったりするのでしょうか。


「リリア様ですか、私は―――」


「リリィ」


 自己紹介をする前に、被せるようにリリア様が言いました。


「えっと……」


「リリィ」


「リリィ様?」


「リリィ」


 呼び捨てろと? すっごい無茶を言われている気分です。

 一対一で同じ空気を吸っているだけで恐れ多さを感じるというのに。

 そもそも立場的にも駄目だと思うのですが。


「リ……」


 え、笑顔が強すぎる。

 ニコニコとした笑みなのに、どうしようもない圧力を感じます。


「リリィ……………さん」


 む、と難しげに考えるような表情をリリィ……さんが浮かべます。

 これ、思うんですが、呼び捨てても駄目、呼び捨てなくても駄目とかいう死の罠ではないでしょうか。

 まさかご主人の側に居る女を排除するための策謀……っ!?


「そこまでにしておけ。

 呼び方なんぞ、人に押し付けるようなものでもないだろう」


「はーい」


 しょうがないなー、といった風な面持ちで、リリィさんは頷きます。

 でもご主人、ご主人も様付けさせませんでしたよね。

 そしてご主人が続きを言うように私に促しました。


「クラーラと申します。よろしくお願いいたします」


「んー、硬くない?」


 いいえ、特には。


「こいつは大ニャーニャのようなものだと思うといい」


 大きいニャーニャ(猫)。なるほど、納得できるところがあります。

 気品と美貌を持ち合わせたもふもふな、ウルレイド(犬)くらいのニャーニャ(猫)……と思うとぴったりです。


「で、イザリスのところには顔を出したのか?」


「出したよ。変わりないって言われて、ついでにお土産の宝石渡してきた」


「夫婦円満なようで何より」


 ご主人は優しげな面持ちで頷きました。

 ………って、ちょっと待ってください。


「――――ふう、ふ?」


「うん。ボクとイザリスは結婚してるよ?」


 うらやましかろー、とリリィさんが腕を振って自慢します。

 年齢的にはおかしくはありませんが、ですが、性別……性別は?


「リリィは男だぞ。骨格からして中性的というか、良いとこ取りだから解りづらいが」


「―――――――ばかな」


 ありえない。この目の前の美しい人が男性………? うそだ、うそです。

 あっていいはずがありません。膝から力が抜けて、今にも跪いてしまいそう。

 なんという、おお、なんという…………っ、待って。

 そこで一点の疑問が浮かびます。これを最後の砦としてご主人に問いかけました。


「あの、名前は………」


「小国家郡西方域だと、狭間月に生まれた子供には性別と逆に名前をつける風習があるらしくてな。

 コイツはそこら辺の出身らしい」


「別に女名前でも似合ってるんだからいいじゃん」


 そうですね。アナタと同じ名前の女性がとっても不憫です。

 そして、さようなら最後の砦。でも、うん、確かに。

 不思議なもので、男性といわれると男性に見えてきます。

 そもそもリリィさんは女性的な装いはしていません。巻きスカートは男女両用の衣服です。

 窓枠に足を広げるようにして座っているから解るのですが、確りと黒い下衣(ズボン)を履いています。

 うん、顔を見ずに服だけ見れば、完全に男性的な装いですし、細身ですが男性的な体型をしているように見えました。


「ああ、そうだ。

 リリィ。事後承諾になって悪いが、お前が着れなくなったワンピース、クラーラに譲ったからな」


「ん、りょーかい。元々共用物入れに放り込んでおいたものだからね、問題ないよ」


 待って。ご主人、何か凄いこと言った。いえ、言いました。

 リリィさんが着れなくなったワンピースを、私に譲った………?


「……………あの、それって、あれは、あの絹のワンピースは、リリィさんのお古ということですか?」


 はは、まさか。だって採寸的に少し大きい以外は問題なく着れたんですよ、あのワンピース。

 幾らなんでも、幾ら女性的な人だからって、男性が着れる採寸のワンピースが少し大きいくらいとか………。

 わ、私、そこまで男性的な体格していないです。


「うん、二年くらい前に買った奴だね。半年もせずに着れなくなったけど」


 からから、と笑うリリィさん。

 リリィさんは細身のようですが、に、二年前とはいえ男性と体型がほぼ同じって……。

 もう、倒れてもいいですよね……。心が折れそうです……。


「……いや、言うまい」


 ? ご主人は何か、情け深さを感じる声で呟きました。

 何でしょう、私を見る目が優しいというか、生暖かいです。

 慰めるというか、そんな感じの目でした。


「あ、言っておくけどボクに女装趣味はないからね。

 単に似合う服を選り好みせず着るだけで」


 それは選り好みというのでしょうか。

 いえ、それ以前に男性が女性の服を着た時点でそれは女装と言うのではないでしょうか。

 似合っているとか、似合っていないとかは関係ないと思うのですが。

 だって私が男性の服を着たら、似合う似合わないを別として、男装をしていることになりますし。

 ですが、異性の格好をすること自体が目的でない場合、これは女装趣味とは言えないのでは………むぅ。


「クラーラ」


 はい。


「深く考えるな、疲れるだけだ」


 そうですね、そうします。

 深々と頷きました。


「ボクは間違ったことを何一つ言っていないというのに、何故、みんな納得しないのか」


 リリィさんだけが不満顔でひとりごちています。

 似合う似合わないは関係ないんだと思うんですよ、この場合…………。

 あと女物の服を着たリリィさんとは一緒に居たくないです。

 私の女としての自信が一瞬で圧し折られそうなので。

 

 しかし、第一印象はどこへ消えたのでしょうね、一体。




ちょっと短いけど切りがいいから……

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