119:奴隷流入 逃亡者が村に来る。
朝は静かだった。
畑に水が引かれ、苗は均等に並び、風車型の魔道具がゆっくりと回る。水路は澄み、子どもたちは桶を持って笑いながら走っている。
変わらない、明るい朝。
ただ一つ。
門の外に、人影が増えていた。
最初に気づいたのは見張りの少年だった。
「……誰か、いる」
遠く。
森の陰から、数人。
いや――十人、二十人。
ゆっくりと近づいてくる。
歩き方がおかしい。
足を引きずる者。
肩を貸し合う者。
倒れそうになりながら、進んでくる。
「……呼べ」
エルダの声は低く、短い。
すぐに動きが伝わる。
門が半分閉じられる。
民兵が配置につく。
魔導式バレット銃が、静かに構えられる。
カイゼルは門の内側に立つ。
前にはエルダ。
その後ろに、レイナとマリナ。
そして、リナが薬箱を抱えている。
やがて、先頭の男が倒れた。
砂埃が上がる。
動かない。
後ろの女が叫ぶ。
「お願い……!」
声は枯れていた。
「助けて……!」
沈黙。
門の上から、民兵が問いかける。
「何者だ」
返ってきたのは、簡単な言葉だった。
「……逃げてきた」
それだけ。
カイゼルは一歩前に出る。
鑑定。
一瞬で情報が流れ込む。
疲労、栄養失調、軽度の外傷。
そして――
「拘束歴あり」
「奴隷契約の痕跡」
「逃亡者」
全員ではない。
だが、かなりの数が該当する。
カイゼルは目を細める。
「追っ手は?」
倒れた男の代わりに、別の男が答える。
「……いない」
「もう、切り捨てられた」
声に力はない。
エルダが小さく舌打ちする。
「捨てられたか」
合理的判断。
価値がなくなった。
だから切る。
マリナが肩をすくめる。
「よくある話ね」
レイナはじっと観察している。
「……まだ動けるやつもいる」
「使える」
その視点。
カイゼルは頷く。
「門を開ける」
エルダが即座に反応する。
「リスクは?」
「低い」
カイゼルは即答する。
「戦闘能力はほぼない」
「追跡もない」
「意図的な侵入の可能性は低い」
判断。
エルダは一拍だけ考え、頷く。
「開けろ」
門がゆっくり開く。
軋む音。
逃亡者たちの目が揺れる。
信じられないものを見るような顔。
「……入れ」
エルダの声は変わらない。
だが、拒絶はない。
最初の一人が、震えながら一歩を踏み出す。
それが合図だった。
一斉に崩れ込むように入ってくる。
何人かはその場で倒れる。
リナが即座に動く。
「水!」
子どもたちが走る。
桶が運ばれる。
リナは手際よく処置を始める。
「大丈夫、大丈夫」
「死なないから」
明るく言う。
その声に、何人かが泣いた。
レイナはすぐに動線を作る。
「こっち、寝かせる場所ある」
「動ける人は手伝って」
無理はさせない。
だが、止めない。
流れを作る。
マリナは横で観察している。
「……増えるわね」
「人口が」
カイゼルは頷く。
「増やす」
当然のように言う。
エルダが横を見る。
「守れるのか」
問い。
カイゼルは迷わない。
「守れる構造にする」
それが役割だ。
戦うのはエルダ。
回すのはレイナ。
広げるのはマリナ。
自分は――整える。
一人の少女が、カイゼルの袖を掴んだ。
細い指。
震えている。
「……ここは……」
言葉が続かない。
カイゼルは視線を落とす。
「働く場所だ」
短く言う。
少女は目を瞬く。
「働く……?」
「食べる」
「寝る」
「動く」
「それだけだ」
余計な言葉はない。
だが。
少女は、ぽろぽろと涙をこぼした。
「……いいの?」
その問いに。
カイゼルは一度だけ頷いた。
「いい」
その一言で、崩れるように泣いた。
周囲でも、同じような声が上がる。
誰も止めない。
止める必要がない。
エルダは少しだけ目を細める。
「……甘いな」
呟く。
だが、その声は強くない。
レイナが笑う。
「回るなら、問題ないでしょ」
マリナも続く。
「利益が出るなら、歓迎よ」
三者三様。
だが、否定はない。
リナは薬を塗りながら言う。
「ここは死なないから」
それが、すべてだった。
夕方。
新しく来た者たちは、簡単な食事を受け取る。
スープ。
パン。
温かい。
それだけで、震えている者もいる。
ルークが笑いながら言う。
「そんな大げさなもんじゃねえぞ」
「普通だ、普通」
その言葉に、何人かが顔を上げる。
普通。
それが、彼らにはなかった。
カイゼルは遠くを見る。
門の外。
もう誰もいない。
追ってくる者も。
奪いに来る者も。
今は、いない。
「……流れが変わったな」
小さく呟く。
マリナが隣で笑う。
「ええ」
「“持たない側”が流れてきてる」
レイナが腕を組む。
「止めないわよ」
「全部回す」
エルダが槍を担ぐ。
「来るなら、守る」
それだけ。
カイゼルは目を閉じる。
開く。
「じゃあ、やるか」
止まらない。
この村は。
流れが来るなら。
受ける。
そして――回す。
それができる構造になった。
それが、この村の強さだった。




