第40話:「灰色の現実と、極彩色の食卓」
「……ログアウト、完了」
機械的なアナウンスと共に、視界を覆っていた極彩色のファンタジー世界がブラックアウトした。
次に目を開けた時、レナの目に映ったのは、剥き出しの鉄骨と灰色の壁に囲まれた、わずか三畳ほどの狭い部屋だった。
外からは、環境浄化装置の重苦しい駆動音だけが単調に響いている。
窓はない。外気は汚染されており、この居住区画から出ることは一生ない。それが、レナの生きる『現実』だった。
「ふぅ……体が重いな」
VRベッドから起き上がり、レナは冷たい金属の床に足を下ろした。
あちらの世界では軽やかに厨房を駆け回っていたが、現実の肉体は運動不足と日照不足で青白く、ひどく貧弱だ。
ピーッ。
時間になると、壁に備え付けられたディスペンサーから、本日の『配給』が吐き出された。
銀色のトレイに乗っていたのは、白くて四角い、消しゴムのような完全栄養食が二つだけ。
「……いただきます」
レナは無表情のまま、そのブロックをかじった。
ボソッ。
水分を極限まで飛ばされたそれは、口の中でパサパサと崩れるだけで、何の味もしない。ただ生存に必要なカロリーとビタミンが合成されているだけの、純粋な『エサ』だった。
(……あっちの世界のパンは、もっと硬かったけど、小麦の匂いがしたな)
味気ないブロックを水で流し込みながら、レナの脳裏に、数時間前まで自分が作っていた料理の記憶が鮮明に蘇る。
岩塩が弾ける、熊肉の香ばしい脂。
ハチミツが溶け出す、極厚のパンケーキの熱。
衣がサクッと鳴るエビフライと、大豆の旨味が凝縮された醤油の香り。
そして何より。
『うおおおおっ! 美味い! 美味すぎる!』
『素晴らしい……! これなら武器を持ったままでも食えるぞ!』
『レナ! お主の作る飯は、神の理を超えておるわ!』
『レナさんのご飯、最高ですぅ……!』
『わんっ!』
料理を囲み、顔を綻ばせるエドやセリア、ミレ、ウカ、パピーたちの笑顔が、灰色の部屋に色彩をもたらすようにフラッシュバックした。
「……やっぱり、ご飯は美味しくなくちゃダメだよね」
レナは残りのブロックを一息に飲み込むと、立ち上がった。
現実世界を変えることはできない。この無機質なディストピアで、彼女はただ生かされているだけの存在だ。
でも、あちらの世界になら、自分の帰りを、自分の作る料理を待ってくれている『常連客』たちがいる。
「醤油も手に入れたし……次は、絶対に温かい『汁物』を作ろう。みんなで一緒にお椀を持って、息をふーふーって吹きかけながら飲むんだ」
制限時間が解除されるアラームが鳴る。
レナは迷うことなく、再びVRベッドへと横たわった。
「ログイン」
――再び目を開けると、そこは木の温もりに溢れたログハウスの厨房だった。
「遅いぞレナ! 腹が減って力が出ない! 早く昨日の『銀シャリ』というやつを炊いてくれ!」
「お主、どこへ行っておったのじゃ! 妾の腹の虫が暴れておるぞ!」
カウンターでは、エドとウカが箸と茶碗を握りしめてバンバンと音を鳴らして騒いでいる。セリアも腕を組んで、レナの顔を(期待に満ちた目で)ジッと見つめていた。
「もう、朝から騒がしいなぁ」
レナはエプロンを身につけ、石窯の前に立つ。
パチパチとはぜる薪の音。鼻をくすぐる、残っていた醤油と焦げたタレの匂い。
「はいはい、今すぐ作るから、みんな席に座って待っててね!」
灰色の世界から帰還した最強の料理人は、極彩色の食卓を満たすため、今日も満面の笑みで包丁を握るのだった。
第3章 完




