22.お父さんは南の国でも暗躍する①
エル=イラーフ王国第三王女、ヘレナの治療は無事完了した。なのですぐにでもトゥイリアースへ戻るのかと思いきや、折角の海外旅行を切り上げてしまうのは勿体無いと、アルベルトはしばらく逗留すると告げる。まだ報酬に要求した国宝〝夜明けの女神のドレス〟を元にしたアイディアも定まりきっていないのが理由らしいが、それを聞いて真っ先に喜んだのはマクスウェルだった。王宮に一人世話になっている彼は存分に羽根を伸ばしているらしく、拳を何度も突き上げていた。
リリアンはそんな従兄弟の姿を楽しげに見ている。エル=イラーフの滞在が伸びて嬉しいのはリリアンも一緒だったが、全身で喜びを表すマクスウェルは見ていて気持ちがいい。つい笑みが溢れてしまう。
そんなリリアンを、にこにこと見つめているのはアルベルト——と、ヘレナだ。
「はあ、素敵な笑顔だわ……永遠に見ていられる」
にこにこ、というよりはにやにや、と言った方が近いかもしれない。ねっとりとした笑顔は蕩けており、視線はリリアンに釘付けである。見つめては、はあ、と溜め息をひとつ。
そうして何度目かの溜め息の後、唐突にアルベルトを振り返った。
「ねえ、リリアンお姉様の肖像画が欲しいのだけれど」
そうして発せられた言葉に、アルベルトは眉を寄せる。
「だからなんだ」
と、それだけを言い捨てるようにされても、ヘレナはめげない。
「鈍いわね。売ってくれと言っているのよ」
「鈍いな。売るわけがないだろう、貴様なんかに」
「なんでよ! お金ならあるわよ?」
「金なんかでリリアンの美しい姿が買えるとでも思うのか、愚か者め」
「なによ、じゃあ何となら対価になるって言うのよ」
「写したものであっても、リリアンの代わりになるものを差し出せると?」
「うっ、そ、それは……!」
その指摘にヘレナは悔しそうに顔を歪めた。
「その通りだわ……で、でも、あたしに渡せるものっていったら、それだけだし……!」
「話にならんな」
「そんな!」
ヘレナは悲壮感たっぷりに叫ぶ。
すっかりリリアンに懐いたヘレナは、友人としてというよりは妹分のように振る舞っていた。普段、レイナードらに猫可愛がりされているリリアンは、歳上として令嬢に接する機会がない。けれども、リリアンの気質か、それとも周囲をよく見ているからか、奔放なヘレナをうまく誘導している。ヘレナがよくリリアン信奉しているせいもあるだろう。今ではすっかり王家の姫らしい立ち振る舞いをするヘレナに、教育係が目を丸くしていた。
そんなヘレナに何かしてやりたいと思うのは甘いだろうか。繰り返される父親と妹分のやり取りに、リリアンはくすりと笑みを浮かべる。
「もう、お父様ったら。意地悪なんだから」
「へぁッ!?!!?」
微笑ましく楽しそうな二人の様子に感化され、ちょっぴり冗談のつもりで放たれた言葉。
が、リリアンの一言一言を聞き逃すまいと研ぎ澄まされたアルベルトの耳と脳は、一字一句きっちりとそれを記憶に刻み込む。
——お父様ったら意地悪、意地悪、いじわる……。
アルベルトの脳内にリリアンの声がこだまする。反響し広がる声は、アルベルトの心臓を揺さぶった。
リリアンの、非常に珍しいお茶目な冗談。アルベルトは歓喜した。そんな可愛らしいおふざけの対象として選んで貰えた、その事実に。
父親を尊敬しているリリアンは、アルベルトを揶揄したりしない。なのに今、それが行われたのだ。そこにあるのは紛れもなく、父親への深い親愛だろう。そうに違いない。
感動に打ちひしがれるアルベルトだったが、それはそうとこれだけは弁明しなければならない。
「へ、は、り、リリアン、だ、だけど」
決して、ヘレナに肖像画を売らないのは意地悪なんかではない。リリアンの崇高な姿は、おいそれと他者に渡していいものではないのだ。メディア向けに専用の絵を準備するくらいには、リリアンの肖像画は管理されている。
それを説明しようにも、感動の余韻でうまく言葉が出てこない。ぱくぱくと口を開閉させるだけのアルベルトには目もくれず、リリアンはちらりとシルヴィアに目配せした。シルヴィアは頷くと一歩前に出る。
「ヘレナ様。商会に問い合わせて頂ければ、提供可能な絵がございます。記者に向けて提供しているものですので、さほど高額ではございません」
「本当!? ねえ、その中に正装のものはある?」
「ええ、ございますよ」
「素晴らしいわ! じゃあ、さっそく手配してみる」
ヘレナはそう言うと侍女を呼びつけ、シルヴィアから聞いた商会へ問い合わせをするよう指示する。複数種類があるようであればすべて購入するように、と言うヘレナは生き生きしていた。
それに笑って、リリアンはアルベルトを振り返る。
「ところでお父様、滞在はどの程度を予定されているのです?」
「……特には決めていない。気の済むまでというか」
アルベルトは両手で顔を覆って、天井を仰いだままの状態で答える。まだぜんぜんさっきの衝撃から復帰できていないのだ。
「そうなのですか」
「何か気になるものでもあるのか、リリアン」
伺うような声色にそう返せば、リリアンはそっと両手を組む。
「実は、街に行ってみたくて」
「よしじゃあ行こう。何日でもいいぞ。希望はあるか?」
言い切ってぱっと両手を下ろすと出てきたのは、キリリとした良い笑顔。思わずヘレナは半目になる。
「どこがいいかしら。エル=イラーフ王国らしい街並みが見たいのですけれど」
が、リリアンの声が聞こえた瞬間、ヘレナはぱっと目を見開いた。
「じゃあ、ソロントの街がいいと思うわ。古い街なのだけれど、災害が少ないから昔の建物がたくさん残っているの。保全もしているから立派な街並みが見られるのよ。どう、ぴったりでしょう?」
「まあ。確かにそれは良さそうですね」
「ええ! 丘の上に、階段上に築かれた街並みは圧巻よ」
「ヘレナ様がそう仰るのなら、きっと素晴らしい街なのでしょうね」
リリアンの笑顔に得意そうな顔をしたヘレナは、そのままくるっと振り向く。
「ね、あたしもご一緒していいでしょう?」
そう笑かける先は国王ヒースである。ヒースは末娘に笑みを返すと、頷いてみせる。
「侍医は良いって言ってるし、体力も戻ったみたいだしな。もちろん、無理はだめだけど」
「やった! 父様、ありがとう!」
喜びの声を上げるヘレナは勢いよく振り返ると、リリアンに「案内なら任せて!」と胸を張る。
どうやら小娘の同行は決定らしい。アルベルトはちっ、と舌を打つが、リリアンの「ご一緒できて嬉しいわ」という声に不機嫌を引っ込める。せっかくの楽しい気分に水を差すのは本意ではない。
リリアンの関心を奪うヘレナの同行は面白くないから、アルベルトの眉間には深い皺が刻まれたままだ。が、今はそれどころではない。
「ソロントというのはどんな街だ?」
「うん? 普通の街だよ。目ぼしい特産はないけど、街並みを見る観光客が多いかな。交通の便が良いからそれなりに人が多くて」
「普通だと? 完全に安全じゃないと危ないだろうが!」
「あ、そっち?」
戸惑うヒースの姿はアルベルトの目には入っていない。勢い良く椅子から立ち上がったせいで、がたんと派手な音がした。
今にも飛び出しそうなアルベルトに、ヘレナが目を丸くする。
「え、でも、事件とかはあんまり無いわよ?」
「あら、そうなの?」
クラベルが声を上げればヘレナは頷いてみせる。
「ルカのやっている商会があって、よく遊びに行くの」
「なるほど、そういう事ね」
ルカ、とヘレナが呼ぶのは、彼女の婚約者だ。彼か、それとも品物が目的かは分からないが、ヘレナがよく出掛けるのであれば、王家の姫が出入りしても問題ない街らしい。
「あんまりほいほい外に出るより、勉強して欲しいんだけどねぇ」
と思ったが、直後にヒースが渋い顔をした。どうやら方針とは異なる行動だったらしく、ヘレナはふいっと視線を逸らす。
「し、市場調査とか、社会見学とかだし……」
「まあ、それも大事だけど、基礎がなってないと」
「もー! 分かってるってばぁ!」
そんな親子のやり取りは、第三者からしてみれば微笑ましい。リリアンとクラベルはそっと視線を合わせて微笑んでいた。
そのリリアンの微笑みを胸に刻み、アルベルトは声を掛ける。
「リリアン、すまないが準備がある。数日待っていてくれ」
「はい、お父様」
言うなり部屋を出て行ってしまった。足早に立ち去るアルベルトは、緊急時の官僚が放つ緊張感に似た雰囲気を纏っている。
「ヴァーミリオン公っていつもああなの?」
行動の動機は分かる。これまでヘレナが危険な目に遭わなかったのは偶然だったのかもしれない。それでリリアンが安全かと言われると、ヘレナとしてはアルベルトを応援したくなる。
が、だからと言って鬼気迫るあの顔はどうなのか。そこが気になったヘレナは呆れが隠せず、表情にそれが出てしまう。
「ええ、まあ、そうね」
クラベルは、ヘレナが言いたい事がなんとなく理解できた。けれど、それを今ここで言うわけにいかない。そっと視線を外す。
そんな義姉の様子は気に留めていないのか、リリアンは変わらず微笑んでいた。
「お父様は心配性なの」
「度が過ぎる気がするけど……」
「ヘレナ様」
ぽつりと言うとクラベルに低く呼ばれ、ヘレナは思わず背筋を伸ばす。
「それ以上はだめよ。ね?」
「え、ええ……」
にっこり笑みを浮かべるクラベルには有無を言わせない迫力があった。その笑顔を見て、ヘレナはそれ以上踏み込まないようにしようと誓った。
アルベルトは大股に回廊を進む。
「リリアンが行くんだ。危険なものは排除しなければ」
呟く声を拾うのは、今この場ではベンジャミンのみ。ベンジャミンも同意見だったので特に制止はしない。ただ、ここは自国ではないので人手が少ない。
「人足はいかがなさいますか」
「デリックとボーマンに情報収集させろ。それなら連中だけで事足りる。というかやらせろ。いいな」
「承知しました」
ベンジャミンが短く応えた後は会話もなく、二人は王宮を後にする。そうして早速手配を進めた。
宿に戻ると、まず現状の確認を急ぐ。領地から連れてきたデリックを派遣し、情報収集をさせた。デリックは単身街へ行くと酒場へ向かい、酒を奢ったり奢られたりしながら街の様子を探る。
翌日、情報を持ち帰ったデリックの報告を受けた。そこで分かったのが、マフィアがこの街を根城にしているという事だった。
「この国のでかいマフィアは四つ。そのうちの一つがソロントを拠点にしてます。それなりに古いからか規模もそれなりって話っすね」
表立って派手に動いているわけではないが、荒っぽくて構成員が多い。軽犯罪も街の規模にしては多いのだそうだ。これは、リリアンが赴く先としては良くない状態である。
ただ、ヘレナが事件に巻き込まれた事がない、というのは本当のようで、相手を選んでいるのではないかとデリックは言った。さすがに自国の王女に手出しをしてはただでは済まないだろうから、納得できると言えばできる。が、やってる事が姑息だ。気に入らない。
「小物と言えば小物ですな。ただ、それでは街は、丸ごと連中のものと言えるのでは?」
「ベンジャミン殿の言う通りで。結構な人数が街に紛れてると考えて間違い無いかと」
「金の流れは」
「妙なところはどこにも。ま、報告が正しけりゃ、っすけどね」
報告を聞き流しつつ、アルベルトはメモを捲る。数が多いというのなら利用しない手はない。
「更生の機会を与えてやろう」
にやりとアルベルトは口角を上げた。その時たまたま陽が陰っていた為に、薄暗い中で笑みを浮かべるアルベルト。その顔には妙な迫力があった。
(これは……)
(なんという……)
(どっちがマフィアなんだか分かんねーな、コレ)
ベンジャミンは顔をしかめ、ボーマンは静かに目を閉じる。デリックは頰を引き攣らせ良からぬ空想を繰り広げかけたが、直後の扉を叩く音がそれを邪魔する。
アルベルトの返事を待って扉を開けたのはレイナードだった。
「僕も手伝います」
入室するなり言い切ったレイナードは真剣そのもの。何をするかなど分かりきっているからこその言葉だろうが、二人とも生半可に済ませるはずがないので不安がよぎる。
「いやー、レイナード様、それは」
「そうだな、それがいい」
「ダメか……」
アルベルトがレイナードの提案を受けてしまった。これでもう抑止力も期待できない。
「お前はリリアンを留めておけ。楽しみを延長させられていて可哀想だから、できるだけ楽しめるように」
「……できればそっちへ行きたかったけど、分かりました。ちょうど良さそうな話もあるので」
「必要なものがあればなんでも使え。人も、金もだ」
「もちろん、そのつもりです」
どんどん話が決まっていく。
デリックとしても、アルベルトの「徹底的にやるべき」という主張には賛成だ。だいたいにしてこの国はおおらかだが、それを逆手に取る悪人も多い。そういう連中が存在する以上、リリアンに害が及ばないとは限らない。だからやるのは構わないのだが。
「なぁんでこんな、悪そうに見えるかね……」
目の前の光景は、完全に悪巧みする側の様相をしている。反社会組織を潰す、それって本来、社会的には良い事のはず。なのに、ぎらりと鋭い光を瞳に宿すアルベルトは、完全にマフィアのボス側にしか見えない。そのせいで悪い事を始めようとしている気分になっているのだと、デリックは気付かなかった。




