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17.王都を騒がせる不届者③


 五日目。この日も、午前はリリアンと共に街へ出たレイナードは、存分に妹との一時を楽しんだ。前日とは違う通りで店を物色し、ああでもない、こうでもないと品物を選ぶリリアン。朝はやはりぐずぐずといつまで経っても家を出たがらなかった父の姿に呆れ返ったが、リリアンはそうではないようだった。贈り物を真剣に選んではいるが、なかなか理想的な物が見つからないようだった。


「うーん、どうしましょう……」


 店から出て、肩を落とすリリアン。


「なにかひとつくらい、気に掛かる物はあったろう?」


 気遣ってレイナードはそう妹の手を取るが、リリアンは力無く首を横に振る。


「いいえ。お父様が喜んで下さるようなものは、なにも」

「そうか……」


 そんなリリアンの姿に、レイナードも釣られて落ち込んでしまう。前日と合わせてそれなりの軒数を巡ったというのに、ひとつも候補になりそうな物は見つからなかったのだという。

 これはこの街の欠点とも言える部分だ。極限までリリアンの為に造られた街には、リリアンの為にならなそうな、それ意外のものが無いのだ。完璧と思われた箱庭の思わぬ欠点が露見してしまった。


「これは進言した方がいいか……?」

「お兄様?」


 レイナードは口元に手を当て呟く。

 この〝銀朱の箱庭(ぎんしゅのはこにわ)〟は、リリアンの為の街だ。リリアンの望みを叶える事こそが求められる。この場合で言えば、父親への贈り物に相応しいものが無ければならない。だが、今それをアルベルトへ伝えようものならサプライズが露見してしまうし、感動してその場で泣き崩れるだろう。そうなると色々と面倒くさい。

 問題点として留意しておいて、進言するのはプレゼント選びが終わってからでいいだろう。そう思い、一人納得するレイナード。

 リリアンはそんな兄を見上げた。


「なにか問題でも?」

「ああいや、なんでもない」


 妹の声にはっと意識を戻して、レイナードは首を横に振る。これは、リリアンの耳に入れる必要が無い事柄だ。自分の内に秘めて、レイナードはリリアンの手を取る。


「とりあえず昼食にしよう。朝から歩き通しだし」

「ええ! それならお兄様、わたくし行ってみたいお店があって」

「じゃあそこに行こう」

「いいの?」

「もちろん」

「あの、お兄様。そのお店は王都でも有名で、女性客が多いんですって。きっとお兄様が入ると注目されてしまうと思うの」

「という事は、個室のあるような店舗ではないという事か」

「ええ、そうなの」


 その後聞いた店名を聞いて、なるほど、とレイナードは納得がいった。若い女性の間で人気となっているパンケーキを扱う店だ。店内は可愛らしい内装になって当然だから、男性客は目立つだろう。パンケーキを好む男性が居ないでもないが、友人と連れ立って入る女性ばかりでは入りにくい。ただでさえ衆目を集めるリリアンと二人、そんな中に入れば、視線を独占する事になるだろう。

 だがそんな心配は無用だ。


「甘いものだけでなく、食事として楽しめるものもあるんですって」

「工夫があるのは、素晴らしいな」

「ええ、わたくしもそう思うわ。ちょっと注目されてしまうかもしれないけれど、それでもいい?」

「もちろん、と言ったはずだよ、リリー。注目されるくらい構わない。リリーと一緒に楽しめるなら」

「まあ!」


 レイナードの言葉に、リリアンは目を細めてくすくすと笑う。その言い方がなんだか父親に似ていて、可笑しかったのだ。普段はあんなにアルベルトの事を冷めた目で見ているのに、表現の方はなんだか似ている。それが不思議で可笑しい。

 リリアンは笑みを深めて、繋いだ手を引っ張った。


「じゃあ、早速行きましょ! お兄様と一緒の時でないと、入りにくいの。お父様かお祖父様と一緒だと誘いにくくって」

「それは、そうだろうな」

「でしょう?」

「お祖母様と一緒ならどうだ?」

「わたくしは、いいと思うのだけれど。お祖母様がね、あんまり可愛らしい空間に入るのは、気後れしてしまうそうなの」

「ああ……」

「でも、気になっているようだったわ。もう一度誘ってみようかしら」

「そうするといい。事前に連絡を入れて貸切ってもいいんじゃないか。それならお祖母様も、人目を気にせず楽しめられるだろうし」

「そうね、それは良いかも」


 リリアンは頷いて、ちらりと後ろのシルヴィアを振り返った。シルヴィアはリリアンの視線を受けて頷く。これでリリアンが予定を決めれば、シルヴィアが良いように手配を進めてくれるだろう。

 これで心配事は無くなったと、リリアンは意気揚々と目当ての店舗へ向かう。〝銀朱の箱庭〟を熟知しているリリアンは、その店舗が街のどこにあるのかを把握しているのだ。

 リリアンがその店を直接訪れた事は無い。普通なら屋敷にシェフを招くのだが、王都でも話題となった内装がどんなものなのか、どうしても気に掛かるらしい。ならば急ごうと、レイナードもリリアンの後に続く。

 目当ての店はちょうど客が途切れたタイミングだったようで、すぐに席に案内された。それほど広くない店内、客席はテーブルが六つにカウンター席がいくつか。そのうちの半分が埋まっている。落ち着いて食事が出来そうだと、リリアンは喜んだ。

 料理を決めた後は、運ばれてくるまで内装を楽しむ。王都にも話が広がるわけだ、調度品のひとつひとつに店主の拘りが見える。アンティークのランプの傘は花の形をしており、妖精をモチーフとした家具があちこちに配置されている。緑や黄色、桃色の羽根を持つ妖精の他に青い小鳥も居て賑やかだ。けれど白を基調とし、淡い色で小花を散らした壁紙のおかげで品がある。たくさんある花はさすがに造花なのだそうだ。香りが強い花は飾れないし、維持をするのが難しいからだとか。それでも座席からであればさほど気にならない。華やかで、賑やかな店内は、花と妖精達の楽園であった。

 それらを楽しんでいる間に、頼んでいた料理が運ばれてくる。看板メニューだという二段重ねのパンケーキ。だけどそれは真っ白なクリームで覆われている。真冬、雪に覆われた草原を思わせるそれにナイフを入れれば、中からとろりと苺のソースが溢れた。白いクリームが落ちないよう、苺のソースが染みた生地をそっと口に運べば、リリアンは瞳をきらりと輝かせた。


「美味しいわ!」

「良かったな」

「ええ!」


 小声で囁き合えば、嬉しそうに応えるリリアン。その笑顔にこそ微笑んで、レイナードも一口大にしたパンケーキを口に含んだ。

 甘い物が苦手な層に向けたメニューはいくつかあった。その中でリリアンが勧めてくれたのが、今レイナードが味わっているものだ。竈で焼いた生地に、チーズと塩気のある生ハム、そこにシロップを掛けたもの。それらを纏めて味わう。

 シロップが生ハムの塩気を引き立てる。クリーミーなチーズが加わる事で深みを増していて、これならレイナードでも美味しく味わえそうだ。

 それからはお互いの料理を分け合い、感想を言い合い、他のメニューに想いを馳せ、内装を楽しんで店を後にした。念願だった店舗に来られたし、お腹もいっぱいだし美味しかったしで、リリアンは大満足だ。

 レイナードも、そんなリリアンの様子に満足げだった。歩きで店に向かう間に連絡を入れ、席を空けさせた甲斐があった。危惧していた料理の方も、甘過ぎず美味しく味わえた。始終笑顔だったリリアンのおかげで美味しさは何十倍にも感じられた。幸せなひと時であった。



 パンケーキを食べた後は屋敷に戻ったのだが。その午後、レイナードの元に家令のドラセナがやって来て、一枚の手紙を差し出した。それを見るなりレイナードの眉間に皺が寄る。中身を読み進めれば、それは険しいものへと変わっていった。リリアンが首を傾げているのが視界の端に映る。


「お兄様、何か悪い知らせですか?」

「そういうわけじゃない」


 それは王都のマクスウェルからのもので、内容はごく短いものだった。曰く、


『ようレイ、そっちはどうだ? きっと楽しい時間を過ごしてるんだろうな。楽しんでるところ悪いんだが、こっちも限界なんだ。助けてくれ。すぐに』


とのことだった。

 レイナードは更に表情を険しいものにする。


「……五日しか経ってないじゃないか」


 自然と声には呆れが含まれる。なにしろ、十日は保つだろうと思っていたのだ。予測よりも大幅に限界が来てしまったようだ。一体何があったのだろうか、と思わなくもないが、考えても無駄なので想像するのはやめておいた。

 それよりも、マクスウェルからの手紙の文字が異様に震えているのが気にかかる。仕方なく、本っ当に仕方なく、レイナードは腹を決める。


「すまないが、一度王都へ戻るよ」


 と、そうリリアンに向けば、眉を下げて小首を傾げる。


「お休みを頂いていたのではないの?」

「そうなんだが。放っておいて、恨まれたら面倒だ。仕方ないから行ってくる。リリーの馬車を貸してくれるか」

「ええ、もちろんそれは構いませんわ。でもお兄様、これから向かうの?」

「ああ。少しでも早く用事を済ませたいんだ」


 リリアンの馬車、というのは、リリアン専用の特殊車両の事だ。最先端の理論を用いて設計し、素材にこだわり最新技術で組み上げた車体は超が三つは付く快適なもの。長距離の移動でも快適に、がコンセプトとなっており、ずっと座っていても疲れにくい座席に、屋敷の自室で使っているものと遜色ない寝台が備え付けられている。リリアンが普段使いしている寝台とほぼ同じなのだ。つまり最高級品である。これによって揺れる車内でもぐっすり休む事が出来るのだ。

 今から出て、夜通し進めば明日の朝には城に着くだろう。最速で片を付ける気でいるレイナードは、微塵もその方法に疑いを持っていない。早速馬車の準備を、と従者を振り返ったところへ、控えていたドラセナが声を上げる。


「ならば、レイナード様。新型の試作が出来上がっていますので、そちらを試していただけませんか」

「新型?」

「ええ。従来のものよりもさらに振動が少ないものです。スライムから着想を得た吸振素材を用いておりまして」

「まあ、スライム? スライムって、魔導書にあるあのスライムかしら」

「その通りです、リリアン様」


 スライムというのは有名な魔物で、ゲル状の体液を核に纏わせた姿をしている。不思議な生態をしていて魔法的な属性の影響を受けやすい。その為に魔道具によく使われる素材だったが、一般的には日用品に用いられるものではなかった。だが、魔道具に使えなかった部材に程よい弾力があり、それに目を付けた職人が馬車に盛り込んだらしい。それがとても良かったそうで、本採用となったとか。

 それを聞いたリリアンは驚きながらも納得がいったようで、試したいと言っていた。それに対するドラセナは、珍しく笑顔を輝かせている。


「是非リリアン様もお試し下さい。職人達もそれを望んでいるでしょうから」

「そうね。お兄様が王都から戻られたら、わたくしも使ってみたいわ」

「じゃあ、一足先に試させて貰おう。リリー、一人で街へ行くのは」

「分かっていますわ、絶対に一人じゃ行きません。お祖父様か、お父様がお戻りになるのを待ちます」

「不自由をさせてすまないな」

「不自由だなんて。それよりも折角の休暇ですのに、お仕事に戻るお兄様がかわいそう」


 それは本当にそうだ。せっかく、可愛い妹と最高の時間を過ごしていたというのに。半ば無理矢理休暇に持ち込んだ事は棚に上げ、レイナードはひっそりと従兄弟を呪った。

 とにかくさっさと用事を済ませて戻るに限る。なのでレイナードは席を立った。


「行ってくる」

「お気を付けて」


 そんな兄を、リリアンは微笑んで見送ったのだった。



◆◆◆



 リリアン専用車両は装備がしっかりしている分重たい。なので力の強い馬で引く必要がある。そこも厳選し、更に速い個体を選び抜けば、普通に馬車を走らせるよりもずっと速かった。一日はかかるところ、半日かそこらの翌朝、朝食の時間には王城に着く事が出来た。

 間違いなく全力で駆けていたというのに、確かに揺れは最小限だった。車輪の音も蹄の音も気にならない程度には軽減されていたし、温度も湿度も快適な範囲だった為か、なんなら普段よりもぐっすりと眠れたレイナードは、食後の一服をするマクスウェルの元に駆けつけた。早朝の、しかもリラックスしている所へ、極限まで表情を消したレイナードが現れたものだから、マクスウェルは慌てた。


「あれ? レイ? は、早いな」

「その方がいいんだろう?」

「いやまあそうだけど、早過ぎないか? どんな魔法だ? 移動距離を短縮する魔法とかか」

「そんな魔法があってたまるか。リリーの馬車を借りたんだ」

「リリアンの……?」

「ああ、良く眠れた」

「馬車でか。それは凄いな」


 詳細は分からないが、急がせた馬車は揺れた事だろう。そんな中でも良く眠れた、というのは素直に凄い。マクスウェルはその馬車がどんな物か理解していなかったが、とりあえずそう評した。

 馬車を褒める言葉に気を良くしたレイナードは、勧められるまま座席に着く。その場では、クロエとマクスウェルの二人がお茶をしていた。この部屋は王城で彼ら二人に割り当てられた居間なのだ。すでにほとんど夫婦と同じ待遇の二人は、必ずこの部屋でお茶をする。

 彼らの個人的な空間であるはずのこの居間。そこに、急いで運び込まれたに違いない机が置かれていた。その机は明らかに他の家具とは趣向が異なるものだ。場違いなそれには、いくつもの紙の束が乗っていた。いや、束というよりも塔だ。何本もの白い塔が連立している。ちらりとそれを視界に入れるレイナードに、マクスウェルが気付いたらしい。ははは、と乾いた笑い声を上げる。


「気付いたか? あれが何なのか」

「……まあ、なんとなくは」

「そうか、そいつは心強いな。悪いが全力で手伝って貰うぞ」

「そのつもりで来た、と言いたい所だけど……何なんだ、あの量は」


 レイナードはその場に似つかわしくない、机の上の塔を睨み付けた。聞けば、普段マクスウェルが使っている執務室には書類が置き切れなくなってしまい、仕方なくこちらへ運び込んだらしい。優先順位の高いものから処理をしているが、次から次へとやって来る紙の数々。きりがないので、否として差し戻しても繰り返し持ち込まれるものは、こちらへ隔離しているらしい。なんだそれ、とレイナードは遠慮なく言ったが、マクスウェルからは力無く本当にな、としか返ってこなかった。


「これでも全力で片付けてるんだぞ。クロエとルーファスと、あとセレスト嬢に手伝って貰って」

「ルーファスが? というか、四人でやってこれなのか」

「……ほんとにな」


 マクスウェルは頬を引き攣らせる。一年の決算の頃にだって、ここまでの量にはならないのだ。それがどうしてこんな事に、というのは彼が幾度となく溢したセリフだった。その元凶の一端である従兄弟を前に、つい恨み言を言ってしまいたくなるが、どちらかというと本当の原因はレイナードの父親にある。それにこの現状は彼らが不在となったからというよりも、その隙を狙う輩に王家が舐められているのもあるだろう。あのアルベルトには何を言っても無駄だが、国王や王太子ならば出し抜けるのではないか、と。

 その真偽はさて置き、それ自体は、国王であるグレンリヒトと王太子のマクスウェルの落ち度とも言える。そこにはレイナードは関係ない。だからマクスウェルがレイナードへ文句を言えるわけがない。が、一言言ってやりたくなるのが人情というもので。


「お前が戻って来てくれれば、片付くんだがなぁ」

「なんで僕が休みを返上しなくちゃいけないんだ」

「そう言うなよぉ……」


 そのたった一言の文句さえ、すげなく切り捨てられるものだから、力無く呟くマクスウェル。冷めたお茶を啜る姿は哀愁を漂わせる。クロエも、口を挟まず笑みを浮かべるだけだった。発言の内容はともかく、いつも明るい彼女の姿からすると珍しい光景だ。どうしたのかとレイナードが訊ねると、「ちょっとね」と、なんとも歯切れの悪い回答が返ってくる。


「何かあったのか?」

「う~ん、そうねえ。あったわねぇ。セレストちゃんが手伝ってくれているって、マクスが言ったでしょう? 彼女、とっても真っ直ぐで努力家だから、ルーファスの補助を頑張ってくれてねぇ」


 それは、聞く限り悪い事ではないように思う。


「それで?」

「ルーファスとセレストちゃんの、仲直り強化期間って言うのかしらぁ。一緒にお茶したりお喋りしたりする時間も、ぜーんぶ返上で、それこそ朝から夕方まで居てくれているのね。で、あんまりセレストちゃんがお仕事に集中しちゃってるものだから、逆にルーファスが二人の時間が取れない、って、怒っちゃってぇ~……」

「……良い事じゃないか」

「そうなのよぉ。こういう状況じゃなきゃ、バンザイして応援するんだけどぉ~……」


 と、クロエは視線をすっと逸らして溜め息をひとつ。視線の先は、あの書類の塔だ。

 それでレイナードは得心がいった。


「つまり、これ以上あの二人の協力は得られそうにない、という事か」

「……そうなのぉ」


 しょんぼりとするクロエからは、いつもの覇気が感じられなかった。天真爛漫な彼女が消沈する程には激務であったらしい。

 やれやれ、とレイナードは席を立った。


「突き返せるやつは返そう」

「そうしてくれると助かる。でもお前、食事はいいのか? 馬車で眠れたみたいだが、飯はどうした」


 マクスウェルの言葉にレイナードは振り返る。


「それなら問題ない。リリーがくれた軽食を摂ったから」

「……お、おう。そうか。なら、いい」


 あまりにもはっきりと言うレイナードに、マクスウェルは若干引き気味で答えた。空腹感が薄いというか、それ以上の感情で満足感を感じているだけなのではないかとは思うが、まあ、無理に食べさせる必要もないからいいだろう。

 当のレイナードは、塔になっている書類を上からざっと目を通して、大まかに分類をしている。


「これを処分したら執務室に向かうから、準備を頼む」

「ああ、分かった」

「この部屋、台車は無いのか?」

「……あると思うか、王族の私室に、台車」

「無いなら準備させておいてくれ。何度も往復するのは無駄だから」


 言いながらもペラペラと書類をめくる。そうしてできた一塊を掴むと、レイナードはそのままドアに向かう。


「じゃあ、行ってくる」

「おう、悪いな」


 その背中を見送るクロエは、隈を厚い化粧で隠した頬に手を添える。


「頼もしいわねぇ」

「そうだな。今日は久々に、ちゃんと眠れそうだ」


 眠気覚ましの濃い紅茶をぐいっと飲み干して、マクスウェルは早速台車を準備するよう、指示を出した。



 レイナードはその後、準備されていた台車を使い、塔になっていた書類をそれぞれの担当者へと返却した。居るはずのないレイナードが早朝から現れて、該当の部署に動揺が走る。そこへ、名指しされた担当者が呼び出され、その場で切々とその書類には印を押せない理由を説明されたからたまったものではない。

 一通り説明が終われば、レイナードは「再提出するのなら、今説明した箇所を修正するように」とだけ言い残して去って行く。それを擦り合わせると、ほぼ全て書き直す必要があると、その場の誰もが理解していた。それが故に周囲から白い目を向けられた担当者は、すごすごと席へ戻っていくしかない。

 全ての関連部署をそうやって周り、ようやくレイナードはマクスウェルの執務室へと戻る事が出来た。が、入ってすぐ、レイナードにしては珍しく、頬をぴくりと引き攣らせる。


「……どういう冗談だ、これは?」

「おお、レイ。ありがとな、助かった」

「それよりもマクス、これはどういう事だ」

「それは俺が知りたい」


 マクスウェルの執務室は、至る所に書類が積まれ、紙で溢れ返っていた。机に乗り切らず床に直置きされているものまである。王太子の執務室とは思えない光景だ。

 試しに足元のものを拾ってみると、『王都の美化活動について』という表題のものに急ぎの印が押してあった。優先して処理して欲しいという督促の際に押されるものだが、内容は美化活動の一環として樹木の植え替えを提案するもので、ようはその為に予算を割け、という事らしい。だが、その見積額は王都中の樹木を植え替える気かと言いたくなるくらいの桁だった。濃厚な中抜きの気配を感じる。

 おそらく床に置かれたのは、そういったどう考えても急ぎではない上に、まともに目を通すのも馬鹿馬鹿しくなる類いのものなのだろう。

 やれやれ、とレイナードはその書類から目を離した。


「他に、繰り返し来ているものは?」

「これとか、これとかかな」


 マクスウェルが差し出したものを受け取ると、ぎゅっとレイナードの眉間に皺が寄る。


「これもこれも、担当者には再提出不要って言っておいたはずだ。見通しが甘くてとてもじゃないけど通せない。これの関連で……ああ、これも。資料を付け足して計画書も作り直すって話だったんだが、書き直してないな。前に見たのと、筆跡と日付が一緒だ。こんなものを受け取る必要はない。返してくる」

「さすがレイ、頼もしい……」

「あとは……うん?」


 ぴらりとめくった書類の下から、他のものとは違った書式のものが現れて、レイナードは手を止めた。申請書の類いではない、騎士団からの報告書のようだ。


「なんだこれ」

「あ? どれどれ……ああ、これか。こんなところにどうして混じってるんだか」

「『吸血鬼騒動の調査報告書』? マクス、これは?」

「レイ、お前、新聞を読んでないのか」

「新聞?」

「ああ。半月くらい前から、奇妙な事件が続いて起きていてな。女性ばかりが狙われる卑劣な傷害事件なんだが、被害が妙なもんで、新聞社が面白おかしく書いているんだ」


 とそう言って、マクスウェルは机の引き出しから新聞紙を取り出す。折り畳まれたそれを受け取ると、すぐにその記事が目に入った。

 新聞に書かれているのを抜き出すと、こうだ。


 ――月が高く昇る頃、夜道を歩く女性ばかりが狙われる事件が相次いでいる。

 彼女らは、襲われる直前まで危機が迫っている事に気付かず、ふと気付くと地面に伏しているのだという。首筋に傷があり、意識が朦朧としてはいるが、それ以外に目立った外傷は見られない。持ち物は金銭も含め盗難に遭っておらず、犯人が何を目的としているのかは不明だ。

 首筋の傷は目立たないが深いそうだ。だが命に別状はなく、その傷も治癒が早い。被害者はいずれも事件当時の記憶が曖昧で、犯人らしい姿を目撃した者は居ない。闇夜に紛れる何がしかのそれに、被害者のとある女性は『まるで吸血鬼に襲われたようだ』と溢した。

 被害者が増える一方であるので、騎士団が対応すると発表があった――


「大事じゃないか」

「そうなんだ、騎士団でも対応してるんだがなぁ、この通りで」


 言って、ちらりとマクスウェルは机の上を見た。それらを処理するも追い付かず、身動きが取れないのだと、そう言いたいのだろう。


「人員を割いて、ようやくそれらしい情報が出たんだが……えーっと、どこやったっけ」

「マクス、資料ならここよぉ」

「おう、ありがとな」


 クロエが差し出した資料をめくって、その状態でそれをレイナードに手渡す。マクスウェルから受け取ったそれに目を通しながら、レイナードは続けられる説明に耳を傾けた。


「この数日、動きが活発化して、被害者が十名を越えてしまったんだ。それで増員して巡回をしている中で、ようやく目撃情報が出てな。その目撃情報っていうのが、それだ」


 レイナードはマクスウェルの言葉に続くように、報告書の文字を読み上げる。


「背丈が高く、白っぽい頭で、青い目。コートかマントを羽織っているかのようなシルエットで、飛ぶように段差を飛び越えて行った……なんだか、どこかで聞いたような特徴だな」

「まあな。それでその特徴が問題になって」

「問題?」

「白い頭髪、青い目。それがかのヴァーミリオン公に特徴が近いって、ご婦人方の間で噂になってな」

「…………」


 告げられた言葉に、レイナードは半目になる。

 この目撃情報は、各方面に報告されている。被害者が二桁に達しているという事で、情報提供を求めて新聞社にも展開されたのだそうだ。事実そのままを書いたものの、やはり誰もが似た感想を抱いたらしい。女性達の間では今、この話題で持ちきりなのだそうだ。新聞社の中にはわざとほのめかして書くものもあり、それが更に状況を悪化させた。

 実際、街のあちこちでも、そして貴族の夜会でも、女性達は謎の吸血鬼(仮)について囁き合っている。


「ねえ、ご存知? 例の連続傷害事件の犯人」

「もちろん。白か銀の髪に、青い瞳だとか」

「それを聞いて、わたくし、月の君ではないかと思いましたわ」

「まあ、やはり?」

「ええ。アルベルト様みたいよね」

「やはりそうよね! 良かったわ、そう思ったのはわたくしだけではありませんでしたのね」

「ふふっ。やはり皆様、同じ様に思うのね」


 くすくすと軽やかな笑い声の後、婦人達は更に声を潜めた。


「でも、こうも思いませんでした? あのアルベルト様になら、むしろ……なんて」

「……あなたも?」

「まあ、ではあなたも?」

「ええ、実は……。だって、あのアルベルト様ですもの。ねえ?」

「ええ、そうよね、とっても良く分かるわ!」


 と、その様にして噂は広がり、結果として夜な夜な出歩く女性が増えているそうだ。そのせいで被害が減るどころか増加しているのだと言う。

 それを聞いたレイナードは、細めた目を閉じた。


「意味が分からない」

「奇遇だな、俺もだよ」


 マクスウェルもまた、遠い目をして乾いた笑いを洩らす。報告を受けた時は本当に意味が分からなかった。どんな相手かもはっきりしないのに、不確かな情報だけを頼りに出歩く。もしも相手が殺人鬼だったりしたら、とんでもない事になっていた所だ。

 幸いにも、怪我で済んでいるからいいが、無視できる状況ではなかった。


「まあそういうわけで、被害が拡大しているわけだが、この通り俺は動けないんだ」

「そうか大変だな」

「レイ、視線を逸らすな。こっちを見ろ」

「僕は部外者だ。というかそもそも、父上には無理だ。領地から一歩も出てない。リリーの居ない王都に来る理由が無い」

「そうなんだけどな。そう思っているのは、叔父上を知っている一部の人間だけだよ。それよりも、お前は俺の補佐官だろ? 無関係とは言わせないぞ」

「……そう言うのなら、何か手立てがあるのか?」

「まあな。俺に任せとけ」


 にっと笑うマクスウェルに、レイナードは首を傾げる。何やら自信のありそうな様子だ。


「まあ、僕に協力できる事ならいいけど。でもそれはそうと、明日には帰るつもりなんだけど」

「はあ!? 何言ってんだ、それは困る!」

「困ると言っても、様子を見に来ただけだから」

「いや、見ろよこの状態を! 一晩でどうにかできるわけないだろ、せめてもう一日!」

「えぇ……?」

「えぇ、じゃない!」


 なんとかレイナードの滞在時間を伸ばそうとするマクスウェルをのらりくらりと躱わしつつ、レイナードは 書類の山を片付けていった。結果、恐ろしい事に、紙の束は全体の三分の一ほどが消えていた。たった半日でだ。

 なんとしても、早く帰ろうという執念を感じる。が、それ以上はやはり時間が足りないと理解したのか、なんとかもう一日だけ延長して留まるとレイナードはそう言った。それに感謝しつつ、吸血鬼(仮)討伐の準備を進めるマクスウェル。

 少なくともこの時はまだ、問題は無さそうに思えた。


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