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17.王都を騒がせる不届者④


 レイナードが王城に着いた頃。アルベルトは、朝食後の居間で新聞を広げていた。いつもならざっと目を通すだけだが、この日は一面にでかでかと書かれた記事の異様さに目を瞬かせる。


『吸血鬼出現!? 王都の女性達が狙われる!』


 その文字に、はん、と鼻を鳴らす。


「吸血鬼? ふざけた記事だな、御伽話でもあるまいし」


 ベンジャミンが腰を折って、新聞を覗き込んだ。


「銀髪で高身長、青い瞳に黒いマント。随分と特徴的ですな」

「趣味がいいじゃないか」

「どこぞのどなたかに特徴が一致している、とあります」

「どこの誰だそれは」

「アルベルト様だと思われているようですよ」


 そのベンジャミンの言葉に、アルベルトは不快そうに表情を歪めた。


「下らん」

「そうですねえ」


 なにしろ領地へ戻ってからはずっとリリアンの側にいるか、リリアンに言われて仕事に出掛けているかのどちらかだ。夕方には屋敷に戻っていたから、王都に行けるはずがない。何よりもずっとベンジャミンがそれに付き従っている。証人足り得る彼からすれば、記事に書かれているのは妄言でしかないのだ。それを王都の人々が知るはずないが。


「まったく。いい迷惑だ」

「夜中出歩けばその方に会える、とご婦人達の間で噂になり、夜な夜な出歩く女性が急増して被害も増えている……と書かれていますね」

「なんだその奇行は」

「その女性達を誘おうと、男性達までもが街に繰り出しているとか」

「夜会でやれ、夜会で!」


 不確かな、憶測でしかない情報だけを元に行動する。そんな人々に、アルベルトは鋭くつっこみを入れた。どうしてそうなるのかと問い詰めてやりたくなるくらいには不可解だ、勝手に犯人像にされた身としてはたまったものではない。

 というか、どうしてアルベルトがそんな事をすると思われたのだろうか。まったく馬鹿げた話だ、と吐き捨てるように溢したアルベルトは、ゆったりとお茶を飲んでいたはずのリリアンが、不思議そうな表情を浮かべているのに気付く。


「まったく。無礼だとは思わないか、リリアン」

「そう、ですわね……」

「リリアン?」


 何かあったのだろうか、と首を傾げるアルベルト。リリアンもまた首を傾げ、とんでもない爆弾発言をした。


「でも、お父様ってそういう所がおありですよね」


 ぴしり、と空気が凍りついた。


「……………………は?」


 長い沈黙の後、ようやくそれだけを絞り出したアルベルトと違い、ゴットフリートとフリージアとベンジャミンは、あまりの事に硬直してしまっている。


「り、リリアン、それは、どういう」


 青褪め、アルベルトはひくひくと頬を引き攣らせた。


「まさか、リリアン。は、犯人が、私だとでも、そう言うのか?」

「えっ?」


 リリアンは、アルベルトを見たままぱちぱちと瞬く。そして、何かに気付いたようにハッとした。


「ああいえ、そういう意味ではなくて。ただ、そういう不可思議な事をなさっても、不思議じゃないなと、そう思ったんです。だってお父様、何でもできますでしょう? 夜の間に王都へ行って帰ってきていても、おかしくないのかしら、って。実際、夜中は何をなさっているか、分かりませんもの。そういう……そうね、ミステリアスな所がおありだから」


 そう言うリリアンの瞳は、まったく父親を疑っていない綺麗なものだった。きらきらと朝日に輝く瞳は、いつも通り美しい。が、今はその美しさがかえって辛い。純粋に、疑っていないからこその発言だったのだろうが、そういう事をしてもおかしくはない、と言われてしまったアルベルトはがっくりと項垂れる。

 それを見ていたゴットフリートは、ついに大きく肩を揺らした。


「だぁーっはっはっは! 随分と愉快な事になっとるじゃないか!」


 それをきっかけに、フリージアもベンジャミンも、シルヴィアを始めとする使用人達も肩を震わせる。さすがに声を上げて笑う者はないが、全員が全員、ふるふると震えている姿は異様だ。

 豪快な笑い声を上げる祖父を、リリアンは不思議そうに見ている。やはりリリアンはなんの悪気もなく、ただ感じたままを言ったのだろう。

 アルベルトは、笑うゴットフリートをギッと睨み付けた。


「うるさいぞ、クソ爺」

「お前にそんな趣味があったとは、知らなんだ」

「やかましい。そんなはずないだろう! 大体、私はずっと領地に居た!」

「昼間はそうみたいだが、リリアンの言う通り、夜はわからんしなぁ」

「言っていろ!」


 罵り合う祖父と父の姿に、リリアンはますます首を傾げる。


「お祖母様、わたくし、何か悪い事を言ってしまったかしら……?」

「気にしなくていいわ。あの人達がちょっとおかしいだけだから」

「そう……?」


 まだよく理解していないリリアンの頭をそっと撫で、フリージアは柔らかく微笑む。その直前に息子を笑っていたとは思えない慈愛に溢れた姿だ。

 その姿を、アルベルトは苦々しく見る。フリージアはまだいい、しょうもないと言いたげな視線を向けてくるだけだから。厄介なのはこの筋肉爺だ、孫までいるいい歳をしておきながら、子供のようにアルベルトを馬鹿にしてくる。そういう事を、立派な大人の自分にしてくる所が本当に子供っぽいから、アルベルトはゴットフリートが堪らなく気に入らない。

 爺の態度にはもちろん腹が立つが、それよりも何よりも、先のリリアンの言葉の方が問題だ。


(夜中出歩いて、妙な事をしでかしても不思議ではない。ミステリアスと言われると聞こえは良いが、要は訳の分からん男だなどと、リリアンに思われただと……!?)


 リリアンの前では完璧な父親のつもりでいたアルベルトは、全身を打ったような強い衝撃に苛まれていた。

 心外だ。アルベルトは、リリアン以外には一切興味が無いというのに。頼まれてもその辺の女性を襲ってたまるものか。そんな事をしたって、アルベルトには何の利点も無いのだから。

 そもそもこの犯人は、何を目的としてこんな事件を起こしているのかも不明だった。まさか本当に生き血を啜っているのだろうか。だとしたら本当に不本意だ。アルベルトがそんな事をしていると、リリアンに思われてしまったのだ。

 それを思うとむかむかしてきた。こんな記事が書かれなければ、リリアンに疑われる事もなかったのに。アルベルトはギリッと奥歯を慣らして、新聞を睨み付けた。


「もういい。王都へ行ってくる」

「アルベルト様?」


 ベンジャミンの声を無視して、アルベルトはリリアンに視線を移す。


「いいかリリアン、夜は絶対に一人にならないように」

「え、ええ。それは分かっていますが……」

「警備も増やすか。あの筋肉爺もそれなら役に立つだろうし」

「おい、誰が筋肉爺だ」

「事実だろうが。反応したという事は、自覚があるんじゃないのか?」

「お前がこっちを凝視しながら言うからだろうが!」


 ゴットフリートが叫ぶのも無視して、アルベルトは居間を飛び出した。リリアンが気遣うような仕草をしていたのを心に刻み込む。やはりリリアンから向けられるのはああいうのでないと。断じて変質者だと疑うものであってはいけないのだ。


「ふざけた記事を書いた事を後悔させてやる」


 やる気を漲らせるアルベルトはそう呟いて、ニヤリと口角を上げた。

 その表情はまさしく、獲物を狙う捕食者のようで――噂を裏付けているかのように見えて、ベンジャミンは頭を痛めた。



◆◆◆



「お前を信じた僕が馬鹿だった」


 と、そう言うのは、王都でマクスウェルの補助をしているレイナードだ。

 吸血鬼(仮)は夜に活動しているので、日中は書類の処理をし、休憩と仮眠を済ませてから、マクスウェルの言う作戦を実行すべく準備を進める。が、室内にあった道具を見て、レイナードの表情が歪んだ。抵抗しようとしたのを数人掛かりで宥め、衣装を変えさせた。途中、騒ぎを聞きつけた王妃シエラが割り込んで来たのは想定外だったが――お陰で完成度は格段に上がった。シエラの登場にレイナードが戸惑っている間に、化粧を施した。それが終わればこの通り、誰もが振り返る淑女の出来上がりだ。


「こうして見ると、面影があるわねぇ」


 母親の言葉に、マクスウェルが瞬いた。


「それは、レイの母親の事ですか?」

「ええ。お化粧のせいかしら、ソフィアに似ているわ」

「へえ」


 マクスウェルは、その人物とは幼い頃に会った事があるが、記憶は朧げだ。が、肖像画では見た事がある。確かにレイナードと同じ色をした綺麗な女性だったが、良く知る従兄弟と似ていると思った事はない。それはきっと表情のせいだろうな、と思っていたが、そうとも言えないらしい。肖像画の貴婦人は優しく微笑んでいるが、その息子のレイナードがそんな顔をするのは妹の前でだけ。マクスウェルに向けられるのはこの通り、冷ややかなものだけだ。

 マクスウェルに冷めた視線を向けるレイナードは、不機嫌を隠さない。だがそれも一つの魅力に思えるのだから不思議だった。

 髪は、肩まであるのをいつもは一つに纏めているわけだが、それを下ろしているだけで雰囲気が変わる。色紐も使って編み込みをし、ハーフアップにすれば別人のようだった。元々女顔で雄々しさというのとは縁遠い彼の事、品の良いワンピースを纏っておしろいをはたけば、それだけで美女になった。マクスウェルはアルベルトの女装姿も見ていたが、どちらがより美人かと問われると優劣付け難い。衣装なんかも含めるとアルベルトの方が格段に華やかで、誰もが認める美女だったが、レイナードはそれとは違った、繊細な美しさがあった。彼の容姿が母親似であるのもそう思える要因の一つだろう。虚な目でマクスウェルを睨み付けていなければ、深窓の令嬢と言って差し支えなかった。

 ともあれ、その出来栄えはマクスウェルの思惑通りだ。うんうん、と頷いて、マクスウェルは口角を上げる。


「いい作戦だろ。女性ばかりが狙われるのなら、女性になる他ないってわけだ」

「だからってなんで僕が」

「お前が一番似合いそうだったからな。他の奴を見ろ、とてもじゃないけど無理だ」

「…………」


 ちらりと見る先は、マクスウェルの直属の部下達。誰もががっしりとした体格の、男臭さのある騎士だ。彼らが女装して囮になるのは荷が重いだろう。下手をしたら、作戦を知らない市民に通報される可能性さえある。

 だったら女性騎士に囮役をやって貰っても良さそうなものだが、自分の身を確実に守れそうな人物が囮を務めた方が良い、と言われてしまった。多分というか、ほぼ確実にレイナードに女装させたかっただけだと思う。


「綺麗よ、レイ。自信を持ちなさいな。ほらほら、そんな顔しないで、笑ってごらんなさい」

「…………」


 シエラにそう言われるも、とてもじゃないが微笑んでいられない。むすっとした表情は崩さす、ぷぷ、と笑いを洩らす従兄弟を、レイナードは睨み付ける。


「マクス、覚えてろよ」

「まあ、そう言うな。良く似合ってるぞ」

「嬉しくもなんともない」

「リリアンが見たら喜ぶんじゃないのか」

「あら、いいわね。見せてあげたらどう?」

「……リリーならまだいい。だけど絶対に、父上にだけは見られたくない」

「……ま、そうだろうな」


 レイナードの言葉に、マクスウェルはこれを見たアルベルトの姿を想像してみた。まず間違いなくからかって来るだろう。自分も同じ事をしたのは棚に上げて。


「叔父上は領地なんだろう? 見られる事は無いだろうよ、安心しろ」

「……誰が囮をしたのかは」

「わかってるって。漏れないようにする」


 言ってマクスウェルは窓の外に視線を向ける。時刻はすでに夕刻、星が瞬いているのが見える。女性達が襲われたのはもう少し遅い時間だったが、このくらいから街に出る者が増えているという話だ。それに紛れるという意味でも、より長い時間囮をするという意味でも、今から街に出るのは悪くない。


「よし。行こう」

「気を付けて行ってらっしゃいね」

「もちろん」

「レイもね。変な男に、着いて行っちゃダメよ?」

「……はい」


 うぷぷ、と吹き出すマクスウェルと、それを小突くレイナード。そんな二人を楽しげに見送るシエラ。これから犯罪者を捕まえに行く様には見えない姿である。

 そうしてシエラに見送られ、マクスウェル達は被害の多い区画へ向かった。レイナードには目立つ場所で人を待つ風で立っていて貰って、マクスウェルと数人の部下がそれを見やすい位置に潜んだ。何かあれば、レイナードなら土属性の魔法で犯人を拘束出来る。その隙にマクスウェル達が飛び出せばまず逃がす心配はないだろう。街を巡回する騎士も居る事だし、あとは標的がレイナードを狙ってくれれば一気に解決するだろうと、マクスウェルはそう考えていた。

 が、十五分ほど経った頃、この作戦は失敗だったかもしれない、と考えを改めた。


「うわ、君、綺麗だね。なになに、待ち合わせ?」

「君みたいな可愛い子を待たせるなんて悪い奴だな。そんな奴放っておいて、俺達と飲みにいかないか?」


 着飾ったレイナードがナンパされている。驚くなかれ、彼らで二組目だ。たったの十五分で、である。


「ね、どう? 奢るからさ」

「それとも友達待ってんの? 女の子? なら、皆で行こうぜ。な?」

「…………」


 会話がばっちり聞こえる。レイナードは俯いているのでどんな表情をしているか分からないが、笑っていない事は確かだ。

 一組目は通り掛かった巡回の騎士が追い払ったが、今その騎士はもう道の向こうに行ってしまっている。それを見計らって二組目の男達がレイナードに声を掛けたのを見て、マクスウェルはひっくり返りそうになった。

 実はマクスウェルも感覚が麻痺していたのだ。レイナード達ヴァーミリオンの一家も、それからマクスウェルの親族や婚約者なんかも、なかなかの美形揃いだった。それを見慣れたマクスウェルや部下達からすれば、着飾った女装姿のレイナードは確かに美しかったが、そういう存在は他にも居るからとその程度の認識だった。が、街にそれだけの女性が居るかと言われると、居ないわけではないが少ない。しかも明らかに上質な衣装と装飾品を身に付けている。いくら貴族の女性が出歩いていると言っても、一人佇むレイナードはあまりにも目立っていた。その美しさが故に。

 作戦はまだ始まったばかりだ、この後も同じように声を掛けられるに決まっている。レイナードがどう対処するのかと、マクスウェルは見守っていた。決して誓って言うが、面白がってなんていない。ただ純粋に、あのレイナードがこの事態にどういう反応をするのか、興味があるだけだ。

 レイナードを気遣ってか、部下が「殿下……」と声を上げるのを押し留め、息を潜める。


「ね、どう? 悪いようにはしないよ」

「…………」


 一言も発さないレイナードに、なおもアタックを続ける男。やがてレイナードがその男に視線を向けた。


「うわっ、激マブ」


 と、一人の男が呟いた時だった。レイナードが、持っていた傘を男達へ向けていきなり広げた。目の前に急に傘が現れ、驚いた男達は尻餅をつく。

 それに気を向けるでもなく、平然と広げた傘をさして無視を決め込んだレイナードに、男達はもうこれ以上は無駄だと察したのだろう。決まり悪げに、すごすごとその場を去って行った。


「へえ、やるなぁ」


 マクスウェルは一連の流れをそのように評した。声を出すと男だとバレるから、声を出さない方法で追い払ったのだろう。別にバレてしまうのは構わないが、なんでそんな格好をした男がいるんだ、という視線を向けられるのを嫌っての事だろうと予測がつく。

 レイナードは少しすると広げていた傘を閉じて、それまでと同じように待機している。そう言えば、あんな傘持っていたっけ、とマクスウェルは首を傾げたが、ああして使い道があるのならいい小道具になるだろう。引き続きマクスウェルも待機する事にした。

 それから十分後、次のナンパ男がやって来て、マクスウェルは頬を引き攣らせた。



◆◆◆



 レイナードが囮役として、十一組目のナンパ男を相手にしている頃。この男も王都に到着していた。


「被害が集中しているのは東側だったか」


 ヴァーミリオン領から駆け付けたアルベルトだ。いつものように馬を急がせ王都に着くと、早速吸血鬼被害の多い区画へと向かった。


「東には騎士が多く巡回しているようです」


 答えたのはベンジャミンで、彼は馬の手綱を操りながら器用に手帳を開いている。


「徐々に南へ移動しているようにも見えますが」

「たまたまだろう。意味があるとは思えん」

「では東へ?」


 街灯の明かりの中、二人は馬を歩かせる。西から王都を横断するように進んでいるわけだが、最初に吸血鬼が現れたとされる被害は、むしろ西で起きている。それが急に東で連続して起きるようになり、少しずつ南へと移動している。

 ならばその先で次の被害が起きそうだと予測がつくが、なんとなくアルベルトはそうではないような気がしてならない。というのも、今いる西側に、なにかの存在を感じるのだ。


「本当に飛んでいるのなら、どこで起きても不思議ではないが……」

「飛んで、ですか。確かに吸血鬼と言えば、空を飛んで移動すると言われていますね」

「あれが動くかと言われるとそうは思わんな」

「あれ? ……アルベルト様、何か見えているのですか」

「見えはしない。が、居るようだ」


 居る、と呟いて、ベンジャミンは息を呑んだ。


「吸血鬼が、ですか」


 と思わず声に出した時、二人は丁度広場に入った。夜でもそれなりに人通りのあるそこは、新聞にあったようにドレス姿の女性と、その女性達を目的にした男性達とであちこちに人集りができている。昼間ほどではないが、この時間にしては賑やかだ。繁華街から距離のあるこの場所でこの人手。これは、相当な人間が夜に彷徨いている事になる。

 呆れて目を細めたアルベルトが広場を見渡していると、新たにやって来た紳士を物色しようとした女性が、「キャアッ!」と声を上げた。


「あ、あああ、アルベルト様っ!?」


 その声に、広場中の視線が一斉にアルベルトへ向いた。


「ええっ、嘘!」

「ほ、本物?」

「そんな、まさか!」

「でも見て、あの銀髪、間違いないわっ!」

「なんてことなの……!」


 どよめきが広場中に広がる。女性達の声を聞いて、男性達も次々とアルベルトへ視線を向けた。


「おい、嘘だろ」

「いやだが、あれはまさしくヴァーミリオン公で間違いない」

「ええっ、本当に?」

「凄いわ、本当にアルベルト様なのね!」


 女性達は、喜んでいるような、歓声に近い声色で囁き合っているが、男性達はどちらかというと困惑しているのに近い。


「じょ、冗談だろう。おいお前、確かめて来いよ」

「ふざけるな、自分で行け!」

「なんであの方がこんな所に……ま、まさか」

「そんな。本当にアルベルト様が……?」


 そのうちそんな声までもが上がって、アルベルトはすっと目を細める。


(正気かこいつらは。そんな事をする人間が本当に居ると思っているのか)


 アルベルトには、彼らの方にこそ、そんなまさか、と言ってやりたい思いだった。あんなくだらない憶測を見て、実際これだけの人が街に居る。その事が異常だというのを理解していないばかりか、この場にアルベルトが現れた事で、憶測が真実であるかのような反応をしてみせる。


(いや……正気なはずがないな。あんな記事を真に受けて夜中に出歩くのだから、真っ当な人間ではない)


 ならば無視の一択だ。感情の全てを顔から消し去ったアルベルトは、広場に居る人々を一切視界に入れず、馬を進ませた。

 広場には確かに騎士の姿も見える。相当な警戒体制だ、こちらを見て目を離そうとしないのは遺憾だったが。容疑者扱いはやめて貰いたい。

 アルベルトが感じ取っていた何かの気配は、広場の先から動いていない。探るように前方を見据えるアルベルトに並んだベンジャミンが、その様子を伺った。


「どこに居るのか、お分かりですか」


 とそう聞けば、アルベルトは眉を顰める。


「妙な魔力だな。なんだこれは」

「魔力?」


 今度はベンジャミンが眉を顰めた。吸血鬼というのは、人の生き血を啜って生き延びる不老の人間だというのが一般論で、どういう理屈でそうなっているのかは分からない。というか、御伽話に語られているだけの存在なのだ。実在するかはかなり怪しい。骨や鱗の一部が遺され、歴史書にある竜の方が、まだ身近な存在だった。そんなものが居るはずがないと、だからこそ新聞社が今回の犯人をそう表したはずだ。

 だが、アルベルトが何かしらの魔力を感知している、というのは見過ごせない事実だ。それがなんであれ、王都に居て良いものではないだろう。

 これは本格的に知らせを入れた方が良いだろうと、ベンジャミンが巡回の騎士へ視線を向けた時だった。突然、広場を突風が駆け抜ける。


「きゃあっ!」

「何だ!?」


 誰もが驚き、声を上げる。ごう、と吹き抜けた風は妙に生温かく、どこか生臭い。それに気が付いた者から順に、風が駆け抜けていった方向を見て息を呑んだ。

 広場を見渡す時計台の天辺に、黒い影があった。影は月を背景に、黒いマントで身体を隠し、人々を見下ろしている。白い頭髪で、青い目をしている影。それは王都を騒がせているモノで間違いないだろう。


「きゅ、吸血鬼だ!!」


 その叫びが広場に響くと、一気に恐慌状態へ陥る、かに思えた。影を視認したアルベルトはポケットから青い筒を取り出すと、蓋をピンと親指で弾いて外し魔力を込める。筒の中から青い砂が上がって来て、筒はあっという間にナイフに変化した。

 そのナイフを、風の魔法を使って影目掛けて投げ付ける。全力で投げたナイフは、広場の端から端までを飛んで見事に影の頭部を貫いた。

 どしゃり、と影が地面に落ちて、今度こそ悲鳴が上がった。


「アルベルト様、なんて事を」


 それを見たベンジャミンが慌てるが、アルベルトはどこ吹く風だ。


「よく見ろ。さすがにこんな往来で人を殺したりしない」


 カッポカッポと蹄を鳴らし、馬を歩かせる。人々は驚いたり恐怖を感じたりと様々な表情で遠巻きにしており、被害者は倒れたままだ。巡回していた騎士達が慌てて駆け寄るものの、アルベルトを気にしてか、野次馬を押さえるに留まっている。

 先駆けてベンジャミンが近付いてみれば、騎士達が困惑している理由が理解できた。


「これは……魔物ですか」


 地面に伏せている被害者は、人間ではなかった。真っ黒なそれは、飛膜を持った大きなコウモリだ。


「そうだな。本来なら、山奥に居るようなやつだ」


 大きさは人の身丈ほど。小柄な女性であれば脅威に感じる事だろう。頭の体毛だけが白く、コウモリなら通常赤いはずの目が、青かったという情報がある。大きさといい、特徴といい、この個体は変異種のようだ。


「なるほど。翼がマントのように見え、飛ぶように去っていたのは本当に飛んでいた、と。しかし、どうしてこんなものがこの王都に?」

「さて、な」


 馬上から見下ろし、アルベルトは鼻に皺を寄せる。コウモリ型の魔物は、大抵森の中の洞窟や大木の虚に棲み着いている。街中にまったく居ないわけでもないが、これ程大型の魔物となるとまず人の住んでいる場所には近付かないものだ。それなのに街中に現れ、しかも人を襲った。はっきり言って異常だ。街には車を引く馬もいる、近郊ならば牧場だってある。それら動物を狙わず、人を襲う理由が分からない。

 先日の巨大蝗といいこのコウモリといい、どうにもきな臭い。だがそれはアルベルトの知った事ではない。不機嫌を全面に押し出して、ふん、と鼻を鳴らす。


「まったく、これのどこが私だというんだ。名誉毀損と言うのじゃないか」

「まあ、目撃情報がほとんど無かったようですから」

「それにしたって酷いぞ、これは」

「遠目では人っぽく見えたのでしょう。現に私にもそれらしく見えましたし」

「それらしく、とはどっちだ。人の様に見えたのか、それとも私に見えたのか」

「おや、お疲れ様です。ナイフを回収して下さったのですか、それはどうも」

「おい、無視するな」


 アルベルトの追及を躱し、ベンジャミンは巡回の騎士から青いナイフを受け取った。コウモリの体液は綺麗に拭ってある。気の利くことだ。


「なんにせよ、これで解決ですな。ようございました」

「は? なにも解決していないが」

「は」


 馬から降り、ベンジャミンの手からナイフを奪い取るアルベルトは未だ険しい表情のままだ。眉間にくっきり皺を寄せ、苦々しく吐き出す声は低い。

 ナイフを筒の状態に戻したアルベルトは、おもむろにコウモリの死骸を掴み上げる。


「こんなもののせいで……!」


 コウモリの魔物らしく、死骸は見た目よりずっと軽い。力を込めると折れてしまいそうだった。握り締めそうになるのを堪え、アルベルトはそれを持ち上げたまま街の中央へと向かう。


「アルベルト様、どちらへ?」


 と、そう呼びかけるベンジャミンの声はアルベルトには届いていない。


(こんなもののせいで、リリアンに疑われたなど許せるか! とにかくリリアンの疑惑を晴らさなければ)


 怒り狂うアルベルトはそのまま街道を進む。魔物を掲げたままの姿に道行く人々が驚いているが、それらはアルベルトの視界に入っていなかった。

 ついでに、曲がり角の向こうから聞こえる声も聞こえていなかった。


「うーん、向こうの通りに行ってみるか」

「まだやるのか」

「そりゃあそうだろ、お前、明日もその格好で街に出たいか? 今夜しかチャンスが無いじゃないか」

「この作戦は失敗だと思う」

「そうかあ?」

「そうだろう、標的が一向に現れないんじゃ」

「だからこうして場所を移すんだろ。さっきあっちの方に妙な魔力を感じた事だし、行ってみよう」


 そんな声の主達と四つ辻でばったりと出会す。出会った相手に、真っ先に気付いたのはマクスウェルだ。


「あっ」


 それにアルベルトが反応する。


「何をやっているんだ、お前ら」

「え? 叔父上……? ど、どうしてここに!?」

「どうしてもこうしても。こいつを仕留めに来たんだ」


 アルベルトはコウモリを持った左手を掲げてみせた。


「うわ、なんだこれ」

「吸血鬼だ」

「吸血鬼……これが?」


 マクスウェルはそれを見て瞬く。やはり彼も伝承にある吸血鬼を想像していたのだろう。思ってたのと違うな、とまじまじとコウモリを眺め、眉間に皺を寄せていた。


「ああ、確かにこいつは吸血をするけど……この王都に、なんでこんなものが?」

「知るか」

「高身長って話だったのでは?」

「おおかた、飛んでいるのを見ての事だろうよ」

「なるほどなぁ」


 マクスウェルが魔物の死骸を検分するその後ろで、レイナードは顔を隠すように扇を広げていた。扇は〝リベラ〟を変化させたものだ。絶対にアルベルトに今の状態を見られたくないレイナードは、咄嗟にマクスウェルと騎士達の影に入ったわけだが、不自然に俯いたせいで怪しまれたかもしれない。内心ドキドキしながら二人の会話を聞いている。

 マクスウェルは、アルベルトの注意がレイナードに向かないよう、気を配ってくれているようだ。周囲の騎士達もそれとなく動いて、レイナードを隠してくれる。これなら誤魔化せるかもしれない、とそう思った時に、アルベルトの声が低く響いた。


「で、お前達は何をしている」

「え。あー、いや。それが、まあ」

「後ろに居るのはレイナードだろう」

「えっ」

「お前達の魔力を、私が見間違えると思うか?」


 と、そう言うアルベルトの視線はしっかりとレイナードへ向いていて――観念したレイナードは扇を閉じる。視線は合わせなかった。むすっとした表情のまま黙っている。マクスウェルは、無理矢理着せた負い目があるからか、アルベルトとレイナードの間に割り込んだ。


「吸血鬼の囮調査に、こいつを担ぎ出したんだ。女性騎士でも良かったけど、レイならもっと安全だから」

「それで女装というのは突飛だな」

「有効そうではあったんだけど、作戦としては失敗だったかな……」


 はは、と渇いた笑いを浮かべるマクスウェルに、アルベルトは眉を上げた。


「男にめちゃくちゃ声掛けられてた。二時間で二十三組」


 二十三、という呟きはベンジャミンのもの。驚愕とも取れるそれに、レイナードは気まずそうに顔を背けた。マクスウェルは頬を引き攣らせていたのだが、アルベルトは一人、ふうん、と眉を上げている。


「なかなか悪くないじゃないか」

「……は?」


 父親が何を言っているのか分からなくて、レイナードは思わずアルベルトへと視線を向けた。


「何がですか」

「だから、その姿が、だ。結果としてそれだけ男共の目を引いたのだろう? であれば良かったではないか。まあ、私の方が美しかったがな」

「別に綺麗になりたいわけではないので」

「何を言う、美しさは大事だぞ。囮としてやっているのなら尚更だ。女性らしく振る舞う事が求められているのに、そんな気概でどうする」

「どうする、と言われても」

「中途半端に照れるから中途半端に恥ずかしく感じるんだ。胸を張れ。堂々としてみせろ」

「できるわけないでしょう!?」

「だから駄目なんだお前は。出来る出来ないではなく、やらなければならない類いのものだと言っている」


 という父子のやり取りが繰り広げられ、マクスウェルは周囲の者を代表して一言溢した。


「なんの講座だ、これ」


 以前見た、ドレスを着て化粧をしたアルベルトの姿は確かに美しかった。妙に自信のある態度だったのはこういう理由だったとは。あの格好をするのに、それほどまでの気持ちで挑んでいたとは思わなかったというのが本音だ。それだけリリアンとのお出掛けに本気だったのだろうが、今この場でやって欲しいやり取りではない。

 同じ事を思ったのかどうかは分からないが、二人の間に戸惑ったようなベンジャミンが割り込んで、アルベルトを押し留めた。


「あの、アルベルト様。左手側が大変な事になっていますので」

「む」


 見れば、確かに魔物の死骸からは血が滴っていて、酷い有り様だ。


「そう言えば、それを持って、一体どこに行こうと?」


 そんな状態のものを、どこに運ぼうというのか。この道は城へ向かう道ではない。騒ぎの原因として、騎士団で預かる事になるだろうが、それなら近くの詰所か城に渡すはず。なんならこの場で手渡されてもおかしくないのに、アルベルトは一向に手放す気配はない。

 そうだった、とアルベルトはコウモリの首を握り直す。


「こいつのせいでリリアンに疑われた。だからそれを正しに行くところだ」

「リリアンに……? 正すって、何を」

「殿下、アルベルト様は新聞社へ向かおうとしているのです」

「新聞社?」


 ベンジャミンにそう言われてもどういう事なのか理解出来ない。なんのこっちゃ、と首を傾げるマクスウェルを無視して、アルベルトはすたすたと行ってしまった。

 それを見送っていたが、ハッとしたレイナードがマクスウェルの肩を叩く。


「マクス、追い掛けた方がいい」

「え? なんで」

「記事を見ただろう。あれを読んだリリーが父上に『父上ならやってもおかしくない』と言ったに違いない。それを正す為に、父上は王都に来たんだ」

「なら……アレを新聞社に投げ込む気か!」


 慌ててアルベルトの背中を視線で追うが、その姿はすでに街道の向こうにあって、マクスウェルはくしゃくしゃに顔を歪める。


「なんであんなに速いんだよ、おかしいだろ!」

「まあ、父上だから」

「なんなんだそれは……まあいい、急いで追い掛けるぞ」

「ああ、頑張れ」

「頑張れ、ってなんだよ。お前も行くんだよ」

「僕は先に城へ戻ってる」

「は? なんで」

「こんな格好の僕と新聞社なんかに行ってみろ。マクスの名誉に関わる記事を書かれるぞ」

「……そう言ってお前、その格好を見られたくないだけだろ」

「うん」

「正直だな!」


 言うなり、レイナードは城へ向かって歩き出す。その方向はアルベルトが行った方角とは真逆だ。どちらを追うべきか、と逡巡するが、どう考えても魔物の死骸を担いだアルベルトの方が社会的に有害だろう。マクスウェルは急いで、問題の新聞社へ向かった。

 その頃すでに新聞社に辿り着いていたアルベルトは、受付で止められたのを無視して内部を進む。編集部、という表示が見えたので、そこへ巨大コウモリの死骸を投げ入れた。

 突然の出来事に、当然部署内は騒然となる。あちこちから悲鳴が上がるが、アルベルトはその全てを無視した。


「良く見ろ! これのどこが私だと言うんだ!!」


 そして叫ぶ姿に、従業員らしき者達があちこちで目を白黒とさせている。まさか噂に名高い公爵本人が、こんな夜中に魔物の死骸を持ち込んで来るだなんて、誰が想像できただろうか。

 赤いもので濡れた死骸は鉄臭く、誰もがその場から距離を取った。血溜まりが出来て、周囲にも飛び散っている。吐き気を催したのか、青い顔で駆け出す者までいる始末だった。

 しかも、それを前にした男からは凄まじい怒気を感じる。驚愕と恐怖とで、冷や汗が背中を伝っているのに気付かない者が大半だった。じりじりと足が後ろに退がるのを止められない。


「あ、あれはまさか、ヴァーミリオン公?」

「どうしてウチなんかに」

「おい、ひょっとして、あの記事を見たんじゃ」


 そんな中、奥の部屋から顔を出す者があった。喧騒を聞きつけた編集長だ。


「こ、これは一体」


 彼は床に転がる魔物の死骸に顔を顰めるが、その先にアルベルトが居た事で全てを察したようだ。驚愕しつつも、すぐにアルベルトの元まで行くとその場で跪いた。その顔色は悪い。

 編集長が頭を下げた事で、従業員達も我に帰ったのだろう。次々とそれに従った。

 苛立ちを隠さず仁王立ちするアルベルトに、編集長は更に頭を下げる。


「こ、このような場所へ、ようこそおいで下さいました」

「来たくて来たのではない」

「ひ、あ、そ、それは」

「下らん記事を書くな。貴様らの言う吸血鬼、あれの正体はこれだ。良いか、すぐに真実を伝える記事を書け。正確にだ。偽りがあったのなら、今度こそ潰す。社会的にも、物理的にも」

「……!!」

「リリアンの誤解を解くんだ。早急に」


 アルベルトの怒気が、びりびりと彼らの肌に突き刺さる。息を飲み、指先を震えさえる事しか出来ない者共を、アルベルトは見下ろした。


「いいな」


 冷たく響く声に、ぐっ、と編集長の喉が詰まる。はい、と捻り出せたのは奇跡と言う他ない。

 言うだけ言って満足したのか、ふんと鼻を鳴らしたヴァーミリオン公は、踵を返して出て行った。魔物の死骸を残して。

 しばらくの間、全員が呆然とそれを見送っていたのだが、再び何者かが建物に入って来たらしい。どかどかと響く足音は数が多かった。その足音でハッとし、何かと固唾を飲んでいると、それは王太子マクスウェルと、彼が連れた騎士だった。彼らは室内の惨状に眉を寄せると、すぐに死骸の片付けを始める。


「……記事を」


 それを呆然と視界に収めていた編集長が復帰したのは、マクスウェルの指示で騎士達が血の痕を拭ってくれている時だった。従業員も手伝う中で、ぽつりと溢した編集長は一人、かっと目を見開いて叫んだ。


「記事を! 吸血鬼の正体を書いた記事に差し替えだ! 急げ、明日の朝刊に載せるぞ」

「そんな、今からですか」

「当たり前だ! でなければどうなるか……!!」


 豹変した編集長の、その目は血走っていて――それでマクスウェルは大体の事を察した。


「叔父上の脅しは……本当に良く効くなぁ」


 まあ、脅しではなく本心からの脅迫だから、余計に効くのだろう。今回の事に関しては煽り過ぎた新聞社が悪いと、マクスウェルはそう思っている。魔物の死骸を放り込まれたのは憐れだが、良い薬になっただろう。慌ただしくなった建物から死骸を運び出し、マクスウェルも新聞社を後にした。



◆◆◆



 王都を騒がせた吸血鬼、もとい魔物が討伐されたという記事が一面に載ったのは翌朝の事だ。本来ならば、人の多い王都に現れるはずのない種類の魔物が正体。それを人に見間違えたのだろうという見出しで、討伐したのは噂されていたさる高貴な人とあったから、人々はすぐに真相を察して口を噤んだ。己に不名誉な噂を流され、激怒したヴァーミリオン公が討伐に名乗りを挙げたのだと、そう思ったのだ。

 それは半分真実で、半分は真実ではない。が、それを知るのはやはり、アルベルトに近しい一部の人々だけだった。


「まあ。そんな魔物が王都に?」

「もう大丈夫だ、リリアン。私が倒して来たからね」

「そう、それは安心ね。被害に遭われた方は大変でしょうけれど、これ以上怪我をする方がいなくなって、本当に良かった」


 王都から領地のリリアンの元に帰ったアルベルトは、発行されたばかりの新聞を手にしていた。無言で差し出されたそれを受け取ったリリアンは、それだけで全部終わったのだと悟った。「お疲れ様でした」と笑顔で父を労う。それでアルベルトにも笑顔が戻った。

 新聞を広げ、ソファに座るリリアンの隣に腰を下ろせば、優しい彼女はアルベルトが座りやすいように避けてくれる。もう、それだけでアルベルトの機嫌は上向く。


「私ではなかっただろう?」


 一瞬、リリアンはきょとんとするが、すぐに何の事なのか理解したようだ。ふふ、と微笑んで、それをアルベルトに向ける。


「ええ、そうね。変な事を言ってごめんなさい、お父様」

「リリアンが分かってくれれば、それでいいさ」


 そのリリアンの微笑みを愛でるアルベルトは、心の底からそう言って、愛しい子の頭を撫でる。昨夜、血みどろの魔物を手にして、新聞社へ殴り込みをかけたとは到底思えない姿だ。

 反応に満足したアルベルトは、ご機嫌でリリアン撫でていたのだが、そのうち何かを思い出したらしいリリアンが、ふと視線を上げた。


「ところでお父様、王都でお兄様にお会いしませんでしたか?」


 ああ、それか、とアルベルトは息子の姿を思い返す。


「会ったな。綺麗な格好をしていたぞ」

「綺麗な格好……?」

「リリアンが頼めば、見せてくれるんじゃないか?」


 笑顔でそう答えるアルベルトに、今度こそどういう事なのか分からなくて、リリアンは首を捻った。そして王都から戻ったレイナードを質問攻めにしたのだが、兄がはっきりと事実を述べることはなかった。


「ねえお兄様、王都でなにがあったの? 綺麗な格好ってなんのこと?」

「すまない、リリー。答えてやれない」

「ええっ、どうしても?」

「……勘弁してくれ」


 妹の願いは叶えてやりたいが、これだけは譲れないと苦悩するレイナード。いつもはそれを察するのに、今回はなぜか、リリアンはなかなか退いてくれない。


「どうしてそんなに知りたがるんだ?」

「だって、お父様が楽しそうに仰ったから」

「……くそ、あの人は本当に……」


 レイナードは、アルベルトの様子を思い返す。いつもよりにやついたあの表情からは、どういうつもりなのかまでは分からなかった。

 それはいつぞや、嵌められて演習に担ぎ出されたアルベルトなりの意趣返しだったのだが――遠回し過ぎて、レイナードに伝わったかどうかは定かではない。




 後日、新聞社から、リリアンへ宛てた謝罪の手紙が届いた。手紙の内容は吸血鬼騒動に関わるもので、ぼかして書かれてはいたものの、まるでアルベルトが関わっているように読み取れたのを詫びるものだった。リリアンを誤解させてしまい大変申し訳ない、とあったが、リリアンには何の事なのか、さっぱり分からなかった。分からなかったが、なにかが解決したのには間違いがないらしい。受け取った手紙をアルベルトに差し出すと、満足げに頷いたからだ。


「なんだかよく分かりませんけれど、誤解が解けて良かったですね、お父様」

「ああ、そうだな」


 リリアンに向けられるのは、いつも通りの笑顔。普段通りのアルベルトだ。その顔に安堵したリリアンは、ふわりと微笑むのだった。


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