14.愚者は月を欲し天の怒りを買う①
大陸の南部には、人の侵入を拒む険しい山脈がある。岩と岩石、それから魔石でできた山脈は、人にとっては類い稀な資材の宝庫だった。故に、希少な鉱石を求める人が後を絶たなかった。だが濃い魔力に群がる魔物も多く、採掘は現代に至っても遅々として進んでいない。
山脈からの魔力で植物も独自に進化し、山を覆った。それで一層人は立ち入る事ができない。魔物と広大な森林、それから山脈の険しい隆起。全てが人を遠ざけた。
その一帯は『アジルテ・ベオ』と呼ばれ、近隣諸国では不可侵であり、人の世界ではないと位置付けられている。どこの国でもなく、ある意味で魔物やそれに準ずるものの棲まう場所とする事で、誰の手からも遠ざけたのだ。
それでも希少な鉱脈はある所にはあるものだった。アジルテ・ベオの西方、ここナルマフ王国では、険しい山に入る必要もなく、比較的浅い箇所に運良くミスリル鉱脈を見つけた。それを独占し、他国に融通する事で独立を果たした。
国土は小さく他に特産があるわけでもないが、それでも強国相手に渡り合ってきたのだ。それはひとえに過去玉座に着いた者達が思慮深く注意深かったためであろう。
ただ、愚か者はどこにでもいるものだ。
「それは誠ですか、父上」
ナルマフ王国は現在岐路に立っていた。
今代の王が「後継者を決める」と朝議の場で息子二人を含む重鎮達の前で発言したのだ。ざわり、と場が騒めく。
最も大きな反応を示したのが、先ほど声を上げた第二王子であった。名をヘラスという。
ヘラスの言葉に王は力強く頷いた。
「うむ」
それでまたざわりと沸いた。おお、ついに、という声があちこちから上がる。それを背後に、ヘラスはにやりと口角を上げた。
(ようやくか……!)
ヘラスには兄がいる。兄は、ヘラスと違って側妃から産まれた。側妃は隣国の貴族の娘だが、さして爵位の高くない家の出身だ。対してヘラスは正妃の子、しかも正妃はこの国の王家の傍流の出である。母親の実家の位が、そのまま子の位に直結するのがナルマフ王家だ。何年も先に産まれはしたものの、兄よりも自分の方が後継者になってしかるべきであると、ヘラスはそう考えていた。
ようやく後継と名乗る事が出来る。ヘラスはこの時そう考えたのだが、ヘラスとヘラスの母を除き、大半の者はそうとは思っていないようだった。すっと視線を動かせば、朝議に参加している者のほとんどが兄キリウスの方を見ている。
「まずキリウス殿下で間違いないだろう」
「そうとも。覆るのはあり得ぬ話だ」
「王に相応しき人格と頭脳。次代は安泰だの」
「いくら正妃の子とは言え、あれでは対抗馬にもならん」
「これ、声が大きいぞ」
ひそひそと声を潜めているようだが、その囁きはヘラスにも届いた。あえて聞かせようという腹かも知れぬ、弱く愚かな者どもが、正面切ってヘラスに物申すとも思えない。
だが、あまりにも囁きが多い。そのどれもがキリウスを推し、ヘラスを悪様に言うものだ。その事にヘラスはぎりっと拳を握りしめた。
「馬鹿共め。黙れ!」
その拳を、ヘラスは机に叩きつけた。どん、と激しく鳴る音に、周囲の者達が首を竦める。
「俺は正妃の子だぞ。後継は俺であろうが! 兄上が優秀だと貴様らは言うが、それは貴様らの頭が足りておらぬからよ! いつからこの国は卑しき者を国主とするようになった。貴様らはその血を尊ぶとでも言うのか!」
「な、なんという事を」
「側妃様を愚弄するのは、隣国を愚弄する事と同義でございます!」
「やかましい! 側妃の子である兄上を担ぎ上げる事は、正妃の子である俺を愚弄する事と同義であろう! すなわち正妃を愚弄する事だとなぜ気付かぬ!!」
多くの者が、そのヘラスの言葉に絶句した。無言でふるふると首を横に振る者も居る。ヘラスの言葉には道理があるようにも見えるが、主張がいささかおかしい。国の中枢を担う彼らを愚弄する発言をしておいて、己の事は愚弄するなとそう言うのだ。そういう所が、ヘラスがキリウスに敵わないと言われる所以なのだが、当の本人はそれを理解していないらしい。分かりやすく皆が顔を歪める。
「ヘラスよ、そこまでだ」
そこへ、王の静かな声が響いた。
「しかし父上!」
「それ以上の発言はこの場では許さぬ。よいな」
じろりと己を見る王の視線に、ヘラスはぐっと声を詰まらせる。それを一瞥して王は室内を見渡した。
「いつ、どのようにするのか。それは追って知らせるとしよう」
その言葉で、場を締め括った。そそくさと退室する重鎮達を、苦々しく睨みつけるヘラス。その後椅子を蹴り飛ばし、どかどかと足音を立てて彼も部屋を出て行った。
それを見届けたキリウスは、重く息を吐いた。
「ふん、馬鹿共が!」
朝議が終わって自室に戻ったヘラスは声を荒らげる。父親がどう思っているかは分からないが、大臣達重鎮はあのようにキリウスを支持しているのは明白だ。部下からの信頼も厚く、卒なく公務をこなすキリウスの存在は、ヘラスにとって目の上のたんこぶだった。待ち望んだ正妃の子、しかも男児であったというのに、ヘラスがキリウスより優先された事など一度も無い。あからさまな冷遇も無いが好遇される事も無い。
例えば、キリウスが贅沢をしないので、ヘラスも祭事などでは控え目の装いにされる。それにはヘラスもヘラスの母も納得がいかなかった。兄が使っていないのならば予算が余るだろう、ならばその分、自分が使って何が悪いと言えば苦言を呈されるばかり。ヘラスはその恨みを兄に向け募らせていた。兄はいつも何も言わないが、その代わりヘラスに視線を向けて、はあ、とため息をつくのだ。その視線から、ヘラスはキリウスの言いたい事を感じ取っていた。
『しようのないやつめ。まったくもって愚かなことだ』
もちろんそれは、言葉で聞いた事はない。だがヘラスには確かに聞こえていた。
ぎりぎりと拳を握る。ともかく、状況は悪い。それをなんとか変えなければ。
そう思って数年、結局なにも成果を出せないまま、ついに王が後継者を決めると言い出してしまった。だが裏を返せば、これは最大のチャンスと言える。かつてないこの状況、これを利用すればいいだけだ。
ヘラスは拳を解いて乱暴に資料をひっくり返した。
「どこかの国に、年頃で婚約者のいない令嬢は居ないか」
子の位は母親の位で決まる。ナルマフはそういう国だった。彼らの子が、ゆくゆくは次代の王となるであろうから、兄キリウスにも、しっかりとした身分の婚約者がいる。ヘラスにももちろん居たが、何かにつけて諫言してくる喧しい女に関心はなかった。気位だけは高くて肩すら抱けない女、身分くらいしか価値がない。だが、その女もキリウスの婚約者と比べると若干劣る。爵位は同等、そうなると古くからの血筋がものをいう。それで言えばキリウスの婚約者はこれ以上ないものだった。王国が出来る前から続く家で、国の立ち上げにも深く関わっていた。しかも本人の器量も良く賢い女だという。儚げな風貌で、ヘラスもあれならと思ったものだ。だが、ヘラスを見る彼女の視線は、兄と似たものがあった。それで一気に嫌悪が沸いた。
そのキリウスの婚約者よりも、身分の高い女。あるいは力を持った家の娘。それを娶り、大量の持参金を得られれば国益にもなる。そうすればきっとあの頭の悪い連中もヘラスを認めるだろう。
そう思い、集めさせた近隣諸国の人物リストを片っ端から見ていく。だが、名前と家名に続く年齢の欄にまで視線を巡らせ、ヘラスは声を荒らげた。
「四十一!? こっちは三十五……なんなんだ、これは!」
正直言ってろくな人物がいない。ヘラスよりもかなり年上の女性ばかりが並んでいる。中には六十過ぎというものまであった。これを作った者は、ヘラスの思惑が分かっていないのだろうか。
「ええい、これも、これも、これも! どれも駄目ではないか!」
ヘラスは叫んだ。自分と同じ年頃の少女の記載がどこにもないではないか、と。それもそのはず、十八前後とあれば結婚適齢期だ。大半の男女が婚約しているか既婚だった。それに加えて高位貴族ともなればその数は限られてくる。だからかなり歳の差があったとしても未婚または未亡人の名前があるのだが、ヘラスはそれに気付いていない。
唸り声を上げ役に立たないリストをぐしゃぐしゃと丸めていると、ヘラスの部屋を訪れる者があった。
「ヘラス! ヘラース! 一大事ですよ!!」
ヘラスの母、正妃だ。
「どうかしましたか、母上」
「なにを落ち着いているの! 聞きましたかヘラス、陛下がついに後継をお決めになると」
「ええ、知っていますよ」
はた、と正妃の動きが止まる。
「ああ、なんだ、知っていたのですか」
「ええ。朝議で聞きました。確かめたので間違いありません」
「では……!」
分かっている、とヘラスは頷いた。
「我々が勝利するには有力貴族の娘を引き入れるのがいいでしょう。国益にも繋がります。連中はそんな女を引き入れた我々を無碍にもできない」
おお、と正妃が声を上げる。
「良い考えです。それで、どこの娘にするのです」
「それはまだこれから……ん?」
その時、ヘラスの手元の文字が目に入ってきた。
「何っ、ヴァーミリオン!?」
「なんですって!?」
がばりと二人は机の上に覆い被さった。散らばった書類、その中のひとつに確かにヴァーミリオンの名前がある。
ヴァーミリオンと言えばナルマフ王国でも有名だった。ヴァーミリオンを有するトゥイリアース王国、その筆頭の公爵家で、数々のブランドを立ち上げている。ナルマフ王国では鉱山で使用する魔道具からランプ、衣類に食器、化粧品など様々なものが扱われていた。もはや生活に欠かせないと言っても過言ではない。正妃も、使う化粧品はもっぱらヴァーミリオン家のブランドのものだ。
財は国家予算にも迫る勢いだという噂だ。そのヴァーミリオン家に未婚の女性がいる。婚約者もおらず、年齢は十四という事で少々若いがなんの問題にもならない。むしろ好都合だ、ヘラスは女を自分好みに変えてやるのも好む。
「あのヴァーミリオンであれば不足はない!」
「ええ、ええ。良いでしょう! ヴァーミリオンを……いいえ。これを足がかりに、トゥイリアースを我が手中にするのも悪くないわ」
ヘラスの言葉に正妃もこくこくと頷いた。
ヘラスはそんな正妃には目もくれず、調書をくまなく読む。ヴァーミリオン家の令嬢、名前はリリアン。非常に聡明で、従順な少女とあった。
「しかもとんでもない美人だと? ああ、いいじゃないか」
ぺろりとヘラスは唇を舐める。従順な美少女。それもかなり裕福な家で、総資産は計り知れないという。
なるほど、彼女は自分に相応しい。にんまりと笑んでヘラスは次の行動を取った。ヴァーミリオン家への婚約の申し込みだ。
さらさらと書き上げたそれを従僕に手渡し、急ぎ届けるようにと申し付ける。従僕は黙って部屋を出て行った。それを見送るヘラスと正妃の顔には卑下た笑みが浮かんでいる。
彼らは自分達の勝利を信じきっていた。
その日の夕食時、食事を王と共にしたヘラスは、ふと思い付いたように食事の手を止める。
「父上、婚約者の申し入れをしたので、返答があったら話を進めて下さい」
「婚約? お前にはすでに婚約者がいるであろう」
何を言うのだ、と訝しむ王に、ヘラスは左端の口角を上げてみせる。
「あれも悪くない身分ではありますが、俺には相応しくないと常々思っていたのですよ。しかも今から後継者を決めると、そう言ったのは父上ではありませぬか」
「……それが、何の関係がある」
ハッ、とヘラスは笑う。
「この国に益をもたらす為、新たな婚約を結ぶのですよ! 他でもない正妃の子の、この俺が!」
大袈裟に両手を広げるヘラスと、それに笑みを浮かべ頷く正妃。側妃と第一王子キリウスはこの場にはいない。折り合いが悪く、同じ場に居ると正妃とヘラスが癇癪を起こすからだ。
品が良いとは言えない二人の笑みに、王はそっと息を吐いた。
「そうかそれで? 相手は」
誰なんだ、という王の言葉を遮り、ヘラスは口角を上げたまま言う。
「リリアン・ヴァーミリオン。トゥイリアースのヴァーミリオン家の者です」
ヘラスの言葉に王はぎょっと目を見開いた。
「ヴァーミリオンだと!? ほ、本当なのか!?」
ヘラスは王の様子に、ぱちぱちと瞬いた。狼狽る父の姿はほとんど見た事がない。どうしたことかとそう思ったが、思いがけず大物を引いたと驚いているのだろうと、ヘラスはそう考えた。
「ええ、本当です」
「て、手紙は」
「今朝方すでに手配しましたが」
そう言えば、父は更に目を丸くする。
「なんということを……!」
そうして両手で頭を抱えてしまった。なんなんだ、とヘラスは母に目を向けるが、その正妃もヘラスと似たような表情で首を傾げていた。
「父上?」
「あの家に迷惑をかけてはならん!」
「なにを仰る」
「お前、数ある逸話を知らんのか。あの家は……いいや、あの方にだけは触れてはならない!」
強く言われ、ヘラスの眉間に皺が寄る。しかも要領を得ないのだ、むかむかしてくる。
「はっ。資産が多いとは言え、ヴァーミリオンはたかが公爵家。俺は王子だ! その俺の妻となればゆくゆくは王妃。なにを言うのやら、あちらから頭を下げるでしょうよ」
「そんなわけがあるか!」
叫ぶ王に、ヘラスは表情を歪むのを止められなかった。国を継ぐ身である王子と、その傍流でしかない公爵家。規模の違いはあれどその立場が揺らぐ事はない。王が、父が何を言っているのか理解できなかった。我慢が効かなくなったヘラスは、がしゃんと食器を机に叩きつける。そうして椅子から立ち上がった。
「リリアンという娘が俺の婚約者となれば、誰もが俺に泣いて感謝する事になる。父上達はそれを認めるだけでいい!」
そう言い捨て、居間を後にする。せっかく機嫌良く肉を食っていたというのに台無しにされ、ヘラスは苛立っていた。むしゃくしゃした気分を解消させる為、都合の良い女の所にでも行こうかと思っていると、廊下の先に見たくもない影を見つけて更に苛立つ。
「ヘラス、お前一体何がしたい」
キリウスのその言葉に、ヘラスはハッと鼻を鳴らす。
「何が? 決まっている。この国を俺のものにする」
ヘラスの言葉にキリウスはふう、と息をついた。それが呆れられているように思えて、ヘラスは舌を打った。
「卑しい身で俺の道を遮りやがって」
「ヘラス。それは違う」
キリウスはあくまで冷静に言う。
「俺は後継なぞどうでもいい。お前が継ぐというのならそれでいいんだ。だが、お前に任せては国が滅ぶ。だから俺はお前の前に居るだけで」
「——うるさいッ、黙れ!!」
激昂するヘラスに、キリウスは言葉を切った。そんなキリウスに、ヘラスは構わず声を上げる。
「そう言えば俺が諦めるとでも!? どいつもこいつも馬鹿にしやがって、貴様はその筆頭だ! ただ俺が生まれるまでの繋ぎでしかなかった貴様が、俺と後継を争う立場であるだけで満足すれば良かったものを! 俺からその座を奪っておきながら憐れむだと? 馬鹿にするのも大概にしろ!!」
目を血走らせ、捲し立てるヘラスに、キリウスは口を挟まず黙っていた。だが、それすらもヘラスの神経を逆撫でる。
「なんとか言ったらどうなんだッ!!」
黙れ、と言った口で、口を開けと言う。気が短く粗雑で、乱暴なヘラスは言動に矛盾も多かった。そのせいで求心力も無く人望も無い。ただ役目であると割り切って従うだけの人材しか持っていない。
だから誰もがキリウスを推す。ヘラスはそれに気が付いていない。
キリウスは、確かに憐れんでいた。ヘラスを、あるいはその母である正妃を。彼らはいつでも気付く事が出来たはずなのだ、それほど難しい事ではないのではないかとキリウスは思う。もしもどこかで、彼らが己を顧みていれば、きっとキリウスは弟を助けただろう。
けれども、憐れみのままヘラスに玉座を渡すわけにはいかなかった。王子という立場でさえこうなのだ、その彼が権力を持ってしまったら、国は破滅にしか向かわないのが目に見えている。
ヘラスは知っているのだろうか。この国には王宮しか無いのではなく、小さな国土に大勢の人が暮らしている事を。彼らが日々働き、税を納めているからこそ、この王宮は姿を保っていられるのだ。
ぎりぎりと奥歯を鳴らすヘラスは、黙りこくるキリウスの肩を突き飛ばした。ふん、と鼻を鳴らして去って行く。
その背中にキリウスは長い長い息を吐く。小さな王国を覆う暗雲は晴れそうにない。




