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13.女神のしもべと影の後始末②

虫食の話題が出ます。苦手な方はご注意下さい。


 畑での作業を終えると、リリアンはアルベルトとレイナードと共に街へ戻った。滞在する屋敷で休んでいると、そこへマクスウェルがやって来る。


「まあ、お義姉(ねえ)様!」


 マクスウェルは自身の婚約者であるクロエと、それからレイナードの婚約者であるクラベルを伴っていた。その姿を見て驚いたリリアンは声を上げる。


「どうしてお義姉様がここに?」

「クロエに呼ばれたのよ」

「クロエ様に、ですか」


 クラベルの言葉に視線をクロエに向ければ、クロエはいつもの笑みで頷いた。


「魔物は排除できたけど、どうしたって食糧が足りなくなるでしょう〜? だからクラベルに協力して貰おうと思って〜」


 協力、とリリアンは呟く。

 クラベルはここフィリルアース王国の公爵家の出で、知っての通り貴族女性には珍しくお菓子作りが得意だった。けれどそれは腕前が立つというだけで、店を持っているとか、大々的に商売をしているとかそういうわけではない。

 だから、協力というのが何の事なのか、リリアンには良く分からなかった。どういう事なのかと視線をクラベルに向ければ、クラベルは肩を竦めてみせた。


「この子、すごいこと言うのよ」

「すごいこと?」


 リリアンが首を傾げれば、クロエがくすりと笑った。


「小麦は、みんな食べられちゃって収穫できそうにない。なら、今あるものを食べればいいのよぅ」

「今あるもの、ですか」

「そうよ〜。つまり、(いなご)を食べちゃえばいいの!」

「えっ?」


 クロエの言葉にリリアンは目を丸くする。


「その試作を、クロエにやって貰おうと思って〜」

「わたしはお菓子作りが専門なのだから、そういうのはうまく出来ないと思うわよ」

「いいのよぅ、それで。別方向からの切り口から攻めてみようって話だから」

「そうなの?」

「ま、待って下さい。その……蝗を、食べるのですか?」


 おずおずとそう口にするリリアンに、クロエはにっこりと笑ってみせた。




「元々ね、うちの国には虫を食べる習慣があるの」


 別室に移ったクロエは、そう言って一同を振り返った。


「むかぁし、やっぱり蝗害(こうがい)があった頃習慣が出来たって聞いたわぁ。今じゃすっかり機会は減ったけど、忌避感は少ないのよ。トゥイリアースに比べれば、だけどぉ」


 そう解説するクロエの手には、リリアンから見たら蝗の死骸がたっぷり乗っているだけの皿があった。リリアンは思わずクロエから距離を取り、クラベルの後ろに隠れている。


「あの、クロエ様、それはいったい……」

「これはねぇ、蝗の素揚げ」

「す、素揚げ」

「そう。こうして塩をぱらりと振って食べるの。かりっとしていて美味しいんだからぁ」


 そう言って、クロエはぽいっと口に揚げられた蝗を放り込んだ。しゃくしゃくと咀嚼している姿は、確かに美味しそうに見える。けれどもそれは、リリアンはまじまじと見るのも躊躇われる虫である。とてもではないが真似できない。

 クロエはリリアンには強制はしなかったが、「美味しいわよ〜。ほら、あーん」とマクスウェルに素揚げを勧めていた。マクスウェルは頑なに口を閉じて拒絶している。

 クラベルの後ろに隠れているリリアン。その様子を見て、レイナードはぷるぷる震えていた。


(そんな場合じゃないんだけど……くそっ、リリーが可愛い)


 ひっ、と小さく声を上げ、震えるリリアンの姿は可愛らしい。本当は見たくもないのに、それでも協力したいと、クラベル越しに蝗の姿を見ている。可哀想だが可愛い。

 口をぎゅっと結んで堪えるレイナードの前で、クラベルもリリアンの愛らしさに胸を撃たれていた。頰が緩みそうになるのを堪えている。

 ただ、リリアンをこのままにしておくわけにもいかないと、クラベルはクロエに向かって言った。


「これはそのまま油で揚げているの?」

「ううん。羽根をむしって、脚も捥ぐの。その方が口当たりがいいから」

「ですって。リリアンもやってみましょ」


 あくまで強制しないよう、促すだけに止めて、クラベルは椅子に腰掛ける。そうして処理前の蝗に手を伸ばし、ぶちりと脚を捥いだ。

 虫はそんなに好きではないはずだが、食材として見ている為か次々と処理している。


「こうでいいの?」

「そうそう、上手よ〜」


 クロエはバリバリと食べるし、クラベルはぶちぶちと脚と羽根を毟る。リリアンは、おずおずと椅子に座り、処理前の蝗を見て青ざめている。なるほど、これが普通の令嬢の反応かとレイナードは思った。クロエは意外と豪胆だし、クラベルも肝が据わっているのだ。リリアンの反応が、標準的な年頃の少女のものだろう。

 だが、近くでまじまじと蝗を見て、「ひぅ……」と息を呑むリリアンの姿は、凄惨なものがあった。


(これは父上には見せられないな……)


 もしもこれがアルベルトの目に入れば、屋敷ごと蝗を消しかねない。レイナードはちらりと部屋の隅へ目を向ける。

 アルベルトはリリアンの様子に気付いた様子はない。書類を手にベンジャミンと何か会話をしている。物資や人員の調整だろう、今回フィリルアースへ来るのに随分色々出したから、指示を出す先も多い。

 あらかたそれが済んだらしいアルベルトがこちらへ来そうになって、まずい、とレイナードは前に出た。そして、さっとアルベルトの前に立ちはだかる。


「なんだレイナード、邪魔だぞ」

「そうですかすみません。部屋が狭くて」

「そんなわけがあるか!」


 二人の左右は大きく空間が空いている。そもそも、王家や公爵家の人間が滞在する屋敷がそんな狭っ苦しいはずがないのだ。その上ここにはリリアンがいる。リリアンが作業をするというのに、小さな部屋を準備させるわけがない。

 なのでレイナードの言い分はかなり苦しかった。けれど、今の状態のリリアンをアルベルトに見せるわけにはいかないから、レイナードも引かない。右に行ったり左に行ったりしてなんとかアルベルトの視界を遮っている。

 そんなレイナードの努力が天に届いたのか、ベンジャミンが二人の間に割って入った。


「アルベルト様。客人が来ているそうです」

「客? 知るか、私はリリアンを」

「巨大な魔物を倒した方に是非お礼をと、市民が来ているそうですよ」

「礼なぞいらん。そう言って追い返せ」

「そういうわけには」


 ベンジャミンは首を横に振る。


「彼らの善意を無碍には出来ないでしょう」

「そうですよ父上。僕達はフィリルアースの人間ではないのですから、勝手な真似は控えるべきです」


 レイナードの言葉にアルベルトはぎゅっと眉を寄せる。


「ならお前が行けレイナード。それとマクスウェルも。あれの討伐は本来お前達の任務だっただろうが。対外的にはそれで通る」

「あれを倒したのは父上でしょう、であれば、父上が受けるのが道理では?」

「知らん、いらん。それよりも大事なものが私にはある」

「リリーの様子なら僕が見ておきます」

「馬鹿か! 私がこの目で見ないと意味がないと、そう言っているんだ!」


 声を荒らげるアルベルトだったが、レイナードとベンジャミンは二人がかりでアルベルトに詰め寄り、進路を塞いだ。そしてぐいぐいと押す。


「おいやめろ、押すな! なんなんださっきから」

「さあさあ。お待たせしては悪いですよ」


 強引にアルベルトの背中を押して、部屋の外へ追い出すベンジャミン。扉を閉める間際、ちらりとレイナードに視線を投げて寄越した。レイナードはそれに頷いてみせる。アルベルトがいた位置からではリリアンの表情は見えなかったようだが、ベンジャミンの位置からは見えたらしい。今のリリアンをアルベルトに見せるべきではないと、彼もそう思ったのだろう。

 扉の向こうから「リリアーン!!」という叫びが聞こえたが、当のリリアンには届いていなかったらしい。リリアンは気にした様子がない。

 良かった良かったと、レイナードはリリアンの観察に集中することにした。



 無理矢理応接室へ押し込められたアルベルトは、むすっとしながらも大人しく椅子に座っている。

 応接室へ通された客人、というのは、ソルシュレンに住む人々の代表者だった。街にある教会の神父だという彼は、窮地を救ってくれた恩人がいると聞いて感謝の言葉を述べに屋敷を訪れた。ところがその恩人というのが隣国トゥイリアースの公爵当人で、この屋敷には公爵の子息令嬢、かの国の王太子、それからフィリルアースの王女と公爵令嬢が揃っていると聞かされて、萎縮しっぱなしだった。それでも狼狽えたりせずにいるのは、さすがは神の門徒と言えるだろう。人々に教えを説く立場である彼らには、堂々とした振る舞いが求められるのだ。

 ただ、今回は相手があのアルベルトだ。大勢で押しかけると迷惑になるからと、一人でやって来た神父はアルベルトの姿に息を呑む。


(こ、この方がヴァーミリオン公……)


 その噂はフィリルアース王国でも有名だった。数年前に行われた祭典で、各地の信徒が一同に会する機会があった。そこに参加したのはヴァーミリオン公の兄、グレンリヒト国王であったが、偉丈夫で雄々しい男性だった。その国王とは違った美しさを持っているという、それが現ヴァーミリオン公のアルベルト。なるほどこれは人の口に上がるわけだ、と神父は目を伏せる。とてつもなくきらきらしている彼は、正面から直視すると目が潰れそうだった。彼には少なくない数の信奉者がいると聞いた事がある。なるほど、これがその原因かと思わずにいられなかった。

 眩い公爵から、失礼にならないよう、さり気なく視線を逸らしつつ、神父は頭を下げる。


「この度はかつてない災厄からソルシュレンを救って下さいましたこと、街の者を代表して感謝申し上げます」


 神父からの言葉の他に、フィリルアース国王から正式に謝辞が述べられている。にも関わらず、ただ教会に属しているだけの神父から、街の人々の声が伝えられる。本来なら国王から礼が伝えられた時点でこの声も届いている事にされるはずだ。なのにわざわざ神父がやって来たのは、あまりに街の人々の声が大きかったからだ。街中の人が屋敷に押しかけかねなかったので、代表を立てることで落ち着かせた。それを、フィリルアースの王女クロエと、トゥイリアースの王太子マクスウェルが快く受け入れてくれた。

 それにすら感謝を捧げ、ようやく伝えられた言葉。人々の想いが伝わればそれでいいと思っていた神父の耳に、冷たく言い放つ声が届いた。


「リリアンが望んだことだ、感謝されるいわれはない」


 は、と思わず神父は顔を上げた。無礼になりかねないが仕方なかった、何の事か分からなかったのだ。視線の先では、ヴァーミリオン公が眉間に皺を寄せている。

 神父は聞き慣れない名に首を捻った。


「リリアン、とは……?」

「私の女神だ!」


 女神、と神父は呟く。

 彼は神の門徒であるから、数多いる神の名を知っていた。炎の女神とか、大地の女神とか。最も有名な女神は、この地を創りたもうた創造主の娘だろう。それを信仰する教派も確かにある。

 だが、リリアン、という女神の名は、少なくとも彼は聞いたことがなかった。困惑する神父には目もくれず、アルベルトは口を開く。


「慈悲と慈愛を具現したような眼差し。空のように広大で、湖のように澄んだ瞳。あれに魅入られない者はまずいないだろう。その瞳を細め見詰められると幸福感で胸がいっぱいになる。小さくつんと上向いた鼻も実に愛らしい。真冬に白い息を吐いて鼻を赤くする姿もとても絵になるんだからリリアンは素晴らしい。陶器の肌、ほんのり紅潮する頰。滑らかな肌は白粉を必要としない。自然のままの姿なのにあれほど美しいだなんてさすがだ。化粧を施せばこの世のものとは思えない美しさを湛える。天上の月にも負けない輝きとなるんだ、眩くて……ああ、実に……実に美しい……! しかもそれが嬉しげにふわりと緩むんだぞ、分かるかその素晴らしさが? 常に潤いを保った淡い桃色の唇から紡がれる言葉はまさに神託、この世の全ての人間が聞くべき言葉だ。天使の吹く笛のような澄んで通る軽やかな声。そのリリアンの声を聞こうとしない愚か者はこの世には居ないだろうな。だがリリアンは、その愚か者にすら救いの手を差し伸べるのだ。崇高な精神に基づき弱き者を救う姿はまさに女神そのものだ。というか女神だ。リリアンは女神なんだ、この世で最も尊ぶべき存在だ」


 神父は、ずいぶんと具体的な姿の女神だなと思った。

 リリアンの素晴らしさを説くアルベルト。その姿は生き生きとしていた。

 アルベルトの脳裏と瞼の裏には、美しく佇むリリアンの姿がはっきりと描かれている。リリアンは容姿も素晴らしく愛らしいが、なによりもその精神が実に美しい。精神が容姿に影響を与えているのではないかと思うくらい、光り輝いているのだ。その輝きは、よく月に例えられるアルベルト自身の比ではないと思っている。そんなリリアンを、アルベルトは心の底から誇らしいと思う。

 リリアンの美しさを力説するアルベルトは実に満ちた表情をしており、まさに天上の女神に思いを馳せているようだった。

 空を仰ぐようなその姿に、神父は見覚えがった。それはあの時見た、教会の上の影にどこか似ている。具体的にはシルエットがそっくりだった。

 その事に、彼は目を見開く。


「貴方様はまさか……!」


 アルベルトはそんな神父の姿も声も意識に収めていない。神父の言葉はまるっと無視してくるりと振り返った。


「つまりリリアンは女神で天使でこの世の全てということだ。分かったか」

「は、はあ……?」


 なんの事だろうか、と目を丸くする神父に、うむ、とアルベルトは頷いた。リリアンは素晴らしい。それを理解しない者がいるとは、これっぽっちも思っていないのだ。



 街の代表者である神父に対し、リリアンの素晴らしさを説いたアルベルトは実に満足した様子で応接室を後にした。すぐに済ませるつもりだったが、リリアンの素晴らしさを一度口にすると制御が出来なかった。まあ、リリアンの尊さ、素晴らしさなら何時間どころか何日でも語り通さずにはいられなくなるから仕方がない。むしろたった数分でよく切り上げられたなと思う。

 とにかく今は、女神の元へ向かわなければならない、とアルベルトは階段を駆け上がった。リリアン達が作業をしていた部屋に入ると、蝗を食べやすくした試作品が仕上がっていた。


「お父様、もうご用は済みましたの?」

「ああ。リリアンと一緒に居ないといけないからな」


 まあ、と笑うリリアンの姿に目を細めるが、レイナードは父親の事は本当にどうしようもない人だなとそう思った。

 アルベルトが机の上を覗き込めば、大皿の上に薄くて丸いものがたくさん乗っている。


「これは?」

「これは、お義姉様考案の蝗せんべいです」

「蝗せんべい?」


 リリアンの言葉を繰り返して、アルベルトは首を傾げた。


「やはり、丸ごとは食べ辛いでしょうから。鉄板で挟んで薄く焼いたのです。これならば多少は気にならないでしょう」


 クラベルがそう言うのを、ふうん、と聞き流す。ひとつ手に取って両端から力を込めればぱきりと割れた。水分が少ないためだろう。大人の男性が、親指と人差し指を輪っかにしたくらいの小ぶりなせんべいだ。小さくしたのは極力水分を飛ばすためだという。保存が効くようにとのことだった。


「生地はなんなんだ? まさか小麦でもあるまい」


 真ん中に蝗の埋め込まれた薄いせんべいでも、数を作るのなら大量の小麦が必要になる。その小麦が採れなくなるというのにそれでは本末転倒もいいところだろう。

 だが、アルベルトの言葉にきらりとリリアンが瞳を輝かせた。


「すごいのよ、お芋を擦り下ろして使っているの! お義姉様の発想は素晴らしいわ」

「なるほど、芋か。であれば確かに有効だな。貯蔵の面でも流通量の面でも不安は少ないだろう」


 やるではないか、と視線を向ける。クラベルは満足そうに頷いていたが、アルベルトもクラベルも、リリアンが得意気であることに対してそういう態度を取っていた。すなわちアルベルトが「やるな」と言ったのは、リリアンの愛らしい得意気な表情を引き出したことに対してだった。クラベルの方も自分を褒めて嬉しそうなリリアンに満足して頷いたのだ。その点に関してはわりと気の合う二人であった。

 蝗せんべいを見聞するクロエは、手に取ったそれをひっくり返して眺めている。


「う〜ん、食べやすくっていいわねぇ。それに、真ん中で潰れてる蝗がチャーミングでとってもいいわぁ。そうでしょ、マクス」

「いや、うん……そうかなあ……」


 マクスウェルにはぺちゃんこの蝗は蝗にしか見えない。可愛くもなんともない。ワンポイントにあしらわれていて特徴的ではあると思うがそれまでだ。だが、食べ易くなっている点には同意だったので頷いておいた。とは言えマクスウェルはまだ口にしていないが。さっき素揚げを無理矢理口に押し込まれた衝撃がまだ抜け切っていなかったのだ。

 そんなマクスウェルの目の前で、クロエが蝗せんべいをぱりぱりと食べている。「お芋の甘みと蝗の食感が、いい感じ〜」と気に入っている様子である。頼もしい限りだ。

 そんな二人を尻目に、レイナードはおもむろに蝗せんべいに手を伸ばした。そうしてまじまじと見ると、ぽいっと口に放り込む。その事にリリアンとマクスウェルが驚いて声を上げる。


「れ、レイ、お前……!」

「お、お兄様! ご無理なさらないで!」


 青い顔をして水を差し出すリリアン。が、そんなのどこ吹く風でレイナードはせんべいを飲み込む。味は別に悪くない。でも、かりかりになっているとは言え虫の足が口に残る。それに独特の風味があって、気になる者は嫌がるだろう。ハーブや香辛料で誤魔化せそうではあったがそれでは高価になってしまうかもしれない。

 そう言えばリリアンは僅かに表情を和らげたが、それでも気になるのだろう、やはりグラスを差し出す。


「無理に召し上がる必要はないわ」

「いや。リリーが作ったんだ、食べないわけにいかないだろう」

「——何!?」


 割ったせんべいを観察していたアルベルトが、急に声を上げた。


「これはリリアンが作ったのか!?」

「え、ええと、はい。とは言っても、わたくしはお芋を擦っただけですけれど」


 芋の皮剥きは使用人が行った。リリアンが刃物を扱うのはやはり危険だったからだ。鉄板で焼いたのはクラベルだし、芋が小さくなる前に止めるよう言われていたから、リリアンが手伝ったのは僅かな工程でしかない。


「なんて事だ!!」


 だが、くわっと目を見開いて、アルベルトは皿の上のせんべいを鷲掴みにした。そしてそれを口いっぱいに含む。バリンボリンとせんべいが割れる音が響いた。

 皿を抱えるようにしてせいべいを口にするアルベルトに、レイナードがなんて事を、と叫ぶ。


「父上! 独り占めしないで下さい!」

「ふももんぐ、むぐぐ」

「リリーの手作りだからって許されるとでも!?」

「もほむん、もぐ」

「良いわけがないでしょう!」

「え、何? 会話できてんの?」


 お前すごいな、というマクスウェルの言葉をまるっと無視してレイナードはアルベルトの腕から皿を奪おうと奮闘する。が、レイナードより僅かに身長の高いアルベルトが頭の上に腕を伸ばしてしまえば、皿には手が届かなくなる。ごくんと口の中のせんべいを飲み込んだアルベルトは、ふふんとそんなレイナードを見下ろす。


「ふん、手が届かなければせんべいを口にする事もできまい。リリアンが作ったせんべいは私のものだ!」

「くっ、なんて卑怯な……! それでも大人ですか!」

「うるさい! 悔しかったら一枚でも奪ってみせろ!!」


 リリアンが作った、とは言うが、芋は全員で擦りおろしたしたものを混ぜている。だからその理屈で言えば、ここにあるせんべい全てがリリアンの手作り、という事になるだろう。だが、二人は机に乗った他の皿には目もくれずせんべいを奪い合っている。

 机の上の皿には、クラベルがほとんど作ったものもあった。なのにレイナードの関心はそれには無いようだった。呆れてしまう話だが、当のクラベルが気にした様子は無い。新たに焼いたせんべいをリリアンに勧めている。


「リリアン、こっちはどう? 蝗を乾燥させて粉末にしたものを混ぜ込んだせんべいよ。これなら食べられるんじゃないかしら」

「粉末に? 確かに、これなら形がないから、怖くないです」

「ふふっ。やっぱり丸ごと姿があるのは、ちょっと嫌よね」


 くすりと笑ってクラベルは新しく作った粉末入りせんべいをぱりんと齧った。これは、蝗の味も風味もほとんど無い。芋の優しい甘み、表面にまぶした塩がなんともいい塩梅だ。クロエなどは味気ないと言うかもしれないが、むしろせんべいとしてはこちらの方が完成度が高い。蝗を粉末に加工する手間はかかってしまうが、民に受け入れられるとしたらこちらだろう。

 リリアンも、おずおずとせんべいを口に運んでいる。端っこをほんのちょっぴり齧った。おっかなびっくりの様子に思わず笑みが溢れてしまう。そんなに端っこでは味が分からないだろう、という指摘はしないでおいた。リリアンは今、蝗と戦っているのだ。その神聖な戦いに踏み入るものではない。

 部屋の片隅では相変わらずレイナードとアルベルトが皿を奪い合っていた。一時レイナードが皿を手にするが、すぐにアルベルトに奪い返されてしまう。その隙にせんべいをいくつか皿から掠め取り、レイナードはすぐさま口に含んだ。にやりとレイナードが口角を上げる。それを、おのれ、と苦々しく睨み付けるアルベルト。


「いいのか、あれ」

「いいのよ、レイにはリリアンが一番だから。気にしてくれてありがとう」


 言外に気が利く、と言われたマクスウェルは肩を竦める。クラベルが気にしていないのなら、マクスウェルがあれこれ言うものではない。まあ、騒がしく喧しいのには文句を言いたくなるが、魔法を使い出したりしたら止めればいいかと醜い争いからは意識を外した。

 机の上にはまだ色々な試作のせんべいが並ぶ。その中にひとつ、妙に色の濃いせんべいがあった。緑っぽいような黒っぽいようなのは、栄養を補うため野菜でも練り込んだのだろうかと思ったが、誰も手を付ける様子がなかった。


「美味いのか?」


 それを摘んでマクスウェルは口にした。


「あっ」

「んんんんんんん!!?」


 あーあ、という顔をしたクラベルの前でマクスウェルは唸る。青臭い蝗の匂いが脳天を突き抜ける。苦味が強く、口の中にちくちく突き刺さるものがあった。なぜかねっちょりした舌触りで、余計にいつまでも匂いと苦味が口に残る。

 リリアンが、手にしていたグラスを差し出してくれた。ありがたく受け取って一気に飲み干す。水で流し込むと、青臭さは薄れたがいつまでも苦味が残った。だというのに妙な酸味が広がって、マクスウェルは盛大に顔を歪める。


「なんだこれ!?」

「それ、クロエが作った特別なやつよ」

「クロエが?」


 目を瞬かせて彼女を見れば、クロエはにっこりと笑んでマクスウェルに言った。


「くせが無さすぎるのもどうかと思ったから、蝗をいっぱい入れたのぉ」

「い、いっぱい?」

「そう、いっぱい〜」


 聞けばボウルに目一杯入れた蝗をすり潰し、そこに芋を入れたのだという。それはほとんど蝗じゃないかという言葉を、マクスウェルは飲み込む。一緒に唾液も飲み込んだ。さっきから口の中が酸っぱくて唾液が止まらない。


「マクス、どう?」


 首を傾げて感想を訊ねる婚約者に、マクスウェルはやんわり言葉を捻り出した。


「これは、食べ物じゃないと思うぞ……」


 譲歩に譲歩を重ね、事実を簡潔に述べると、クロエはむう、と頰を膨らませる。


「ひどーい! どうしてそんな事言うのぉ? 魔力も栄養もたっぷりだから、マクスに元気になって貰おうと思って作ったのにぃ」

「そうは言ってもお前、これ、味が……」

「苦くて酸っぱくてねっとしりしてて美味しいじゃない〜!」


 そう勢いよく叫ぶクロエにリリアンは目を丸くする。苦くて酸っぱい、そのうえねっとりしている。それは、ひょっとしなくても、美味しいとは言えないのでは。少なくともリリアンはそう思うのだが、クロエは本気で美味しいと思っているようだ。今もひとつ、緑色のせんべいを食べて「ほら、美味しい!」とマクスウェルに向かっている。


「あの子、悪食なのよ」


 そんな様子を眺め、クラベルは言った。悪食、とリリアンは呟く。


「へんな物を好むというより、〝究極に好き嫌いが無い〟のよ。『不味いも味のうち、味がしたら、それは〝美味しい〟よ』って言ってなんでも食べるの。だからまあ、あの通りなんだけど……」


 クラベルは、その先を言葉にはしなかった。どうしてなのかはなんとなくリリアンも分かった。

 クロエはフィリルアース王国王女、クラベルは公爵令嬢。二人は遠い血縁であるらしく、幼少の頃から交流があったのだという。王女でありながら魔物の研究をしていたクロエと、公爵令嬢ながら厨房に入り浸るクラベル。お互い変わり者同士ということで気が合ったそうだ。そうして自然、クロエが持ち込んだ〝素材〟をクラベルが調理する事もあったそうで。


「好みの幅が広すぎるのも考えものよねぇ」


 呆れたようなクラベルの言葉に、そうですね、とリリアンは答えた。それ以上どう言ったらいいのか分からなかったのだ。

 ただそれに付き合わされるマクスウェルはたまったものではないだろう。知り合った頃から様々な物を食べさせられていたマクスウェルは、それでも一口は必ず手を付けているそうだ。愛のかたちは人それぞれ、ということなのだろう。

 それでも今回はかなり強烈であったらしい。にじり寄るクロエから逃げるように距離を取っている。


「ほらマクス、あーん!」

「いやもういい! いらない!」

「いらないじゃなくて!」

「いいってば!!」


 なおも迫るクロエに、たまらずマクスウェルは踵を返し駆け出した。


「もう蝗はこりごりだぁー!!」


 マクスウェルの叫びが屋敷に響く。生憎とそれに応じる者は居なかった。


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