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幕間 祝杯の女王陛下


 シェフ渾身のデザートがお腹に収まり、晩餐会もそろそろお開きだ。各自グラスを片手に思い思いに歓談して過ごしていたが、シエラは一足先に「明日も早いから」と退室を申し出た。


「ではリリアン、悪いけれどわたくしはこれで失礼するわね。今日は本当におめでとう」


 その隣ではフリージアも椅子から立ち上がっている。女性陣はどうしても身支度に時間がかかるので、先に席を立つ事になる。ヘレナだけは、まだ話し足りないと座ったままだったが、クラベルに促されると渋々従っていた。

 見送るリリアンはと言えば、ぼんやりとグラスを持ったまま、なんの反応もない。

 それを訝しんだのはのはアルベルトである。他の者が無視されているのはどうでもいいが、呼びかけられてリリアンが何も言わないのはおかしい。


「リリアン?」

「……ひっく」


 覗き込んだリリアンの顔は赤く、目はとろんと瞼が下がっていた。それに加え、今のしゃっくり。どうにも様子がおかしい。


「もうお休みになられるの? わたくしの誕生祝いなのに……?」


 あまつさえそんな事を言うものだから、一同がぎょっとしてリリアンに注目した。


「ど、どうしちゃったの、リリアンお姉様」

「リリアンらしくないな。何があった?」


 ヘレナとマクスウェルが戸惑いの声を上げる。普段のリリアンなら、「もう遅いですものね。お休みなさいませ、わたくしの為に、今日はありがとうございました」とでも言うはずだ。それがこんな風に責めているような言葉を選ぶなど、らしくない。

 あまりの出来事に、レイナードは目を見張ってしまっている。クラベルも驚きを隠せていなかった。グレンリヒトとシエラなどは難しい顔をしているが、リリアンを心配してのものだろう。アルベルトだって心配で不安で、横顔を覗き込んだ。

 すると、感じるはずのない香りがリリアンから漂ってくる。正確にはリリアンが持っていたグラスからだ。


「り、リリアン、こ、これは」


 それはさっきまでゴットフリートが手にしていたグラスだ。

 どうしてこんなものが、とリリアンの手から抜き取ると、ゴットフリートが「おお!」と声を上げる。


「なんだ、そこにあったのか。どこに行ったのかと思ったわい」

「なんという事を……! クソ爺、しっかり管理しろ!!」


 豪快な老人が口にするのが水なわけがない。グラスに僅かに残った琥珀色の液体からはアルコール臭がした。

 法律上、未成年の飲酒が禁止されたりしているわけではないが、成人までは控えるのが望ましいとされている。身体的にどうこうというより、酔った状態で魔法を使うのが推奨されていないというのが理由だ。子供のうちはアルコールに弱く、酔うと何をするか分からないから。

 リリアンは成人まであと二年あった。そういう決まり事はきっちり守る方なので、ほぼ初めての飲酒となる。

 見た限りでは、気分が悪くなったようには見えない。けれどもどんな影響が出るのかわからず、全員が注目していた。

 特にアルベルトは心配そうに覗き込んでいる。それはそうだろう、というのが一同の感想である。


「リリアン、大丈夫か? 気分が悪かったりは」

「今日はわたくしのお祝いよ? 悪いわけないわ」

「そ、そうか。まったく、ろくな事をしない爺のせいで可哀想に」

「儂のせいだと言うのか!?」

「それ以外になにがある! 耄碌(もうろく)するなら勝手に一人でやれ、リリアンを巻き込むな、馬鹿が!」


 責任を争ってアルベルトとゴットフリートが罵り合いを始めた。いつものことだが、リリアンの誕生祝いだからかアルベルトの勢いが激しい。

 ゴットフリートの方はフリージアが(たしな)めるが、アルベルトの方はどんどんヒートアップしていく。


「お父様」


 そんな中で、リリアンの声が響いた。


「!? ど、どうしたリリアン、気分が悪くなったのか!?」

「いいえ」


 アルベルトが慌てて振り返ると、リリアンは口元に指を当てて微笑んでいる。ただし目がとろんと蕩けているので、優しい、というより、(あや)しい雰囲気があった。


「声が大きいなと思って。それに、そんな言い方をしてはだめよ」

「だがリリアン、こいつのせいでリリアンが」

「だが、じゃないでしょう? ほら、こういう時はなんて言うの?」


 言葉は柔らかく、威圧的でもない。だが、しっかりした口調のリリアンは、なんだか妙に気迫があった。

 困惑したような、でもどこか得心(とくしん)がいったように、アルベルトはきゅっと口を結ぶ。


「……ごめんなさい」

「そうよ。それでいいの」


 ひっく、とまたリリアンがしゃっくりをする。

 これはもう決定的だろう。リリアンはすっかり酔っていた。

 しっかりと会話ができているし、誰が誰なのか理解しているようではある。けれど言動が明らかに普段とは違う。

 リリアンが、アルベルトに対してあの様な物言いをするはずがない。いや、ないはずだが、と誰もが目を丸くしていた。


「リリアン、お酒に弱いのね」

「そ、そんな……あの完璧なお姉様が、こんなのって……! でも、なに? この胸の高鳴りは……」


 刺激しないように、と声を潜めていたクラベルとヘレナも、つい溢してしまうくらいには不思議な光景だった。

 ぽやんとしているのに、はっきりとした言い方。断言するような口調は普段とそう違わないが、相手を気遣うような言葉選びが無い。なので、少しばかり命令しているようにも聞こえる。

 それで余計に驚きが深くなるが、なんだか妙にしっくりしているようにも感じられ、誰も止めたり口を挟んだりできない。

 それよりも輪をかけておかしいのが、アルベルトの態度だ。


「甘いものが欲しいわ」

「リリアン、まだチョコレートを食べていないだろう? これを」

「うーん、冷たいものの方がいいみたい」

「ならアイスクリームを」

「なんだか風景が寂しいのではない? お父様、オーロラを出して」

「すぐに!」

「ちょっと眩しいわね。やっぱりやめて頂戴」

「はい!!」


 なぜ嬉々としてリリアンの要望に応じていて、しかもずっといい笑顔なのだ。というか、リリアンが無茶を言った方が喜んでさえいた。

 それがなぜなのか考えるのも難しく、目の前の出来事をただぼんやり眺める。そうしているうちに、いや普段からこうではなかったか、という気さえしてきた。

 目を丸くするやら、呆然とするやらのクラベルとヘレナの隣から、レイナードが前に出る。


「リリー、もう休んだらどうだ?」

「どうして? 今日はわたくしのお祝いなのよ」

「でも、まだ明日もあるし」

「嫌。だってまだお祝いは続くのだもの」

「リリー、そんな事を言って……」


 レイナードが説得しにかかったが、リリアンはなかなか頷かない。だがリリアンは更にとろんとした顔付きになったので、時間の問題だろう。

 そう思いはしたものの、クラベルはレイナードが俯いたのが気になった。


「ああ、なんだか暑いわね。お兄様、仰いでくださる?」

「分かった」


 顔を上げたレイナードはキリリと引き締まった表情をしており、内ポケットから青い筒を取り出すと魔法を使う。筒から出てきた砂は平たく伸びると、丸みのある板のように変形する。

 それを使って仰げば涼やかにリリアンの髪が靡いた。

 そのリリアンの満足そうな表情と言ったら! パレードの際に見せた輝く様な笑顔は無論素晴らしいが、それとは趣の違う笑みは一同の視線を釘付けにする。

 まるで幼子のような、にへらとした笑み。普段、淑女らしさに満ち溢れたリリアンからは想像もつかない姿だ。

 ゴットフリートいわく、グラスに入っていたのは残り僅かだったようだ。だが酒精の強いものなので、リリアンはこの様に泥酔してしまったらしい。パレードの疲れも関係しているだろう。

 とにかく酔いを少しでも醒ますのが先決だ。シルヴィアは空の新しいグラスを手に取った。


「リリアン様、お水を」

「なあに? 水が欲しいの? ほら」


 グラスと反対の手で水差しを持ち、リリアンに差し出そうとしたのだが、グラスを見たリリアンの方が早かった。すいっと指先を動かすと魔法を発動させる。

 あっ、という声はアルベルトのものだ。けれども、まさか、という思いからか、彼でも止める事はできなかった。


「どわあっ!」

「きゃあ!」

「何じゃあ!?」

「声が大きいですよ」

「ど、ドレスが!」


 シルヴィアのみならず、室内に居た全員の頭上から水が湧いて降ってきた。桶をひっくり返したくらいの量だが、長机の辺りいっぱいに降ったためみんなびちょびちょになってしまった。マクスウェルやヘレナは悲鳴を上げ、ゴットフリートの驚きの声にフリージアが水を滴らせながら耳を塞いでいる。シエラがドレスが濡れてしまった事に嘆いたが、グレンリヒトが黙って水分を飛ばしてくれたので大人しくなった。


「り、リリアン!」

「リリー……!?」


 水が欲しいのでしょうと言って使うにはあんまりな魔法だ。ぜんぜんリリアンらしくない。

 それにアルベルトもレイナードも目を丸くしているのだが、当のリリアンはきょとんと首を傾げていた。


「なあに? どうしたの?」

「ど、どうしたのはこっちのセリフだ。大丈夫か!?」

「変なお父様。わたくしはだいじょうぶよ……あら?」


 くすくす笑うリリアンだったが、ふと何かに気付いたらしい。不思議そうに部屋を見回すと、なぜかしょうがないわねえと言いたげに首を傾げる。


「お父様、なにをなさっているの? 部屋が水浸しよ」

「へ!?」

「駄目じゃない」

「すいません!!」


 がばりと頭を下げるアルベルトは濡れ衣だというのに、口元は弧を描いている。

 どうやらリリアンの中では、部屋を水浸しにしたのはアルベルトという事になっているようだ。さもあろう、と驚きつつレイナードは納得する。

 これだけの水魔法を容易く使うとなると、実質アルベルトしか候補がいない。リリアンが含まれないのは酔った影響だろう。普通に考えて、リリアンがこんな事をするはずがない。

 なので父が疑われるのは、普段の行いが悪いせいだと思ったが、どうして嬉しそうなのかはさっぱり理解できない。正直気持ちが悪い。

 レイナードが納得したり気味悪がったりしているうちに、ベンジャミンらが賓客達をそれぞれの部屋へ送り出していた。親族とは言え、王家の人間をびしょ濡れのままにしておくわけにもいかない。

 幸いにも、リリアンの周囲はなんともない。が、机やら絨毯やらはやはり濡れているし、シルヴィアの他にも幾人かの使用人がびちょびちょだった。


「このままでは困るわ。早く乾かして頂戴?」

「はい!!!!」


 リリアンがそう言えば、たちまちのうちに暖かい風が湧き起こり、部屋の中を駆け抜けていった。

 風量がすごいので、レイナードの目は乾燥する。何度か瞬きをしたが、リリアンはそんな動作はしなかった。おそらくアルベルトが風量を調整したのだろう。

 そういう細かな操作をするわりに、やり方は大雑把である。もっとやりようはないのかと、父の魔法をそう評するレイナードとは違い、妹は出来栄えには満足したようだった。にっこり微笑むと、ぱちぱちと手を打ちつけている。


「よく出来ました。でも、あんな事しちゃだめよ?」

「う、うん。でも、あれはリリアンが」


 その笑顔は普段通りのリリアンだ、だが。


「罰として椅子になって?」

「!?」

「はい!」

「父上!?」


 直後飛び出したのは思ってもみない言葉で、レイナードは耳を疑う。しかもアルベルトが即応じたものだから、レイナードの驚愕は深まるばかりである。


「父上、正気ですか」

「何がだ」

「何が、ではなくて」

「お前こそ正気か、レイナード。リリアンの発言に従わないなど」

「……は?」


 とてもではないが、レイナードは父親が正気を保っているとは思えない。だがそれを言うと、当の父からは逆に信じられないものを見る目を返された。

 どういう事かと問う前に、アルベルトがその目をくわっと見開く。


「リリアンの、無茶とも言える願いだぞ。あの! 素直で良い子で聞き分けのいいリリアンの! 理不尽な願い!! 私はいつもこれを待っていた。だが優しいリリアンはそんな事を言ったりしない。私やお前、周囲に気を遣っているからだ。それが無いんだぞ。つまりこれは今のリリアンの、最も純粋な願いという事だ!」

「……!」


 レイナードははっと息を呑んだ。


「確かに……」


 その通りだ、とレイナードは呟く。

 リリアンは自分の立場というのを理解していて、求められる通りの行動を取るばかりだった。それが役目だと割り切っているようだし、まったく辛そうにしていない。むしろ役目をきちんとこなせるのが喜ばしいようでもあった。それはパレードの様子からしても間違いないだろう。

 そんなリリアンの本当の願いとはなんなのか。いや、家族の為、領民の為にできる事をやるというのも、もちろんリリアンの願いで間違いない。だがそれは相手の為であって、リリアン自身の為ではない。

 もしそれが、飲酒によって露呈したのであれば、これほど嬉しい事はない。レイナードやアルベルトはリリアンの願いこそを叶えたいのであって、領民の幸せや王国の平和なんてものはそれに付随するおまけみたいなものだった。リリアンが平和に過ごせるよう、そうする必要があった、それだけのこと。

 本心からリリアンがそれを望んでいるのは知っているが、レイナード達が叶えたいのはリリアン個人の我が儘の方なのだ。小さい頃、あれは嫌だ、こっちがいいと涙目でせがんだ時のような。どんなに些細でもいい、リリアンだけの願いを叶えたい。

 アルベルトの自信たっぷりな態度がレイナードの思考を鈍らせる。予想外の出来事で混乱していたのも輪をかけて考える力を奪っていた。

 レイナードはリリアンが腰掛ける椅子の隣で跪く。そうしてリリアンの手を取り、そっと見上げた。


「リリー……」

「お兄様も、お父様を止められなかった連帯責任よ」

「!!」

「お兄様は、そうねぇ、肘掛けかしら」


 リリアンはそう言うとにこりと笑みを浮かべる。

 アルベルトとレイナードの喉が鳴ったのは、ほぼ同時だった。





 少し後、がちゃりと食堂の扉が開いた。


「おい、大丈夫、か……」


 現れたのは衣類を改め、ベンジャミンを連れたマクスウェルで、彼は部屋に入るなり動きを止める。

 ベンジャミンも、彼にしては珍しく動揺して息を飲んでいた。


「えっ……なにこの光景?」


 マクスウェルが目にしたのはまさに異様だった。なぜかリリアンを膝の上に乗せたアルベルトと、そのリリアンを支えるように中腰で寄り添うレイナード。

 アルベルトの方は、まるで座っているかのように見えるが、椅子やソファが近くにない。それの示すところはつまり、空気椅子状態という事である。


「えっ……と、な、何してる……?」


 とても狭い歩幅で、一歩一歩進むマクスウェルは、ちらちらと状態を確認していた。長いテーブルを迂回するように近付けば、目にした通りの光景が広がっている。

 思わず瞬きの回数が多くなるマクスウェルだが、あまりの事にベンジャミンがすっかり言葉を失くしていた。

 どうしてそうなったのか、問おうにも問えない。二人ともキリリとした表情で、真面目にリリアンの椅子になっていたからだ。

 特にアルベルトの方はまったくぶれたりせず椅子に徹している。恐ろしいほどの体幹だ、マクスウェルはそのことにも戦慄してしまった。

 リリアンはと言えば、父親に背を支えられ、兄に寄りかかるようにして瞼を閉じていた。規則正しく胸が上下しているところを見ると眠ってしまったのだろう。

 室内は荒れた様子はなく、リリアンに何かあった風にも見えない。いや、この状態は異常にも程があるが、ともかく怪我などは無いようだ。

 だから少しばかり落ち着きを取り戻したマクスウェルが聞くと、妙な体勢の二人は妙にキリリした顔をこちらへ向けてくる。


「贖罪だ」

「は? え?」


 レイナードが答えたが、マクスウェルには全くなんの事なのか理解ができない。


「至福の奉仕だが」

「……いやもうわけわからん」


 アルベルトまでそう言うのが本当に謎である。大体、二人の発言は矛盾しているではないか。

 だがマクスウェルには確信がある。それを指摘しても、なんの意味もない。それで「リリアンは、ゆっくりベッドで寝かせてやるべきだろ」と言うに留めた。

 妙な状態の二人が素直に頷かなかったのは言うまでもないだろう。




 なお、翌朝目を覚ましたリリアンは、昨夜酒を飲んでからの事は覚えていないようだった。


「わたくしったら、食事中に眠ってしまうなんて。小さな子供のようで、恥ずかしいわ」

「気にしなくていいと思うわ、リリアンお姉様」

「そうよリリアン。昨日は疲れていたでしょうし」

「大した事なくてよ、リリアン。よく眠れた?」

「ええ、シエラ様。でもヘレナ様、クラベルお義姉様、恥ずかしいものは恥ずかしくって」

「恥ずかしがるリリアンも素晴らしいぞ!」

「もう、お父様ったら!」


 リリアンはくすくすと笑っているが、にこやかなアルベルトの目は真剣そのものだ。


「リリアン、なにか欲しいものはないか? 空調はどうだ、寒くはないか?」

「いつも通り快適よ。お父様、ありがとう」

「い、いや、うん。そ、そうか」


 どこかそわそわした風のアルベルトに、レイナードはピンとくるものがあった。あれは何かを期待している顔だ。

 何を、なんて分かりきっている。昨夜のあれが忘れられないのだろう。

 けれど、止めさせるのも、リリアンの失態を知らしめるようでやりにくい。それで父親の事は意識から締め出して、レイナードはリリアンに集中することにした。

 あはは、うふふ、と軽やかな笑い声が朝日の中に響く。

 自然な笑顔の従兄弟と違い、どうにもぎこちなく口元が歪むマクスウェルであった。


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