小野寺 あぐり(おのでら あぐり)の結論
岡山から海を渡る電車で多度津、そこから船で中継地の亀老山、凪と合流して明浜の狩浜地区へ。
ほとんどが移動だったが、今日は本当に疲れた。特にしばらくは小型の船には乗りたくない。
あとは柔らかい布団で眠るだけ。
――と思っていたところで、事件が起きた。
「……だからね、今夜だけ特別に母屋を使ってもらおうと思って」
「反対! 絶対反対よ!」
場所は晩飯をごちそうになった座敷の居間。俺と凪、小野寺さんと瑠奈さん。二人に分かれて向き合うように座っている。
おずおずと切りだす凪に猛反対しているのは瑠奈さんだ。
先ほど風呂から上がったばかりの小野寺さんは、黙ったまま成り行きを見守っている。……いや、たまに頭がガクッと下がっているから、すでに眠たいだけかもしれない。
「食事と畑作以外は男子禁制のルールでしょ! 家の主人がそれを破るつもり?」
「あ、希望があればトイレも使ってかまわないんだけど……」
「今トイレはどうでもいいの! こいつを敷地内に泊めるなんて絶っっっっ対に認めないから!」
二人が何を揉めているのかというと、俺の寝る場所だ。
凪いわく、他所から来た人たちで援農・フリースクール参加者の女子・子供は凪の屋敷。
同じく参加者の男子は、フリースクールを開いている廃校の施設で寝泊まりをするのがこの地区のルールらしい。
間違っても地区の住人が女子供に悪さをすることはないが、参加する側への配慮として若い家族からの提案があったそうだ。
また、参加者同士で間違いがあっても困る。そのため凪は快く曽祖父たちが住んでいた屋敷を提供し、今はその主人、兼管理人をしているというわけだ。
話は戻って。
凪は困ったように続ける。
「今からフリースクールの学校に行ってもらうには遅い時間だし。農道を下りて初めての場所へ夜中に一人ぼっちで行かせるのは心配。今夜だけだから、瑠奈さんも許してもらえない?」
「お断り。集団生活の基本はルールを守ること。凪にとっては幼なじみかもしれないけど、私やお姉さまにとっては初対面の人間なんだから。そうよね、お姉さま!」
「フガッ」
話しかけられた小野寺さんが目をパチパチと瞬きする。
今のいびきだよな。絶対途中から寝てたな。
「……話、済んだか?」
「まだ! 洋がしつこくて」
「いや俺は何も言ってないから」
「それにこいつ、お姉さまのお風呂を覗こうとしてたし!」
「覗いてなんかない! 瑠奈さんが邪魔したじゃないか!」
「へ〜邪魔しなきゃ覗きに行ってたわけ? いやらしい!」
「あっ邪魔じゃないか。ちょっと気になっただけというか……」
「……洋くん、ほんと? あぐりさんのお風呂覗こうとしたの?」
そのときの凪の顔ときたら。
笑っているでもなく、怒っているでもなく。ただ激しい感情を理性で押さえ込みつつ、その内面を決して悟られないよう平静を装っている。まさに陶器のような無表情だった。
「し、してない! 誤解だって! ほんとに!」
俺はと言えば死刑宣告を受けた囚人のような心境だ。
それだけは全力で否定しなければいけなかった。俺の名誉のためにも、今後の立場のためにも!
「……やかましいな」
その一言で、場がシンと静まり返った。
「頭突き合わせていつまでもガタガタと。朝は早えぞ、いつまでやってる」
「ご、ごめんなさい」
「ごめんなさい……」
地を這うような小野寺さんの低い声には理屈じゃない重さがある。
凪と瑠奈さんは、揃ってうなだれてしまった。
「洋」
「えっ俺? はい」
「おめのことだ、おめが決めろ。今夜はどこで寝んだ」
「えっ、はあ……俺は別に、どこでも」
世話になる身だ。特に希望があるわけでもない。俺はなんとなく答えた。
小野寺さんの感情が読めない目が細められる。
「凪、こいつの布団」
「えっと、昨日干して客間に」
「分かった」
居間に2つある襖のひとつを開くと、その向こうの畳部屋にきれいに畳まれた布団一式が見えた。
小野寺さんはそれを両側から掴み、軽々と持ち上げる。
見守る俺たちには構わず、居間から土間に下り、開放されている勝手口から外へ出ていく。
「あ、あぐりさん?」
そこで凪がようやく立ち上がる。俺と瑠奈さんも続いた。
勝手口の先にはさらに2つの建物がある。そのうちのひとつ、木造の建物の入口を、あぐりさんは器用に足で開く。
そして数歩入ったあたりに勢いよく布団を下ろした。
その建物は倉庫のようになっていて、ひどく埃っぽい。大きな作業台や農具、蓋付きの古い籠などが雑多に置かれていた。
「瑠奈、つっかえ棒持ってこい」
「はい!」
瑠奈さんがテキパキと動き、どこかから持ってきた長い棒を受け取ると、小野寺さんは俺を建物の中へ突き飛ばした。
「うおっ!?」
バランスを崩してよろよろと中に入り込んだ俺の背後で、勢いよく戸が閉められる。
「……へ?」
同時に外側からガタガタと戸に何か細工するような音がする。確認しようと戸に手をかけたが、全く動かない。
「えっ、あっ、ちょっと、何で?」
「どこでもいいなら、ここで寝ろ」
外から小野寺さんの声がする。俺はここに閉じ込められたのだ。
「え、ちょっと……冗談?」
「凪、朝まで絶対戸を開くなよ。瑠奈、これでいいか?」
「はい! さっすが、お姉さま!」
「あ、あぐりさん。中はろくに掃除もしてないし……」
「一晩だ。死にやしねえ」
そのまま立ち去る足音が聞こえる。少し遅れて、閉ざされた戸の向こうから消え入りそうな凪の声がした。
「……洋くん、ごめん」
そして凪のものらしい足音も遠ざかっていく。
俺はふかふかの布団と共に、埃舞う古びた空気が充満する納屋へ置き去りにされたのだった。




