歓迎会といきますか?
座敷には長い食卓が置かれていて、その上に運んできた料理が並ぶ。
俺は凪によって上座という席に座らされた。歓迎会の主役、ということらしい。
「それじゃみんなで食べましょう。いただきます」
「いただきまーす」
凪の声に続いてみんなで両手を合わせ、唱和をする。
大皿に盛られた白身魚の刺身。
熱々の麦飯と、とろみがあるやや白っぽい茶色の汁のようなもの。汁のお椀のそばには刻んだネギとキュウリ、すりゴマの薬味が乗った小皿が並ぶ。
どう食べようかと戸惑っていると、俺の右側に座っている小野寺さんが躊躇なく汁を麦飯にぶっかけたので、驚いた。
彼女は当然のように、汁をかけた麦飯の上からネギとキュウリ、すりゴマを全乗せする。
そして茶碗に口をつけ、ズゾゾッと勢いよく音を立てて啜り、箸でかき込んだ。
「……」
あまりにも野生を感じるその姿に俺は絶句した。行儀が悪い。ものすごく。
「さすがお姉さま、今日もいい食べっぷり!」
マナーにはうるさそうだと思っていた林さんは、小野寺さんのダイナミックな食べ方を舞台ファンのようにうっとりと眺めている。何なんだこの人たち。
圧倒されて箸を持つことすら忘れている俺に、左側に座っている凪が話しかけてくる。
「これ、さつま汁っていうの。汁かけご飯。美味しいよ。びっくりしただろうけど、あぐりさんの食べ方でいいんだよ」
凪はそう言うと同じように麦飯に汁をかけ、薬味を乗せ、茶碗に口をつけて食べ始めた。
小野寺さんの隣に座る林さんも、音こそ立てはしないが同じ食べ方だ。
少し抵抗はあったが、郷に入ればそのマナーに従うことにする。
汁のお椀を持ち上げて気づいた。熱くない。冷たい汁なんてかけたら炊きたての麦飯がぬるくなるんじゃないだろうか。
色々考えてしまうのが俺の悪い癖だ。俺以外のみんなは普通に食べてるじゃないか。小野寺さんなんていつの間にか2杯目をかき込んでいる。さっさと後に続くんだ。
薬味の混ざる汁に浸かった麦飯を見つめ、俺は思い切ってそれを口の中にかき込んだ。
その途端に、濃厚な魚の風味が口の中いっぱいに広がった。素朴な見た目とは違う深い味わいを堪能する前に、反射的にごくりと飲み込んでしまう。
「うわ、何だこれ。すげえ……美味い!」
「口に合ったみたいだね。良かった」
凪が嬉しそうに笑う。俺はもう一口、あと一口と、夢中でさつま汁をかき込んだ。
気づけば、目の前の茶碗は空っぽになっていた。
「お代わり、いる?」
「うん……いただきます」
食欲もなく、しおれた風船のようだった胃袋が嘘みたいに喜んでいるのを感じる。
程よくぬるまった汁かけご飯は、船酔いで荒れた胃を優しく満たしてくれた。
凪はくすくす笑いながら麦飯とさつま汁のお代わりをくれた。今度は1杯目よりも大盛りだ。
「白身魚の身を焼いて、麦味噌と合わせてよくすり潰すの。それを出汁で伸ばして、冷やしておく。下ごしらえはあぐりさんと瑠奈さんに頼んでおいたんだ。二人ともありがとう」
「ん」
「これくらい大したことじゃないわ」
小野寺さんが無言で頷き、林さんは当然とばかりに胸を張る。
そうだ、この地域独特の麦味噌の甘み。すっかり忘れていた。
ちなみにそのころ小野寺さんは3杯目に突入していた。
「隠し味はね、河内晩柑の皮を入れるの」
「あのミカン?」
「そう。さっぱりして食べやすいでしょ?」
「うん、すごく美味かった」
「良かった。お刺身もあるよ、食べてみて」
大皿に乗った魚の刺身をちらりと見る。さつま汁は良かったが、生ものはどうだろう。
「……海沿いの漁師衆から、凪がわざわざ手に入れてきたアジだぞ。食わねえつもりか」
ひたすら無言でさつま汁を平らげていた小野寺さんが、茶碗の縁から俺を睨む。
これは分かる。完全に怒っている。食の恨みは怖い。
「た、食べるよ。いただきます」
俺は大皿から刺身を一切れ取って、祈りながら口に入れた。
プリプリとした弾力が舌の上で跳ねるように感じた。表面に振られた塩が脂と一緒に溶けて、淡白なアジの旨みが噛むたびに広がる。そして、このほのかに甘い爽やかな後味は――
「これも、河内晩柑?」
「正解! お醤油を切らしちゃってて、代わりに塩と河内晩柑の汁を振ったの。皮目を炙ったから、あんまり生臭さを感じないと思うんだけど……どうかな?」
凪が照れたように笑っている。
ひどい船酔い。初対面の女の子たちから向けられるやんわりとしたプレッシャー。そんな暗鬱な霧が目の前から晴れるくらいの効果がこの食事にはあった。
今日のためにこんなメニューを用意してくれた凪に感謝を伝えないなんて、罰が当たる。
「凪、料理人になれるんじゃないか? さつま汁も刺身も全部美味いよ、すごいな!」
「そ、そんな。大げさだよ?」
耳たぶまで真っ赤になった凪は、困ったように両手を振っている。
どんなに凪が恥ずかしがったところで、撤回するつもりはない。
東京では配給の保存食くらいしか食べられなかった。飢えも死にもしないが、それはただ日々を生きるためだけの空虚な食事だった気がする。
たくさんの手間と旨みを凝縮した汁。食べる人への思いやりを込めた、新鮮そのものの海の恵み。
それは枯れていた味覚を奮い起こす、久しぶりの生きたごちそうだった。
「やれやれ、やっと食える」
「まず最初に洋くんに食べさせたいって、凪がうるさかったのよねー」
「ちょ、ちょっと二人とも、バラしちゃだめ!」
焦る凪をどこ吹く風と、蚊帳の外になっていた女子二人が箸を伸ばし、肉厚のアジの刺身に舌鼓を打つ。
「うめえな」
「ん〜、このプリプリの身が最高! 都会帰りにはもったいない味だわね」
「ええ〜……」
「瑠奈さん、そんなこと言わないで。お代わりまだまだあるからね」
うまい食事で腹が膨れて、自然と会話も弾む。
少なくとも、土間での居心地の悪さは今はすっかり忘れることができた。




