ようこそ、俺たちの城へ
キャリーケースを置いてきた俺と奏くんの足取りは軽かった。
近道になるので、来たルートとは別の段々畑の農道から麓のフリースクールの校舎まで下りていくことにする。
奏くんは案の定、興味を引かれていた河内晩柑を間近で見られて少し興奮しているようだった。
「な、近くで見るとさらにでっかいだろ?」
俺の言葉に奏くんは無言で頷いている。
「どうしてこんなに大きいの?」
「実もでかいけど、皮が厚いんだ。剥くのは正直手間だけど、そのぶん味が濃い気がするな」
「どうして黄色いの?」
「え、それは……品種とか?」
「どんな味がするの? 冬でも同じように実るの?」
「ちょ、ちょ、待って……」
それまで無口だったのが嘘みたいに、奏くんの疑問がマシンガンのように俺に向けて撃ち込まれる。
河内晩柑の詳しいことについてはあぐりさんに任せればいいかな。味は今日の夕飯で食べさせてあげればいいし。
「河内晩柑、気に入ったのか?」
「うん。こんな綺麗な果物、初めて見た……」
俺に答えながらも奏くんの瞳はそのまま河内晩柑の大きな実に釘付けになっている。気を取られすぎて躓かないよう注意しながら、俺達は潮風と甘酸っぱい香りが混じる農道を下りていった。
正面の三角屋根が特徴の、フリースクールの校舎が見えてくる。俺はグラウンドで一度立ち止まると、両手を広げて奏くんに向き直る。
「じゃーん、ここがフリースクール。廃校になった学校を再利用してるんだ」
そして俺がここ数カ月かけて掃除し、ピカピカにしておいた場所でもある。しかし誇らしげに胸を張る俺とは裏腹に、奏くんの反応は薄かった。
「廃校……他の生徒は?」
「え? ま、まあ。ここの地区の子供はまだ小学校に上る前だし。放っておくのももったいないだろ? だから全国から生徒を集めてフリースクールを開いてるんだよ」
「ふうん……」
奏くんは俯いてしまう。まずい、不安にさせたかな。
「同年代の子供はいないけどさ、俺もフリースクールの生徒だ。明日から俺と一緒に勉強しよう」
「どんな?」
「どんな……う〜ん、どんな……かな……」
さらにまずい。改めて考えると俺だって今までフリースクールで学ばせてもらったことは一度もない。周りの人たちに助けられながら自分にできることを模索できるようになったのは俺自身の成長で誇りに思っているが、それとこれとは別の話だ。
「ま、まあ明日になれば分かるよ。ちょっとだけ校舎の中を見てから戻ろうか」
頷く奏くんを連れて、俺は校舎の一階を案内した。
恐らくメインで使うことになる103教室。各教室の鍵などが保管されている職員室。たまに町内放送にも使われる放送室など。
「あ、そういえば。奏くんが来たから俺も今夜からここで寝泊まりするよう言われてたな」
案内の道すがら、凪に事前に言われていたことを思い出す。
もともとフリースクールや援農でここに訪れた人のうち、男性はフリースクールの校舎で寝泊まりするルールだ。俺は生徒一人でフリースクールが開校されていなかったこと、凪の知人ということが重なって、特例として屋敷の納屋で寝泊まりさせてもらっていた。
さすがに奏くんを納屋で寝泊まりさせるわけにはいかないだろう。不思議そうに俺を見上げる奏くんを安心させるように微笑む。
「よし、俺たちが寝るとこも見に行こう」
確か校舎の二階の端っこの教室って聞いてたな。奏くんと階段を上り、頭上のプレートに『多目的教室』と書いてある教室の戸を開ける。
板張りの床の一角にどこからか持ってきたらしい畳が数枚敷き詰められていて、その上に布団が二組畳まれている。これが俺と奏くんの寝具らしい。
それ以外には使わない長机や椅子などが固まって置いてあるだけで、生活感のある家具なんかはゼロだ。確かに寝るだけの部屋だけど、がらんとしすぎてて却って落ち着かないんじゃないか?
(俺が使ってた物は納屋から運んでくるとして……)
チラッと奏くんを見ると、どこか居心地悪そうにソワソワしているようだ。
「あんまり物が無さすぎるのもアレだよな。よし、明日使えそうな物を集めてくるか。そんでもう少し住みやすくしよう」
俺は奏くんの目を見て尋ねる。
「奏くんも一緒に手伝ってくれるか? この部屋をどんな風にしたい?」
「……えっと」
「急に言われても分かんないよな。ゆっくりでいいよ、考えといてくれな」
奏くんは少し間を開けて、かすかに頷いた。
地区の人達が事前に準備をしてくれたとはいえ、しばらく使っていない教室だ。空気の入れ替えも兼ねて窓を開けた。校舎の二階から見える瀬戸内の海は、一階の103教室から見たときより広大に見える。
知らない場所に馴染むには小さなことでも仕事を与えるのがベストだ。奏くんが一日でも早くここが自分の故郷のように過ごせるよう、俺もできるだけのことをする。
ゆっくり夕方へ移っていく空とそれに応えるように暖かい茜色へ染まる海。その向こうで今も息子を案じているだろうご両親に、心からの笑顔になった奏くんを見せてあげたい。
広がる夕景を眺めながら俺は静かにそう願っていた。




