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小さな太陽

 大きなキャリーケースのうち一つを奏くん、もう一つを俺が持ち、船着き場から生活道路を使って凪の屋敷まで戻ることにした。

 段々畑の農道を通ったほうが近道だが、キャリーケースを引いて歩くには狭くて急すぎる。

 緩い坂道を上る道すがら奏くんに色々と聞いてみることにする。

「奏くんはどこから来たんだ?」

「……神戸」

「へえ、けっこう都会だな。この辺は田舎って感じで珍しいだろ?」

「山……住んでた」

「山に?」

 神戸って、確か海沿いの町だったよな? 山に住んでたって何だ?

 あぐりさんほどじゃないけど奏くんは無口だ。聞いたことには応えるが、それ以外は自分から言葉を発することはない。

「ここに来る生徒さんは色んな事情があるから」と凪が言っていた。ということは、言葉少ななことはあまり深く聞かない方がいいんだろうか。

 後輩ができると思って勝手に浮かれていたけど、なんか会話の加減が難しいな。

 蛇行する生活道路を上がっていくと、段々畑がよく見下ろせるカーブの先端に着く。

「ここが一番見晴らしがいいよ。奏くん見てごらん、あそこが段々畑。山の斜面に石垣を組んで、そこで柑橘を育ててるの」

 凪が自然に案内する。さすがにこういうことは慣れてるんだな。

 促された奏くんがガードレールに手をかけ、恐る恐るといった風に段々畑を見渡す。

 麓からの潮風に吹かれたその表情が、ぱあっと明るく輝いたのは見間違いではないだろう。

「……太陽」

「え?」

 小さな小さなその呟きを、俺と凪は聞き逃さなかった。

「木に、小さな太陽。たくさんある……」

「太陽……?」

 謎かけのようなその呟きはあいまいで、何を言いたいのか全然分からない。

「あ! 河内晩柑?」

「ばんかん?」

 そのとき、凪が閃いたとばかりに手を打った。奏くんがその音に振り返る。

「あの黄色い実、河内晩柑って言うの。ミカンの仲間だけど、もっと大きくて皮も厚くて……」

「ミカンは、冬だよ」

「正確には柑橘ね。あれは夏が食べごろ。いまから収穫して、この周辺の地区で食べるの。多く採れたら県外にも少しだけ運ぶんだよ」

「ふーん……」

 奏くんは段々畑にずらっと並ぶ河内晩柑に目が釘付けのようだ。俺はその背後で凪に小声で話しかける。

「小さい太陽なんて、なんか独特の言葉使うよな」

「そう? 素敵だと思う。確かに温州みかんと比べると大きくて、太陽みたいだもの」

「確かに……最初見たときはミカンだと思わなかったもんな」

「だから。柑橘だよ、か・ん・き・つ!」

 凪にやんわりと釘を刺されるが、そのこだわりは正直俺には理解できない。

 だがその柑橘の実に、遠いところからやって来た奏くんが興味津々でいるのは良い傾向なんだろう。


 石造りの階段の前までたどり着き、屋敷の門を見上げた奏くんはまたぽつりと「お城みたい」と呟いた。

「ここはお姉ちゃん達が住んでるよ。他にも二人お姉ちゃんがいるね。みんなここで一緒にご飯を食べるの。帰ってきたら紹介するね」

 奏くんはぼんやりと凪の言葉を聞き流す。他の滞在者のことはあまり興味がないのかな。

「お姉ちゃんは今から晩ごはんの準備をするから、それまでお兄ちゃんと一緒にいてね。奏くんは何か食べたいものある?」

 かがんで奏くんに視線を合わせ、笑顔で凪が話しかける。無口な奏くんに自然にペースを合わせるその姿は、なんだかベテランの保育士さんみたいだ。

 奏くんはしばらく黙っていたが、ようやく口を開いた。

「……カレー」

「えっ?」

 それを聞いた凪の動きが固まる。

「カレー」

「か、カレー……?」

 奏くんが頷く。凪は明らかに動揺していた。

 すかさずその隣に近づき、凪の耳に囁く。

「どうした?」

「カレー……。カレーって、あのカレーだよね。カレーライス」

「そうだな」

「……ないの」

「ん?」

「カレー粉なんてこの地区にないの。私だってもう何年も食べたことない」

 思わず凪を見るが、不安そうに俺を見返すその表情は真っ青で、『打つ手なし』と全力で訴えてきている。

 俺は一瞬空を仰ぎ見てから、奏くんを向く。

「奏くん、着いたとこ悪いけどフリースクールを見に行かないか? 男二人で探検に行こう!」

「え?」

 驚いたのは奏くんじゃなく、凪だった。奏くんはただぼんやりと俺を見つめ返している。

「待ってよ洋くん置いていかないで。一緒に考えて」

 凪は俺のシャツの袖を掴んで必死に頼み込んできた。

「そうしたいけどカレーの代わりの料理なんて俺には無理だ。時間稼いでくるから、その間に何とかしてくれ」

「何とかってどうするの?」

「何とかって……何とか。瑠奈さんやあぐりさんが何か知っているかもしれないだろ。じゃ、頼む!」

「洋くん!」

 俺は土間にキャリーケースを素早く運び込むと、奏くんの背中を軽く押した。そして二人で今しがた潜った門から慌ただしく出ていく。恨みがましい凪の声だけが追いかけてくるが、それは右から左へ聞き流すしかなかった。

 後が怖いが仕方ない。あのまま考え込んでても、凪のパニックに拍車をかけるだけだろうし。

 うん仕方ない……よな?

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