出会いの予感、まだ見ぬ訪れ
化け物ミミズの問題も解決し、地区を潤す長い梅雨が明けた。
段々畑の斜面には本格的な収穫を前にした河内晩柑の実が黄色く輝き、勢いを増す夏の日差しは白い石垣と瀬戸内海の青い海を祝福するように照らし出している。
縁側に吊られた風鈴が、熱い空気を浄化するように涼やかな音色を耳に運ぶ。
生活道路の脇にいくつも連なっている畑では、大きな緑の葉の影で旬の夏野菜が実っている。
少しばかり日焼けした肌になった俺は、凪が作ってくれた弁当を手に上機嫌でフリースクールへ向かっていた。
毎日通い、すっかり目に慣れた正面の三角屋根が象徴的な二階建ての廃校跡。地区の皆さんの手入れのおかげでもともと状態の良かった校舎だ。そこを自分の手で掃除してさらにキレイに保とうとする活動を始めて数カ月が経った。
ついに校内の教室を全て掃除し終えたのが数日前。本来ならそこで活動は一区切りしようと考えていたが、それを改める出来事があった。
なんと、この夏からフリースクールに新しい生徒を迎えることになったのだ。
俺がここのフリースクールに通うことになったのは、初夏を前にした春のことだった。その時はまさかの生徒俺1人という状況で、教える側の人手も足りずフリースクール開校不可能という悲惨な結果になった。
落ち込み、ヤケになり、散々腐った俺だったが、周囲の人たちに見守られて何とか立ち直った。
以来、新しい生徒が来るまでに校舎をピカピカにするという活動を自分に課したというわけだ。
念願の新入生を迎えるとなっては、校舎だけじゃ足りない。もっともっと隅々まで、そう、校舎の屋上まで隈なく掃除しきってやろうと決意した。我ながらいい考えだ。
校舎の掃除だけでなく、地区の空き家の見回りや雑草抜きなどにも精を出していた俺は、来た時よりも信頼されるようになっていた。そのため校舎内はどこでも立ち入っていいという許可も得ている。
俺は職員室から屋上の扉のカギを取り、階段を一つ飛ばしで上がっていく。浮かれる気持ちのまま、あっという間に二階まで上がり、カギを使って屋上へと出る。
広い屋上は長年の風雨に晒されて汚れが目立つ。近くの山から飛んできた枝木が散らばり、落下防止のフェンスもところどころ劣化し穴が空いているような状態だった。
まずは目立ったゴミを撤去し、汚れを落とし、フェンスを修復して万が一の危険から新しい生徒を守る。
少し前の俺ならこれを一人で片付ける労力を思い、絶望していただろう。
しかし引きこもりを克服し、未知の化け物ミミズにも立ち向かい、自信を取り戻した今の俺には向かうところ敵はない。
「見てろよ、全部キレイにしてやるからな!」
燦々と降り注ぐ乾いた太陽の光に宣言し、俺は掃除用具を確保するため意気揚々と校舎へ立ち戻るのだった。
夕方。鮮やかな空の青が薄い葡萄色に代わり、昼間の暑さがゆったりと和らいできた頃。
屋敷に戻った俺は、猛烈な日差しに焼かれてひどい日焼けに苦しみ、うつぶせで居間に横たわっていた。
「休憩もそこそこにずっと炎天下の中掃除してたって? ほんっとバカねー」
冷たい麦茶で喉を潤す瑠奈さんは、ノースリーブの膝丈ワンピースという格好で縁側に座って夕涼みをしている。時々手に持ったうちわでこちらを扇いでくれる優しさが身に沁みた。
「なんか……一人だとテンション上がっちゃって……」
「バカなりに水分補給してただけマシかしら。あんなとこで一人で倒れたら誰も気づかないわよ」
「海の近くに行くほど紫外線がきつくなるんだよ。熱中症も怖いんだから、気をつけてね」
凪は長い髪をポニーテールにして暑さを紛らわせている。水玉の白いブラウスが夏らしい。
「気をつけます……」
今はただヒリヒリと痛む肌がつらい。全身真っ赤で帰ってきた俺にものも言わず井戸の水をぶちまけて冷やしてくれた凪と瑠奈さんの形相を思い出し、反省した。
「なんだって、そこまで張り切ってんだ」
夕食を前に、麦茶を飲みつつ漬物をポリポリとつまんでいたあぐりさんが尋ねてくる。
「だって……後輩ができるから」
「おめもまだ生徒じゃねんださげ、同級生だろ」
「先に入学したんだから、ちょっとくらい先輩ぶってもいいだろ?」
「やだ、ガキみたい」
瑠奈さんがクスクス笑いながら茶化す。ガキで結構。俺は誰よりも新しい仲間が来るのが楽しみだった。
「どんなのが来んだ?」
「ええと……12歳の男の子。まだ小学生だよ」
他の地域からの滞在者の、主に食事の世話を担当する凪は事前にある程度は把握している。それを聞いたあぐりさんは少し驚いていた。
「洋よりガキでねえか」
「うん。フリースクールに来る生徒さんには色んな事情があるけど……さすがに小学生は珍しいかな」
世間ではまだ親に保護されるべき年齢の子供を受け入れることに、凪も少し心配している様子だ。
「一人で来るんでしょ? 親が恋しいって泣いたりしないのかしら」
「親御さんもそれは承知の上で同意書を送ってきてくれてるけど……」
「こんなご時世に子供だけ送んだ。よっぽどの事情があんなだろ」
横になったまま凪たちの話を聞きながら、俺は口を開く。
「どんな事情があってもさ、受け入れてあげようよ」
「洋くん……」
「俺はここに来て、凪と再会して、瑠奈さんやあぐりさんと会えて、良かったと思う」
それは混じりっけのない俺の本心だ。どうしようもなかった俺はここに来て変わることができた。ここには人を癒して、明日を生きる希望を与える力がきっとある。
「カッコつけちゃって。ちょっとは言えるようになったじゃない?」
「駄々こねて泣きべそかいてたのと同じ奴とは思えねえ」
「む、昔のことはいいだろ! あ、痛い、動くと痛い!」
すさまじい日焼けに悶える俺を囲んで、皆が笑う。
苦しむ姿を笑われるのは楽しくはなかったが、不思議とそこに確かにある愛情を感じる。俺は笑いながら痛い痛いと喚くのだった。




