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日常は形を変えて

 翌日、俺と瑠奈さんは旧小学校跡地のフリースクールへと赴いていた。

 ここの校舎もだいぶ掃除が行き届き、あとは二階の教室を二部屋ほど残すのみとなっている。

 それはさておき、今日用事があるのは一階にある放送室だった。

「まさか今どきカセットテープなんてものに触る日が来るなんて思わなかったわよ」

 瑠奈さんが呆れたように、しかしその言葉とは裏腹にどこか楽しそうな表情で笑っている。

 巨大ミミズを土の下からおびき出すために、あぐりさんが木の杭と手持ちの鉈を擦り合わせた独特の音。あの音を瑠奈さんはスマートフォンで録音していたのだ。

 そして今スマートフォンと放送室のミキサーを変換ケーブルで繋ぎ、録音データをカセットテープにダビングしているというわけだ。

「地区のみんながミミズ退治するのに、いちいち瑠奈さんのスマホ借りるわけにもいかないだろ」

「そりゃそうだけど……こんなローテクの遺物が役に立つ日が来るなんてね」

「ローテクってほどじゃないだろ。俺も自宅ではラジカセからラジオとか聞いてたよ。伯母さんのだけど」

 そうなのだ。世界的水害の影響で通信や交通網が使いものにならなくなった中、ラジオ放送は以前と同じ、いやそれ以上に活用され続けている。

 その理由は、都会はもちろん地方の隅々にも浸透している『ラジカセ』という電化製品にある。

 もともと爆発的ヒットを果たした歴史を持つ品だが、俺が生まれる前に起こった昭和レトロブームで再度ブレイクした。その経緯で今や日本中の家庭に1台は存在している国民的家電となっている。

 再ブレイクの折にもカセットテープの録音・再生機能は無くならなかったことから、瑠奈さんの言う『ローテク』の記録媒体がどれほどこの国に浸透していたのか想像できるだろう。

「おかげでラジカセのスイッチを押すだけで女の人でも化け物退治の手伝いができるんだ。ローテク様々だよ」

「分かってるんだけど……普段からスマホを持ってる私からすると複雑よ」

 この世界においては最新鋭の電化製品であるスマートフォンを横目に見ながら、瑠奈さんが退屈そうに伸びをする。その姿が何だか面白くて、俺は明るく笑った。


 その後は瑠奈さんと手分けし、録音したカセットテープを地区内にあるお宅へ説明しながら配って回った。あの化け物みたいな大きさのミミズと直接対峙しなくてもよくなったと聞いただけで、皆が「助かる」と口を揃えて言っていたのが印象的だ。

 地区を回る途中で、出歩いていたらしい兵頭さんとも会った。その手には瑠奈さんから受け取ったのか、例のカセットテープが握られている。

 声をかけようとしたが、向こうから軽く会釈をされてそのまま兵頭さんは行ってしまった。

 少しずつ変わっていく。この地区も、これまでのやり方も。

 俺は去っていくその背中を黙って見送った。


 屋敷に戻ったのはオレンジの夕焼けが空を染め、海に半分ほど浸かる頃だった。

 いつもなら凪の作る甘めの麦味噌を使ったみそ汁の匂いが、中庭の辺りまで漂っている。近ごろはその匂いを嗅ぐと『帰ってきた』という感じがして心が自然と穏やかになる。

 ……はずなのだが。

「ただいま。なんだこの匂い……?」

 玄関先で思わず口に出してしまうほど、この日の様子はいつもと異なっていた。

 何というか焦げ臭いのだ。

 凪が料理を失敗するはずがない。だとすると、まさか火事か?

「みんな大丈夫か!?」

 俺は慌てて居間の座敷に飛び込んだ。すでに揃っていた女性陣が、何事かとこちらを見てくる。

「お帰り洋くん。大丈夫って、何が?」

「何がって……あれ?」

 見た感じは何事もなく、すでに食卓には夕飯の料理が並んでいる。だが、それらを見た俺は目を大きく見開いた。

「何だ……こりゃ」

 いつもお代わりをしてしまう麦飯は無情にも焦げ、麦飯に最高に合うみそ汁は誰がどう見ても可食を疑うほどに黒ずんでいる。恐らく、ナスとコンニャクを炊いたらしい料理はどれがナスでどれがコンニャクか判別がつかないほどグズグズに煮込まれてしまっていた。

 常備菜の漬物と白和えだけが唯一無事と言っていい本日の食卓は『悲惨』の二文字がふさわしい有様だった。

「凪……じゃないよな。これ、誰が?」

「……おれだ」

「あぐりさん!?」

 納得と愕然に一度に襲われて俺は無駄にでかい声を出してしまった。あぐりさんは正座をし、大きな体を精一杯小さくして俯いてしまっている。

「何であぐりさんが?」

「……私が言って、作ってもらったの」

 俺の隣で凪が手を上げる。その表情は何かを我慢しているように見える。いや、たぶん怒ってる。

「聞いていいか? 何で?」

「腹が立っちゃって」

 あ、やっぱりな。ここ数日の出来事から、凪の不機嫌の様子が何となく分かるようになってきた。

「あぐりさん、凪に何かしたのか?」

「いんや」

 あぐりさんが首を横に振る。そこにすかさず凪が返す。

「しました」

「してねえ」

「してないけど、言ったよね?」

「……言った、けんど」

 その様子を見ていた瑠奈さんがため息交じりに俺にささやいた。

「あのね、お姉さまがここを出ていくって」

「えっ!? 瑠奈さん知ってたのか?」

「知らないわよ! 私だって、何が何だか……」

 瑠奈さんは戸惑うようにあぐりさんに視線を向けている。確かに急にそんなこと聞かされても信じられない。

「何で……? 理由を聞かせてくれよ」

「……厄介もんの問題も片付いた。もうここで、おれが役立てることはねえ」

 あぐりさんの言葉を聞いた途端、兵頭さんの物言わぬ背中が頭に浮かんだ。ぎゅっと目を閉じてそのイメージを振り払う。

「そんなこと! 援農の仕事は他にもあるだろ?」

「あるにはあるが、おれじゃなきゃ出来ねえことはねえ。また誰か来る。少なくども、おれはそうしてきた」

「それでも……それでも!」

 思いの丈をぶちまけたいのに、あとに続く言葉が詰まったように出てこない。

 やっとあぐりさんと対等に話せるようになったと思ったのに。ようやくあぐりさんが抱えてきたことを聞かせてもらえたばかりなのに。

 分かり合えたからこれで一区切りなのか? 冗談じゃない。何もかもこれからじゃないか。

「そんなの、勝手だ。俺はまだまだあぐりさんから教えてもらいたいことも、話したいことも沢山あるのに」

「おめは……大したやつだ。おれがいなくても一人でやれる」

「一人でなんてできるわけないだろ! あぐりさんがいたから、みんながいたから上手くできたんじゃないか!」

 頭の中がぐちゃぐちゃで、訳が分からない。とにかくあぐりさんがここから居なくなることが耐え難くて、嫌で、どうしようもなかった。

 両親が亡くなったときも、凪と別れたときも、伯母さんの家に引き取られたときも、こんなに胸が揺さぶられることはなかった。自分が持てる力の限りで誰かを引き留めたいと思うなんて、初めてのことだ。

 そんな俺の背後で、静かに息を吸い込む音がする。ずっと黙っていた凪だ。

「それでね、私が頼んだの。最後にあぐりさんが作った料理が食べたいって」

「あぐりさんの……?」

「そう。昨日の山形のだし、美味しかった。料理の味ってずっと記憶に残るから」

 凪はそう言うが、食卓に並ぶ品々はだいぶ、かなり問題がありそうだ。記憶に残るという意味では間違いないが。

「だから言ったろ、おれは料理なんかやったことねえって。だしは切って混ぜるだけだ。誰だってできる」

「そうだね。でも私が隣に立って教えたでしょ?」

「一朝一夕でできるようになるもんか」

「もちろん。だから、美味しくできるようになるまで私が教えるから」

「え?」

 その場の全員が凪を見た。凪の目は真っすぐで、一切の淀みもない。

「こんなひどい出来の料理でお別れなんて認めません。ちゃんと美味しくできるまでみっちり教えるから。それまでここを発つことは許しません。いい?」

 あぐりさんは何か言い返そうとしているのか、口を開きかけては閉じを繰り返している。しかし口下手な彼女が凪を納得させる言葉を発することはついになかった。

 その様子を見ていた瑠奈さんは、あぐりさんに気づかれないように肩を震わせて小さく笑っている。

「さあ、話がまとまったところで食べましょうか」

「は?」

「こ、これを?」

「当たり前でしょう。ご飯を食べずに捨てるなんてもったいないこと、我が家では許しませんから!」

 朗らかな顔で絶望的な宣託を下す凪を前に、俺達は言い返すこともできずにただ恐れおののくことしかできない。

 今回のことで一番たくましく成長したのは実は凪だったのかもしれない。

「な、凪。おれが悪かったさげ……こいつらにこんなもん食わすのは」

「何言ってるの、初めてならこんなものよ。私だって最初は全部コゲコゲだったんだから」

「そんでも限度ちゅうもんが……」

 あぐりさんの弱々しい抵抗を、凪はどこ吹く風と聞き流す。

 いつもの居間、いつもの食卓。ただ今日は並ぶ料理全てが焦げ臭く、おそらく味も散々だ。

 それでもこの場に全員が揃っている。その喜びに比べたら、どうってことない。

 済まなさそうに眉をひそめるあぐりさん。笑いを噛み殺している瑠奈さん。満面の笑みの凪。

「覚悟決めよう、あぐりさん」

「うるせえ……」

 俺は思わず笑ってしまう。間違いなく、この人たちが大好きだ。

「それでは、みんなで食べましょう。いただきます!」

「いただきます!」

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