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決意、燻る火種

 兵頭さんに居間へ上がってもらい、上座ではなく長机を挟んで俺と向かい合う形で座ってもらう。

「その方が話しやすい」と兵頭さんからそうしてもらった。

 瑠奈さん自身は迷っていたが、俺一人じゃどうにも不安なので同席してもらうことにした。

 毎日使う水玉模様の急須と湯呑で温かいお茶を入れ、瑠奈さんと協力して運んだ。これくらいなら今の俺でもできる。

 そうして話の場が整った。

 兵頭さんは俺と、その隣に座る瑠奈さんを交互に見つめる。

「話すのはええが……どこまで知っとる?」

「な、何がですか?」

「あぐりのことよ。ここに来て援農をしよる、それ以外は」

 俺はすでに何も言えなかった。ここに来てから1ヶ月、衣食住こそ家族のように過ごしてきたが、それ以外のこととなるとまるで霞を掴むようにぼんやりとしたことしか知らないからだ。

 そんな俺を見かねたか、瑠奈さんが口を挟む。

「東北地方の出身ですよね。それから水害をきっかけに、全国の援農受け入れ先を旅してるって」

 俺よりはあぐりさんと付き合いの長い瑠奈さんの言葉に驚いた。それこそ初耳だ。

「そうよ、元々は米農家の娘じゃ。基本は身についとるが、農業はその地域独特の色がある。土とか水とか、そういうんの違いがな」

 俺は最初にあぐりさんと挑んだ石垣の修復のことを思い出す。厳密には農業じゃなかったかもしれないが、あれも簡単そうに見えて繊細なバランスが必要だった。

「あぐりがここに来た時、細かいことを教えたんがわしじゃった。すでに色んなとこで援農してきよったけん、飲み込みは早かった。一人で大概のことができるようになってからも、時々訪ねてきて二人で話す機会もぽつぽつ、あったわい」

 兵頭さんは言葉を選びながら、ゆっくりと話してくれる。その姿には不思議な安心感がある。

 瑠奈さんと直子さんが孫と祖母のような関係だとすれば、あぐりさんと兵頭さんは弟子と師匠のような関係なのかもしれない。

 だから今日、俺のケガが原因で凪と衝突したあぐりさんは兵頭さんの所へ向かったんだ。

「……なんがあったんかは大概、あぐりから聞いた。わしはな、焦ったんじゃと思う」

「焦り……ですか?」

 いよいよ本題だ。あの恐ろしい巨大ミミズとの戦い。俺は何の準備もなく、あぐりさんの指示で突然その場に放り込まれたと言ってもいい。

 ただでさえ農業も素人同然の俺に、どうしてそんな無茶をさせたのか。

「わしはな、今期で農家を引退するんよ」

「え……?」

 兵頭さんのその言葉には瑠奈さんの方が衝撃を受けたようだった。

「そんな。兵頭さん、この地区の大ベテランじゃないですか。ここの家庭菜園もほとんど兵頭さんが整えてくれたし」

「懐かしいのう。あの頃はわしもしゃんとしよった。ミミズ1匹くらいなら一人でも懲らしめやったしな」

 嘘だろ。いや、瑠奈さんが否定しないところを見るとマジなのか。

「けんど、近ごろはあぐりと二人で何とか追い払うくらいよ。他の若いのは家庭持ちが多いけん、なるべく危険な目には合わせられんしな」

 それはその通りだ。俺の家族がまだ生きていたとしても、自分の父親にあんな危険な目には合ってほしくない。

「それはあぐりにも伝えとった。顔は平然としよったが……実は焦っとったんじゃろなあ。若いんを説得して、どうにかあぐりの手伝いだけでもさせんとと思っとったところで、今日の話よ」

 兵頭さんの加齢で垂れた瞼の奥の、それでも鋭い光を宿す瞳と目が合う。

「お前には悪かったが、ケガも(あそ)うて良かった。けんどあぐりを責められん(※)。わしがおらんなって、特にあのミミズ共を懲らしめる人手が足りんなるけん、どうにかせんと一人で焦ったんじゃろなあ」

 兵頭さんはそこでようやく湯呑に手を伸ばす。

 湯気が立っていたお茶は、その頃にはすっかりぬるくなってしまっていた。


 兵頭さんは一人で平気だと言い張ったが、瑠奈さんが途中まで送っていくとこちらも譲らなかった。

 この辺りは大きな川こそ少ないが、雨で増水するとそれなりに危険らしい。

 二人を見送ったあと、居間でぽつんと一人になる。本当にこの屋敷は一人でいるには広すぎる。

 その時、聞き逃してしまいそうなほどかすかに奥の襖が開く音がした。そちらに目をやると、半日ぶりに見る凪の姿があった。

「凪……! もう大丈夫なのか?」

「うん……洋くんは?」

「完全じゃないけど、動けるよ。凪がすぐお医者さん呼んでくれたからな」

「そう……よかった」

 微笑む凪だが、やはりどこか弱々しい。もしかしてと思い、聞いてみた。

「あの……さっき兵頭さんが来てくれててさ。その話、聞いてた?」

 凪は畳の上に視線を落とし、間を空けてから頷いた。

「聞いてた。全部」

「そっか」

 別に盗み聞きしたことをどうこう言うつもりはなかった。それが凪が二階から降りてくるタイミングだったんだ。

「それでも私はあぐりさんを許せない」

「凪」

「どうして洋くんなの? どうして洋くんなら危険な目に合わせてもいいって思えるの? それが私には、分からない……」

 凪は膝の上で両手を固く握りしめている。激しい感情を何とか抑え込んでいるのだろう。

「俺にも分かんないよ。本当のところはあぐりさんに聞かなきゃ。けど……何となくなら分かる気がする」

 凪が顔を上げて俺を見る。今度は俺が凪に微笑む番だった。

「たぶん、あぐりさんは俺を信頼してくれたんだと思う。ただのうぬぼれかもしれないけど。俺さ、ここで暮らすのがすげー楽しいんだ。来たばっかのときよりずっと充実してる。自分にできることをすればみんな受け入れてくれるし、そしたらどんどんできることも増えていく。それもすげー楽しい」

 凪を元気づけたいだけじゃない。これは俺の本心だった。

 それでも少し凪の表情が和らいだ気がする。

「そんな感じでさ、ちょっとだけ自信がついたんだ。こんな俺でも何かはできるって。きっとあぐりさんにもそれが伝わってたんだと思う。それで、俺に任せようって思ってくれたんじゃないかな」

「……そうだったとしても、やっぱり危険だよ。洋くんはそれでもいいの?」

「正直なところ、俺には難しいと思う。兵頭さんでさえ、見込みがあるあぐりさん以外にミミズ退治の仕事は任せようとしなかったろ。仮にもしできたとしても、少ない人数が命がけで維持しなきゃならない仕事なんて、いつか破綻する」

「じゃあ、どうするの?」

 凪は安心したいんだろう。俺だってそうだ。でも、いくら二人で考えても答えは出てこない。

 答えのない問いを暗闇に放り投げたような、漠然とした不安が居間全体を包んでいるようだ。

 それでもきっとあるはずだ。あぐりさん一人だけに重荷を背負わせたりせず、なるべく危険を冒さずに対処する方法が。

 凪の不安と、あぐりさんの焦り。俺の胸の奥で小さな、けれど確かな決意の火が燻り始めていた。

(※)責められん=責めてはいけない

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