是澤 洋(これさわ ひろし)という少年
四国側の中継駅、宇多津。
かつて駅舎があった場所には、陸地へ向かって長い桟敷が架けられていた。
頑丈な資材や浮きで補強された桟敷の隙間から、フジツボが波に叩かれているのが見える。
揺れる足場を頼りない足取りで渡り、小型の船舶が停まっている簡易的な港へと上陸する。
港のすぐ側にあった小屋の入口には、日焼けした40代くらいの男性が椅子に座っていた。
なんとなく通り過ぎようとしたら立ち上がって止められた。
「切符」
吐き捨てるように言われて、慌てて服のポケットを探った。
岡山からの特急券は、何回も使いまわしされてぐしゃぐしゃだ。そんな紙切れ1枚でも、海の上の橋を渡る片道ぶんの価値はある。
「身分証明書もあれば、出して」
男の言い方はどこまでも素っ気ない。東京の学校の学生証は持っていたが、それを言われるままに見せていいかどうか分からなかった。
「持ってない、です」
俺は嘘をついた。後ろめたさを感じて心臓がバクバクと大きく動く。
「じゃあ分かるとこだけ、書いて」
男が差し出したのは名前や生年月日、国籍、住所などを書く書類だった。性的嗜好や好き嫌いなど、項目は星の数ほどあり、これを全部埋めるには相当な時間がかかるのは間違いなかった。
「あ、あの……」
「身分証明、ほんとに持ってないの?」
男は面倒くさそうにもう一度尋ねてきた。俺は目を左右にさまよわせて、ついに観念した。
「あります……」
「手間かけさせんなよ」
大きな舌打ちが聞こえる。その通りのことをしてしまった自覚があるので、俺は男の顔を見られなかった。
「是澤、ヨウ?」
「洋、です」
「ヒロシ君ね、はい」
男は胸ポケットからスマートフォンを出すと、俺の学生証を撮影した。薄暗い小屋の中がフラッシュの明かりで一瞬、照らされる。
学生証はそのまま返してもらった。もう用は済んだらしいのだが、男が持つスマートフォンが気になって、俺はチラチラとそればかりを見てしまう。
「何だよ」
「えっと、使えるんですか? それ」
「関係ねえだろ。とっとと消えろ」
男はムッとした顔を隠しもしない。俺の好奇心で明らかに気分を害したようだった。強い口調を向けられたことが恐ろしく、俺は咄嗟にその場を離れた。
「南予行きの船、これより出発します!」
10人か、それよりもう少し乗れるかどうかの白い小型船の船尾で乗組員の青年が告げている。
一日一便の乗合船。あれが俺の乗る船だ。
これに乗ってしまえば当分の間、後戻りはできない。
「ま、待って! 乗ります!」
焦りのせいか背負ったリュックがより重く感じる。吸い込む息には潮が混じっていて涙のようにしょっぱかった。
両手を大きく振り、船まで辿りついたときには俺は虫の息で、たくましい乗組員に抱えられるようにして乗船したのだった。




