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ふたりぼっちの帰り道

 弱々しい街灯の明かりが照らす生活道路まで戻ったのは、すっかり日が暮れてからだった。

 水道の出を確認するために直子さんの家に寄った俺たちは、泣きじゃくる直子さんの抱擁で出迎えられた。

「ごめんね、ごめんね……! あたしがちゃんと言わんかったけん、瑠奈ちゃんらにがいな仕事させてもて、しんからごめんねえ……」

 瑠奈さんの泥だらけのツナギを力いっぱい握りしめ、自分の服が汚れるのも構わず直子さんはひたすら詫び続ける。

「もういいから。そんなに謝ってもらうために会いに来たんじゃないわ」

「うん、うん。分かっとるよ。瑠奈ちゃんはしゃんとしよるもんね。お仕事しに来たんはよう分かっとるんよ」

 涙を拭う直子さんに、瑠奈さんは迷う素振りを見せてから言う。

「……それでもない。私は直子さんが心配で来たの」

「え……?」

 直子さんは思いがけない言葉を聞いてか、ポカンとしている。

「こんな所で一人で住んでて、それなのに足腰もしっかりしてて、受け答えもはっきりしてる。私なんかより直子さんの方がずっと『しゃんと』してるわ」

「ほんな……ほんなことないよお」

「だから私……っ、直子さんの前ではしっかりしないとって……。あなたの前で頼りない姿を見せられないって、見栄張って……」

 瑠奈さんの声が震える。俺はぎょっとした。見てはいけない光景を見ている気がした。

「仕事だなんてカッコつけずに、もっと世間話とかしてればよかった。そしたら直子さんももっと何でも話してくれてたかもしれないのに……!」

 泥で汚れたツナギの背中の前に回り込むようなことはしたくなかった。瑠奈さんが今どういう状況なのかは、直子さんしか知らないでいいことだ。

 小柄な瑠奈さんを、もっと小柄な直子さんが優しく抱きしめる。

「あんたは、しんから優しい子やねえ……」

 静かな夜の暗闇に漏れる小さな嗚咽は、虫の声に紛れて溶けていった。


 俺達は無言で凪の家への道を歩いている。

 数え切れないくらいの星が真っ暗な夜空でチカチカと瞬いている。これが自然の光だなんて嘘みたいだ。

「……あのね」

「はい?」

 どこか力の抜けたような瑠奈さんの声で我に返った。

「今日、ほんとに助かった。ちゃんとお礼言わなきゃ。ありがとう」

「いいって。大したことしてないし」

「大したことよ。私、何回も直子さんの家に訪問してたのにお茶が出てこないなんてちっとも気にしてなかった。水源でもそう。本当は緊急でも夜間の作業なんてするべきじゃないの。たまたまあんたが付いてきて、たまたま私の近くにいてくれたから対処できた」

 瑠奈さんは振り返る。暗くてその表情はよく見えない。

「私ひとりじゃどうしようもなかったことをあんたはやったの。それは卑下するべきじゃない」

「……それは、褒めてくれてるのか?」

「事実を言ってるだけよ。何? 嬉しくないの?」

 俺は言葉に詰まる。何となく瑠奈さんと向き合えなくて、星を見上げた。

「嬉しい……かは、よく分からない。これまで自分が役に立ったことってほんとになくて」

「嘘でしょ。東京でのことは……まあ深くは聞かないけど。お手伝いとか、人に親切にして感謝されたこともないの?」

 瑠奈さんに言われて俺は自分の記憶を振り返る。あったかもしれないし、無かったかもしれない。どちらにしても自分ではピンと来ない。

「あー……やっぱ、よく分からないかも」

「ふーん。だとしたらあんたの周りの環境ってとんだクソだったってことね」

「ク……」

 瑠奈さんの整った顔と唇から強烈な言葉が出たことに驚いた。もうちょっと言い方があるだろ。

「私は違うわ。どんなことでも人のためにしたことは『よくやった』『良い子だ』って周りから褒めてもらえた。そうやって人のためになることを進んでやるようになるのよ」

「でも、疲れないか? いつも自分より他人のことを考えるのって」

「何を言ってるの?」

 当たり前のように瑠奈さんは言い切った。

「人のためにしたことは巡り巡って自分のもとに返ってくるの。人は一人じゃ生きていけない。自分の得だけを考えるより、大勢で助け合う方がずっと大きな実りを受け取れる。そうやって私たちは生きてきたの。あんたを認めない連中は、その投資の価値を知らない。宝を捨ててるようなもんよ」

――ああ、そうか。

 東京で天井を見つめていた時、感じていたのは自分の無力さじゃなかった。俺は誰とも繋がっていないという『孤独』だったんだ。

 視線を落とすとしばらく街灯のない道が、降り注ぐ星明かりを反射して淡く白く浮き上がっている。

 ただの暗闇だと思っていた世界にも、しっかり見つめればこんなにも光が満ちているんだ。

「人のためってきれいごとみたいだけど、結果的に自分が得をしてるわけ。分かる?」

「うん……まだちょっと難しいけど。瑠奈さんや華僑の人たちはそういう考えが自然にできてるんだな。すごいことだと思う」

「何よ、こっちは褒めたって何も出ないわよ」

 さっきとは変わって瑠奈さんの声は晴れやかだ。俺も心の引っかかりがひとつ取れたような気がする。

 瑠奈さんは手元のスマートフォンをちらっと確認した。

「明日も晴れの予報。ほんと、ここの地区はよく晴れるわね」

 彼女が仰ぎ見た(そら)の先には、目には見えないけれど世界中の華僑を繋ぐスターリンク衛星が飛んでいる。

 俺もその隣で首が痛くなるほど高く、夜空を見上げた。

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