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水の守り人

 太陽はほぼ沈み、辺りが真っ暗の中。俺と瑠奈さんは山道を走っていた。

 直子さんの家の水が出ないと聞いてから、瑠奈さんが取るものもとりあえず走り出したのだ。

 途中までは土の道のようなものがあったが、それもとっくに無くなった。濃い緑の匂いの中、行く手を阻むような木の枝や鋭い草が容赦なく肌を痛めつけてくる。

「瑠奈さん! どこに行くんだよ?」

「上流の……貯水池! 直子さんの家に配水してる水源よ!」

 息を切らす瑠奈さんの必死さが伝わる。すっかり視界が悪くなる前に、彼女は荷物から大きな懐中電灯を取り出して前を照らしていた。

 それにしても見た目によらず、瑠奈さんの体力は凄まじかった。今日一日ほとんど歩き通しだったのに、まだこんなに走る余力があるなんて。

「ちょっと……待って。瑠奈さん、休憩……」

「休みたければあんた一人で待ってて!」

「そんな無茶な! 一人じゃ危ないだろ!」

「だったら死ぬ気でついてきなさい!」

 こんな山の中で女の子ひとりで行かせるわけにはいかない。それも本心だが、俺自身は懐中電灯なんて持ってない。完全に山が夜に包まれたら、真っ暗闇の中で俺ひとりを見つけ出せるわけがない。

 初日に閉じ込められた納屋の暗がりを思い出し身震いする。そんな恐ろしい目に遭いたくないのも本音だった。

 何かの根につまずき、謎の巨大な羽虫が顔面に直撃し、そろそろ泣きたいと思い始めたころ。瑠奈さんがようやく足を止めた。

 懐中電灯に照らされたのは、半径10メートルほどの小さな泉だった。

 周囲は高い鉄柵で囲まれていて、落ち葉などを防ぐ網が上部を覆っている。

「……こ、ここが、水源?」

 俺が息も絶え絶えに尋ねるが、瑠奈さんは応えない。ゆっくりと柵の周辺を歩き回り、懐中電灯で照らして異常を探しているようだった。

「あった……!」

 懐中電灯が照らしたのは、池の隅にある、重厚な鉄格子のついた取水口だった。

本来なら水面から少し下がった位置にあるはずのそこが、網で防ぎきれなかった落ち葉や水面を漂う水草に覆い尽くされ、泥の塊のようになっている。

「ちょっと、あそこを照らしといて」

 しゃがみ込んで様子を見ていた俺に、瑠奈さんが持っていた懐中電灯をよこしてくる。

「え、え? どうするんだ?」

「詰まりを除去するの。そうすれば水が排水管を正常に流れるようになる」

「除去って……え!?」

 どうするのかと思えば、瑠奈さんは持ってきた荷物の中から作業用らしいツナギを取り出し、着ている服の上からきっちりと着込んだ。

 いつもはフワフワしたスカートやブラウスを好む瑠奈さんからは想像もできない姿だ。

 長い髪をまとめてから、軋む入口をこじ開けて柵の内側に入り込む。瑠奈さんはそこに置きっぱなしにされていた、幅広のフォークのような切っ先がついた長い棒――レーキというらしい――を駆使し、ゆっくりと、確実に不純物を取り除いていった。

「もう少し近づいて。手元じゃなくて向こうを照らしてってば」

 俺は瑠奈さんに言われるがまま近づき、いつの間にか柵の中に入っていた。

「よし、もう少し……!」

 俺の目から見ればもうほとんどゴミは取り払われていたが、瑠奈さんは完璧主義らしい。しつこく絡みつく水草の塊をどうにかすくい上げようと腕を伸ばし――

「……あ!」

 ゴミが取り除かれたことですでに急激な水圧が発生していた。瑠奈さんの細い体が、磁石に吸い寄せられる砂鉄のように取水口へと引きずり込まれそうになる。

 俺は考える前に懐中電灯を後ろに投げ捨てて、泥でぬかるんだ地面を蹴った。

「危ない!!」

 タックルのように、瑠奈さんの脇の下から体当たりした。それでも俺のひょろひょろした体格では、二人まとめて横倒しになる程度だった。

 俺は身を起こして池の様子を見る。詰まりが取れて水の流れが増した取水口の付近は、来たときとは桁違いの勢いを感じる。もしもあそこに落ちたら水圧で鉄の格子に叩きつけられ、一人では水から上がることさえできなくなっていたかもしれない。

 ぞっとしながら目を離せないでいると、隣で瑠奈さんも起き上がった。

「……あ、瑠奈さん。大丈夫?」

 話しかけるが、瑠奈さんは呆然としているようだった。やがてその瞳に力が戻り、こちらを強く睨みつけてくる。

「ご、ごめん。痛かった?」

「……がと」

「へ?」

 辺りの虫の声と、水の音がうるさくてよく聞こえない。俺はマヌケにも瑠奈さんに聞き返して、その判断を呪うことになった。

「助かったありがとうって言ったのよ、一度で聞いときなさいよ特盛バカ!!!!!」

 ちぎれそうなほど強く耳たぶを引っ張られた挙句、至近距離から大声で罵られる。

 脳天を貫く耳鳴りに思考を吹き飛ばされ、俺はしばし意識を飛ばした。

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