特盛バカの初手柄
瑠奈さんいわく「いつもより帰りが遅くなった」俺たちは、門へ向かう石階段を上がった所でぎょっとした。
そこには仁王立ちになった影がひとつ、それに並んで腕組みして立つ二つの人影があった。
「洋くん!瑠奈さん! こんな真っ暗になっても二人とも帰ってこないから、何かあったんじゃないかとほんっっっっっっっっとに心配したんだよ!」
「……ん」
なんと凪とあぐりさんが、玄関どころか門の手前で待ちかまえていたのだ。
「え? こんな真っ暗って……言っても、7時前くらいじゃないか?」
「大げさなのよ、凪は。前も遅くなったことくらいあるでしょ?」
瑠奈さんがわざとらしく肩をすくめる。凪はとんでもないとばかりに首を振った。
「遅くなるときはご近所さんがちゃんと知らせてくれるの! それがなかったから心配してるんでしょ!」
まじか。電話もないのにいつ戻るとかどうやって知らせるのかと思ってたが、狭すぎるご近所ネットワーク頼りだったとは。
「とにかく、二人とも無事で本当によかった! えっ、でもどうしたの?泥だらけじゃない! イノシシにでも追いかけられたの?」
「違う違う。山には入ったけどな」
「大変、服に泥の臭いがついちゃう。すぐ脱いで! あとお風呂沸いてるから入っちゃって! それから……」
「凪、落ちつけ」
一人できゃあきゃあと騒ぎ立てる凪は、あぐりさんの一言で我に返ったようだった。
「ごめんなさい。私ったらまた一人で混乱しちゃって……」
「無理もねが、まんず家だ。二人とも、着替えて風呂入れ。話はそれからゆっくり聞く」
「はい。遅くなってすみません、お姉さま」
「ん」
あぐりさんは短く声をかけてから、一人で母屋へと歩いていく。
……なんていうか。背も高いしプロポーションもいいし、どこから見ても女性なんだけど、雰囲気が父親っぽいんだよなあ。ぶっきらぼうにも聞こえる方言のせいだろうか。
けど、昨日までは突き放すような冷たさに感じられたその方言に、今は不思議な温かみを感じていた。
風呂は母屋ではなく、長屋の中にあった。
もっと昔は風呂や便所は不浄といって、母屋より遠くに置かれていたらしい。時代が移って母屋の外側に便所が設置され、もとの風呂や便所があった場所に使用人たちが寝起きする長屋が建てられたのだという。
風呂は瑠奈さんから先に入ってもらった。もちろんレディファーストだと納得した上でだ。
それと。
「あんたの後に入るなんて絶対に、イヤ!」
という瑠奈さんの断固たる主張が通った結果でもある。
母屋の居間で戻りを待っていると、土間側の襖を開けて風呂上がりの瑠奈さんが座敷に上がってきた。
「あ〜、極楽。一日の疲れが吹っ飛んじゃったわ。凪、ありがとね」
「はーい。それじゃ洋くんも入っちゃって」
「……あのさ、当たり前みたいに話が進んでるけど。いいのか? 俺が風呂使っても」
初日の『食事以外は男子禁制』というルールを忘れたわけじゃない。でも結局のところ、俺は納屋で寝起きをし、今日に至っては風呂まで入っていいという許可を得た。念のため確認したくもなる。
凪と瑠奈さんは顔を見合わせた。
「まあ……今日は特盛バカなりに頑張ったご褒美ってことで」
「泥だらけの洋くんを共同浴場まで歩かせるわけにもいかないしね」
瑠奈さんはなんとなく目を泳がせながら。凪は当然のように笑顔で答える。
「なんだよ、結局ルールが揺れてるじゃないか」
「それは違うよ、洋くん。上手く言えないけど……」
言い淀んでしまった凪の横から、瑠奈さんがため息交じりにフォローする。
「凪は最初からあんたを認めてたでしょ。でも私やお姉さまは違う。あんたのことを知らなかったし、凪ほど信用もしてなかった」
「てことは……?」
「そこまで言わないと分かんない? 同じお風呂使わせてもいいくらいにはあんたのことを認めたってこと。はいはい洋くん良かったわねー」
「瑠奈さん、それってひょっとして私のマネしてる……?」
「気のせいじゃない?」
「もー!」
女性二人はなんだかんだで賑やかだ。俺はといえば、じわじわとこみ上げる喜びに頬を緩ませていた。
同じ風呂を使えるから、なんて不純な思いからじゃない。言葉だけじゃなく、瑠奈さんにちゃんと認められたことが嬉しかったのだ。
こんな気持ちは初めてか、ずいぶんと久しぶりな気がした。
「何ニヤニヤしてんのよ、早く行ってきなさい。お姉さまを待たせないで」
「え?」
瑠奈さんに釘を差されて俺は居間を見渡す。そういえばあぐりさんの姿がいつの間にか消えていた。
「あ、あれ? あぐりさんは?」
「あのね洋くん。うちは……共同浴場でもそうだったと思うけど、焚き付け式なの」
焚き付け。確か建物の外の釜に薪を放り込んで風呂の湯を沸かしていたんだよな。
「それをしないとお湯が冷めちゃうから、あぐりさんが外で薪をくべてくれてるんだよ」
「! すぐ行ってくる!」
つまり、あぐりさんは瑠奈さんと俺が風呂から上がるまで長屋の外で火の番をしてくれているのだ。
自家発電の電気は節約が基本だ。ボタンひとつで風呂が沸くわけじゃない。俺の生活には全てに他人の手が関わっているんだ。
俺はスニーカーの踵を踏んだまま大急ぎで長屋へと向かう。
薪が燃えるかすかな音が聞こえる。月の光が照らす中庭の向こうで、白い湯気が空へと立ち上っていた。




