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思いやり、すれ違い

 緊張して夜を過ごしたせいか、あまり深く眠れなかった。結果的にそれがよかったのか、まだ日が昇り始めるころに俺は目を覚ました。

 納屋から出ると、ちょうど玄関の外で瑠奈さんが凪から何かを手渡されているタイミングだった。

「あ、洋くんおはよう! ちょっと待っててね」

 言うなり凪は玄関から中に引っ込んでしまう。瑠奈さんはちょっと眉を上げて俺を見つめてきた。

「おはよう。なんだ、起きられたのね」

「あ、ああ……」

「てっきり寝坊するかと思ってた。そしたら容赦なく置いてくつもりだったのに」

 よく眠れなくて、とは言い出しにくい雰囲気だ。そのうち凪が再び戻ってきた。

「はい、これ洋くんのぶんのお弁当」

「弁当?」

「うん。瑠奈さんは外で食べるから」

「ここに帰ってくる暇がないだけよ」

「そうだよね、毎日忙しそうにしてるし。いつもありがとう」

「別に……当然のことをしてるだけだから」

 そう言うわりに、瑠奈さんにいつもの得意げな様子は見られない。

 俺は凪から弁当が入った手提げ袋を受け取ると、瑠奈さんの後ろに付いて屋敷を後にした。


 生活道路を歩きながら見下ろす段々畑も少し見慣れてきた。遠くに見える水平線は今日も鮮やかな青だ。

 瑠奈さんと二人、言葉を交わすこともない。やがて前を歩く瑠奈さんが口を開いた。

「先に言っとくけど、私が気を利かせたわけじゃないから」

「え?」

「お姉さまよ。昨日帰ってからすごく落ち込んでた。あんたに言いすぎたかもしれないって」

 あのあぐりさんが? 強い言葉と態度で俺を否定したあの人が、落ち込んでたって?

「だから頼まれたの。私の仕事に付いていかせてやってくれって。お姉さまの頼みなら断れない。でも私はぜんぜん気が進まないんだからね」

 ああ、そういうことか。俺はここでもお荷物なんだ。

「だからね、今ここで約束しなさい」

「……何を?」

 瑠奈さんは振り返り、俺の目をまっすぐに見つめる。

「今日も何か気に入らないことがあって、ご飯も食べずにガキみたいに引きこもるつもりなら、誰も引き止めないからさっさと東京に帰りなさい」

「……!」

「帰りのお金くらい工面してあげる。自分の面倒も自分で見られない奴に居座られても、はっきり言って迷惑なのよ」

 その瞳は海の水より冷たかった。俺をバカにするような意図は見られない。瑠奈さんはあくまで真剣なようだった。

 それくらい、俺にだって分かってる。

 それくらい俺だって覚悟してる。今日も使いものにならなかったら、今度こそここに俺がいる意味はない。

 昨日までならここで逃げ帰っていたかもしれない。しかし手に持った凪の弁当の重みが、俺をそこに踏み留まらせた。

「あんたは誤解してるかもしれないけどね、お姉さまは責任感が強いの。そのぶん誰よりも人の気持ちに敏感なのよ。ここに来た日からずっとあんたのことを気にかけてた。あんたには一生、分からないだろうけどね」

 瑠奈さんは言いたいことだけ言うと、俺の言葉など必要ないとばかりに足早に歩き始めた。

 そんなこと言われたって。俺はあれからまだあぐりさんと顔も合わせられていない。

 昨日俺を苦しめた石の重さが、冷たさが、心にのしかかる。

「分かんねえよ……。今さら、何なんだよ」

 俺を置いたまま、遠ざかる瑠奈さんを睨みつけぼそりと呟く。

 それでも今はその背中を追い、付いていくしかなかった。

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