失意の夜に
屋敷に戻った後、干していた洗濯物を取り入れていた凪に一言かけてから俺は納屋に閉じこもった。
東京では俺の部屋が用意されていた。でもここには無い。居間は広すぎるし、気を使って凪に色々尋ねてこられるのも嫌だった。
そうなると今の俺の居場所は納屋しかない。少し考えて、立てかけられていたつっかえ棒を持ち込み、内側から戸が開かないように仕掛けた。
どうしてだろう。なんでこう上手くいかないんだろう。
東京で上手くいかなかったのは俺に積極性がなかったせいだ。学校に行くのも外に出るのも、気が進まなくて先に先に伸ばしていたらいつの間にか引きこもりになっていた。
だからここでは反省して自分から行動するようにした。でも自分が想像したように上手くいかない。
フリースクールでは案内なしで来たことを褒められて、石垣の補修も初めてにしては上出来だって褒められる。これだけだ。別に高望みはしていない……と思う。
だけど現実はどうだ? やる気だけじゃ俺は石ひとつ満足に積めなかった。あぐりさんには「時間の無駄」なんて言われる始末だ。
どうしてこうなる? これから俺はどうすればいい?
それに応えてくれる人は誰もいない。自分が戸を締め切って、その道を閉ざしたから。
俺はここでも引きこもりになってしまうのかな。
悔しくて、惨めで、泣きたくなるのに、不思議と一滴も涙は出なかった。
それから時間が過ぎ、夕飯に呼ぶ凪の声が納屋の外から何回か聞こえた。
でも俺は外に出ていく気になれなかった。
俺を安心させようと歪な笑顔を浮かべる凪。こっちを見もせず飯をかき込むあぐりさん。
そして二人から事情を聞き、突き刺さるような皮肉をぶつけてくるだろう、瑠奈さん。
どの顔も見たくなかった。失敗続きの俺に寄り添う存在も、全てを否定する存在のどちらも今の俺には邪魔でしかない。
今夜もここで寝ることになるのかと、天井を見つめながらぼんやり考えていた時だった。
外から足音が聞こえてくる。
「ちょっと、聞こえてるんでしょ?」
瑠奈さんの声だ。反応するのも面倒くさく、俺はただそれを聞き流す。
「私を無視するなんていい度胸じゃない。凪が心配してるわよ。自分は二階にいるから、顔を合わせづらいならご飯だけでも食べに来てって。まったく健気よね〜」
――顔を合わせづらいなら、ご飯だけでも。
伯母さんに毎日のようにかけられた言葉だ。もっとも、ここに来る直前まではそんな声かけもなくなって、部屋のドアの前に配給の食事が置かれるだけになっていた。
まただ。また俺は凪に世話焼き役をさせようとしている。こんなことではダメだ。
それなのに、俺の体は石のように動かない。
「……まあ、なんだ。どう見てもあんたが農作業とか無理があったし。しょうがないから明日、特別に私の仕事に付いてくるのを許可してあげても、いいわよ」
瑠奈さんにしては珍しく歯切れの悪い言い方だった。瑠奈さんの仕事……確か、インフラの整備だとか管理だとか言ってたな。
水道、電気、ガス等の生活を支える重要な技術。そんな高度なことが本当にできるのか?
聞いてる限りでは、少なくとも農作業よりは力仕事が少なそうではある。
「返事はいらない。時間になったら出かけるから、来るつもりなら準備しておきなさい。朝6時、いいわね」
言うだけ言って瑠奈さんは行ってしまった。ひょっとしたら彼女なりの気遣いだったのかもしれない。
明日もここにいたら、また東京にいた俺に戻ってしまう。伯母さんに心配をかけ、ここで凪にも同じ思いをさせるのか?
考えても答えは出ない。俺は板間の上で縮こまって丸くなり、ただこの無意味な時間が過ぎるのを待った。
空気取りの窓から見える月が高くなったころ、俺は足音を立てないよう母屋へ向かった。
すでに明かりは落ちていたが、居間だけは小さい電灯が点いている。土間側から上がった俺は、食卓の上に虫除けのネットカバーが被せられているのが見えた。
小花の刺繍がされたカバーを取ると、ふわりと出汁の醤油の優しい匂いがした。
大盛りの麦飯、切り干し大根とヒジキの煮物。ワカメとコンニャク、根菜の具沢山のみそ汁。ネギを巻き込んだ卵焼き。
昨日に引き続き、俺のために凪が整えてくれた温度のないごちそうが並んでいる。
そこで初めて目の奥が熱くなっていることに気づいた。こぼれた涙が食卓にぽつりと落ちる。
自分の情けなさ、上手くいかない歯がゆさ。そしてそれ以上に。
昨日の賑やかさが消えた誰もいない居間で、どれだけ自分が一人になりたくなかったか――。それを思い知る。
明日こそ、この晩飯に見合うような働きをしなければ。
固く歯を食いしばって、たった一人のために用意されたご飯の前で長く両手を合わせた。




