最終話 青 (2/3)
玄関の靴を見ただけでも戸惑ったと思う。
今日は父が居るけれど、買い物に連れて行ってもらえる予定だったから、姉は機嫌が良かったはずだ。
でも姉の顔は今、無表情である。
「お邪魔しています」
そう稜華さんは、率先して姉を迎えてくれた。玄関ホール真ん中でにこやかに微笑む稜華さんにあてられたのか、それとも内弁慶だからなのか、姉は挨拶を返せず視線を泳がせた。
姉は小さく頷くようにお辞儀をしながら、玄関を端から上がると、すぐ横で並んで立っている私と父に、ぎろりと睨みを利かせた。勝手に予定を変えられ、怒っているのだ。想定通りの反応である。
でもこの後が違った。
また姉の念が飛んで来て肩が痛くなると思ったけれど、何も無い。あっ、もしかしてこれが結界の効果なのかも。そう思って咄嗟に視線を移したら、稜華さんはにこっと可愛らしく口角を上げて応えてくれた。けれど、どこか違和感があると言うか、妙に私の方を凝視しているように見えた。
そう言えば稜華さん、この後のお祓いの方が大変だって話していたっけ。確かに姉には色々されてきたけれど、特別な力がある稜華さんから見ても、相当なモンスターなんだろうな……って私、気が大きくなってる?
「どこへ行く気だ、茜」
「部屋でしょ普通に……そこ退いて。階段上れない」
よそ様が居る手前、こちら側にだけ伝わるように、低く小さい声で自己主張した姉に、父は首を横に振って答えた。
「何を言ってるんだ。こちらの方は、お前に会いに来てくれたんだぞ」
「……は?」
「突然こんな坊主が居たら、さぞ驚かれた事でしょう」
「……」
何が待ち受けているのかわからず、内心怯えているであろう姉の一方で、住職は目尻のしわを一層深くしながら高らかに笑った。
なんかいいな……素敵。真白は無邪気だけれど、うちの家族が、こういう風に思いっ切り笑う事って無いもん。
席は午前中とほとんど同じで、縦長のテーブルを囲むように座った。
テーブル奥の上座には、稜華さんと住職。テーブル左が父で、右が先輩だから、二人は向かい合うように座っている。そして一番手前の下座には、姉だ。私は稜華さんの指示で、先輩と住職の間に。少しだけテーブルから外れて座っている。
「早速ですが、こちらをご覧ください」
そう稜華さんが見せたのは、私が先輩に送ったあの写真だった。
姉は差し出されたスマホを見て、眉根をぴくっと二回、痙攣させる。
「茜さんは、もちろんご存じですよね?」
「しっ、知りません……っ」
「呪いを代行するサイトです。本当に身に覚えがありませんか?」
「あたあたっ、当たり前じゃないですか……!」
「そうですか……では、これでも?」
稜華さんの指の動きと一緒に、閲覧していたサイトが縮小すると、姉は頬を強張らせた。自分の部屋を背景に、呪いのサイトを開いているパソコンが映し出されていたからだ。
姉は最初、稜華さんのスマホから検索したサイトを見せられていると思っただろう。でも実際は、姉の部屋で撮った現物写真を拡大したものだったのである。
写真の全貌が明らかになり、姉は気が動転したのか、ちらりと上目遣いで私を見た。
「今、青さんを見ましたよね? なぜですか?」
「み、見てませんよ別にっ。言い掛かりはやめてください……!」
「俺も、青さんを見てたの見ました」
「茜……お父さんも見たぞ。嘘を付く理由でもあるのか?」
「そっ、それは……」
姉の上半身が前後に揺れる。しきりに正座していた膝を擦り、ひどく落ち着かない様子だった。
そんな不審な姉を目の当たりにし、人間が自分の負い目で窮地に立たされてしまうと、こんな風にあからさまになるのだなと思い知った。姉の隠せない動揺を、私はまざまざと見せつけられていた。
「そうだよ、お姉ちゃん……私が撮ったの、その写真。でもお姉ちゃん、そんな怖いサイトをお気に入り登録してたでしょ? 私、お姉ちゃんがパソコンをつけっ放しにしていたから、見つけられたんだよ? 画面の上の方に並んでるでしょ、お気に入りしたページって」
結界の効果なのだろうか。姉の立場を考えて、今までだったら呑み込んでいた話まで、私は平然と口にしていた。でも姉はと言うと、そんな無慈悲な私を見つめながら、今にも湯気が噴き出しそうなほど顔を赤くさせている。怒りで表情が崩れないようにしているみたいだったけれど「あんた、何言ってるの本当」と、繰り返し呟きながら小刻みに身体を震わせていた。
「話を進めます。私どもが来たのには、茜さんにこのお話をさせていただくだけでなく、青さんの霊障を祓う為でもあるのです。青さんは茜さんの生霊に悩まされていらっしゃいます。そこでお訊ねいたしますが、茜さんは“呪い返し”というものをご存じですか?」
稜華さんのその言葉を聞いた瞬間、姉の表情が一変した。
まるで待ってましたとばかり。震わせていた唇には笑みが戻り、泳がせていた目にも爛々とした光が宿った。
この顔……私に大きく出る時の、いつもの姉の表情だ。
「さぁ? そんな怖い言葉、私が知るはずがないです。サイトを閲覧したのだって、ちょっと興味があったくらいで、アニメとか流行ってるじゃないですか。まぁお気に入り登録は、誤ってしちゃったんでしょうねぇ。身に覚えがありませんから私」
水を得た魚のように呂律が回り出す姉に、稜華さんは全く動じなかった。
「茜さん。茜さんはもしかして、私が勘違いしていると思っていますか? 生霊を飛ばすくらいの貴方が、青さんを呪っているはずだと」
「え?」
稜華さんはスマホをスワイプしながら話す。
「これは、茜さんがサイトを閲覧した履歴から追跡し見付けた、依頼人の個人情報を入力するページの写真。依頼理由も入力されていますね。そしてこちらが、サイトから貴方のアドレス宛に送られたメールを撮った写真ですけれど、どれも依頼人の名義が青さんになっています。茜さん、これがどういう事なのか、ご説明をお願い出来ますか?」
「ぁぁあ青! あんたっ、他人のメールの中身まで見たの!? 信じられない!」
そうなのだ。姉は自分の名前でなく、私の名前を使用して、好意を抱いていた男性を呪うように依頼していたのだ。
「ふん。まぁバレちゃったら仕方ないか……。稜華さん、青がいけないんですよ? この子ったら、こうやって他人の揚げ足取りばかりして酷いんですもの。呪い返しでも何でもして、邪悪なこの娘を懲らしめてあげてください」
「あの。茜さんこそ、勘違いをされていらっしゃいます」
「は?」
「呪術は、名前さえあればかけられるものではありません。人の執念が源になるのです。なので呪い返しも、その気のない青さんではなく、呪う気持ちがある茜さんに効力が発揮されるのです」
「えっ、私に……?」
稜華さんの話に姉は固まったが、すぐに調子を戻した。
「そっ、そうなんですかぁ。でもまぁ好きにしてください。私、貴方みたいな胡散臭い人、信じませんから。労力の無駄だと思いますけどねぇ」
「まっ、待ってよお姉ちゃん! 稜華さんはさっき私たちを助けてくれた、ちゃんと信頼のおける人なんだよ? いいの? 呪い返しされちゃうの、本当に嫌じゃないの?」
「あんたは頭がおかしいだけでしょ!? 坊主と男手を引き連れて、容姿を武器に金銭を巻き上げる霊感商法でしょうよ、これ? 何を親子で騙されてるんだか!」
姉の失礼な物言いに、私と父は憤慨した。でも稜華さんは綺麗に微笑むと、住職の肩に手を置く。
「な、なな何よこれ。身体がっ、首から下が動かない……助けて!」
「すみません、茜さん……私が貴方に金縛りをかけさせていただきました」
「は!?」
姉は、唯一動く首を必死に振って抵抗する。でも金縛りは解けない。
「ふ、ふん! そんなに呪い返しってやつがしてみたいなら、やってごらんなさいよ!」
「なるほど。身体の自由が効かない今でも強気でいらっしゃる理由は“返し封じ”ですね? その名前の通り、呪い返しを封じるという代物ですが、それ、ただの紙切れですので気休めですよ? 全く効果が無いんです」
「へ……? うっ、嘘よ! だって……だってちゃんと私っ、追加料金一万円も払ったのよ――あ」
口を滑らせてしまう姉に、父はため息混じりに額を押さえた。
「ええ。お支払いはされているようですね。その証拠の写真は、こちらに。もちろんサイトから貴方のアドレスに送られたメールの宛名は、青さんになっています」
「騙された……馬鹿みたい。ちゃんと説明書きの通り、肌身離さず持ってたのに……」
「お姉ちゃん……」
姉がそんなものをずっと隠し持っていただなんて、全く気が付かなかった。
そう言えば何度か、私が洗濯物のポケットを確認している時に、姉が血相を変えて飛んできた事があったっけ……。
「茜さん……なぜ名前を伏せていた貴方が、返し封じを購入したのですか?」
「……怖かったの。だってほら、万が一って事があるかもしれないでしょう……?」
姉は力なく答えた。
サイトの呪術が本物かどうかなんて、私にはわからないけれど、姉はきっと視えない力を信じていたのだろう。信じて、怯えて。
もちろん人を呪うなんて事、絶対にしてはいけないし、姉が望んでいた事は許されない。けれど、そんな人の弱みに付け込んだビジネスなんて、この世から無くなればいいのにと思った。
「ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさいっ。もうしません! だから呪い返しなんて物騒な事、どうかどうかしないでください!」
「ちょっとお姉さん! そのごめんなさいって、うちの姉に言ってますよね!? さっきから自分の事を守ろうとしてばかりで、青ちゃんになんの謝罪も無いじゃないですか!」
先輩の言う通りだ。姉が私だけでなく、稜華さんたちにあれほど酷い口を叩いたのは、そういう力を信じて縋っていたからこそ、保身にばかり気が行ってしまったのかもしれない。
姉は自分の悩みを周囲に頼るのではなく、人知れず金銭で解決するしか選択肢がなかったのだろうか。
姉は馬鹿だ。けれど、それでも充分に罪を味わってきたんじゃないのかな。
「先輩、ありがとうございます……でも、もう私、お姉ちゃんを許したいです――」
そう言い終わった時だった。
「え……何、これ……?」
目の前に、鬼の形相をした姉の顔があった。
「青ちゃん?」
金縛りのかかった姉が、動き出してきたわけではない。姉から、姉の念が私に飛んできていた。
首を長く伸ばして、まるで妖怪のろくろ首のようだった。
『許すって何様!? 当たり前だろそんなの! あんたの所為で恥かいたのどうしてくれるんだよ! あんたの所為でパパに嫌われてばかりだろうが! あんたの所為で! あんたの所為で!』
そっか……この世には、どこまでも自分が可愛い、ナルシストな人も存在しているんだ……。
首に巻き付く姉を見て、稜華さんの結界が無かったら、絞め殺されていたかもしれないと思った。姉の首は辛うじて、私に触れられないようだった。
「茜さんっ。念をっ、青さんに生霊を飛ばしていらっしゃいますっ。そういうのって、それこそ相当な労力を使っているって事なので、身を滅ぼしかねないのですよ!?」
「じゃあ呪い返しなんてしないって、私に誓ってください!」
『お前の所為でこのメス豚に殺されるだろうが! 早く助けろよっ、この無能!』
「茜さん、安心してください。そもそも茜さんが依頼した呪いは成立しません。依頼人と依頼人の名前が一致しないのであればっ、つまり茜さんが偽名を使用した時点で呪術は無効なんです! 呪い返しももちろん効き目はありません!」
「……へ?」
稜華さんが言い切ると、姉は拍子抜けした声を漏らした。姉の首も本人の中へと戻っていく。呪い返しをされないとわかり、姉が安心したからなのだろうか。良かった……。
きっと稜華さんは、姉の生霊に晒される私を思って急いでくれたんだ。
「えっ、そうなの!? へ、へぇ~……何だ、じゃああいつ、命拾いしてたのねぇ~……あ? でもじゃあ何でそんな嘘をつくんですか? 貴方ってほんっと悪魔ね?」
「お姉ちゃ――」
どの口が言うんだと思った時。乾いた音が部屋に響いた。
「いい加減にしろ!」
父が姉の頬を叩いたのだ。
姉の目に涙が滲むと、ほんのり頬が染まった。でも私は、姉が噛みしめている唇の方が赤く見えたように感じた。
「い……っ、痛い! 何で叩くのよっ、パパ酷い!」
「酷いのはお前だ!」
「っっ」
姉は父の真っ直ぐな目を見られずに、顔ごとそっぽを向いた。
父はそんな姉から視線を外し、稜華さんたちへ頭を深々と下げる。
「本当にうちのが、すみません……」
「いえ……私の方こそ、悪戯に恐怖を煽ってしまいました。ですが私は、茜さんに改めて頂きたかったのです。弟の稜清からも申しましたが、青さんに謝罪の一言も無い。この短い時間だけでも、日頃からの青さんへの態度が窺えました。もちろん、青さんの健気さも……」
稜華さんの言葉と眼差しが優しくて、私は思わず涙を流していた。
「青ちゃん……」
「何よ……説教する気? ん、あれ? 身体が動く!」
「はい。金縛りは解きました」
「やったっ。ふ、ふん! 付き合ってられないわっ」
「茜!」
姉は父を振り払い、部屋を出ようと私たちに背を向けた。
でもそれを、次の稜華さんの言葉が止めた。
「茜さん良いのですか? 貴方に憑いているのですよ、邪悪な霊が」




