第五話 断 (3/3)
稜華さんの凛とした態度は、大学生であるという事も、姉と同い年だという事も忘れてしまいそうになる。
須美寺では通常、こういった法事を行っていない。稜華さんが言っていた、特別な祈祷というのもなかった。
けれど先輩を通して話が進み、厚意で来てもらったのが今回の経緯だ。通常用意する初穂料もないので、ただただ頭が下がる思いでいる。
稜華さんに当てられて、私の気も引き締まった。
稜華さんは私に目配せをしてから、父に向き直ると言った。
「まずは、お父様の方から。野月さん」
「は、はい」
「夢に現れた奥様についてですが、ご本人でしょう。成仏されていないようです」
「そうですか……」
「突然死だったそうで」
「はっ、はいっ。そうです……すごいですね……」
顔を上げたり背中を丸めたりしながら話を聞いていた父は、母の死因を言い当てる稜華さんの霊視に力なく笑った。
「……。奥様ですが、突然の事で、ご自身の死を受け入れられなかったみたいです。若くして亡くなられたのですから、生に執着してしまっている状態なんだと思います。……あの、野月さん」
「は、はい」
「今も両肩、重くありませんか?」
「えっ……」
父の顔から、血の気が引いていく。
「いらっしゃいます。後ろから抱き付くように腕を回して、私を睨んでいらっしゃいます」
「そんな……すみません、家のが」
「いいえ。敵対されても仕方がないですから。でも今は、そんな風にご主人から認識してもらえて嬉しそうにしています。庇ってもらえたと声を弾ませて、大変喜んでおられます」
ぞっとした。亡くなってからもなお無邪気でいる母を、私は不気味に感じてしまった。
「そ、そうですか……あの、やはり妻の外見は、私が話した通りなんでしょうか?」
「はい、お若いです。30歳前後でしょうか。髪の長さが肩に届かないくらいで、パーマをかけています。服装は襟元にフリルが付いた、小花柄の」
“ワンピース”。
稜華さんと父の声が重なった。
「色はネイビーです」
「そっ、そうです。それが夢で見た妻の姿です。……頭がおかしくなってしまったのかと思っていましたが、こんな事って本当にあるんですね……。その服装は新婚当初、妻が気に入って着ていたんですよ」
「そうだったのですか。あっ、今もっとお若い……私と同じくらいの年齢にお姿を変えられました」
「え?」
何で? と、私は父と共に固まった。でもすぐに察しがついた。
母は、稜華さんに対抗して変えたのだ。
気持ち悪いと思った。
母は48歳で亡くなっている。その母が、こんな年齢の離れた綺麗な人に対して張り合おうとするなんて、私には理解が出来ない。
けれど私は、母の自尊心の強さをよく見てきているから、そういう意味では、年甲斐もなく稜華さんに嫉妬するのも頷ける。
「ご主人への愛が深い事も、青さんに奥様の影響が及んでいる理由でしょう」
「え。どういう事ですか? 関係ないようにも思えるのですが」
「奥様が青さんに嫉妬しているという意味です」
「嫉妬って……青は娘ですよ?」
父の当然の疑問が、刃物で突いたように私の胸を刺した。
“娘なのに、なぜ”。
私も真白くらい幼い頃は、そんな思いを巡らせた事もあった。
でも親子と言えど別の人格だし、炊事洗濯をしてくれる母に対して、自分視点で否定的な感情を持つなんて事、単なるわがままなんだって思って考えなくなった。
とにかく母の機嫌を損ねないようにするだけ。キッチンに入らないようにするだけ。愛を求めないようにするだけ。
とても簡単だった。
けれどお母さん……。
「青ちゃん。俺が代わりに話してもいい?」
「先輩……?」
「青ちゃんの守護霊から聞いた事」
先輩は私の頭上を見やり、それから微笑んだ。
「私の、守護霊……はい」
頷くと、先輩は改めて笑顔を零し、父へと話し始めた。
「お父様にとって黒葉さんは、素晴らしい奥様だったと思います。あ、奥様の名前は、青ちゃんの守護霊から知りました。合っていますよね?」
「は、はい。すごいですね」
「いえいえ。それで、いつも笑顔を絶やす事なくお父様を支えていた奥様ですが、青さんに見せていたのは、また別の側面だったんです。青さんは奥様に、精神的な虐めを受けていました」
「え……ま、まさか。黒葉は早朝から、私のだけでなく、子どもたちの弁当を用意していましたし、そ、それに服だってっ、いつだって綺麗にアイロンがかかっていました。妻は料理が得意で」
「はい。あまりこんな事を言ったら怒られますけど、俺の母より完璧だったと思います。でも奥様は、それを利用していました。青さんが強く出られない材料にしたんです。そんな事をしなくても、青さんはすごく優しいから反抗なんてしないのに……もちろん、炊事洗濯って楽じゃないと思います。こんな俺が言っても説得力ないかもですけど。でも、だからって娘に何を言っても、何をしても良いわけではありませんよね?」
先輩の少し強い口調に、父は気圧されながら私を見た。
「青、本当なのか? お母さんに何されたんだ。お父さんに話してくれないか?」
「う、うん……」
口を噤んでしまう私に、父は膝に乗せた自身の手を握った。
頭の中では、私を無視する母の冷たい顔や、軽蔑する母の視線。嘲るように笑って、私の工作や絵、留守番の時に作った料理を流しに捨てる母の姿が巡っていた。
でも言えなかった。口にするのが怖くて、声にならなかった。
「青ちゃん、ごめんね……。奥様は、青さんがお父様の近くに居る事が気に入らないみたいです」
「娘でもですか? 青に優しくしていたのは、私の前だけだという事ですか?」
「はい」
「……っ」
「奥様はお父様の妻でありながら、貴方の気を惹く女性であり続けたい所があるようで、青さんたちを置いてエステや美容院にも通っていたみたいです。あ、青さんのお姉様にその刃が向かないのは、お顔が奥様に似ていたからだろうと守護霊は言っています。そして真白くんは、待望の男の子だった事が理由だそうです。でも、家事以外の話し相手や遊び相手等の真白くんの育児は、青さんに任せっきりだったと言っています」
「じゃあ……青の首を締めていた霊も……茜と結託して青を殺めようとしたのもっ、本当に亡くなった妻だったという事ですか!?」
「ええ、そうです」
「そんな…………」
父は相当ショックだったようで、力なく項垂れた。
「嘘だ」
「お父、さん……?」
「嘘だ、嘘だ嘘だっ、そんなのでたらめだ!」
「ひゃっ」
信用したばかりの稜華さんの返事に気が動転したのか、父は突然声を荒げた。
「この霊能者気取りが!!」
立ち上がって、稜華さんに掴みかかろうとした父を、私は慌てて止めに入ろうとした。けれど先に先輩が父の振り上げた両手を、しっかり握って制してくれた。
「すっ、すみません……っ」
「へーき、へーき。あと、たぶんお父様の所為じゃないから。そうでしょ、稜姉?」
「うん」
稜華さんが返事をしたすぐ。住職は手首に巻き付けた数珠をじゃらっと鳴らし、まるで呪文を詠唱するように、私が聞いたことのない言葉を口にした。
その住職の肩に稜華さんは手を置くと、瞼を閉じて念じる。
「青さん、大丈夫ですよ。住職のこれは不動明王の真言です。ここに居る皆を護る、魔法の言葉だと思ってください。手荒な真似は決して致しません。お母様を……奥様を野月さんから引き剥がし、奥様に金縛りをかけます」
そう静かに話すと、稜華さんは目を力強く開けた。同時に父が帰って来る。
「え……? 今、私は……?」
正気を取り戻した父が、組み討ちするように先輩と手を握り合う自分に、目を白黒させた。
住職は何かを念じているように合掌し、稜華さんは真剣な顔つきのまま黙っている。相反して先輩は、いつものように、朗らかに笑った。それからそっと手を放し、父へ座るように促した。
「野月さん、奥様です。意識はありましたか?」
「は、はい。ですけど……私はなんて事を、すみません。青も怖かったよな」
「ううんっ」
ごめんな、と謝る父に、私は目に溜めた涙を指で拭いながら首を横に振った。先輩のように笑ってみたかったけれど、難しかった。不安で指が震えていた。
「青……ご住職、この身をもって知りました。どうか妻を、眠らせてあげてください。お願いします……!」
頭を下げる父に、住職は黙って頷いた。稜華さんが答えた。
「もちろんです。ただ奥様は亡くなった後……餓鬼道に落ちていらっしゃいますね……」
聞き慣れない言葉に、思わず顔を上げた時だった。お線香のにおいが、強くなった気がした。
不思議に思って周りを見渡すと、父の近くに、肋骨の形がはっきりとわかるくらい、やせ細った女性が浮いているのが視えた。
『だ まれ小 娘 ……!』




