第26話 氷の剣士
「カガセ様。早く返ってきてくださいね」
ラヴェンドラからそう言われて、出発してから既に30分程度は経っただろうか。
あれから俺は誰かの声も聞いていない。
聞こえてくるのは、鳥のさえずりに風が木の葉を揺らす音、そして2人分の足音だけだ。
イツカは俺の先を歩いている。おそらくは周囲に危険がないのか気を配ってくれているのであろう。
俺にしても、『王の器』によるステータスアップの効果により、以前に比べて森の中の移動が苦にならなくなってる。
さっきからたまに果物などは見かけるが、イツカは気に留めることもなくどんどん歩いていた。
ふとした瞬間に俺は悪い予感がした。もしかしたら、イツカは緊張のあまり俺に話しかけられないのではないか。このままでは延々と森の中を彷徨うことになってしまう。
ここは俺から話しかけるべきか。
「あー、イツカはミネルバとは仲が良いのか。やっぱり女性同士だと話しが合うのかな」
ミネルバの話題を出せばイツカも話しやすいだろうとの俺の配慮である。
「ひゃ!ひゃい!?」
イツカの口から、聞いたこともないような甲高い裏返った声が漏れた。
彼女はビクッ! と全身を跳ね上がると、そのまま顔を真っ赤にして俯いてしまった。
風に揺れる銀髪の隙間から見える耳まで紅潮しているのがわかる。
「え、あ、ええと……。ミ、ミネルバちゃんはいつもわたしに良くしてくれるので……。……ああ、す、すみません、すみません……」
これは……俺はやらかしてしまったのか……。いや、出発してから早数十分。初めてイツカと会話ができたのだ。これを進歩と言わず何と言おう。
ふと見ると俺の斜め前に果物がなっている樹を見つけた。
近くにはベンチのように2人で座れそうな倒木もある。
「イツカ。少し休憩にしないか。ちょうどそこに座れそうな倒木もある」
俺は柑橘類のような実を二つ手に取り、一つをイツカに渡し、倒木に腰を掛けた。
「あ、あり、ありがとうございます」
実を受け取ったイツカは俺の隣に座ったが、その間には微妙な距離感が感じられる。
見た目はほとんど蜜柑と同じだが、皮を剥くと鮮やかな朱色の果肉が顔を出した。
別れた房のいくつかをまとめて口に含むと、さわやかな酸味が口いっぱいに広がり、森の中を歩いて疲れた体に染み渡っていくようだった。
「これはうまいな。イツカはどうだ?」
「美味しい……です……」
イツカは房を一つずつ分けて食べている。横顔だけ見れば超美形の女剣士といった趣なのだが。
「ミネルバとは普段は何をしているんだ」
「け、稽古とか……でしょうか。ミネルバちゃんは、いつも強くなりたいと言っているので……」
「はは。ミネルバらしいな」
イツカは少しずつだが、話をしてくれるようになった。
今日はこのくらいにしておいた方がいいだろう。あまり急に距離を詰めようとしても逆効果になりかねない。
「そろそろ行こうか。動物とかいると良いんだけどな」
「そ、そうですね。ミネルバちゃんもお肉大好きなので、持っていったら喜ぶと思います」
イツカは本当にミネルバが好きなようだ。二人の性格だけみれば合わないような気もするが、ミネルバの強引なところがいいのかもしれない。
立ち上がろうとした時、同時に立ち上がろうとしてたイツカの手に俺の手が少しだけ触れた。
「ひゃあああ!?」
その瞬間、先ほどより更に甲高い声をあげたかと思うと、後方に大きく飛び退いた。
しかし、場所の足場が悪かったのか、緊張しすぎたのか、着地に失敗し尻もちをつく形になってしまった。
「だ、大丈夫か?」
俺が心配して声をかけたその時だった。
イツカの後方から巨大な影が現れた。
それは、以前、ダンジョンができたばかりの頃にラヴェンドラと共に遭遇した巨大な鹿だったが、明らかに前より巨体であり、威圧感も増している。
それは明らかに未だ態勢を直せていないイツカに狙いを定めていた。
「スラッシュウインド!」
考えるより先に俺の体が動いた。
俺の右手から放たれた空気の刃はイツカの頭上、巨大鹿の胸に当たり消滅した。
くそっダメか! そう思った瞬間、巨大鹿は口から泡を吹き、膝から崩れ落ちていった。
「イツカ大丈夫か!」
俺は急いでイツカの元に駆けつけ、手を取り助け起こす。
「あ、あ、あ、あ、ありがとうございます、す、す」
「怪我はしていないか?」
見た感じでは特に異常はなさそうだ。
「だ、だ、だ、大丈夫です」
イツカは俺に掴まれた右手を見ながら、顔を真っ赤にしている。
「すまない。焦ってついイツカの気持ちも考えず掴んでしまった」
「い、いえ、わたしの方こそ助けていただいて、あ、ありがとうございます」
俺が手を離すとイツカは少し落ち着いたようだった。
「イツカに何もなくて良かったよ」
しかし、以前は巨大鹿に何もできず、ラヴェンドラに助けてもらうしかできなかった俺が、一撃で倒せるようになるとは。俺も強くなっているということか。
俺が自分の成長に酔っているとき、後ろで何かが動く気配がした。
「ビイイイアアアアア!」
鼓膜まで震える様な巨大な鳴き声を出しながら巨大鹿が再び立ち上がり俺たちに向かって来ようとしていた。
その時……。
「氷華鬼影流」
イツカは言葉を発すると左手で刀の鞘を持ち、右手で柄に手をかけた。
その姿は先ほどまでのオドオドした様子は感じられず、凛とした雰囲気を漂わせている。
次の瞬間、イツカは右足を踏み込むと同時に刀を抜いた。
「寒凪」
一瞬、周囲の世界が凍り付いた異様な感覚に襲われたが、気づいた時にはイツカは振り終わったであろう刀を右手に構えていた。
その刀を見た瞬間、俺はゾッとした。氷の結晶を思わせる形状の鍔に、波型の刃紋を持つ濃い藍色の鎬、そして、何より目を引く青みがかった透明な刃は、冷酷に、残酷に、すべてを刈り取る意思の顕現に思えたのだ。
しかし、巨大鹿には特に変化は見えない。
もしかしたらイツカの剣技は外れたのだろうか。
だが、イツカは終わったとでも言うようにゆっくりと刀を鞘に納めていった。
ーーキンッ……。
納刀の音が響く。
数拍の静寂が訪れた後。
ーーズルッ……。
--ドサッ……。
巨大鹿の首が胴からヌルりとずれ落ち、地響きを鳴らしながら地面に落ちた。
「だ、だ、大丈夫でしたか」
イツカはいつもの雰囲気に戻っていた。
「これは……イツカが斬ったのか?」
「あ、は、はい」
達人の居合は目にもとまらぬ速さだと聞いたことがあるが、まさにイツカは達人なのだろう。それに比べれば、先ほどの俺のスキルは児戯にも等しいのではないか。
「イツカのおかげで助かった。ありがとう」
「い、いえ……。こ、こちらこそ、あ、ありがとうございました」
イツカは手を大ぶりに振り、恥ずかしそうに照れている。
ここだけ見ればとても剣術の達人だとは思えない。
俺は倒れた巨大鹿の胴体に近づいていった。
巨大鹿の断面をよく見ると薄っすらと凍りついている。
おそらくイツカの仕業なのだろう。あの刀も相当な業物に違いない。
しかし、これで食料の調達という目的は達成できた。
これだけ大きな獲物を持って帰ったらみんな喜ぶと思うが、これだけの巨体をどうやって持ち帰ったものか。
仕留めた巨大鹿の運搬方法に悩んでいると、巨大鹿の後方に岩のようなものが見えた。
なんとなく気になり、そこまで行ってみると岩に見えたのは断層の一部だった。
表面はざらざらと荒く、岩にしか見えないが、ほのかにピンク色をしている。
もしかしたらこれは……。
俺は、表面の粉上になっている部分を少し摘み、口に含んでみた。
口の中に、強烈な塩味が広がる。
「これは……。イツカ来てくれ!」
イツカを呼び、同じように表面の粉を口に含ませた。
「しょっぱい。お、お塩ですか?」
俺はイツカに向かって頷いた。
岩に見えたのは岩塩の鉱床だった。
「おそらくこの鹿はこの岩塩を舐めに来たんだろう。そこに運悪く俺たちが出くわしたという訳だ」
元の世界でも自然界の動物は塩分を摂取するために、塩を多く含む土を舐めると聞いたことがある。
この辺りの動物はここで塩分を補給しているのかもしれない。
「まさか塩まで手に入るとは思わなかった。これで食事が楽しくなるな」
「お、お塩があるのは嬉しいですね。塩分がないと、た、体調が悪くなりますし」
俺はイツカと共に岩塩の塊をいくつか掘り出すと、持っていたかばんに詰めた。
ミネルバ達が作っている調理器具と合わせれば、料理の幅が大きく広がるはずだ。
早速、ユグドラシルまで戻りたいところだが、巨大鹿の運搬の問題は解決していない。
俺が途方に暮れていると、突如、遠くから甲高い鳴き声が聞こえ、辺りを影が覆った。
「ピュロロロ!」
影の主はロック鳥だった。
ロック鳥は強風を巻き起こしながら着地し、俺の前に頭を差し出してきた。
頭を撫でると、ロック鳥は目を細め気持ちよさそうにしている。
「来てくれたのか。ありがとう。だがこれだけ大きな獲物だ。ロック鳥でも運べるのか?」
するとロック鳥は俺たちに向かって、乗れとでも言うように嘴を背中の方に向けた。
「の、乗れということでしょうか」
イツカが不安そうに俺に話しかける。
「だろうな。ここはロック鳥に任せてみるか」
俺とイツカはロック鳥の背に乗った。いくらロック鳥が大きいと言っても背中はそこまで広くない。自然と俺とイツカは身を寄せ合う形となった。
「ひゃっ。す、すみません」
イツカが下を向いてしまった時、ロック鳥が大きく翼をはためかせ始めた。
数度のはためきの後、ロック鳥はふわりと浮かび上がり、空高く舞い上がっていく。
既に『支葉碩茂の森林』のほとんどの樹々は俺の遥か眼下にある。
遠くに見えるひときわ大きな大樹がユグドラシルだろう。
俺が景色に感動していると、ロック鳥は急降下し始めた。
「うおおおお!」
風が頬を吹き抜けていく。少しでもロック鳥を掴む手の力を緩めれば振り落されてしまいそうだ。
急降下の先には巨大鹿の胴体が見える。
ぶつかると思った直前、ロック鳥は体勢を変え、その大きなな鉤爪で巨大鹿を掴むと、再び空に舞い上がっていった。
「驚いたな。イツカは大丈夫だったか」
「は、はい。な、何とか……」
そう言うイツカの手は俺の腕を力強く掴んでいる。
そのまま俺たちはしばしの空の旅を楽しみながら、たたら場まで戻っていった。




