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私小説:作者が経験した事柄を素材にして描かれた文章。
あくまで改変ありのフィクションが前提とされる。
私のように早期の発見と治療が出来れば、違ったかもしれないのに。
先生はそう言っていたけれど、私と先生の年齢差を考えると、医者の技術や知識の不足によって、どっちみちなるようにしかならなかったと思う。
私のようにある程度安定したから治療を放棄したのではなく、先生は親からろくな治療を受けさせて貰えなかった。
しかも人と違う肉体だから、この子は神の子に違いない!なんて言って、父親からは子供のように振る舞う事を許されなかった。
テストは一〇〇点を取る事しか許されず、一点でも損なえば、一晩中納屋に閉じ込められた。
絵画も書道も作文も、コンクールでは金以外許されなかった。
更には自尊心なのか何なのか……カスみたいな欲望を満たすための道具にされ続けて来た先生は、肉体も精神も、非常に不安定な存在だ。
肉体の健康も、精神状態もホルモンに左右される。
先生が身体を壊したのは、親からの虐待も理由に上がるだろう。
自分という存在が確立させられる方法を、先生は何一つとして持っていなかった。
様々な方向から自己を侵害され続けて来たせいで、自分の中の芯が無いのだ。
家族からは虐待。
友人や恋人からは裏切り。
精神が安定している人は地盤から土台までシッカリと工事された家のようだと称される。
地盤は本人の資質。
土台は家族のような幼少期に自分と関わってきた親しい人達。
その二つが揺らいでしまうと、どれだけ上に立派なものを立てたとしても、何かあれば崩れ落ちる。
先生は基盤が形成されることなく、家を建てたような状態だった。
家族全員がゲスなのだ。
仕方がない。
唯一温かく接してくれていた、心の拠り所だった祖母は、父親からの虐待を知られた時に、「ごめんなさい」と一言遺して、入水自殺をしたそうだ。
せめてその時、祖母が父親を道ずれにしてくれていれば、先生の地獄は多少なりともマシになっただろうにと、思ってしまう。
そんな先生は、一度は金も社会的地位も手に入れ、それはそれは周囲の人が羨む程に成功し、立派な家を建てたように見えただろう。
しかし不眠不休で栄養失調状態の酒もタバコもやる人間が、全力疾走を続けていたらどうなるか。
バカにでもわかる。
いよいよ肉体的にも、精神的にも限界が来た時、今までの無理が祟った事もあり、まず体調を崩し倒れた。
私が知り合ったのは、丁度この頃だ。
ホルモン治療をろくに受けていなかったせいで、肉体のバランスが崩れてしまい、手術を余儀なくされた。
最初は突っぱねて、このまま死ぬのも悪くないなんて言って治療を拒否していたが、何が気に入ったのか、私と生きたいと望んでくれたおかげで、延命治療が施された。
そうなると復帰できるようになるまで、どれだけの時間を要するかが不透明になった。
なにせ長年放置され続けた腫瘍もアチコチに転移していたし、ホルモン治療も様子を見ながらしていかなければならない。
日本では医者が手配出来ないからと、海外へ行く事になった。
そうして仕事を通じて繋がっていた人達と疎遠になる。
更に収入が無くなり羽振りの悪くなった先生に価値は無いと、わざわざ酷いセリフを吐き捨てて連絡が途絶えた人もいると聞く。
そんな根性の悪いヤツ居ない方がマシなので、病気療養中の先生に近寄らないでいてくれるのは非常に有難い。
だが傷付くような事をいちいち言うなんて、病気の人にする事ではないだろうと、思わずにはいられない。
愛着障害も持っていたために、人寂しくなった先生は精神的にも、ゆっくりとだが確実に崩壊し始めた。
犬猫を拾うかのように行き場を失った人を招き入れ、その度に裏切られたと嘆いた。
常識知らずで愚鈍な善人は、大愚な悪人に搾り取れるだけ利用され捨てられる。
近くにいたなら、確実に止めただろう。
だが当時、私はまだ十五、六の子供で、親の庇護下にいたため一緒にいる事が出来なかった。
長期休暇には招かれ短い時間を共に過ごしたし、その度に同居人が代わっている事を不思議に思ったが、先生は余り多くを語らなかった。
指摘しても、そんな些細な事を気にしないで、せっかく遊びに来てくれたのだから、楽しい思い出作りをしようと言って有耶無耶にされた。
大人の事情だなんて言われてしまえば、子供の私には追求出来なかったのだ。
共に暮らし始める事が出来る年齢になった頃には、病症まみれで仕事も出来ず、貯めていた財産は盗まれたり騙し取られた、アラサーで性別不詳の解離性同一性障害を主とする躁鬱病患者が一人、出来上がっていた。
不思議と、貧乏クジを引いたとは思わなかった。
生活の全ての面倒を見ると言っていたのに、金もコネも何も無くなってしまったのは、確かに残念ではあったけれど、残念と思った理由も、金に困らないのなら、四六時中先生といられたのに。
ただそれだけが理由だった。
金は無いなら稼げば良いし、仕事で離れている時間なんて、学生だった間に比べれば、些細なものだ。
なにせ毎日会えるのだから。
それだけで、十分だった。
私は。
しかし先生は歳上としてのなけなしのプライドによるものなのか。
私が寝静まった後に起き出して、隠れてコッソリ仕事を再開していた。
睡眠障害があったので、その薬も処方されていたにも関わらず、安定剤も副作用で眠くなるからと言って、黙って処方薬を捨てていた。
仕事の加減が出来ない先生は、昔と同じように病院に行く暇があれば仕事をするようになり、肉体の限界を迎え、また倒れた。
最初は貧血のせいだとか色々言っていたけれど、度重なる精神不安やホルモン異常の症状から遂にバレ、仕事厳禁を言い渡す事になる。
私の収入だけでは確かに頼りないだろうけれど、先生を養う位は出来る。
なんなら、肉体は女性に近い状態になったのだし、戸籍を女にして結婚してしまえば、将来的な問題もクリア出来る。
そう進言した事はあったが、性自認はあくまで男だから変えるつもりはないと素気無く却下され、今の戸籍の状態で、養子縁組なら良いと逆に提示をされた。
そしてソレは私が嫌だと拒否をした。
先生は、家族にこそ散々裏切られて来たから、絶対に裏切らない私と家族になれば、精神を支える基盤が磐石になると思ったのだけれど。
家族=裏切るという式が、先生の中で確固たるものだから、理由をつけて突っぱねたいのだろう。
精神的に安定しない先生が安らげる状況は、どうすれば作れるのだろうか。
既に精神の限界が来て、意識を手放そうとしている先生に聞いてみる。
次表に出てこられるのがいつか分からないから、少しでも堪能しておきたいのだが、今後のためにも、話をする事を優先しなければならない。
「ん〜……君が常にいてくれたら、不安になる事は少なくなるよ。
通勤途中の事故や仕事中の事故、会社の人に色仕掛けされたり、誘拐されたり……そういう心配はいらなくなるでしょう?
富士山噴火とか南海トラフ地震とか、考えてしまうけれど、常に一緒にいてくれれば、死ぬ時は一緒じゃない」
「事故はまだ、いくらコッチが気を付けてても巻き込まれる危険性があるから分かりますけど……
なんですか、色仕掛けって」
「だって君、ノーマルでしょう?
今僕の肉体はこんなだけど、女とは言えないし。
それに最初は、間違いなく男だったじゃない。
ゲイでもバイでもないのだから、好みの女性に言い寄られたら、フラッといったりしちゃわな「無いです」
食い気味に言うね……」
私の好みは先生なのだから、そんな事が起こる訳がないのだ。
有り得ない事を心配する必要なんて、無いだろう。
地震を含めた天災に関しては、確かに何の前触れもなく突然襲いかかって来るものだ。
被災経験があるので、安易に「それくらい大した事無いですよ」なんて、口が裂けても言えない。
「常に、となると……
在宅ワーク可の職場に転職するとかですかね。
先生みたいに、何か一芸に秀でていれば、自営業も出来たのでしょうが」
「今の仕事は工場内勤務だよね」
「担当しているSNSの広報くらいなら家で出来ますけど、メインは製造ラインに立つ事と、商品の配達ですからね。
転職は必須です」
「……僕ってさぁ、障害年金、貰えるのかな?」
「? ええ、モチロン」
足掛けン十年と精神科に通い続けているから、障害者手帳も障害年金も、手続きさえすれば貰える。
コッソリ隠れて仕事をしていた時に、そんなに無職で収入が無い事が嫌なら、申請して年金貰えば良いじゃないですか、と勧めたのは私だ。
納税者の当然の権利であるし、先生なんかは下手すれば私の一生分の納税を既にしている。
後暗い気持ちなんて持つ必要はないと言ったのだが、申し訳ないからそれは嫌だと過去に突っぱねられている。
誰に対して申し訳ないなんて思っているのか分からないまま、とにかく先生が嫌がる事を無理にさせるくらいなら、私がその分働けば良いと思い、それ以上は話をしなかった。
私の肯定の言葉を聞いた後、「そっか」と一つ頷き、先生は再び深い眠りについてしまった。
テンションの高い、主人格の代役として日常を送っている、一番長い付き合いのある先生の解離人格と共に、反省点として私達は互いに遠慮をし過ぎているから、少しずつで良いから本音は隠さず、口に出せるようにしようという所で話は落ち着いた。
あとは在宅ワーク可の職場の募集が無いか探したりもしたけれど、田舎にそんなものは無く、時間ばかりが過ぎていった。
職場では私発案の新商品の開発プロジェクトが順調に運び、数ヶ月の試作期間を経て複数の商品の発売にこぎつけた。
給料も上がり、夏のボーナスも期待できるだろう。
なにせ新商品の一つが特にウケ、連日残業続きになる程に、生産が追い付かないような状態に陥ってしまったくらいなのだ。
過去最高収益も叩き出したと褒められたし、順風満帆。
そんな風に思っていた、ある日。
突然社長に呼び出され、解雇された。
理由は、私が担当しているSNSで、私が会社の風評被害を流していると言う理由だった。
全く、身に覚えがない。
だが悲しいかな。
私は自分を加害してきた当時の叔父と同じ年頃の男性を、酷く恐怖する傾向にあった。
先生は除く。
社長はとても良い人格者ではあったのだが、ドンピシャでその年齢に当てはまった。
しかもそう言う時こそ笑ってしまうクセがあり、その態度が余計に癪に障ったらしい。
ろくに弁明をする事も出来ず、突然の事に混乱していたため、一方的に詰られた挙句、要求を受け入れるしか出来なかった。
帰り際の呼び出しだったために、世話になった他の社員さん達にも、挨拶すら出来ずに、私は会社を去る事となった。
帰宅し茫然自失のまま、明日から無職になる事を先生に話したら、「つまり明日からなら時間があるって事だよね?障害年金の申請をしに行こう」と促された。
確かに忙しくしていた方が気が紛れるだろうと、その日は先生に慰められながら就寝し、次の日に市役所へと赴いた。
保険証の切り替えもしなくてはならなかったし。
自立支援医療受給者証の申請も併せて行う事にしたのだが……コレをするのが無職の期間で本当に良かったと、思わずにはいられない。
先生が初めて精神科に掛かったのは中学生の頃で、その頃から定期的に精神科に行っては安定剤と睡眠薬を処方されていた。
未成年時に病理歴があると、その頃から障害者だったと立証出来れば年金を多く貰えるのだと言われた。
ならばその立証のための材料が必要だ。
だが当時通っていた病院は、潰れていた。
そのカルテを引き継いだ病院探しから始まり、病歴・就労状況等申立書が、先生の病歴が長すぎて貰ってきた枚数では足りなくなり、診断書をなるべく早く出して貰わねばならず、しかしイレギュラーな予約は出来ないために朝イチから診察時間終了まで病院で待ち続けたり。
もう、障害者にさせるような事じゃないよね、コレ。
グチを言いたくなるような事が山ほどあり過ぎた。
おかげで提出した病歴・就労状況等申立書を見た窓口の女性に怨念が籠っていると顔を引き攣らせながら言われた。
〇.〇三mmのボールペンで、記入欄が真っ黒に見えるレベルで書き込んだのだもの。
そりゃ怖がられるよね。
弁護士に依頼すればもっとスムーズに出来たのかもしれないが、依頼料が高くつくからゴメンだ。
なにせ私は無職だし。
時間なら幾らでもあったからね。
……残念ながら、成人前後に病院の通院歴に空白があったため、まとまったお金が入ってくる事は無かったが、無事に現在は精神障害者であると認められ、二ヶ月に一度、先生は障害年金を受け取る事が出来るようになった。
生活保護は、持ち家を没収されてしまうので申請出来ないが、それでも金銭の余裕が多少なりとも出来たのは有難い。
あとは私が在宅勤務が出来れば良いのだけれど……
まぁ、難しい状況だ。
塞ぎ込んでいてもしょうがない。
先生は私が二十四時間共にいる事で、本当に精神的に安定してきた。
薬の量が減り、寝る前の薬の服用から入眠までの時間が安定している。
遁走する事は無くなったし、スイッチが切り替わるかのように突然暴れ出したり暴言を吐くような事も無くなった。
……それでも、主人格の先生に会える日は、殆どない。
いつかその日を待つのが辛いと言って飛び降りたあの日と違い、今の私は、そのいつかが来る日を待ち遠しく思える程度には、安定している。
無職の穀潰しである事だけが、引っ掛かるが。
くもりの日には、近所を散歩出来るようになるくらいには安定している先生の姿が見られているので、貯金があるギリギリ今の所は良しとしておこう。
「……セツさん、元気になりましたね」
「数年前のボクに言ったら、驚かれそうな変化だよね」
「良い変化なのだし、喜ばしい事じゃないですか」
「でもさ、鬱が治ったら障害年金貰えなくなるよ?」
「別に良いじゃないですか。
そうしたらまた、私が働きに出れば良いだけなんですし」
「う〜ん……ソレは嫌だなぁ……」
「治ったら、嫌と思わなくなるんじゃないですか?」
どうだろう?と悩みながらも、ポテポテとゆっくり歩く先生の姿は、本当に数年前では考えられなかった姿だ。
ずっと寝たきりだったから、自分の肉体を支えられるだけの筋肉が落ちてしまっているため、最近、少しずつ距離を伸ばしながら、こうやってゆっくりと散歩をするようになった。
こんな風にのんびりと、談笑をしながら外を歩くなんて、思い描く事すら無かった。
世間から見た時に、私達は酷く歪んだ、歪な関係なのだろう。
肉体的なものもそうだけれど、先生を取り戻す日を夢見て、先生を演じている人格達と茶番を続けている。
楽天的な性格のテンション違いの先生は、最近特に、幼い言動が目立っている。
幼少期から、人格形成をやり直しているのではないかと、主治医には言われている。
そのためなのか、暴言を吐いたり、自死をするテンション違いは最近見ていない。
だが先生が安心して外に出られる事を確認する作業なのだろう。
回数こそ減ったが、今でもたまに、先生からは手酷い目に遭っている。
そうやって私を痛め付け、私の身体に傷を増やし、どれだけ私が苦痛を感じても、先生から離れて行く事が無いのだと、確認せずにはいられないのだろう。
そんな日々でも、先生が穏やかに笑っていてくれるのなら、それだけで私は充たされる。
起こり得ない未来を不安がるのではなく、今目の前にある幸福を幸せだと感じられるようになるのなら、それ以上の喜びはない。
先生がそんな‘’今‘’に目を向けられるようになる日は、いつなのだろうか。
出来る事なら先生と、いつか。
いつか、私が死ぬ前に。
こうやって心穏やかに過ごせる日が来る事を、心から願う。




