75話 シーツのお化けとルカという名前
石造りの地下室、その中央に安置された巨大な棺の中。
意識を失ったカーミラが目を覚ますまでの間、俺は金髪の幼い少女、もとい魔王の手によって、みっちりとお仕置きという名の快楽責めを受けていた。
「……はぁ、はぁ……っ」
「ずいぶんとだらしない顔だ」
解放された時、俺の体からは甘くむせ返るようなフェロモンと、情事のあとのようないやらしい匂いがぷんぷんと立ち込めていた。
さすがにこのまま、外で待機しているお姉さんたちの前に出るのはいろんな意味でまずい。
俺が涙目で抗議しようとすると、少女の姿をした魔王は小さく息を吐いた。
「このまま表に出れば、余計な詮索を受けるだろうな。……じっとしていろ」
魔王が指先を軽く振ると、空中に透明な水の塊が生み出された。
その水球は俺の頭上からスッポリと全身を包み込み、まるで洗濯機のように水流が体を優しく撫で回した。
「んぐっ、ぷはっ……!」
数秒後、水が弾けて消え去ると、俺の体からいやらしい匂いは完全に消え去っていた。
お風呂に入った直後ほどではないが、汗や汚れも落ちて、少しだけさっぱりと綺麗になっている。
(……弱体化してるとか言いつつ、さらっとこういう魔法が使えるとか)
軽く身だしなみを整えると、魔王は外で待たせていた者たちを地下室へと呼び戻した。
「話はついた」
魔王は玉座代わりの台座に座ったまま、尊大に告げた。
そこから少し咳払いをして、お姉さんとティエラ、そしてエドガーに向かって語る。
「しばらくの間、ミアに力を貸す形で協力関係を結ぶことになった」
当然、魔王の復活については大陸中から隠したままでいることが決められる。
この場にいる者たちだけの秘密というわけだ。
「では、私は後日、そちらの領地に向かうとしよう」
魔王がそう締めくくり、俺たちは足早に魔王城を後にした。
◇◇◇
城から離れ、森の入り口付近へ戻ると、待機していた黒竜のズワルトが大きな首を持ち上げた。
「……戻ったか。して、どうだったのだ」
探るようなズワルトの問いに、俺は心底疲れた顔で、しかし本心から答えた。
「城の中は殺風景で何もないし、観光としては微妙だったよ。……あと、なんか変態的なことになったし」
俺の背中には、嬉しそうにサキュバスの尻尾を絡ませてくるお姉さんがぴったりと張りついている。
そして隣では、ティエラが「いやぁ、まさかあんな展開になるなんてねぇ」と苦笑混じりに肩をすくめていた。
「正直、行かなくてもよかったかもしれない。……ズワルト、わざわざ飛んでもらったのに、ごめん」
俺が素直に謝罪すると、ズワルトはフンと鼻を鳴らす。
「……そういう徒労に終わることもあるだろう。乗れ、帰るぞ」
疑念は完全に晴れていないだろうが、それ以上は追及してこなかった。俺たちは再び黒竜の背に乗り、空へと舞い上がる。
大陸南部の領地──ルーサーの館に到着する頃には、すっかり夜の帳が下りていた。
豪華なダイニングで遅めの夕食をとっている際、ティエラがわざとらしく大きな声で宣言した。
「いやー、魔界の観光も満喫したし! このまま南の大陸に帰る前に、リヴィラの港でしっかり交易とかしてから帰りたいわね!」
もちろん、これは監視役のズワルトに向けた、まだしばらく船団が停泊している理由としての言い訳である。
◇◇◇
翌朝。
依存症のせいで、一人ではどうしても眠れなくなってしまった俺は、昨夜もお姉さんの豊かな胸に抱きしめられながら深い眠りについていた。
「ん……朝、か……」
目をこすりながら身を起こし、ふと部屋の窓際に視線を向けた俺は、心臓が止まるかと思った。
「やっと目が覚めたか。遅いぞ」
朝日に照らされた窓枠に、昨日の金髪少女──先代魔王が、ちょこんと座っていたのだ。
「うわぁっ!? な、なんで!? いつの間に!?」
俺が悲鳴を上げると、隣で寝ていたお姉さんも目を覚まし、「あら、お早いお着きね」と呑気にあくびをした。
「どうやって城から抜け出してここに来たんだよ?」
大陸中央の魔王城から南部のここまではかなりの距離があるはずだ。
すると魔王は、ローブの裾を弄りながら淡々と説明した。
「簡単なことだ。目の穴だけを空けた黒い布を頭から被り、夜の闇に紛れて転移魔法を小刻みに使い続けて移動してきた」
「転移魔法を小刻みに……?」
「うむ。視界の範囲内であれば、転移の座標指定に失敗して壁や地面に埋まるような事故は防げる。まあ、魔力の消耗を考えると、実際にできる者は少ないが」
(……ちょっと待った)
俺の脳裏に、ある光景が浮かび上がった。
深夜の平原を、目の穴だけ空けた黒いシーツを被った金髪の美少女が、小刻みに瞬間移動を繰り返しながら、必死に南を目指して夜通し移動してくるシュールな姿を。
「……ぶふっ」
想像したら、思わず吹き出してしまう。
その瞬間、俺の頭に凄まじい衝撃が走る。
ガコンッ!
「痛っっ!」
見れば、サイドテーブルに置いてあった木製のコップが、見えない腕によって空中に浮き上がり、俺の頭に全力で叩きつけられたあと、スッと元の位置に戻っていくところだった。
「くだらないことを考えるからだ」
魔王はジト目で俺を睨みつけていた。心を読んでくるのは本当に反則だと思う。
「心を読まずとも予想できるが」
「…………」
その後、朝食を終えたティエラも合流し、割り当てられた一室で、こっそりと今後の方針についての作戦会議が始まった。
俺は地図を広げて口を開いた。
「もう少し内部の地盤を固めてから、大陸東部の竜族を攻めたいと思ってる。準備期間が欲しい」
しかし、金髪の魔王は首を横に振った。
「いや、早めに東へ攻め込むべきだ」
「なんで? 焦る必要はないだろ」
「確信はないが……私がいたあの魔王城には、すでに大陸北部の旧魔王軍から間者が入り込んでいる可能性がある。私の復活に気づかれる前に動いた方がいい」
旧魔王軍。かつての魔王に仕えていた者たちだ。
「というかさ」
俺は素朴な疑問をぶつけた。
「あんたが復活したことを大々的に明かせば、その旧魔王軍の連中、普通に配下に戻ってくるんじゃないのか?」
しかし、魔王は自らの小柄で華奢な少女の体を示し、自嘲するように笑った。
「甘いな。……弱体化した今の状態を見れば、奴らは必ず下克上を狙ってくる」
「えっ、忠誠心とかないのかよ」
「そんな殊勝なものがあるという前提は捨てる。なぜなら、かつての私が、力でねじ伏せて魔王の座を奪い取ったからな。歴史は繰り返すものだ」
なんともまあ因果な話だ。
「それに、奴らは私の復活よりも、自分たちによる大陸の支配を優先して動いた連中だ。少女となった私の言うことなど、素直に聞くはずがない」
「なるほど、魔族の社会もいろいろあるんだな……」
いろいろな思惑が絡み合っていることに納得するしかない。
「わかった。……ところで、俺たち、あんたのことをなんて呼べばいい? いつまでも魔王って呼ぶわけにもいかないし」
俺が尋ねると、金髪の少女は少し懐かしむような顔をして答えた。
「ルカと呼べばいい。……昔、まだ私が魔王になる前、力を隠して各地を放浪していた時に使っていた偽名だ」
「ルカ、だな。よろしく頼む」
俺とルカは軽く握手を交わし、すぐに大陸東部の竜族への攻略方針へと話を戻した。
「どうやって、あの空の要塞みたいな竜族を攻める?」
「奇襲は不可能だ。相手は空から広範囲を見張っている」
ルカが大陸の地図の東部に指を置く。
「ならば、正面から堂々と宣戦布告を行う。そして、相手が絶対に無視できない規模の大軍で攻め上がり、迎撃に出てきた竜たちをこちらに引きつけ、確実に撃ち落とす。……そのまま王宮を制圧して、竜王を取るのだ」
真っ向勝負の総力戦。
かなりの激戦が予想される。竜のブレスを掻い潜りながら、あの分厚い鱗を突破する火力を用意しなければならない。
「早期に仕掛けるとしても、それなりの準備と軍の再編は必要ね」
お姉さんが腕を組んで分析する。
「ええ。船団の物資も上手く利用しないと」
ティエラも不敵に笑う。
強大な竜族との、今後の命運を懸けた戦い。
どちらにせよ、まだしばらく準備の時間は残されている。
俺は新たな戦いの気配に、気を引き締めるのだった。




