68話 魔女の愚痴とひねくれ者の勇者
お姉さんの膝の上という、魔王としての威厳が微塵も感じられない特等席に収まったまま、俺は魔女ティエラと向かい合っていた。
「さて、冗談はこれくらいにして」
ティエラは少しだけ真面目な顔つきになると、一枚の大きな羊皮紙を取り出し、テーブルの上に広げた。
「これが、私の住む南の大陸の地図よ」
覗き込むと、大陸はいくつもの国々に分かれていた。
「私が仕えているのは、大陸北部のここ。そこそこ広い領土を持つ国よ」
地図の一角を指差しながら、はぁ、と盛大なため息をついた。
「うちの王様さ、本当にひどいんだよ? 『お前、ずっと城で暇してるだろうからたまには働け』って。私、魔王を倒した勇者の仲間なのに、人使いが荒いのよねぇ」
「……普段は、どういう生活してるんだ?」
「城の奥の塔で、魔法の研究をしながら悠々自適な日々よ。……まあ、研究成果は、世の中に出しても問題ないものしか表に出さないようにしてるけどね」
若さを維持する魔法や、俺の成長を止める魔法など、規格外の技術をポイポイと出されたら世界のバランスが崩れる。彼女なりの配慮なのだろう。
「きっとあれだ。王様も、あんたみたいな優秀な人材を何十年も遊ばせて無駄にするのが嫌だったんじゃないか?」
俺がフォローするように言うと、ティエラは目を丸くしたあと、パァッと顔を輝かせた。
「あら! ミアちゃん、お世辞が言えて偉いね~! いい子いい子!」
ティエラは身を乗り出し、俺の銀髪をわしゃわしゃと撫で回してきた。
「ちょっ、やめろって!」
「やーめないっ。あはは、本当に触り心地いいわねぇ」
「……こほん」
その時、俺の頭上から、絶対零度の咳払いが降ってきた。
「ティエラ。……それで、そろそろ本題に移ってくれるかしら?」
見上げると、お姉さんが氷のように冷たい笑顔を浮かべていた。明らかにむっとしている。
お姉さんはティエラの手をパシッと払いのけると、撫でられていた俺の頭を上書きするかのように、ねっとりと撫で回し始めた。
さらに、サキュバスの尻尾が俺の腰にぐるぐると巻きつき、この子は私のものよという強烈な所有権アピールをしてくる。
(……なんだこの状況)
内心でツッコミつつも、お姉さんの撫で方が絶妙に気持ちよくて逆らえない自分が悔しい。
ティエラは苦笑しながら、再び地図の前に視線を戻した。
「ごめんごめん。……まあ、本当にただの調査に来ただけなのよ。世界征服とか考えてたあのやばい魔王みたいに、南の大陸への侵略を本気で考えてる奴が、また現れていないかどうか、とかね」
そこでティエラは、目を細めて俺をまっすぐに見た。
「ところでミアちゃん。……君は、南の大陸への侵略とか、考えてる?」
「ないない」
俺は即答し、首を横に振った。
「今は魔界の他の勢力と対峙するだけで精一杯だし、そもそもそっちと戦争する気なんてない」
すると、ティエラは俺の言葉の真偽を確かめるように、お姉さんの方を見た。
お姉さんは「本当よ」と小さく頷いた。
「……そっか。イリスがそう言うなら、本当にその気はないのね。安心した」
ティエラはほっとしたのか息を吐き、肩の力を抜いた。
「あなたたちの動きの確認ができたところで……他の勢力はどう? そっちの動向も上に報告しないといけないのよね」
ティエラが尋ねてきたので、俺はお姉さんを振り返った。魔界の各勢力の詳しい内情などについては、かつて副魔王だった彼女の方が遥かに詳しい。
「……そうね」
お姉さんは俺を抱きしめたまま、淡々と分析を語り始めた。
「大陸西部の西方諸国連盟は、自分たちの自治とお金が何より大事だから、南の大陸とも交易という形で仲良くできるわ。お金を巡る揉め事は絶えないでしょうけど、侵略戦争にはならない」
「ふむふむ」
ティエラがメモを取るように頷く。
「大陸東部の竜族は、油断ならないけれど、利益が一致すれば普通に付き合えるわ。ただ、竜族以外を下等生物と見下している者が多いから……対等に接してくれる相手とだけ取引するのが無難ね」
「なるほどなるほど。で、一番厄介そうな北部は?」
「旧魔王軍残党ね。あそこは、かつての先代魔王の悲願である侵攻計画は残っているけれど……実際に攻め込むのはずっと先よ。まずは魔界と呼ばれるこの大陸の統一、そして内部の権力闘争を固めるのが最優先。そのあとにどうにか、ってところだから……向こう百年くらいは問題ないわ」
お姉さんの完璧な情勢説明が終わると、ティエラは満足げに手を叩いた。
「よし、仕事終わり! 完璧な調査報告ができそうよ。あとは帰るだけ!」
「えっ、もう帰るのか? それはさすがに……ちょっと寂しいんじゃないか?」
せっかく海を渡ってきたのに、ものの数分でとんぼ返りとは。
俺が素直な感想を口にすると、ティエラは胸をギュッと押さえて悶絶した。
「くぅっ……! 無自覚な可愛さで私を殺そうとするとか、やばいわねこの子……! イリスが狂うわけだわ……」
ティエラは一つ深呼吸をして、再び椅子に座り直した。
「それじゃ、このまま帰るのもあれだし。雑談ついでに勇者パーティーのこと、教えてあげる。ぶっちゃけ、気になるでしょ?」
「ああ。教えてほしい」
俺は身を乗り出した。お姉さんは、興味はなさそうだが黙って聞いている。
「四人パーティーでね。南の大陸各地から選び抜かれた、各分野の精鋭なわけ」
ティエラは誇らしげに地図の上で指を動かす。
「いやー、誇らしいもんよ。その一員に選ばれるってことは、事実上、私は魔女の頂点として認められたようなものだからね」
指先が、大陸のあちこちを指す。
「あ、そうそう。私は北のここだけど……融通の利かない堅物な騎士は、西のこの国。煩悩まみれで生臭すぎるあの僧侶は、東のこの国の出身」
仲間への軽口に、当時の賑やかな旅の様子が窺える。
しかし、肝心のリーダーについての言及がない。
「……勇者は? 勇者はどこの生まれなんだ?」
俺が尋ねると、ティエラは「うーん……」と腕を組んで考え込んだ。
「なんか、南のいろんな国を転々としてて、最終的に教会のお偉いさんから勇者として見出された……とかなんとか。実は私って、パーティーには途中から加わった口なのよ。だから、勇者やってる間のことはわかるけど、なる前のことはよくわかんないのよね」
ティエラは肩をすくめて見せたが、その瞳の奥には、何かを隠しているような気配がわずかに感じられた。
(……本とかの物語じゃ、異世界に転生とか転移した奴が勇者になるパターンが多いけど。もしかして、その口か?)
俺自身が前世の記憶を持つ転生者である。もしやと思い、その疑問をストレートに口にしてみた。
「ああ、そういえばミアちゃんには、異界の魂が入ってるんだったか。……ええ、ご名答。実は、勇者は転生者だったの」
あっさりと肯定された。やはりそうか。
「どんな人物だったんだ?」
俺の問いに、ティエラは少しだけ寂しそうな、懐かしむような目をした。
「どういう人物だったかは……本人の名誉もあるから、あまり詳しくは言えないけどね。一つ言えるのは……」
ティエラの目が、遠く過去を懐かしむように細められた。
「人を救うのは嫌だけど、人が傷つくのも嫌。っていう、ひねくれ者だったわ」
おふざけの欠片もない、かつての戦友を想う真摯な声だった。
勇者という重圧の中で、それでも世界を救った不器用な英雄の姿が、少しだけ想像できた。
「ちなみに」
しんみりとした空気を切り裂くように、ティエラが突然、にやりと笑った。
「私、昔あいつに子作りしようよって誘ったことがあるのよね」
「は!?」
「そしたらさ、『お前との子どもなんて、絶対に魔法の実験体にされそうだから嫌だ。可哀想』って即答でフラれちゃったのよ。ひどくない?」
「…………」
何を言うべきか困り果てる俺。
(……自分の子どもを実験体にするかしないかで言えば、この人、絶対にしそうだな)
内心で勇者の判断に深く同意しつつも、口には出さないでおいた。
気まずい沈黙を誤魔化すため、そして魔王としての実利を取るため、俺は話題を変えることにした。
「……あの、どうせなら、俺が魔界の他の勢力を打倒するために、南の大陸からこっちに援助とかしてもらうことって、できませんか……?」
俺はお姉さんの腕の中から、恐る恐る、ティエラに向けて外交のカードを切ってみたのだった。




