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61話 依存の呪縛とスパルタな解決方法

 ある日の夜。オロネスの領主の館。

 その豪華な寝室において、俺は深刻な悩みを抱えながらベッドの上で身悶えしていた。


 「……眠れない」


 原因は明確だ。

 隣のベッドで、静かな寝息を立てているお姉さんの存在である。

 より正確には、お姉さんと密着していないことが原因だった。

 ここ最近、俺はお姉さんの腕の中で、その甘い香りと圧倒的な母性に包まれないと、深く眠りに落ちることができなくなってしまっていた。


 (ダメだ。このままじゃ、本当にただの愛玩動物になっちまう)


 それゆえに俺は今日、固く決意したのだ。

 男としての……いや、魔王としての自意識を取り戻すため、今日からお姉さんとは少し距離を置いて寝る、と。

 お姉さんは「あら、反抗期?」と少し不満そうだったが、無理やり抱き寄せてくることはなかった。

 だが、いざ一人で毛布に包まれてみると……。

 寒い、心細い、なんだか胸の奥がソワソワして落ち着かない。


 (くそっ……俺の体、どれだけあの人に依存するように作り変えられてるんだよ……)


 寝返りを打つこと数十回。

 深夜に限界を迎えた俺は、音を立てないようにそーっと自分のベッドを抜け出し、お姉さんのベッドへと潜り込んだ。


 「……んっ」


 お姉さんの温かい背中に、おずおずと抱きつく。

 その瞬間、嘘のように心が安らぎ、強烈な睡魔が襲ってきた。


 「……ふふっ。結局、私のところに戻ってくるのね」

 「っ!?」


 寝ていたはずのお姉さんが、くるりと寝返りを打って俺を正面から抱きしめ返した。

 暗闇の中でもわかる、蕩けるような笑顔。


 「我慢できなくて、自分から私の腕の中に潜り込んでくるなんて……あぁ、もう、可愛すぎるわ。どうしてくれようかしら、この子は……!」


 お姉さんは俺の銀髪に顔を埋め、すぅぅぅぅーっ、と深呼吸をして身悶えしている。心がきゅんきゅんしすぎてるのか、抱きしめる腕の力がやばい。


 「ぐぇっ……くるし、い……」


 敗北感と羞恥心で死にそうになりながらも、俺は抗いがたい安心感の中で意識を手放してしまったのだった。


  ◇◇◇


 翌日の昼。

 執務室の窓際で、俺は深くため息をついた。


 「はぁ……俺はもう、ダメかもしれない」


 お姉さんの圧倒的な母性と包容力。それに甘えきってしまっている自分。

 このままでは、あの始まりの屋敷で感じたように、完全に心まで堕ちてしまうのも時間の問題だ。

 すでにだいぶ片足突っ込んでるのは……今は横に置いておく。


 「……ミアの元気がない。どうしたの?」


 足元から声がした。

 見下ろすと、竜族であるレジエが床に座り込み、俺の膝に顎を乗せながら上目遣いでこちらを見ていた。

 お姉さんが軍の視察で席を外している間、こいつはいつもこうして俺にまとわりついてくる。


 「元気出して。……ほら、撫でていいよ。ついでに匂い嗅ぐ?」

 「犬の真似はやめろって言ってるだろ……」

 「わんわん。それは聞けない。ミアが元気ないなら、わたしが慰めてあげる。……どこ舐めてほしい?」


 レジエが立ち上がり、俺の腰に腕を回して首筋に顔を寄せてくる。

 相変わらずの過激なスキンシップと、鬱陶しさを感じるほどの独占欲。


 「やめろ、くすぐったい!」


 俺は慌ててレジエを引き剥がした。

 だが、皮肉なことに、このレジエの俺を求める強引な態度は、俺の中に眠る男としての自意識をギリギリのところで繋ぎ止めてくれていた。

 俺がしっかりしなきゃ、こいつの暴走を止められない。俺はこいつの主なんだから、と。


 「……ミア様。最近、少し気が抜けているのではありませんか?」


 書類の山から顔を上げたカーミラが、冷ややかな視線を送ってきた。

 淡い金髪に真っ赤な瞳の美人だが、その顔にはだいぶ呆れが浮かんでいた。


 「魔王として大陸南部を統一したとはいえ、まだ地盤は固まりきっていません。それなのに、イリス様に甘えきり、レジエのじゃれ合いを許している。……威厳が台無しですよ」


 痛いところを突かれて俺は頭を抱えた。

 わかってる……わかってるんだよ。このままではいけないというのは。


 「でも、どうしようもないんだ。……お姉さんがいないと、息苦しいっていうか、ソワソワして何も手につかなくなる。お姉さん無しの生活が、苦しいんだよ……」


 まるで禁断症状だ。

 つい俺が弱音を吐くと、カーミラはペンを置き、何か考えた様子で顎に手を当てた。


 「……なるほど。精神的にも肉体的にも、深刻な依存状態にあると」

 「自覚はある。どうにかしたいとも思ってるんだ」

 「わかりました。ならば、わたくしが一肌脱ぎましょう」


 カーミラは立ち上がり、ニヤリと……いや、とても良い笑顔を浮かべた。黒い笑顔と言った方が正しいのかもしれない。


 「何も考えられないくらい、疲れ切ってしまえばいいのです。余計なことを考える余裕があるから、不安になったり甘えたくなったりするのです」

 「え?」

 「今日から、ミア様のスケジュールを白紙に戻し、わたくしが再構築します。……覚悟してくださいね?」


 その日から、俺の地獄が始まった。

 とてもスパルタな荒療治が。


 「はい、次はこの書類の決裁です。目を通したらサインを。終わったら南部の領主たちへ送る通達の草案作成です!」

 「は、はい!」


 朝から昼にかけては、山のような書類仕事。カーミラが隣に張りつき、一息つく暇も与えずに次々と仕事をぶち込んでくる。


 「午後からは鍛練です! 魔力回路を太くするため、限界まで魔法を放ち続けてください!」

 「おりゃあああっ!」


 昼食を急いで流し込んだあとは、中庭での魔法特訓。

 的確に的を狙い、魔力が枯渇する寸前まで撃ち続ける。


 「今日の夜はオロネスにいる各部隊の長を集めての軍議です。居眠りは許しませんよ! 他の地域の部隊についてはまた別の日です」

 「う、うっす……!」


 夜遅くまで続く会議。

 とにかく最低限の食事とトイレの時間以外は、朝から晩まで魔王としての責務を全力でこなす。

 頭はフル回転し、体は魔力切れで鉛のように重い。


 「はぁ……はぁ……もう、無理……」


 深夜、俺は自室のベッドに倒れ込んだ。


 「あらあら、ミア。今日も頑張ったのね」


 ベッドでお姉さんが微笑んで両手を広げていたが、俺はもう、その腕の中に飛び込む気力すら残っていなかった。


 「あー……おやすみ……なさい……」


 バタッ。


 お姉さんの匂いを嗅いで安心するよりも前に、脳が強制的にシャットダウンして、俺は気絶するように眠りに落ちた。

 翌日も、その次の日も。

 カーミラの鬼のようなスケジュールは続いた。

 だが、これは驚くほど効果があった。

 極限まで疲労することで、夜は一人でも泥のように眠れるようになった。

 昼間も、お姉さんのことを考えてソワソワする暇なんて一秒もない。


 「……よし。なんか、体が軽くなってきた気がする」


 数日後、自分の心の中にあったお姉さんへの依存という毒が、少しずつだが、確実に抜けてきているのを感じていた。

 魔王としての仕事も板につき、体力と魔力も底上げされている。


 「……ふぅん。最近のミアは、すぐ寝ちゃうのね」


 ある日の夕方。

 書類の山と格闘している俺の背後から、お姉さんが不満げな声を漏らした。


 「カーミラ。あなたがミアをいじめているのかしら?」

 「め、滅相もございません。魔王として、当然の責務を果たしていただいているだけです」


 カーミラは涼しい顔で返しつつも、かすかに冷や汗を流している。

 お姉さんは少し目を細め、俺とカーミラを交互に見たが、それ以上は何も言わなかった。

 魔王としての仕事や成長を、彼女が直接的に邪魔することはない。むしろ、俺が力をつけること自体は歓迎している。

 ただ、お姉さんは俺の耳元に顔を寄せ、毒を孕んだ甘い声でささやいた。


 「……まあ、いいわ。頑張る子は嫌いじゃないもの」


 ちゅっ、と耳たぶに軽いキス。


 「どうせ最終的には……私のところに戻ってくるしかないんだから。ね?」

 「っ……」


 背筋にぞくりと氷を押し当てられたような悪寒が走り、俺はペンを握る手にぐっしょりと冷や汗をかいた。

 依存から抜け出すのは、血のにじむような努力と苦痛を伴う。

 だが、再びあの甘い毒に溺れ、依存し直すのは、あまりにも簡単だ。

 お姉さんはそれを知っているからこそ、余裕で構えているのだ。


 (……負けない。絶対に、自分を保ってみせる)


 堕ちかけている心は、なんとか踏みとどまっている。それもこれも、助けてくれる配下がいるからこそ。

 俺はお姉さんからの精神的な自立を目指し、今日も書類の山へと立ち向かう。

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