62.マルテの過去
マルテが目覚めた時、念のため医師の診察を受けさせた。
異常が無い事を確認し、人払いしてからロッテがいなくなってしまった事、北の修道院の事、移動の魔法陣の事、状況からして、誰かが禁術を発動させようとしている事を伝えた。
彼女は顔色を青褪めさせ、言葉を失い暫く俯いていた。
「おそらく、ロッテは北の修道院にいると思う。それを裏付けるために、真実を話してくれないか……?」
マルテは目を伏せ、小さく溜息を吐いて信じられない過去を教えてくれた。
マルテがブランシュ公爵家の侍女になったのは、まだ健在だったカールハインツの父──当時、公爵家当主が雇い入れたからだそうだ。
没落貴族だったマルテは、最初から勤勉で、恋もせずに仕事に勤しんでいた。
カールハインツの母は彼を生んでから予後が悪く伏せりがちで、勤勉さを買われたマルテは彼女に仕えるようになる。
だが程なくして公爵夫人は他界、意気消沈した公爵はアルコールに溺れるようになり、一時期昼夜問わず飲んでいたらしい。
「夫人に加え……公爵様までもが他界されると、ぼっちゃまが不憫で……。ある時、アルコールを止めるように進言しに行きました」
掛布を強く握り締めたマルテは、大きく息を吸って呼吸を整えた。
「そこで……私は……」
自身をぎゅっと握り締める。それだけで、何があったか想像に容易い。その証拠もあるのだから。
真面目なマルテの事だ。
身体だけでなく、心も傷付いただろう。
「抵抗……できませんでした。奥様を亡くされて、お辛い気持ちをお慰めしているだけだと言い聞かせて……」
──そして、自分を許せなかったのだろう、とも思う。
「いいえ、言い訳しながら、私は……浅ましくも欲望を抱いてしまったのです。今ならば、と……」
だが、結局、それはなかった事になった。
不思議とカールハインツの父親は、それを境にしてアルコールを断ち、勤勉な品行方正な当主に戻った。
彼にその日の記憶は無く、後日妊娠したから侍女を辞めたいと申し出ても、サポートするからこれからも仕えてほしいと言われただけだった。
そうして、マルテは女児を出産した。それがロッテだった。
ロッテはマルテの方の血が濃く出たようで、全く公爵に似ていなかった。だからあの日の事が夢のようで夢ではなくて、けれど子どもという確かな証拠があって、当初は受け入れ難かったようだ。
それでも育てるうちに愛情が湧き、父親の事は伏せたまま公爵家で一緒に暮らしていた。
カールハインツの父も、何かを振り切るように仕事に邁進し、息子を顧みる事はあまりなかった。
だからマルテが乳母代わりに、彼とロッテを育てていたようなものだったそうだ。
カールハインツの父は、息子がアカデミーを卒業する前に他界した。
どこか生き急いでいる人で、儚げで、先に亡くなった妻を心から愛していた。
「そんな彼が、アルコールに溺れていたとはいえ、一度でも奥様を裏切るような真似をしたなんて言えば、それこそ自害をされるのではないかと……。時折、私と遊ぶロッテを撫でてくださって、それだけで十分でした」
正直、信じ難い出来事だ。
確かに婚約していた時から、カールハインツの父──私から見れば義父は、遠くから息子を見ているだけの人だった。
話した記憶もほとんど無い。
だから、どういう方なのか知らない。
それはカールハインツも同じなのではないかと思う。
マルテの話を聞く限り、彼の父も似たようなものだろうから。
そう思えば、仕事をしていれば妻子は幸せだろうと思い込んでいたのも頷ける。
親子って似なくていいところばかり似るのよね……
「正直に話してくれてありがとう。……だが、ロッテは……」
「ロッテの父は不明のままです。あの子に話すつもりはございません。そもそも公爵家の籍にも入れられておりませんから、私たちの件は捨て置きください。私も、当主様の地位を脅かす真似は致しません。ですが、知られてしまった以上、おそばにいる事はできません。どうか、職を辞させてください」
マルテは高潔な女性だ。
自分のした事が例え抵抗できなかったにせよ許し難いと思うような人。
カールハインツは複雑だろうが、思った以上に落ち着いている。
マルテは今まで公爵家によく仕えてくれた。
私も彼女に恩がある。正直、このまま辞職させるのは勿体無い。
だがカールハインツからすれば異母妹の存在が明るみになったのだ。
使用人の采配は公爵夫人の仕事だが、どうするかは彼に任せた方がいいのかもしれない。
考えていると、扉を叩く小さな音が聞こえた。
「お母さま、いらっしゃいますか?」
そういえば、マルテが目覚めたらユリアーナに教えると約束していたわ。
扉を開けると、思った通り、不安そうな顔をしたユリアーナが立っていた。
「マルテは大丈夫ですか?」
「ええ、目覚めたところよ。身体に異常はないわ」
安心させるように伝えると、ユリアーナはホッと表情を緩める。
ずっと心配していたのだろう。早くそばに行きたいのかチラチラと中を覗き込んでいる。
「お話したいの?」
「っ! いいのですか?」
「ええ。でも疲れているかもしれないから、少しだけね」
「はい!」
嬉しそうに返事をしたユリアーナを室内に招くと、逸る気持ちがそうさせるのか、マルテに駆け寄った。
「マルテ! お帰りなさい! 身体は大丈夫?」
「お嬢様……」
「私、ずっと待っていたの。お勉強も頑張ったのよ。マルテが帰って来たら、また沢山お話したくて」
ユリアーナがマルテの手を握り、必死に訴えている。
これを見れば、私ならマルテの辞表を破り捨てるわね。
「お嬢様……、私は……」
「マルテ」
それは、カールハインツも同じなのではないかと思う。
「先程の話は聞かなかった事にする。これからも公爵家に仕えてほしい。ユリアーナを、マリーを、支えてやってくれ」
「公爵様……」
「先程の話ってなあに? ……まさか、いなくなるの? 嫌よ。私の侍女はマルテがいいの! マルテを辞めさせるならお父様嫌いになるわ!」
「ユリアーナ……」
思わぬ攻撃にカールハインツがたじろいだ。
自分に異母妹がいた事より、ユリアーナに嫌われる方がショックのようだ。
「そういう事だから、マルテ。これからも、ユリアーナをよろしくね」
「奥様……。……ありがとうございます」
深々と頭を下げた彼女は、掛布に小さな丸いシミを作った。
部屋を出てから、カールハインツの表情を窺う。
何を考えているのか相変わらず読めない。
「マルテが大丈夫なら二人でもう少しお話したいわ」とユリアーナに言われ、二度目のショックを受けていたが、父親の事はどう思っているのだろうか。
結局無言で自室の前まで来てしまった。
「じゃ、じゃあ、またあとで」
そう言ってエスコートしてくれていた腕を離し、自室の扉を開ける。
「えっ」
何故かそのまま、カールハインツまで中に入って来て、更に力強く抱き締められてしまった。




