59.高度な魔法
数日後、マルテから長期休暇を願われた。
「少し、片付けをしたい事がありまして」
マルテは私が嫁ぐ前からブランシュ公爵家に仕えている勤勉な使用人だ。
真面目な態度から前ブランシュ公爵──カールハインツの父から侍女長に任命された。
前回のクズだった私に幾度となく忠言をし、ユリアーナを守ってくれた忠義の人。
「いいわよ。どれくらい?」
「ひと月ほどで戻れるかと」
彼女は今まで特別休暇を取った事は無いらしい。
だから願われたなら応えるべきだ。
二つ返事で許可を出し、数日後マルテは手荷物一つ持って出掛けて行った。
お付きの侍女がいなくて、ユリアーナは少し寂しそうだ。
「ユリアーナ様、お勉強に身が入っておりませんね?」
「ごめんなさい」
アマランス夫人に窘められるがユリアーナは心ここにあらずのようだ。
マルテは前回もユリアーナのそばにいてくれた。
私にも気遣っていた数少ない使用人だ。
思えばマルテが離れたのは初めてかもしれない。
「マルテがいなくて寂しいのね?」
ユリアーナは小さく頷く。
「出掛けた先でケガしたら? 何かあったら? って思ってしまって……」
「まあ」
アマランス夫人がふふふ、と微笑う。
私もユリアーナの優しさに顔が緩んでしまう。
「大丈夫ですよ。マルテは大人ですし、用事が終わればユリアーナ様の所へ帰って来ますとも」
「……そうかしら?」
「そうよ、ユリアーナ。マルテがいない間、お勉強が頑張れていないと知られたら、今後マルテがお休みを取れなくなっちゃうわ?」
「それは……だめです。お休みは大事って習いました」
働き尽くめじゃ身体ももたないし、嫌になっちゃうからね。
それはユリアーナも分かっているようだ。
「それじゃあ、ユリアーナ様、頑張ってお勉強しましょうね」
「……はい!」
先程とは打って変わってユリアーナの表情がきりっとなる。
それを見てアマランス夫人も頷いた。
「それでは今日は高度な魔法についてお勉強しましょう。ユリアーナ様はどれが高度な魔法かご存知ですか?」
「はい。結界、空間、各魔法の上位魔法、それから、移動魔法」
この世界には魔力があり、魔法がある。
誰でも使えるわけではないのは、使用方法が難しいため。
基礎は貴族なら、十歳くらいから家庭教師をつけて習い、応用を利かせたものはアカデミーで習う。
だから貴族ならば大抵は使える。
平民はよほどお金持ちでないと難しいだろう。
魔法を教える家庭教師の費用は、平民からすれば高いらしい。
。
「そうですね。あとは怪我を治したり、解毒したり、そういった魔法は『聖女』や『聖人』『神官』と呼ばれる存在が得意ですね」
「……私もいつかは使えるでしょうか?」
ユリアーナは小さな手を見つめてぽつりと呟いた。
光の公爵家は攻撃より防御系の魔法が得意だ。
今はまだ使えなくても、家庭教師に習い熟せばいずれ使いこなす事はできるだろう。
「ユリアーナ様はきっと使えますよ。光の公爵家令嬢なのですから、守りの魔法が使えるでしょう」
「守りの魔法があれば、お母さまを守れますか?」
ユリアーナはアマランス夫人に向かって真摯な眼差しを送る。
それを見て、夫人は力強く頷いた。
「ユリアーナ様の優しい心、誰かを守りたいという気持ちが魔力になります。公爵夫人だけでなく、ブランシュ公爵家当主としてゆくゆくは家門の者たちも守れるようになるでしょう。当主の儀式を経ると、魔力が大幅に増えるそうです」
確かにカールハインツの魔力量は多かった。
前回のユリアーナはあまり得意ではないようだったな。
「頑張ります。頑張って魔法を覚えて、お母さまを守ります」
今、私は、猛烈に感動しています。
ユリアーナから守ってもらえるなんて、なんという僥倖でしょうか。
「その意気ですよ、ユリアーナ様」
「はい! あ、あと、移動魔法は私に使えますか?」
「移動魔法は基本的には魔法陣間の移動になります。高度になれば、魔法陣はいらないそうですが、中々難しいそうですよ」
「では、私も魔法陣間であれば行けますか?」
「そうですね。魔法陣に魔力を注ぐ方法をしっかりと学べば、大丈夫ですよ」
なるほど、と私まで感心してしまった。
ユリアーナくらいの年齢の時に習ったものは理屈ではなく身体に染み付いているから、改めて言われると「あ、そうだわ」となる。
。
身近にあるものほど当たり前すぎて視界に入らなかったりする。
「邸内にも移動の魔法陣を敷けばいいのにね」
何気なく言ったが、アマランス夫人は固まってしまった。
「……恐れながら、移動の魔法陣は『念じればその場所に行ける』ものなので……、防犯面を考えると、公共の場や邸宅の外であればよろしいかと」
「あ、そっか。当主の部屋にあれば便利だなー、って思って。言われればそうよね」
当主の部屋なんて家の機密に関わる事があるかもしれない。
先日宝剣を安置していた場所も、当主部屋の隣だった。
「魔法陣に指定する事はできないのですか? 例えば『お父様のお部屋に行けるのは、私とお母さまだけ』とか」
アマランス夫人は目を見開き思案する。
私は魔法の授業はからっきしだったからなぁ……
「より魔法陣に指定をかけるのは、二重魔法になるのです。おそらくそれは……当主程の魔力と、繊細な魔法陣描写の技術が必要でしょう」
もし、今後そのような魔法陣を見かけたら、それを設置したのはどこかの貴族家当主という事かしら?
「魔法陣って難しいのですね」
「魔法陣といえば、ノワール公爵が得意だったはずです。よろしければそちらへ伺ってはいかがでしょうか?」
その名前を聞いてドキリとする。
ルークスの件があって、ヴァイス様とは疎遠だ。
ユリアーナはシュバルツ様との交流はしているようだけれど。
「分かりました。アマランス侯爵夫人、ありがとうございました」
ユリアーナが丁寧にお辞儀をして、今日の授業は終了した。
その夜、カールハインツは遅くに帰宅した。
私もユリアーナの寝顔を見ながらウトウトしていたが、カールハインツに話があると起こされた。
「明日でもいいかしら?」
「すまない。急ぎで耳に入れていた方がいいと思って」
ただ事ではなさそうな雰囲気に寝ぼけまなこをこすりつつ、ユリアーナが寝ているベッドからそっと抜け出す。
「もう、なんなの? 何があったの?」
ユリアーナの隣で微睡む幸せを奪われ、若干イライラしながら小声でカールハインツを睨む。
寝室を出る前に彼は言った。
「北の修道院が、何者かに襲われたらしい」
「……え?」
悪い予感に、眠気が一気に吹っ飛んだ。




