43.コノヒトハダレデスカ
「マリー、……その、抱き締めてもいいだろうか?」
カールハインツの唐突な申し出に、先程までのしっとりとした雰囲気が一気に吹き飛んだ。
「は、はぁ? なん、なんで、急に……!」
「マリーが生きている事を実感したい」
いきなり何を言い出すんだろうこの人は……!
今までそんなスキンシップをした事は無かった。
口づけはおろか、抱き締める事もしてこなかった人だ。それなのにちゃっかり初夜はするし、ユリアーナを授かるくらいには閨ごともするんだから、本当に腹が立つ。
「今までしなかったのに急に気持ち悪いです」
「今までしなかったのが本当に勿体なかった」
「ティアナにはしていたんじゃないですか?」
「していない」
またそんな大嘘を……! とぎっと睨んでやろうと振り向いた瞬間、力強く引き寄せられた。
「ちょっと! 許可してないわよ!」
「……ああ」
逃れようともがいたが、私の背中に回ったカールハインツの力が強くなるだけだった。
肩に顔を埋め、その熱が伝わって釣られて頬が熱くなる。
「前回も含めて、ティアナとは一度も触れ合っていない」
「……どうだか」
「見ていたんだろう? エスコートくらいはしたが、服越しだ」
「私はユリアーナの後ろにいましたから。二人が部屋に入ったとかだったら見てませんから」
「ティアナをこの部屋に入れた事は一度も無い!」
絞り出すような悲痛な声が胸を貫く。
前回の私は、ユリアーナの後ろにしかいなかった。
自由に動き回れたかもしれないが、敢えてそうしなかった。
自由に動き回って、二人が愛し合う姿を見せつけられたら、死んでも辛い思いをしなければならないから。
ただでさえ表向きは仲がいい姿を見ていたのだ。
見えていないところでは、私にはしない事をしているかもしれないなんて知りたくもなかったから、二人きりになるところは意図的に見ていない。
「夫婦の寝室にも入れていない。公爵夫人の部屋も理由をつけてきみが使っていた部屋は使わせていない」
「嘘……嘘だわ……」
「きみが亡くなったあと、誰も入れないように結界を施した。自戒と……誰にも穢されたくなかったからだ」
自分の部屋も見ていなかった。
最期の最期まで惨めに過ごした場所だったし、アッサリ片付けられてティアナのいいようにされていたらと思うのも癪だった。
「あなたはズルい……ズルいわ」
「……すまない」
本当にこの人を信用していいのだろうか?
ティアナを後妻に迎えたのは、愛していたからではないと信じていいのだろうか?
この背中に腕を回して、拒絶されないだろうか?
「すまない。俺はずっときみを傷付けてばかりだ。それでもきみを手放せない」
きっと世界中の誰もが言うだろう。そんな男でいいのかと。
妻を、娘を顧みなかった男だ。
愛の証明すらしてこなかった、酷い男。
──それでも。
そんな男を愛したのは私だ。
どうしようもなく、さりげない優しさや不器用で分かり辛い気遣いに惹かれてしまったのは私なのだ。
私はカールハインツの背中にそっと手を回す。
耳元で息を呑む音がして、抱き締める手の熱がさらに増した気がした。
どれくらいそうしていただろうか。
やがてカールハインツは抱き締める力を緩め、ゆっくりと離れていった。
触れ合っていない事に慣れているはずなのに、妙に寒い気がするのはその熱が温かかったからだろう。
彼も同じなのか、月明かりに浮かび上がる顔が少し赤い気がする。
「……あー……、その。このタイミングで言うのもなんだが……、ティアナ母娘の事だ」
……ほんっと、雰囲気をぶち壊してくれるわね、この男は!
「ま、待て、そんな顔で睨まないでくれ。新たなマリーを発見して可愛くて目が離せなくなる」
「……はぁあ? かわっ、ばっ、あんた、ばっかじゃないの!? きゅ、急に、なにっ! ばっ!」
初めて言われた不意打ちの言葉に思考が追いつかず、距離をとって警戒心を顕にした。
何なのこの男……!
死に戻ってから様子がおかしい。
やっぱりどこかで入れ替わった別人じゃないの?
「離れないでくれ。そばに……いて……ほしい……。……いてください……」
にじり寄られ、寄られた分距離を取る。
こんな男は知らない。私の知ってるカールハインツじゃないわ!
「わ、分かった、分かったから近寄らないで。そこから先侵入禁止! ……で、ティアナが何て?」
「……ああ。あの母娘は今、ラルス殿下への不敬罪で牢獄に入れられているのは知っているだろう?」
「ええ、まあ、確かそう聞いた気がするわ」
「不敬罪といえど、あまり長く拘束もできない。だから近々釈放されると思う」
先程とは打って変わって一気に顔付きが険しくなるのは仕方がないと思う。
カールハインツの緩んだ顔つきも少し引き締まった気がする。
「……今度は誰に寄生するつもりかしらね」
「寄生……まあ、何もせずに野放しにすればそうなるのかもしれないが、行き先はリュディガー殿下に進言した」
「……どこに?」
「王都の北に戒律の厳しい修道院があるのは知っているか? 二人ともそこに送る事になるだろう。これについてはラルス殿下も賛成していた」
北にある修道院といえば、確か王家の管轄で、寒さの厳しい場所にあり、その立地から面会すらおいそれとは行けないと聞いた事がある。
つまり、ティアナ母娘は完全に王家の管理下に置かれるという事だろうか?
「クラーラはフォルクハルト元殿下の血を引いている。だから、王家で監視をしてほしいと進言した」
確かにクラーラの血筋を考えるならば、王家が面倒を見るのは妥当だろう。
そもそも最初にティアナを釈放したのが間違いなのよ。
「最初からそうしておけばよかったのに」
「クラーラが殿下の血を引いている事は、一部しか知らないんだ。なんせ不義の子とはいえ王家の直系だから」
「ふうん……?」
何かが引っ掛かったが、ティアナ母娘の話はあまり長引かせたくない。戒律の厳しい修道院に行ってくれるなら文句は無い。
「叶う事なら二度と会いたくないわね。野放しにしていたらまた誰かの愛人に納まって貴族社会の秩序が乱れっ放しになるかもしれないわ」
「……そうだな」
カールハインツは神妙な顔をして頷いた。
「マリー」
「……まだ何かあるの?」
「……先程から気になっていたのだが、マリーの話し方は前回と比べて幾分砕けたような気がするのだが」
真剣な眼差しをしたからどんな話かと思えば……
私自身の変化なんて分からない。砕けたような気がすると言われても、意識していない。
「マリーはもっとお淑やかで、慎ましかった記憶なのだが……」
「……色々と吹っ切れたら、お淑やかで慎ましくしているよりも自分らしく生きる方がいいと気付いたのよ。それと、死んでいた時にある人に出会ったから、その人の影響もあるのかもしれないわね」
死んでいる間、ユリアーナに付きっきりというわけではなく、時折気付けばこの世と楽園や地獄の狭間のようなところにいるときもあった。
そこで出会った人に色々と愚痴を聞いてもらっていたのだ。
「それは……男か?」
カールハインツの表情が険しくなる。
……意味が分からない。何故怒られないといけないのか。
言い返そうとして、けれどもふとイタズラ心が湧いてくる。
「そうかもね」
……意地悪く笑い、なんてね、と付け加えようとして口を開くと、柔らかなものが触れた。




