42.私の望み
「公爵夫人、僕は前回の過ちを繰り返さないために、これから改革していくつもりです。ユリアーナ嬢の未来のためにも」
「……分かりました。私はユリアーナの幸せのために、何でもするつもりでいます。もしも、ラルス殿下が敵になるならば、そのときは容赦いたしません」
ラルス殿下が具体的にどうするのかは分からないが、幸せを阻害するならば盾となるまで。
それは彼にも分かっているようで、しっかりと目を合わせて頷いた。
それから私たちはユリアーナが再び眠気に誘われ始めたためお暇することにした。
馬車の中でうとうとするユリアーナは、私の肩にもたれて目を瞑っている。
そのあどけない表情を見ていると、守らなくてはならないという気持ちが強くなっていく。
邸宅に着いて、うとうとするユリアーナをカールハインツが抱きかかえた。抵抗するかな、と思ったが、よほど疲れていたのか今は楽な方を選んだようだ。
抵抗されなかったせいか、カールハインツは少し嬉しそうだ。
「マリー」
右手にユリアーナを抱きかかえたカールハインツは、左手を馬車から降りようとする私に差し出した。
意外に力がある事に気づき、無駄に心臓が跳ねてしまう。それを悟られないよう、俯き加減で手を取った。
ユリアーナは室内に入ると目が覚めたようで、カールハインツに抱きかかえられている事に気づいて早々に降りてしまった。
けれど意識しているせいか、少しだけ頬がふくっとなっている。
本当は甘えたいのかもしれない。
そんなユリアーナを見て、カールハインツは無理に歩み寄ろうとはしない辺り、ヘタレなのか思慮深いのか。
「マリー、あとで……話がある」
改まった表情で言われ身構えたが、おそらく今後についての事だろうと思い了承した。
その夜、湯浴みを終えた私はカールハインツの部屋を訪ねた。
ここに来るのはユリアーナ特製のホイップケーキを食べた彼に薬を持って行った以来になるのか。
夫婦だというのに、夫の部屋に入るのでさえ緊張してノックをする手が冷たく小さく震えている。
だが逃げ続けても何もできない。
何事も行動しないことには始まらないと、あの東国の人も言っていた。
意を決して扉を叩く。すると間を置かずにガチャリと扉が開いた。
「マリー」
「び、びっくりしたわ」
「すまない。今から迎えに行こうと思っていた」
カールハインツも湯浴みを終えたあとのようで、微かな香りが鼻孔をくすぐり思わず唇をぎゅっと引き結ぶ。
これは先程驚いたせいだ、この部屋に入ることに慣れていないせいだ、と言い聞かせて促されるまま室内に足を踏み入れた。
相変わらず室内の雰囲気に慣れず、余計に緊張してしまう。
ソファに座らされた私の隣に、カールハインツも腰掛けた。
「……マリー」
名を呼ばれ、そちらを向くとカールハインツがじっと私を見ている。
瞬きすらせずに、まるで姿を焼き付けるように見つめられ、どうすればいいか分からずに目を逸らした。
「マリーが、生きている」
カールハインツが呟いたその言葉に、眉間にシワが寄る。
私が生きていて、不都合なことでもあるのかしら?
「生きていて、悪かったわね」
思わず悪態をついてしまうのは仕方がない。
「違う。……生きている事が、奇跡なのだと実感していた」
ゆっくりとカールハインツを見ると、気のせいか瞳が揺れていた。
「……私が死にかけていたのに、ずっと放置していた人の本音なのか怪しいわ」
「……っ俺は……きみやユリアーナが生きているだけで嬉しいんだ!」
今更すぎて腹が立つ。
ユリアーナが両親と一緒にいたいと言わなければ、今すぐにでも離縁を告げるのに。
今回はたまたま神様が時を戻してくれただけで、私は一度は死んだのだ。
「マリーが生きていることが、本当に嬉しいんだ。ユリアーナと笑いあっているのを見るだけで、それだけで、ただ……」
「……そう」
私だって可愛げがない言葉なんて言いたくない。
私たちが生きていることが嬉しいと言うならば、何故見殺しにしたのかと詰め寄りたくなる。
時を戻って記憶があるのは厄介だ。
前回はただ愛していた、この人の愛が欲しかった。きっと前回の私ならば、こうして言われるだけで喜び、再び愛を紡げただろう。
だが今は違う。どこかで許せない私がいる。
どうして愛していたか、分からなくなっている。
この人の言葉足らずなところが、そもそも私とは合わないのかもしれない。
「今後のことを話したい。……ユリアーナだけでなく、私たちの事だ」
「……ええ」
「率直に聞くが、マリーは私と離縁したいか……?」
ストレートすぎて目が見開く。
唾を飲み込み、口を開こうとするが喉が張り付いて上手くできない。
「私に……影をつけているだろう? おそらく、ラセット公爵家の」
「……あ……」
まさか気づかれているとは思わなかった。
ラセット公爵家の影が迂闊だった、とは思わない。
彼らの気配は私は察知できない。
「報告は受けているだろうが、私にやましいことはない。以前ルージュを付けた部下は処分したし、王宮と家の往復しか上がっていないとは思うが」
確かに彼の言う通りで、定期的に来る報告書にはカールハインツがどれだけ王宮で忙しくしているかが書かれていた。
過ちが起きないよう、彼の周りは男性の部下で固められ、女性と接触する機会も無かった。
「気づいていたなら、何故何も言わなかったのですか?」
「影をつける事で、きみの気が済むならばと思ったからだ。信用を得られなくても、きみの不安が無くなるのであれば、監視されていても構わなかった」
事も無げに言うが、プライベートも全て私に筒抜けになるのに、それでもいいと言う彼に私の方が戸惑った。
「私としては、できればマリーと離婚はしたくない。二人でユリアーナの成長を見守っていきたい。だから、きみの率直な気持ちを聞かせてほしい」
カールハインツに言われ、どう返していいか分からなかった。
私の気持ち……私は、ユリアーナの幸せだけを願っている。
あの子だけが、私に寄り添ってくれた。
不甲斐ない私に、温かな優しさをくれた。
「私は……」
上手く言葉にできず、口を噤む。
どう答えたらいいだろう。私はどうしたいだろう。
口を開いては閉じ、早く自分の気持ちをつたえればいいのに言葉は出てこない。
それでもカールハインツはじっと私を見つめ、待ってくれているようだった。
「私も……二人でユリアーナのこれからを見守っていきたい。あの子がそれを望んでいるから……」
そう言うので精一杯だった。
「……分かった。ありがとう」
カールハインツは柔らかに微笑った。
その笑みが少しだけ悲しそうなのは、きっと気のせいだ。
胸の奥が小さく痛む。
前回の私がそうであってほしいと望んでいるだけなのだと言い聞かせた。




