【第四章 生まれ変わりの蓮華】
めでたいはずの杯が交わされる席で、男は隣に座る新婦に目を向けることもなかった。
小柄で幼さの残る少女。豪華な婚礼の衣に身を包みながらも静かにうつむき、その瞳は光を宿さず手元を見つめている。
祝言が終わり、二人きりの室内に静寂が訪れると、男は背を向けたまま静かに告げた。
「……すまない。俺には、忘れられない者がいるのだ。どれほど時が流れても、二度と会えなくなっても、俺の心はその者と共にある。お前を妻として愛することは……生涯、できない」
残酷な宣告であった。だが嘘をつくことなどできなかった。
静まり返る部屋の中、衣の擦れるかすかな音が響く。少女は静かに立ち上がり、男の背中へと一歩、歩み寄った。
「……存じております」
少女の声は、小さく、けれど鈴を転がすように澄んでいた。
「貴方様が……あの碧蓮池の縁で、どれほど優しく私を見守ってくださっていたかを……」
「……え?」
男が弾かれたように振り返ると、少女は目が見えないはずなのに、まっすぐに男のほうへと顔を向けていた。
「上手く食べられなくて……水ばかり呑んでいた私を……ずっと、探してくださっていたことも……」
少女の瞳から、大粒の涙がポロポロとこぼれ落ち、婚礼の豪華な衣を濡らしていく。
「あの日、お別れを言いに伺いましたけれど……神様が、もう一度だけ私に奇跡をくださったのです。『人の娘として生まれ変わり、あの御方のおそばへ行きなさい』と……」
「お前……まさか……っ!」
男は息を詰め、少女の元へ駆け寄ると、その小さな肩を深く抱きしめた。
胸に飛び込んできたあたたかな体温。
ふわりと匂い立つのは、あの夜、床の上に残された懐かしい蓮の香り――。
「……ずっと、ずっと、会いたかった……っ!」
男の目から、溢れ出す涙が止めどなく溢れ落ちた。
目が見えなくても、水ばかり呑んで困らせていた、あの愛おしい小さな影。
消えてしまったと思っていた恋が、いま、確かにこの腕の中で息づいている。
「もう……どこへも行かないでおくれ」
「はい……ずっと、おそばにおります」
月明かりが優しく二人を照らす中、男と少女はしっかりと手を重ね合わせた。
二人が重ねた手と手が描く波紋は、後宮の池を越えて、どこまでも温かく広がっていくのであった。




