番外編4 えらい、えらい♡
なんとか俺は深淵のオムライス(ダークマター)を完食したが、けっきょくフォンダンショコラ(備長炭っぽい)は食べることができなかった。
硬すぎてフォークが通らないのでは、仕方がない。ケーキを手で食べるのもおかしいし。
さすがの黒乃も失敗に気づいたらしく、しょんぼりとした顔をしているが、もはや俺にはフォローをする気力がなかった。
その間、理子はドローンが運んできたご馳走バーガーとポテトを頬張っていた。届くのか、ここまで。そんなサービスがあるのか。というか、俺もそれ食べたい。
そしてアンリの様子だが、彼女はまるで戦いにおもむく武士のように緊張していた。
「真央師匠……」
「アンリ……」
正座をして、俺と向かい合うアンリ。
自然と俺も背筋が伸びてしまう。
「ど、どうぞ……お口に合えばよいのですが……」
うやうやしく、アンリは弁当を俺に差し出す。
大丈夫なのだろうか。先ほどの黒乃の惨劇を考えると、少し心配になってしまうが。
アンリの持ってきた弁当箱は、ごく一般的なメーカーのものだった。
二段弁当だった黒乃に対し、こちらは一段。
俺はおそるおそる、蓋を開けてみる。
「……おぉ!」
その綺麗な盛り付けに、思わず声が出てしまった。
美しい三角形をしたツヤツヤのおにぎりに、ほうれん草のごま和え、だし巻き卵。それに、タコさんの形にカットされたウインナーが添えられていた。
弁当として、基本にして王道なメニュー。
食欲をそそる優しい香りが漂う。
豪勢なものではないが、見栄えにも気を使われていて、とてもおいしそうだった。
「師匠のことを想い、心を込めてお作りいたしました……」
落ち込んでいる黒乃の横で、アンリが誠実な瞳をこちらに向ける。
熱意が少し重いけど、その気持ちは、やはりうれしい。
「ありがとう。……いただきます」
ほうれん草のごま和えから、一口食べる。
「お、おいしい……!」
見事な味つけ。それに、素材の味を引き立てる技術。
激しく動いても弁当が混ざらないようにするため、水気がしっかりと抜かれたものだったが、それでもツヤのある新鮮な野菜。
タコさんウインナーは視覚に楽しく、だし巻き卵は優しさを感じる美味。
そして、このおにぎり……!
完璧な塩加減で握られていて、それだけで食べる手が止まらなくなる。
その弁当の見た目の美しさからか、あるいは全力でしあわせを噛み締めているのが俺の表情から伝わってしまったのか、理子も「おおー」と感心したような声を上げた。
「よかった。師匠のお口に合ったようで……」
アンリは心底ほっとしたような表情を浮かべた。
そんな謙遜しなくても。
「ああ。最高においしいよ」
その言葉に、白銀の少女は見惚れるような笑顔を浮かべる。
隣では、黒乃がさらに落ち込んでいた。
「うぅ……後輩への嫉妬心が……」
「いや……黒乃も、気持ちはすごくうれしかったよ」
「真央くん……」
「今日のために、一生懸命、慣れない料理をがんばってくれたからだろ? ……その指の怪我」
「気づいてたんだ……。うん。日頃の感謝で、私も何かしたくて……」
二人とも、こんなパンダのために弁当を作ってきてくれるなんて。
本当に二人と友達になってよかった。
「でも、今度からちゃんと味見したものを持ってきてくれよ。……フォンダンショコラなんか食べられなかったし」
「はい……」
黒乃はまた肩を落とした。けど、その様子からは、先ほどよりどこか清々しい雰囲気を感じさせた。
◆
カメラドローンも再起動し、後半の配信を始める。
同接数は、普段よりはるかに多い。しばらく離れていたリスナーも、噂を聞きつけて視聴しに来てくれたようだ。
> 温泉配信と聞いて
> も、もしかして助手ちゃんたちの入浴シーンが……?
コメント欄も沸き立っている。
ああ。わかっているとも。
今日のきみたちは、パンダ姿の俺ではなく、助手こと黒乃や、アンリ様の入浴シーンが目当てで集まったのだろう?
理子の予定通りなら、期待には応えられそうだぞ。
> パンダ様が入浴している姿も見たいです……
> うおおおおっ、パンダァァァァ!!
いや、そっちを期待するやつもいるのかよ。
◆
そうして俺たちは洞窟ダンジョンの中へと潜り込んでいった。
通称「高原ダンジョン」と呼ばれるここは、幾何学模様のように切り立った玄武岩で形成された洞窟だった。
そんな玄武岩の岸壁には、薄暗闇の中で、青白く発光するヒカリゴケが群生している。幻想的で美しい光景だった。
「……音声のノイズがひどい」と理子がつぶやいた。
たしかに。洞窟の奥からは、蒸気の噴き出すような音がしきりに聞こえてくる。そして、入り口に吹き荒れる風切り音によって、配信の音声にはかなりのノイズがかかっていた。
理子が顔をしかめながら、ノートパソコンを操作する。
「環境音のノイズキャンセリング実行……ついでにBGM追加。……これでよし」
> え、配信の音が急によくなったんだけど?
> 音声がクリアだ。
> 耳に心地いい
> ASMRかな?
設定やプラグインで、そんなに音質が変わるものなのだろうか。だがリスナーには好評なようで、理子は満足げにドヤ顔をしている。
「助手ちゃん先輩」
「え? なぁに、理子ちゃん?」
「ちょっと来てほしい」
黒乃が首をかしげながら、理子のほうへと歩み寄っていく。
にしても、助手ちゃん先輩ってすごい呼び方だな。
「マイクに向かって何かささやいてほしい」
「ふぇっ!?」
「きっとリスナーは助手の声を所望している」
「え、えー……」
困惑する黒乃だったが、何やらごくりと息を呑んだ後に、おそるおそるカメラドローンのマイク部分へと、端正な唇を近づける。
「えっと……リ、リスナーのみんな……いつも、ありがとうね……」
深窓の令嬢が、小声でささやく。
予想以上の破壊力に、俺までくらりとよろけてしまう。
> は、はわぁぁ……
> 助手ちゃんのささやき声……脳が……とろける……
息遣いまでマイクがキャッチするような距離感で。
黒乃が、かすかな声で言う。
「……みんな、がんばってて、えらい、えらい……♡」
> アッ(浄化)
> かわいい、かわいい
> 脳が破壊される……
> えっちなチャンネルだっけ? ……今日はえっちなチャンネルだった
そんなコメント欄が流れる中、黒乃のほうは、頬を真っ赤に染めて無言でうつむいていた。
……いまさら恥ずかしくなるなら、やらなきゃよかったのに。
◆
ヒカリゴケが群生する洞窟ダンジョンの奥へと進むと、ほんのわずかに足元から地熱を感じるようになった。まるで天然の床暖房のよう。
それに、どこからか硫黄の香りもただよう。
「たしかに、これは温泉がありそうだ」
俺の言葉に、黒乃とアンリと理子もうなずく。
> ほんとに雰囲気のある洞窟だな
> 温泉楽しみ
> ダンジョン探索を遊びと勘違いしてるクソチャンネル
スマホでコメント欄を眺めながら、黒乃が言う。
「あ、一瞬だけアンチコメントがいたけど、すぐ消えちゃった。……そういえば、今日はコメント欄が平和だね」
たしかに、こういう目立つ企画の割には、コメントが荒れていない。
全肯定してくれるリスナーばかりなのは心地いいが、普段の俺たちの配信からすると、さすがに違和感がある。
すると、理子が言う。
「アンチや荒らしコメントは、私の自作スクリプトで自動的にブロック&通報……これも私のおかげ」
小さな胸を張る魔女娘。
そうか。理子がコメント欄に細工をしていたのか。
たしかにチェンネルも有名になってきた以上、コメントの選別は、ある程度やるべきなのかもしれない。
大切なリスナーにとっても、居心地いい環境を作るのは大事だろう。
だが、本当にそれでいいのか?
たとえリスナーの否定的な意見からであっても、俺にとっては大切な気づきを得ることだってあった。
それに。すべてとは言わないが、不満を覚える者の多くは、自らの心の弱さが原因なのだと思う。
だからこそ……そういった弱い人間の口を塞いでいいものだろうか。
「り……ミミズク」
「なに? わたしの推し……」
「コメントの選別は、今はしないでもらえるか?」
「え、なぜ?」
理子はまったく理解ができないというように、きょとんとしている。
「反対意見の口を塞ぐのは、俺個人としては好きじゃないんだ。……それに、耳の痛い意見が、俺たちを地に足つけさせてくれることもある。……それだって大切なリスナーだ」
それを聞いた黒乃とアンリは、微笑みながら顔を見合わせてうなずいた。
すると、理子は唇を尖らせながら言う。
「むぅ……わたしの推しがそう言うなら……。でも、悪質なスパムは弾く」
「ああ。それで頼む」
言われた通りに設定を変更する理子。
> パンダ、ときどき、いいこと言うよな
> これはいいクソチャンネル
なんだか心なしか、コメント欄がいつもの空気に戻った気がする。
俺は苦笑しながら、秘湯を目指してダンジョンの奥へと進んだ。




