第3話 きみの名前は、魂の楔
> おい、後ろの空間、なんか歪んでね?
> 演出乙
> いや、これマジでヤバいぞ
迷惑系配信者ガドの動画の、コメント欄が騒然とする。
俺は街路を走りながらスマホの画面を見ていた。
廃棄地下街ダンジョンに迷い込んだ結城黒乃と、それを自撮り棒で撮影する迷惑配信者のガド。その背景に空間の裂け目が生じる。
画面に走る砂嵐のようなノイズ。これは動画のバグではない。深淵の出現時に発生する現象だ。
嵐のように荒れ狂う深淵に、周囲の物体ごと迷惑配信者のガドが、そして結城黒乃が飲み込まれていく。
『きゃああッ!』
『深淵!? マジかよ! 無理無理無理、死ぬって!!』
瞬間、ノイズがスマホ画面いっぱいに広がる。そして直後、風景が一変した。
漆黒の天井は遥か高く、そこから暗青色の泥のようなものが、まるで天と地を繋ぐ柱のように地面へと流れ落ち続けている。
周囲には崩れた廃墟の瓦礫。大気中を漂うのは、青い光の粒子。
そこに放り出された、黒髪の少女と迷惑系配信者。
> ……深淵だ
> 嘘だろ……
> 日頃のバチが当たったな
> おいガド、そのJKだけでも助けろ!
俺は舌打ちしながら、D-Castの動画に名無しアカウントとしてコメントする。
> 落ち着け。ボスにさえ遭遇しなければ問題ない。出口があるはずだから、探せ
このコメントを読んでくれたらいいが。
そのとき、すさまじい咆哮が響き渡った。獣の声――とは違う。魔物だ。それもかなり巨大な。
廃棄地下街に向かっていた俺の足元まで、振動の余波でぐらつく。
これは本格的にまずいかもしれない。
俺は走る速度を限界まで速める。
深淵の空。
闇の中から、ブオンという巨大な羽ばたき音とともに、それは姿を現した。
轟音。鋭く凶悪な爪を生やした脚部が、瓦礫の上に着地する。
巨大な爬虫類のような体躯には、漆黒の鱗が並ぶ。
鰐のような牙の並んだ頭部には、力強い二本角。
凶暴な瞳が、ギロリと結城黒乃とガドを見据える。
> 飛竜!?
> しかもヴォイド・モンスターだ。絶対やべぇぞ!
深淵の飛竜。
圧倒的な捕食者。目の前に迫る脅威に、結城の顔が絶望に染まる。
『ひ、ひぃぃぃッ!』動画からガドの悲鳴が響く。
ガタンと音を立てて、配信画面が地面にぶつかってバウンドした。おそらく自撮り棒をつけてカメラにしていたスマホを落としたのだろう。
配信画面に、翼を前脚のように使い這い寄ってくる漆黒の飛竜が映る。
巨大な顎が開き、ガドへと鋭い牙が迫る。
直後、画面の中に女子高生――結城黒乃が映った。
彼女は自分の身を盾にするように、ガドに覆い被さる。
◆
廃棄地下街のダンジョンに突如として出現した、深淵。
襲いかかってきた深淵の飛竜の攻撃から、迷惑系配信者ガドをかばうために、結城黒乃は無防備なその身をさらしていた。
標的を変更した飛竜の牙が、少女の柔肌を食い破ろうと迫る。
その瞬間――。
「うおおお――ッ!」
光が駆け抜けるように。
身体強化魔法を全開にして走ってきた俺は、結城の体を抱え上げて。
「……あと、お前はそこで寝てろ」
ついでに迷惑系配信者を飛竜の攻撃範囲外まで蹴り飛ばして、その場から飛び退いた。
「え……あなたは……?」
腕に抱かれた結城が呆然と俺を見上げる。
「よかった。間に合ったみたいだな……。大丈夫だから、きみは下がっていてくれ」
結城をそっと瓦礫の上に降ろすと、俺はそこに落ちていた鉄パイプを拾い上げ、振り返った。
……待てよ。ガドはさっきまで生配信をしていたはずだ。今もどこかでカメラが回っているかもしれない。
俺はチラリと周囲を見たが、ガドの持っていた自撮り棒は見当たらない。探している時間はない。
「……仕方がないか」
代わりに俺は――頭からかぶって顔を隠せそうなものを見つけた。何やら目つきの悪いパンダの着ぐるみ。その頭部だけが投げ捨てられていた。
どうやらここは、ゲームセンターの廃墟だったらしい。
俺はとっさにそのパンダの頭部を拾い上げると、ヤケクソ気味にそれをかぶった。
「……よし」
狩りの邪魔をされていきり立った深淵の飛竜が、ふたたび咆哮を上げる。
すさまじい衝撃と轟音が、歪んだ廃墟に響き渡る。
「て、天馬くん……逃げて」
常人なら気絶しそうなほどの重圧だが、そんな中でも結城は俺の心配をしているようだ。さすがは魔王の魂を宿しているだけはある。大した胆力だ。
その咆哮に当てられて、ガドのほうは気を失っているようだが。……いや、俺が蹴り飛ばしたからか?
まあどっちでもいい。
俺はパンダ頭の中で小さく笑みを浮かべながら、鉄パイプを構えた。
「来い、トカゲ」
飛竜は翼を羽ばたかせながら、俺に向かって火の玉を吐き出してくる。
圧縮された高熱の炎。避けたとしても、地面に着弾したら、その爆風に結城たちが巻き込まれかねない。
「……はッ!」
俺は鉄パイプを思い切り振るって、炎をかき消した。
さらに二発、三発と連続で放ってくる火の玉を、ことごとく打ち消していく。
痺れを切らした深淵の飛竜が、急降下しながら脚部の鋭い爪を突き出してくる。俺を捕らえるつもりだろう。
それを待っていた。
パンダ頭の俺は身をひるがえして爪の一撃を躱すと、着地と同時に跳躍。飛竜の背に飛び乗り、鉄パイプを振りかぶった。
「悪い魔物には、お仕置きだ」
鉄パイプに勇者の気を込める。
轟音とともに、ほとばしる雷光。
強烈な雷の魔力を宿した鉄パイプ。それを深淵の飛竜の頭に、思い切り叩きつけた。
「ガァァァ……ッ!」飛竜の断末魔。
巨大なその体が崩れ落ち、砂嵐のようなノイズを撒き散らしながら、やがて黒い霧となって消滅した。
◆
静まり返った深淵の廃墟街。そこで、ぺたんと座り込みながら呆然としている結城黒乃のもとへと戻った俺は、パンダ頭を投げ捨てて微笑みかける。
「た、助かった……の?」
「そうみたいだな。……やれやれ。怪我はないか?」
俺は手を差し出す。
すると――。
結城黒乃はどこか遠くを見るような瞳で俺を見上げた。
「勇者……」
「え?」
「ジェノ……うっ……!」
結城がうずくまり、頭を抱えて苦しむ。
同時に、すさまじい魔力の奔流が巻き起こった。
闇の魔力。
これは、魔王の――。
「くっ。真眼!」
俺は魂の状態まで見通す『勇者の瞳』の魔法を使う。
――視えた。
結城黒乃の魂は、今にも消えてしまいそうなほど弱っていることがわかった。
原因は、強大な魔王の魂のせいだ。結城の魂は、魔王ヴェルヴェットの魂に押し潰されようとしていた。
やはり彼女は魔王の転生者だった。もともと一人の体に一つのはずの魂が、なんらかの原因で二つ存在するのだ。結城黒乃としての魂と、異世界の魔王の魂――。
「私は……魔王、ヴェルヴェット……」
「落ち着け、結城!」
だめだ。このまま魔王の力が覚醒して、もし暴走なんかしたら、街に、そして世界にどんな被害が出るかわからない。
そうでなくても、きっと黒乃の体と魂は耐えられずに消滅してしまう。
俺の目の前で……そんな悲劇を起こすわけにはいかない。
「結城!」
俺は彼女の名前を叫んだ。
「結城黒乃!」
名前とは魂の楔だ。
集合的無意識から、その個人を定義づけるための言葉。
頼りなく揺らぎ、バラバラになろうとしている、肉体、心、魂。それらを一つにするために、今俺にできることは、名前を呼ぶこと。
それだけだ。
「きみはヴェルヴェットじゃない。結城黒乃だ」
「私は……結城……黒乃……」
俺は弱々しく呼吸をする結城黒乃を膝の上に寝かせて、その手を強く握った。
「そうだ。……じゃあ、俺は誰だ? 名前を言ってみてくれ、結城黒乃」
自らの名前を認識させた次は、さらなる楔として俺の名前を意識させる。
最悪の事態を防ぐために、できることはこれしかない。
「……あなたは……真央、くん」
なぜ下の名前なんだ?
まあ、それはともかく、俺は結城に声をかけ続ける。
「もう一度だ!」
「……ま、真央くん!」
「なら、きみは誰だ? 言うんだ、その名前を……!」
結城黒乃は苦痛に喘ぎながら、儚げな声で、その言葉を紡ぐ。
「私は……魔王ヴェルヴェットじゃない……結城黒乃……!」
今にも消えそうだった結城黒乃の魂が、強く輝き始める。
その瞬間を見計らい、俺は彼女に勇者の魔力を注ぎ込んだ。少しでも魔王の力を抑え込めるように。
「鎮まれ、魔王……!」
直後。覚醒しかかった闇の力が収縮し、嵐のように吹き荒れていた魔力の奔流も収まる。
その刹那――。
かすかに、幻聴のような声が響いた。
『……勇者よ。その娘を、頼む……』
その声音は、かつての宿敵、魔王ヴェルヴェットの声によく似ていた。
「真央……くん……。私……」
結城が俺の手を握りながら、小さくつぶやく。
その魂は安定している。どうやら、もう大丈夫のようだ。
「よく頑張ったな、結城」
俺が微笑みかけると、結城黒乃は安堵したように眠りについた。




