第29話 神話の戦い
俺の返事を聞いた黒乃は、その真紅の瞳に涙を浮かべながらも、安堵したような表情を見せる。
「俺たちの魔王様が、決着をご所望だ……行くぞ、黒騎士!」
黒騎士の構えには隙がない。
本来なら睨み合いもやぶさかではないのだが、こちらには時間がないのでね。
不利になるが、こちらから動くしかない。
「魔の者、尽くを浄化する聖なる業火――レア・ティナ!」
地獄の釜をひっくり返したような灼熱の炎が、玉座の間を埋め尽くす。
もちろん、黒乃と俺自身は結界魔法で守りながらの行使だ。
この広範囲魔法は避けられまい。相手も動くしかないはずだ。
「グォォォォッ!!」
深淵の魔剣が炎を時空ごと斬り裂く。
まあ、お前ならそう来るよな。
たとえ自我を失っても、その豪胆な戦い方には確かに生前のイシュトヴァーンの面影があり、俺は少しだけ悲しくなった。
「はあああ――ッ!」
その郷愁を打ち払うように、俺は叫びながら剣を振るった。
光と闇。
雷と深淵。
二つの剣が幾度も交差しぶつかり合う。
ただ全力で。
舞踏のように剣を合わせる。
> なんだこの剣戟は。なんだこの高みは
> 俺たちは、神話を見ているのか?
> 涙出てきた。なんだこれ
無心で、俺たちは打ち合った。
光と闇の円弧を、幾重にも生み出しながら。
だが、時間は無限ではない。戦略級魔法が発動するまで、すでに残り一分を切っている。
このままでは、住民たちが巻き込まれてしまう。
希望はあるんだと。少しでも多くの人に伝われば、状況を変えられるかもしれない。
だが、もう俺にできることは……。
「みんな、お願い……!」
そのとき、黒乃がカメラに向かって叫んだ。
瞳を揺らし、頬を涙で濡らしながら、息も絶え絶えな様子で。
彼女の体も限界が近いのだろうが、必死に声を絞り出している。
「彼を……勇者を応援して! 人々を救うための、力を貸して……!!」
すると、静かになっていたコメント欄が高速で流れ始める。
> そうだ。俺たちにできることはないのか?
★【ミミズク】(¥50,000)Testing_Room、パンダ、がんばれ!!!!
> とにかく、応援するしかないだろ
> 俺たちの魔王様こと、助手ちゃんのお願いなら!
「これは……」
俺がつぶやくと。
コメント欄の流れが、さらに加速していく。
> がんばれ!
> がんばれ、Testing_Room!!
> がんばれー!
> 俺たちの街を救ってくれ!
> 勝て! 勝つんだ、俺たちのパンダ!
黒騎士と剣を交えながら、俺は思わず苦笑する。
妙な状況になってきたな。
だけど――。
「……届いてるよ。きみたちの想い」
なんだかんだで、こういうときが一番、力が入るんだ。
俺が剣を掲げると、勇者の光がさらに強まる。
「其は空を裂き地を穿つ漆黒の雷――アト・ルオス!!」
豪雷。
すさまじい破壊力の稲妻が、漆黒の魔城に巻き起こる。
俺のもっとも得意な雷の攻撃魔法。それを黒騎士は怒号とともに魔剣で受け止め、弾き返す。
「悠久なる氷結、絶対なる終焉――ズィ・レオ!!」
俺の使える中でも、最強の単体攻撃魔法だ。
相手を氷塊に閉じ込めて砕くその魔法は、一撃必殺の威力を持つ。
絶対の氷結。それを黒騎士は紙一重で回避。深淵に蝕まれた鎧をわずかに砕いただけだった。
だが、受けたのではなく回避を選んだ。その瞬間だけは、どんな相手でも隙ができる。
凍りつく地面を蹴り砕き、俺は黒騎士へと肉薄する。
「行くぞ……ギガ・アステリア!!」
俺の手にした天星剣グランシャリオに、勇者の雷光が直撃する。
鉄パイプのものとは比べ物にならない威力。これが俺の本当の必殺技ギガ・アステリアだ。
「うおおおおおッ!!」
雷を宿した天星剣を上段に構えて跳躍。
天井付近まで飛び上がると、落雷のごとき剣撃を、黒騎士イシュトヴァーンへと叩き込んだ。
その一撃を、深淵の魔剣が受け止めた瞬間。
即座に、俺は呪文を唱えた。
「トレス・メア!」
触れた対象の魂に呼びかけ、心象世界に入り込む魔法だ。
まだ黒騎士の魂が完全に失われていないのなら――きっと、応えてくれるはずだ。
俺の意識が、まどろむように溶けていく――。
◆
大地に突き刺さっている、無数の剣。
まるで戦場のように。あるいは、そこで命散らした者たちの墓標のように。
空は暗く、前方には大きな城。
半ば深淵の泥に呑まれつつある、その空間に、一人の巨躯が背を向けて立っていた。
「……よう、黒騎士」
俺は巨躯へと歩み寄る。
懐かしい背中だ。それは振り向くことなく、言葉を返す。
「勇者ジェノか……」
「ああ。どうやら、届いたみたいだな」
俺は隣に立って、魔城を見上げた。
深淵に蝕まれた魔王城を。
ここはかつて、俺とイシュトヴァーンが互いに剣を交えた地。俺たちの決着の場所だった。
「静かだ……この幾年、深淵に呑まれた俺は、常に苦しみの中にいた。だが……お前と剣を合わせている今は、ただただ凪いでいる」
「そうか……」
黒騎士の魂は、魔王を追ってここまで来たのか――あるいは、なんらかの転生の不備によってこの深淵にたどり着いてしまったのかは、今はわからない。
おそらく黒騎士自身にだってわからないだろう。
魂の無意識がそうさせたにしても、ただの運命の悪戯だとしても。
どうすればいいのか。
深淵の中、一人で苦しみ続けたこの男が、どうすれば報われるのか。
「我が魂は蝕まれ、記憶に残るは、かつての忠義のみ……」
それだけは、いかなる状況にあっても、手放すことができなかった。
そうイシュトヴァーンはつぶやいた。
「勇者よ、頼みがある……」
「なんだよ。改まって」
黒騎士が俺へと向き直る。
俺も、まっすぐに奴の瞳を見た。
人々の軍勢を、そして、かつての勇者を苦しめた豪傑の、実直な瞳を。
「その剣で……もう一度、私を打ち負かしてくれ。それだけが、我が最後の希望だ……」
その言葉に、俺は少し笑ってしまう。
「当たり前だ。お前に負ける気は微塵もない」
「……そうだな」
「……それに、どうやら何万もの人の命が、俺の手にかかっているみたいだからな」
「そうか。……迷惑をかけた」
「まったく……また、こんな役回りなんだ、俺は」
もう時間か。
黒騎士の魂を少しでも救えればと思って来てみたが、俺にはこのくらいしかできない。
それどころか、俺のほうが背中を押されてしまった。
やれやれだ。
「じゃあ、黒騎士……」
俺が別れを告げようとしたとき、目の前の空間がぐにゃりと揺れた。
魔城の門の前に、一人の少女が姿を現す。
真紅の瞳。漆黒の角。竜のごとき翼。
黒乃じゃない。彼女は――。
「……魔王ヴェルヴェット。お前も来たのか」
華奢な少女は、鈴を鳴らすように、儚げな声で告げる。
「是。配下の最後の晴れ舞台……余が看取らぬわけにはいくまい」
その声に。
夜の帳を冠する、その姿に。
黒騎士イシュトヴァーンが、まるで幻に手を伸ばすように、ゆっくりと近づき――。
そして、跪いた。
「魔王……。我が、魔王……様……」
言葉にならない声を、絞り出す黒騎士。
その巨躯の肩に、魔王の細い手が触れる。
「大儀であった」
その一言に。
男の瞳から、涙がこぼれ落ちた。
「魔王様。私は……くっ」
ああ。
その姿を見て、俺も自然と笑みがこぼれた。
「もういいか……黒騎士?」
「うむ。世話をかける」
かつての宿敵である黒騎士に。報われたその魂に。
俺は、いつもの調子で告げた。
「じゃあ……続けるか」
もう十分だろう。
トレス・メアの魔法が解除され、心象世界がかき消えていく。
その刹那、魔王ヴェルヴェットが俺へと語りかけてきた。
「頼んだぞ……勇者」




