第27話 黒騎士イシュトヴァーン
タイムリミットが迫る。
魔城の戦力は入り口のところにいたトーメンターが大部分を占めていたようで、ほとんど敵とも遭遇せずに、俺は全力で走り抜けることができた。
「乗り心地の悪いパンダですまないな、助手」
「うぅん。大丈夫だよ……ごめんね。ありがとう、パンダくん」
申し訳なさそうに黒乃が言う。
この期に及んでは、自分が足手まといになっていると思っているのだろうか。
「……黒乃」
カメラが拾わないくらいの声量で、俺は名前を呼ぶ。
「俺は、新宿近郊に住む何万の命と同じくらい――きみ一人のことを救いたいと思っている」
「真央くん……」
「大切なんだ。ふてくされて、一人で生きるつもりだった俺に――居場所をくれ、やるべきことを思い出させてくれた、きみのことが」
「私も……」
俺のもふもふした着ぐるみの背中に、黒乃が額を寄せる。
「あなたのことが、大切……。すごく、誰よりも。だから……勝ってね、真央くん」
「……。ああ!」
立ちはだかる敵を薙ぎ倒し、階段を登ると、目の前に大扉がそびえ立つ。
星空とオーロラをたずさえた黒い結晶の城の中は、常に暗い魔力に満ちていたが、その扉の向こうからは特に強い力を感じた。
おそらく、この先が最深部だということが、気配でわかった。
「……行くか」
残り六分。
俺は大扉を開いた。
新宿大深淵の魔城。その最深部。
巨大な空間だ。
床には絨毯のようにオーロラの道が伸びており、その先には玉座があった。
「……まあ、ボスがいるのは玉座の間と相場が決まってるよな」
しかし、その玉座は空席だった。
代わりに、誰もいない玉座の前で跪いた巨躯が一つ。
それは深淵の暗色に蝕まれたような、錆び朽ちた漆黒の鎧をまとっていた。
「お前が、この大深淵のボスだな」
俺は鉄パイプを構えて、油断なく一歩を踏み出す。
パンダの着ぐるみは、ここまでの戦闘ですでにボロボロだった。
「悪いが、お前に手間取っている暇はない」
残り時間は、あと五分。
俺が深淵に閉じ込められるだけならまだいい。だが、この戦いには黒乃の、アンリの、そして新宿近郊に住む大勢の人々の命がかかっている。
「勇者なんて、二度とごめんだと思っていたんだが……」俺は小さく、ため息混じりにつぶやく。「今だけは……勇者としてのすべてを使って、お前を倒す」
漆黒の巨躯が振り向く。
瞬間、すさまじい覇気が物理的な突風となって俺たちに叩きつけられた。
「きゃあっ!」
その覇気に当てられて、黒乃が顔を伏せる。
だが。
相対する俺は、呆然としていて、黒乃をかばっている余裕はなかった。
これは――。
この覇気は、あいつの――。
> なんだあの黒い騎士……
> 震えが止まらない……。画面越しでもこのプレッシャーかよ
ゆっくりと立ち上がった漆黒の巨躯が、水晶の床に伏していた大剣を拾い上げ、構える。その刀身もまた、刃こぼれし、闇に侵食されていた。
そして右足を半歩引き、重心を落とす。一切の隙がない、鉄壁の構え。
兜の奥で妖しく光る瞳が俺を捉えた瞬間――漆黒の巨躯は音もなく姿を消し、一瞬のうちに俺の目の前に現れた。
「――ッ!!」
とっさに掲げた鉄パイプに、大剣が叩きつけられる。
ギリィッ! と火花が散り、魔法で強化しているはずの鉄パイプが軋んだ。
重い。ただの魔物の暴力じゃない。
理不尽なまでに堅牢で、すべてを叩き潰すかのような剣の重さ。
そして何より、その漆黒の胸当てに深く刻まれた、十字の傷痕。
ああ、間違いない。
その身が、その魂が、深淵に蝕まれようとも、その剣技だけは決して濁ってはいない。
俺の魂が、本能でこいつが誰かを理解している。
「……黒騎士、イシュトヴァーン……。……なんで、お前、こんなところにいるんだよ……」
◆
過去、異世界アルトヘイムにて。
かつて勇者ジェノだった俺を、幾度となく窮地に追いやった、魔王軍最強の盾がいた。
「征くぞ、勇者よ! 我が王のため、貴様の首を貰い受ける!!」
漆黒の鎧をまとった、巨躯。
黒騎士と呼ばれた、魔王の側近。
旅の途中、幾度も奴とは剣を交えた。
互いに血を流し、骨を砕き合う中で。
いつしか敵対する立場を超えて、戦士として奇妙な友情すら芽生えていた。
そして最期――俺たちは魔王城の前でぶつかり合った。
「勇者ジェノ。単身でここまでたどり着くとは、敵ながら見事だ」
「黒騎士イシュトヴァーン。その剣、その忠義……俺もお前を尊敬する」
「なればこそ……全身全霊を持って、この一戦にて決着を……!」
「ああ……!」
……長い戦いの果て、俺は黒騎士イシュトヴァーンに勝利した。
一騎打ちだった。
黒騎士のほうは手下を呼ぶことだってできたはずだが、手出しをさせなかった。魔王もまた、最後まで静観していた。
……馬鹿馬鹿しいかもしれない。
だが、俺たちにとっては、確かに意味のある戦いだったんだ。
あいつは最期、誇り高き戦士として、満足げに笑って消滅した。
そのはずだった――。
◆
極限の集中の中、フラッシュバックする前世の記憶。
それが……どうして。
「どうして、こんな場所で……魂を穢され、化け物に成り果ててまで……!」
深淵の泥に塗れ、魂を侵食されて、正気を失った騎士。
まるで、あの日の戦いすら穢されているようで、俺は心の中で慟哭した。
背中に乗った黒乃が「真央くん……?」と疑問の声を漏らす。
そこで俺は、ハッとして背後を振り返った。
まさか……あいつの魂は、主である魔王ヴェルヴェットの後を追って、この世界の大深淵にまで這い出てきたのか?
俺は黒騎士から距離を取って部屋の隅まで行き、黒乃を降ろす。
そして、彼女を守るようにして、鉄パイプを構えて立った。
魔王の翼と角を、そして魂を得た黒乃。その真紅の瞳が、深淵に蝕まれた黒騎士を見据える。
「ここにいてくれ、黒乃。……必ず守る」
「……うん」
黒乃の姿に、その真紅の瞳に、かつての主の面影を見たのか。
直後、黒騎士が吠えた。
焦がれるように。嘆くように。呪うように。
守るべき主と、それを害する敵を見据えながら。
「魔王……サマ……グアアァァァ!」
魔王の側近にして、前世の俺の宿敵。黒騎士イシュトヴァーン。
魔王ヴェルヴェットを俺から取り戻すため――あるいは、深淵に染まり正気を失った心のままに。
暗く朽ちた剣を構え、俺に向かってきた。




