第26話 アンチマジック・シールド
両開きの大扉に力を込める。
かなり重い扉だったが、勇者の魔力で身体能力を強化している今なら問題なく開くことができた。
城の中には、夜空が広がっていた。
そう錯覚するような景観だった。
深淵に由来する漆黒の結晶で作られたエントランス。磨き上げられたその材質は、まるで鏡のようだった。
床や壁を形成する結晶の奥には、星々やオーロラが映し出されている。
煌めく漆黒の城。これは――たしかに魔王ヴェルヴェットの城の面影が残っていた。
「きれい……」黒乃の真紅の瞳が揺れる。
「これが……新宿大深淵の最奥なのですね」アンリもまた、感嘆の声を漏らした。
城の外観もそうだったが、この雰囲気……やはり、新宿大深淵は魔王ヴェルヴェットに縁のあるダンジョンなのか?
異世界アルトヘイムと、俺たちの住むこの現実世界が、どのように関わりがあるのかはわからない。だが、こうして俺や黒乃が転生してきていることを考えると、やはり魂のレベルでは何かしらの関連があると考えるのが自然だ。
「魔王ヴェルヴェット……きみも、見ているんだろう?」
いったい、魔王とこの深淵にどんな関係があるのか。
しかし今は、考えていても仕方がない。
俺たちは早く先に進まないとならないし、先に進めば何かがわかるかもしれない。
> 黒水晶の城だ。以前、新宿大深淵に挑んだSランクパーティは、ここにいるボスによって全滅したらしい
> パンダ、助手ちゃん、アンリ様……気をつけてくれ
荒れていたコメント欄は、いつの間にか俺たちを応援する声が多くなり始めている。
そのとき、美しい景観に無数の亀裂が入った。
パリンというガラスの砕ける音。
時空の裂け目だ。暗色の光と霧が集まり、新たな魔物たちを形成する。
「深淵の魔物です!」
「真央――パンダくん、気をつけて」
鏡のような壁や床に、空間の裂け目。なんとも距離感が狂う。
出現したのは、引き締まった肉体を持つ、人型の魔物だった。
数は十以上で、今なお増え続けている。
二メートル近い背丈。それが獣のような体躯に似合わぬ、嗜虐的で粘着質な視線を俺たちに浴びせてくる。
「……魔王城の衛兵たちといったところか」
> ヴォイド・トーメンターだ。肉弾戦タイプの魔物。人間の苦痛を糧にしている厄介なやつだ。
> マジかよ。それって深淵のボスクラスじゃないか?
なるほど、こいつらはトーメンターというのか。強敵のようだが、肉弾戦が得意というなら、魔法には弱そうだ。
群れを成す魔物には範囲魔法で殲滅と相場が決まっている。
「其は空を裂き地を穿つ漆黒の雷――アト・ルオス!」
一応、俺は便宜上ガチャガチャのカプセルを投げる。
もはや、ごまかしなど通じないし無意味かもしれないが。それが、俺たちTesting_Roomのスタイルだからだ。
衝撃。轟音。
城の大広間に巨大な落雷が発生し、トーメンターを巻き込んでいく。
だが――。
「パンダくんの攻撃が、効いていない……!?」
激しい雷光の中で、ほぼ無傷で迫るトーメンターたちを見て、黒乃は愕然とする。
★【ミミズク】(¥50,000)アンチマジック・シールドを展開しているようだ。このタイプの魔物には、魔法はほとんど効果がないぞ
さすがは俺たちの資金源のミミズク先生、博識だ。
しかし、魔法の効かない魔物か。どう対処したものか。
> え、あの雷ってやっぱり科学兵器じゃないの?
> おそらく魔法の原理を応用した科学兵器なのだろう。そういう研究が進んでいると論文で読んだことがある
それは俺も初耳だ。
ともかく、目の前の状況に集中する。
「アンリ。こいつらには物理攻撃しか通らないそうだ」
それを聞いたアンリが表情を歪めた。
「この数を……近接戦闘だけで一体ずつ対処しなければならないのですね」
「どうやら、そうらしいな」
アンリ同様に、俺の頬にも冷や汗が流れる。
魔法が使えないとなっても、もちろん負ける気は毛頭ない。だが、かなり骨が折れるのは確かだ。
これから、大深淵のボスとの戦いが控えていると考えると――。
> もう時間がないぞ
> このままじゃ、彼らが深淵に閉じ込められちゃう
> もういい、撤退するんだ!
「師匠……」
「真央くん……」
下卑た視線をこちらに向ける筋骨隆々のトーメンターたちを見て、アンリと黒乃が不安げに俺の名を呼ぶ。
その筋骨隆々な体躯に似合わぬ、獲物をいたぶるような異様な表情。奴らの舐め回すような視線はとくに手負いのアンリに、その鎧の隙間から覗く火傷の痕に集中していた。
時間もない。俺は真眼で相手の能力を把握しながら、突破口を探す。
「こいつらの魔法無効化の力も、おそらく無限ではない。アンチマジック・シールドの強度を上回る威力の魔法を当て続ければ、倒すことはできるはずだ」
だが。アンリと違って俺の戦力は、魔力量に大きく依存している。
ここでこいつらを蹴散らすために大量の魔力を消費してしまったら、ボス戦まで持たないかもしれない。
「……ま、考えている余裕はないか」
後のことは後で考えればいい。まずはこの状況をなんとかする。
そう考えて、俺が最大の魔法を行使しようとしたとき。
「……師匠。先に行ってください」
アンリが、俺と黒乃の前へと出る。
兜のバイザー越しに見える決意の瞳。美しい銀髪が揺れる。
「ここは私が対処いたします。あなた一人なら、この先に進めるはずです」
アンリの提案に、俺は慌てて口を挟む。
「それはできない! きみを置いていくわけにはいかない」
俺たちは三人で大深淵を攻略して、いっしょに生きて帰るのだから。
すると、アンリは澄んだ声で叫ぶ。
「時間がないのです! ここで手をこまねいていては、とても間に合いません!」
呆然とする俺に、アンリは小さく、儚げな笑みを浮かべる。
「それに……わたくしが師匠の足手まといになっていることは、承知しております」
「そんなこと……」
それは買いかぶりだ。
ここまで順調に来れたのはアンリのサポートがあったから。
それに、これほどの数のアンチマジック・シールドを持った敵の群れと、この先で待っている大深淵のボスに挟み撃ちにされたら、さすがに厳しいだろう。だから、俺一人では強行突破という択も選べない。
「行ってください。ここはわたしに任せて……!」
銀鈴の声が、力強く鳴る。
「アンリ……」
逡巡する時間すら、俺たちにはない。
そのとき、かすかに聞き覚えのある声が頭の中に響いた。
『少女よ。見事な騎士道だ』
魔王ヴェルヴェットの声。
それがアンリにも聞こえたのか、軽く周囲を見回す。
「今の声は……?」
儚げだった少女騎士の瞳に、力がこもる。
「師匠……!」
「……わかった」
俺は自分自身とアンリに、最大の力で身体強化魔法をかける。
そしてパンダ着ぐるみの手で、アンリの背中にそっと触れた。
「ここは任せる……アンリ!」
重い決断。
もし前世の、勇者ジェノとしての俺だったら、きっと無理にでも彼女の手を引いて進んでいただろう。たった一人で、すべてを解決できると信じて。
だが、今の俺は違う。
アンリは対等な仲間で、背中を預けられる一人の騎士。
彼女は俺のことを信頼してくれているからこそ、俺は彼女を信じることでそれに応えるんだ。
「はい……お任せください!」
トーメンターたちが動き始めるとともに、アンリは槍を掲げた。
ここまで積み重なったダメージと、蟻酸による火傷の痛みに、わずかに体を震わせながら。
「お前たちの相手は、わたしです。……ヘイト・アトラクト!」
魔物の注意を一身に引き受ける、アンリの特技だ。
ヴォイド・トーメンターたちが、少女に群がるように突進してくる。
俺が『ヘルメスの靴』によって城の奥へと走る直前、黒乃とアンリが言葉を交わした。
「アンリ……かならず生きて帰って、また配信しようね」
「……はい」
結ばれた小さな約束。
兜で隠れたアンリの横顔は、かすかに微笑んだように思えた。




