第22話 タイムリミット
配信の画面。
探索者協会日本支部に、一人の男が姿を現した。
俺でもその人物のことは見覚えがある。
探索者協会の日本支部長。国中の探索者たちを束ねる長。
精悍な顔つきをした、レヴィアタンの異名を持つ白髪混じりの男性なのだが、今は疲労と緊張の色が見える。
俺たちが固唾を呑みながら見守っていると、ほどなくして演説が始まった。
『本日、十五時十六分……禁足地である廃都新宿にて、過去最大級の深淵が発生。および大規模な魔物の氾濫――『スタンピード』の不可逆な予兆が確認されました』
スタンピードだって!?
内心で驚愕している俺と同じく、隣にいるアンリも無言のまま息を呑んでいる。
魔物の大規模な群れが、ダンジョンの外へと溢れ出てくる現象のこと。それをスタンピードという。
もし新宿大深淵のような、最凶クラスのダンジョンがスタンピードを起こしたら。
強力なヴォイド・モンスターの群れが日本中を襲う。その被害の規模を想像するだけで、めまいがした。
『スタンピードが発生した場合、大深淵の裂け目は日本全土に広がります。現在の探索者協会および自衛隊の戦力では、これを抑え込むことは不可能です。このまま氾濫を許せば、数時間以内に日本全土がヴォイド・モンスターの群れに蹂躙され、国家機能が完全に喪失します』
体裁も忖度もない言い回し。
それほど状況が切羽詰まっているということか。
俺もアンリも、事態の深刻さに驚きを隠せずにいた。
だが、本当に絶望的だったのは、次に続いた日本支部長の言葉だった。
『現状を鑑み、政府および探索者協会は、苦渋の決断を下しました。――現在時刻よりちょうど一時間後の十七時五十二分。新宿大深淵の空間の裂け目に対し、戦略級殲滅魔法を行使し、空間ごと深淵を物理的に破壊。封印します』
「戦略級殲滅魔法……!?」
日本支部長の言う戦略級魔法とは、複数の魔道士が同時に詠唱をして発動する強大な魔法のことだ。
その規模は――。
『今回、行使する魔法の効果範囲は、新宿の旧都庁を中心におよそ半径五キロメートルです』
それを聞いたアンリが、悲壮な表情をする。
「そんな……それでは、とても逃げられません! あと一時間しかないなんて……大勢の犠牲者が出てしまいます!」
それだけ……スタンピード発生までの時間もないということなのか?
『当該地域に指定されている区画の皆様に、即時避難を命じます。財産や荷物はすべて放棄してください。車両の使用は極度の渋滞とパニックを招きます。直ちに車両を乗り捨て、自らの足で、一歩でも遠くへ、外周へ向かって走ってください。地下鉄などの地下施設も、魔法の余波で崩落する危険があります。どうか急ぎ、命を守る行動を――』
アンリが俺の服の裾を、ぎゅっと握った。
その手は、肩は、震えている。
『……一時間という時間が、避難において極めて絶望的であることは、我々も痛いほど理解しております。多くの犠牲が出ることも、承知の上での決断です。……ですが、一億の命と、この国を守るため……我々にはもう、この手段しか残されておりません。……すべては、この事態を予測できなかった我々の不徳の致すところです。……重ねて申し上げます。該当地域の方は、至急――』
なんて愚かなんだ。
俺は拳を強く握りしめた。
「師匠……」
アンリが不安げな瞳で俺を見る。
「……ギルドに話をつけてみよう。まずは戦略級魔法を止めないと」
絞り出すようにそう言うと、アンリが心からほっとしたような表情をする。
「アンリ、ギルドの連絡先はわかるか?」
「柳田支部長の端末なら……いずれにしても、現在、日本支部には問い合わせが殺到しているでしょうから」
「……まずは柳田さんから事情を聞くしかないか」
「はい。彼なら、日本支部まで話を通せるかもしれません。……連絡をしてみます」
アンリがスマホを操作する。
数回の着信音の後、画面に柳田支部長の姿が映った。
「柳田支部長!」
『なんだ、アンリか……。それに、隣にいるのは天馬真央だな。知っているだろうが、今、俺たちは忙しいんだ。要件なら後に――』
言い終わる前に、間髪入れずに俺は叫ぶ。
「戦略級魔法の行使を中止してください!」
柳田支部長は『やはり、その話か……』と頭を抱える。
『……それはできない。俺だって被害が出るのは見過ごせないが、これも政府と探索者協会日本支部の決定だ。もう魔道士たちにも招集がかけられていて、順次詠唱が開始される。……こういうクレームが殺到しているからこそ、余計に忙しいんだ』
すべては織り込み済みということだろう。当然だ。
ならば、と俺は声のトーンを抑えて語る。
「たとえ戦略級魔法でも、深淵は破壊できない」
『……なに?』
「物理的な衝撃によって破壊できるのは、深淵の出入り口だけ。……その内部、深淵そのものは消し去ることができず、肥大化していくだけだ!」
そして。
俺はさらに決定的な情報を、小声で叫ぶ。
「深淵は、より強力になって復活する……七年前の、新宿消滅事故と同じことを繰り返すわけにはいかない」
柳田支部長の目の色が鋭いものに変わる。
『……どうして、お前がそれを知っている?』
俺が調べた深淵の特性と、七年前の状況を照らし合わせた結果だ。
半分はカマをかけていたが、どうやら当たっていたらしい。
七年前、新宿大深淵が出現したとき、選りすぐりのSランク探索者たちでそれに挑んだ。
だが、結果は失敗。全滅したのかもしれない。
そのダンジョン攻略中にスタンピードの予兆に気付いたギルドは、国を守るために大規模殲滅魔法を発動した。新宿に住む人々を巻き添えにして。
おそらく、そういうことだったのだろう。
よって七年前に起こったことは深淵出現による事故ではない。政府とギルドが起こしたことだったのだ。被害を最小限に止めるために。
柳田支部長が、観念したように、ため息をつく。
『……あれは、Sランク探索者のパーティでも攻略できなかった深淵だ。そうするしかなかった。まさか戦略級魔法でも入り口の破壊しかできないとは、解析班でも予測ができなかったんだ』
「だったら、無意味なことはやめるんだ」
『無意味ではない!』
覇気の込められた叫び。
『そうだ。これからやろうとしていることは、災厄に蓋をするだけの応急処置だ。それでも……今、この瞬間、一億の命を守るためには必要なことだ』
そしていつかは、新宿を攻略できる者が現れる。それを信じて、未来に託す――。
対する俺は、ただ黙って画面越しに見る柳田支部長の鋭い眼光を見据える。
『政府もギルド上層部も、犠牲や批判は覚悟の上で、この決断をしたんだ。それを取り消すことはできない』
意思は固い。
柳田支部長も、上層部も、日本支部長も、政府も……皆、覚悟の上というわけだ。
「そうか……なら」
俺も、覚悟を決めるしかない。
平穏な日常を失ってでも、誰かを救うべきなのか。
前世で俺は人々に裏切られ、もう二度と勇者になんかなるものかと誓った。
それでも――。
どうしても、譲れないものはある。
そうでないと、俺を陥れたあいつらと同じになってしまう。
それに……隣で倒れている黒乃を、大切な友を、このまま見殺しになんてできるはずがない。
「誰かが大深淵を攻略して、戦略級魔法の使用をやめさせるしかないな」
柳田支部長の瞳が驚きに見開かれる。
『真央、お前……何をする気だ?』
それに答えることなく、俺はアンリの持つスマホの通話停止ボタンに指を伸ばす。
『おい、真央!』
その声を最後に、ぶつり、とギルドとの通信が切断された。




