第21話 魔王との邂逅
ここは、どこだ……?
暗い場所だった。
夜の空には帳のように垂れ下がる一面のオーロラ。半透明の地面は水鏡のよう、頭上の色彩を反射しながら揺らめく。
息を呑むほどに美しい景観。
だが、その風景は壊れかけていた。
ときおり視界をさえぎる、チカッ、チカッ、という砂塵のようなノイズ。そしてオーロラの空と、水鏡の地面に幾重も走る、大きなひび割れ。その裂け目から洩れ出すような、かすかな不協和音が鼓膜を震わす。
黒乃の魔力の奔流に飲み込まれたと思ったら、気がついたらここにいた。
パンダの着ぐるみはない。俺が身にまとっているのは、見た感じは普段着のようだ。
「心象世界……ってやつか」
こういった場所には覚えがあった。
ここは精神や魂の有り様を映し出す場所。
そして、この空間の主は、おそらく結城黒乃なのだろう。
水鏡がわずかに揺れる。そこから、小柄な人影が姿を現した。
「……きみは」
一瞬、それが黒乃だと勘違いするほど、よく似ていた。
深窓の令嬢というべき華奢で儚げな少女。
違うのは服装。大胆に胸元が開いたドレス。真紅の瞳。背中にはコウモリのような翼。そして頭部には禍々しい漆黒の角が生えている。
あの子は――。忘れるわけがない。その姿は。
「……世話をかけたな、勇者」
消え入りそうなほど儚い。
それでいて、威圧感すら感じるほどによく通る声。
「久しぶりだな。魔王……ヴェルヴェット」
まったく。
しれっと姿を現しやがった。
お前のせいで、こっちはずいぶんと苦労させられているんだぞ。
「余は、どうやら不完全な転生をしてしまったようだ……そのため、黒乃の肉体と魂は、風前の灯だ」
「知ってる。お前の力と魂が強すぎるんだよ」
軽く文句を言ってやると、ヴェルヴェットはほとんどわからないくらいに小さく肩をすくめた。
「是非もなし。本来であれば余が転生した時点で魂は覚醒し、別の誰かの魂など生じようもなかったのだが……。そう……生前、誰かさんが余の魂を来世まで封印したせいで、輪廻の機能に不具合が生じた」
「……俺のせいってことか」
魔王の言葉で、俺はやっと事の真相を知ることができた。
要約するとこうだ。
本来であれば、俺のように魔王ヴェルヴェットも新たな肉体に転生するはずだった。
だが、前世の俺――勇者ジェノが魔王の魂に封印をかけたせいで、転生は不完全なものになってしまった。
だから、本来であればヴェルヴェットの魂が宿るはずだった肉体に、新たな魂――黒乃が生まれてしまった。
そして現在、封印が解かれた魔王の魂の圧倒的な質量によって、黒乃の魂は消滅しようとしている。
なんだよ……ヴェルヴェットの封印が解かれたのも黒乃が俺と接触したからだと仮定すると、今回の件は、ほとんど俺のせいじゃないか。
そう自責の念に駆られていると、ヴェルヴェットが呆れたように小さくため息をついた。
「それもまた、是非に及ばず。……現在、余の魂は、ある大いなる深淵と共鳴している」
「大いなる深淵? ……Sランクのダンジョン、深淵のことか?」
「そう。かつて人の手によって閉じられ、煮えたぎるように力を増した、かの深淵……」
「それって、まさか……」
魔王の言葉によって、俺の中である一つの説がつながる。
その瞬間、視界の中に無数のノイズが走った。
「新宿の……大深淵か!?」
「然り。……新宿という地の大いなる深淵が、余の魂に働きかけている」
そうか。それで、予定よりも早くヴェルヴェットの魂が復活し、黒乃の魂が消滅しようとしているのか。
「かの地にいる何者かが……余を求め、呼びかけている」
「ああ、なるほど。きみはファンが多いからな」
「余のどこが良いのか、理解に苦しむ」
「……そうか」
魔王。かつて、世界の命運を賭けて戦った、人類の宿敵。
あまりにも変わっていない彼女の有り様に、こんな状況だというのに、俺は少し笑ってしまう。
それから、ヴェルヴェットは感情の読めない表情で、まっすぐに俺を見据えて言った。
「……どうか、黒乃のことを頼む」
そうだ。魔王ヴェルヴェットはそういうやつだった。
人類の敵という割には責任感に溢れ、冷酷そうに見えて情に脆い。
だから俺も、このときは素の自分のままで言った。
「……仕方ないな。俺がなんとかしてやる」
「世話をかける」
「ああ」
話が終わったところで、視界が闇に閉ざされていく。
どうやら時間切れらしい。
「じゃあ……またな。魔王」
少しの名残惜しさを感じながら、俺の意識は現実へと引き戻されていった。
◆
「……しょう……師匠……師匠!」
呼びかけるアンリの声とともに、俺の視界が晴れていく。
どうやらここは、清流の洞窟ダンジョンの深部のようだ。
俺は黒乃を抱き抱えたまま硬直していたのだろうか。黒乃のほうは気を失っていた。
「真央師匠、気が抜けていたようですが……どうしたのですか?」
「すまない。少し考え事をしていた。それよりも、黒乃のことだ」
「はい。彼女の身に、何があったのですか?」
「それについて、移動しながら説明する。とりあえずダンジョンから脱出しよう。……手を出してくれ」
「え? は、はい」
差し出されたアンリの手を、俺は強く握った。
「な、なにを……」
手を繋いだ状態になると、アンリは真っ赤になって震える声を漏らした。
なんだか俺も恥ずかしくなったが、気にしないふりをしてダンジョン脱出用の魔法を行使する。
「グア・テルマ!」
◆
直後、景色が変化した。
鍾乳洞の入り口だ。目の前には自然豊かな山道。頭上は夕焼け空が広がる。
「ふぅ、うまくいったか」
かつて異世界アルトヘイムにあった『ダンジョン脱出魔法』だ。
こっちの世界ではまだ存在しない魔法だが、ちゃんと機能するようだな。
ちなみに「なぜ、ダンジョン内限定なのか」みたいな細かい理由は俺も知らない。
「ここは、迷宮の外に出たのですか? 師匠……今のはいったい?」
驚くアンリに、俺は人差し指を口元に当てて見せた。
「これは秘密な」
「は、はぁ……」
そのとき、自然豊かな山の中に似合わぬ人工的なサイレンの音が鳴り響いた。
音の出所は二箇所。俺とアンリのスマホだ。
「……っ。緊急深淵速報のようです」
災害クラスの深淵が発生したときに発令される、探索者協会からの情報のことだ。
内容は――先ほどのヴェルヴェットの言葉から、おおよその予想はついた。
「師匠、これは……」
差し出されたアンリのスマホの画面を覗き込む。
ニュースサイトの見出しに、こんな文言が書かれていた。
『新宿に史上最大規模の大深淵が出現』
やはり、そうか。
魔王ヴェルヴェットの魂と共鳴しているという新宿大深淵。放置しておくことはできない。
しかし、Sランク探索者でない俺たちは、深淵ダンジョンに入ることは許されない。それよりランクがさらに上の大深淵ともなれば、なおさらだ。
「……わかっている。だが、今は先に黒乃のことを――」
「待ってください、師匠。――探索者協会からの生配信で重大な発表があるようです」
「重大な……発表?」
嫌な予感がする。
黒乃をシートの上に寝かせた俺は、アンリの隣に立ち、もう一度、彼女が持つスマホの画面を覗き込んだ。
配信画面に映っているのは探索者協会の日本支部だろうか。
そして、その動画のテロップに書かれていた文章を読んで、いよいよ俺は戦慄した。
『【緊急避難指示】新宿中心部より半径五キロ圏内』




