五
─これくらいなら薬飲んで休めば治るし、さっさと…
「──っ! ぅっ…」
横になった事で僅かながらマシになった頭痛と目眩を振り返さないようゆっくりと体を起こした次の瞬間、ドクリと心臓を鷲掴みにされたような痛みが体を貫いた。俺はぎゅっと胸元を押さえ前のめりに倒れた。
俺は術師として生きていけないほど体が弱い。それでも術師の世界に身を置いておけるのは医療に関する術式の専門家…主治医に俺の体で最も弱い部位─胸部に直接術式を埋め込んで貰っているからだ。
余談だが主治医は俺が赤子の頃から知っているらしい
母から遺伝したこの虚弱体質は相当なもので季節が変われば変化に追い付けず体調を崩し少し無理をすれば見ての通り、こうして体が悲鳴を上げる。
─油断…したっ…
ヒュー…ヒュー…という正常とは言えない呼吸音に俺は宮棚に置いてある瓶を取ろうと手を伸ばし─
「──ぁっ…ぐ…」
─痛い…苦しい…気持ち悪い…
ズキリと脈打つような痛みが心臓を中心に貫いた。上から圧迫されているかのように息苦しい。痛くて苦しくて助けを呼びたくても呼べなくてポロリと涙が俺の頬を伝う。
「桜架っ!」
ふわりと誰かの手が背に触れ、俺の名を呼ぶ。掠れる視界で捉えたのは俺の蒼銀よりも更に薄い月明かりのような薄い青みを帯びた銀髪に狼の耳を生やした俺と同じ鮮やかな水色の瞳を持つ和装の姿をした男。
「はぁっ…はっ…ラク……ス…」
「意外と余裕だな、このバカ桜架。飲めるか?」
現れた男が俺の契約精霊、ラクスヴィエトが人化した姿だと気付いて名を呼ぶと軽く頭を小突かれ、口に小さな塊を二つ放り込まれた。
「んっ…く…はぁ…けほっこほっ」
「あ、悪い。忘れてた」
呼吸がしやすいようにと高さを出した枕の上に寝かされたはいいが水も無しに薬を飲んだせいか何とも言えない喉の違和感にコンコンと咳をする。
飲み物を寄越せと睨めば素で忘れていたらしいラクスは宮棚に置いてあるボトルを取って蓋を開け、口元に宛がわれた。
「少し落ち着いたらそのまま寝ちまえ。不安なら眠れるまでこっちの姿のままで歌ってやるから」
いつもなら薬を飲みさえすれば、すぐに眠くなって寝落ちてしまうのに今日に限ってあんなに苦しい思いをしてギリギリまで体力が削られたのに眠気が訪れない。
眠ったら何かに飲み込まれそうな恐怖に駆られて服を握るとラクスは驚いた風に目を見開いてから近くに座り、俺の髪を解いて何か口ずさみ始めた。
記憶の片隅にある母が歌ってくれた春の風のような穏やかな歌とは別の真っ暗な闇夜を照らす月明かりのような優しい優しい子守唄─
「……んん…」
「聞きたきゃいつでも歌ってやるよ。だから、もう寝ろ」
うと…うと…と少しずつ瞼が落ちる。
母とは違う調べをもっと聞いていたくて歩み寄って来た眠気に抗う。遠退いていく意識の中、聞こえたのはラクスヴィエトの困ったような声。
俺はラクスの手を掴んだまま幼い子供のように眠りに落ちた。
***
─ったく…何でこうなる前に喚ばないんだ。こいつは…
俺の手を掴んだまま、あどけない顔をして眠る桜架を見て安堵のため息を吐いた。
俺は月牙大狼という種の精霊、ラクスヴィエト。桜架の契約精霊だ。
元はでかすぎて異端扱いされ、群れから外されていたところを拾われた魔獣だった。恩を返したくて使い魔になる事を願い出たところを使い魔なんてものにするには勿体無いと契約精霊にしてくれたんだ。おかげで人間の姿に変化する事が出来るようになったのだが元々、素養がないのかどんなに練習しても今日まで耳と尻尾は隠せるようにはならなかった。
それはさておき─
「発作起こしたら念話でも何でも使って起こせっつってんだろが。このバカ桜架」
まだ呼吸が浅く顔色の悪い桜架の頬を抓る。痛く抓っていないがむず痒さを感じたのか掴んでいた手を離し、ごろりと寝返りを打つ。久し振りに焦りを感じるほど心配したんだ。これくらいの悪戯をしてもバチは当たるまい。
俺が桜架の契約精霊として傍にいた時間は短くはない。それこそ、クロノスにべったりだった頃から知ってるし僅かな期間ではあったけど使い魔だった頃はよく遊び相手もしていた。髪を伸ばしてる理由が願掛けで優しくて甘えん坊で寂しがり屋。本当は“殺し”なんてしたくないのに虚弱な体に無理させて大嫌いな薬も飲んで少しでも丈夫になるよう鍛練もして沢山頑張ってるんだ。発作用の薬は錠剤だから味はしないけど他の薬は物凄く苦いから飲み終わってすぐに飴とかドライフルーツで口直ししてるのだって副作用で寝込むことがあるってことも知ってるんだからな。
ヘタな友人や恋人より桜架の事を知ってるのに桜架は頼ってくれない。クロノスやリナリア、ウルフィラスには頼るくせに、どうして俺には頼ってくれないんだよ…
「お前は群れから外された狼が可哀想ってだけで契約したのか?」
「なわけ…ねー…だろ…」
誰も聞いてやしないだろと思ってボヤけばうっすらと開いた鮮やかな水色の瞳が俺の方を見ていた。嫉妬という思考の海に入っていたつもりが頬や手を弄りすぎて起こしてしまったらしい。




